地下の工房に、金属を削る音が響いていた。
ユウカは作業台から少し離れた場所で、端末に表示された手順書を確認していた。
目の前では、ウタハがパラジウムの加工を進めている。その隣には、胸部が開いた赤と金色のスーツが横たえられていた。
「……なるほど。ここに収めるのか」
ウタハが加工機から目を離し、スーツへ顔を近づけた。
「何がですか?」
「動力源だよ。アークリアクターというらしい。この大きさで、全身の駆動と飛行まで賄えるというのだから驚きだね」
端末の図面を拡大し、実物と見比べる。ウタハの指が、画面の上を忙しく動いた。
「こちらも面白いな。これだけ詰め込んで、関節の動きを妨げないように――」
「ウタハ先輩。今は、動力源の加工ですよ」
「分かっているとも。アークリアクターはパラジウムで動かすらしいのだが……本命の仕様だと存在しない元素で動かす予定だったのだね。粒子加速器を作ろうとしていたのは……ふむ、そういうことなのかな」
そう答えながらも、ウタハは手を止めずに作業を続けていた。その目が輝いて見えるのは気のせいではないだろう。今のところは怪しいことはしていないはずだ。たぶん。
ユウカはスーツに一歩近づき、覗き込んだ。
初めに見たときは、大げさな防具だと思っていた。先生が防弾チョッキと呼ぶので、銃弾を防ぐためのものだろうと、それ以上は深く考えなかった。
しかし、装甲の下に隠れていたのは、隙間を惜しむように組み込まれた機械だった。
図面を読んで見比べてみても、何がどうなっているのかよくわからない。
「……これ、本当に飛ぶんですか?」
少なくとも、自分の知識では、この中に人が入って飛ぶなんてことは不可能に思えた。
「先生は、そのつもりで作っているようだね」
ウタハは楽しそうに答えた。
「実際に動くところを、ぜひ見たいものだ」
先生が優秀なエンジニアであることは分かっていた。廃材から輸送用のドローンを作り、当たり前のように運用している。それだけでも十分に驚かされた。
だが、こちらは人が中に入るのだ。
それも、作った本人が。銃で撃たれれば命に関わると、何度も念を押してきた先生が。
先ほどの電話には、これが動くことを疑っている様子がなかった。
先生は何者なのだろう。
連邦生徒会長が指名した、外の世界から来た先生。そう聞いてはいる。けれど、その前に何をしていた人なのか、自分はほとんど知らなかった。
「ユウカ。そちらの工具を取ってもらえるかな」
「……はい」
そのとき、上のほうから鈍い音がした。
二人の手が止まり、顔を上げる。
少し遅れて、もう一度音がした。気のせいではないだろう。上で何かが起きている。先生の言っていたカイザーの襲撃だとするなら、この工房が狙いかもしれない。
ユウカは銃を手に取った。
「上を見てきます。先輩は作業を続けてください」
「ああ。こちらは任せてくれ」
返事を聞いても、すぐには足が動かなかった。
先生を助けるためには、作業を止めるわけにいかない。かといって、ウタハを一人で残していいものだろうか。
「……図面どおりに、ですよ」
「分かっている。急ぎの仕事だからね。心配しなくとも、余計なことはしないさ」
上から、何かが割れる音がした。
迷っている時間はなかった。ユウカは扉へ向かい、出る前にもう一度だけ振り返った。
ウタハはスーツを見下ろしていた。
念願のおもちゃを前にした子供のような雰囲気を感じる。
「……ウタハ先輩」
びくっと、ウタハの体が跳ねた。
「まだ何もしていないよ?」
「まだ?」
「い、いや。何もしないとも。約束する」
ユウカは不安を抱えたまま、上の階へ走った。
*
一階へ上がると、エントランスの向こうで何かが爆ぜた。
ひび割れたガラス越しに、煙が流れている。ユウカは柱の陰へ身を寄せ、外を窺った。
道路に、ドローンの残骸が散らばっていた。
一機や二機ではない。街路樹の根元にも、通りの向こうにも、潰れた機体が転がっている。遠くの交差点からシャーレの前まで、戦闘の跡が続いていた。
その中に、一人の少女が立っていた。
黒い和装。狐の面。
「……狐坂ワカモ?」
袖が裂けていた。長い髪には砂埃が絡み、肩で息をしている。銃を持ち直す手つきも、どこか重かった。
上空から一機が降下してきた。
ワカモが銃を上げる。発砲とともに機体が傾き、路面を滑った。
その背後から、もう一機。
ユウカは柱の陰を飛び出して撃った。
ドローンの狙いがそれる。ワカモは振り向きざまに撃ち抜き、ようやくこちらへ顔を向けた。
「あなたは……」
「話は後です! こちらへ!」
ユウカが入口脇を示すと、ワカモは一瞬ためらってから駆け込んできた。
壁に背を預けた途端、その膝がわずかに折れる。
「怪我は?」
「この程度、問題ありません」
そう言いながらも、呼吸は整っていなかった。
ユウカは外へ目を戻した。煙の向こうで、まだ機影が動いている。
「まさか、ずっと一人で戦っていたんですか?」
「……もう少し、手前で止めるつもりだったのですが」
ワカモは割れた窓を見た。
「先生のお留守に、ここまで近づけてしまうなんて」
悔しげな声だった。
ユウカは、通りに散らばった残骸を見直した。
先生から電話があったとき、シャーレでは何も起こっていなかった。そう答えた。
起こっていなかったのではない。この少女が、ここへ来る前に止めていたのだ。
「どうして、先生が留守だと知っているんですか?」
「お車で出かけられるところを、お見送りしましたから」
知っていて当然のような答え方だった。
「その後、先生を見張っていた不審な方から、少しお話を伺いまして。こちらにも手を出すつもりだと分かりましたので、待っていたんです」
「見張っていた……?」
「ええ。昨日も、その前も、先生のお姿を隠れて撮影していた方です」
ワカモは銃の状態を確かめながら続けた。
「先生は昨夜も遅くまで作業をなさっていたというのに。あのような者にまで付きまとわれては、お疲れになってしまいます」
なぜ、昨夜の先生の様子まで知っているのか。それに、昨日も、その前もというのは。
「あなたも、頻繫にシャーレの当番に――」
銃声がワカモの言葉を遮った。
二人は壁へ身を寄せる。入口の床に、ガラスの破片が跳ねた。
問い詰めるのは後だ。
ユウカは通信を開いた。
「ウタハ先輩、ドローンの襲撃です。作業はどうですか?」
『加工が終わって、組み付けに入っている。雷ちゃんを向かわせるから、少し持ちこたえてくれ』
「お願いします」
通信を切ると、ワカモがこちらを見ていた。
「先生に、何かあったのですか?」
先ほどまでとは違う、鋭い声だった。
「先生はアビドスで何者かに襲われています。今、先生に届ける装備を完成させているところです」
ワカモの指が、銃を強く握った。
一瞬、外へ飛び出すのではないかと思った。
だが、彼女は深く息を吐き、シャーレの奥へ目を向けた。
「……でしたら、なおさら通すわけにはまいりませんね」
「ええ。だから、私もここで」
「私一人でも――」
「今まで一人だったんでしょう? ここからは、手分けした方が確実です」
ユウカは残弾を確かめた。
「先生が無事に戻るまで、この建物を守ります。協力してもらえますか?」
ワカモはユウカを見た。それから、わずかに頷いた。
「もちろんです。先生のためなら、どんなことだってしてみせましょう」
廊下の奥から、セントリーガンの駆動音が近づいてきた。
ユウカは入口の反対側へ移り、銃を構えた。ワカモも壁から身を起こす。
路地の向こうから、次のドローンの機影が近づいて来ていた。
*
壁の向こうで爆発が起きた。
爆風に押され、トニーは体勢を崩した。手から離れた端末が床へ落ち、跳ねる。
拾い上げると、画面に亀裂が走っていた。何度触れても、ユウカの声は戻ってこない。
「……すまん、壊れた。修理費は僕じゃなく、カイザーコーポレーションに請求してくれ」
「言ってる場合じゃないでしょう! 早く下がって!」
アルが余裕がないように叫んだ。
トニーは彼女の隣へ滑り込んだ。背後で銃弾が床を叩き、足元まで破片が飛んできた。
古い機械の陰に身を縮め、膝に手をつく。まだ体力はあるが、銃弾が飛び交う中を生身で走るのは精神を削られる。
「社長。君の会社には、送迎車はないのか?」
「今はないわ!」
「社員への福利厚生は?」
「うっ……。こ、この依頼さえ終われば、ラーメンくらいは……」
「なら、全員そろって食べに行こう。生徒がアビドスのおすすめの店を教えてくれたが、まだ食べにいけてなかったところだ」
「だったら冗談ばかり言ってないで、ちゃんとついてきて!」
トニーを監禁場所から連れ出してくれたのは、便利屋68という四人組だった。
金さえ支払えば、どんな仕事でも引き受けるアウトローらしい。匿名の依頼で助けに来たというが、その依頼人には心当たりがない。
助けに来るなら救難信号を受けた警察学校か、アビドスの生徒だと考えていたのだが。
依頼人は誰なのか考える余裕は、拘束を解いてもらった直後になくなった。
騒ぎを聞きつけたカタカタヘルメット団が追ってきた。さらにドローンが現れ、建物の出入口を塞いだ。
そこへ便利屋を追跡していたゲヘナの風紀委員会まで加わった。
事情を説明しようと声を張ったこともあった。しかし、返事が聞こえる前に銃撃戦が始まり、結局走るしかなくなった。
追手同士も撃ち合っている。その隙を突いて工場の敷地から抜けようとすると、上空のドローンに見つかった。ドローンを相手にして足を止めれば、背後から追手が迫ってくる。
五人はどうにか追跡を振り切ろうと、廃工場の中を逃げ回っていた。
「ところで、電話で何を話してたの?」
ムツキが、隣を走るトニーへ顔を向けた。
「ああ、配送を頼んでいた。どうしても欲しい物があってね」
「ええ!? 今の状況でやることなの!?」
アルが振り返った。
「今の状況だから欲しいんだ」
「何を頼んだの? 武器?」
カヨコは前を向いたまま尋ねた。
「着替えだ」
「着替え!?」
「社長、前を見てくれ。ぶつかるぞ」
アルが慌てて顔を戻し、通路に突き出した配管を避けた。
「あ、あの! でしたら、私の上着を……!」
ハルカが走りながら服へ手を掛けた。
「ありがとう。だが、君は着ていてくれ。僕が欲しいのは、もう少し丈夫なやつだ」
「防弾装備ってこと?」
カヨコの問いに、トニーは頷いた。
「正解。課長は優秀みたいだな」
「最初からそう言いなさいよ!」
「あはは♪ 先生、アルちゃんをからかう余裕はあるんだね」
そのとき、角の向こうで銃声がした。
先頭のカヨコが足を止め、片手を上げる。全員が壁際へ寄った。
「……それが届くまで、どのくらいかかるの?」
アルが尋ねる。
「それが分かれば、僕も少し安心できるんだがね」
それから、いくつ建物を移っただろう。
部品倉庫を抜け、使われなくなった作業場を横切った。搬入口へ向かったところでドローンに塞がれ、来た道を引き返した。
電話をしていた時に、割れた窓から差し込んでいた夕日はもう見えなかった。
ユウカたちは、どこまで進めただろう。加工は終わったか。リアクターは起動したか。
同じことを何度も考え、そのたびに、確かめる手段はないと思い直した。砂漠の真ん中でも電波の届く端末は、アルが用意していたものしかないらしい。本当ならアビドスの生徒にも応援を要請したかったところだ。
「次の角まで移動するわ。そこなら少しは休めるはずよ」
隠れた先は、外壁に沿った細い通路だった。
倒れた資材棚が入口を半分塞いでいる。カヨコとハルカがそこへ銃を向け、ムツキが反対側の様子を見に行った。
トニーは壁に背をつけた。
さすがに疲れた。息を整えても、うまく酸素が取り込めていないように感じた。
便利屋の社員も無傷ではなかったが、体力には余裕があるように見えた。さすがはキヴォトスの生徒たちだ。もしかすると、彼女たちだけなら逃げられるのではないだろうか。
「あっちの通路幅は抜けられなさそう。ドローンがいっぱいいる」
ムツキがそう言って戻ってきた。
「こっちからも足音がする」
カヨコが短く報告する。そして、その方向から銃声がした。
ハルカが二発撃ち返す。先ほどまでのように、続けては撃たなかった。
「弾の残りは?」
トニーが尋ねると、カヨコが空になった弾倉を捨ててため息をついた。
「もう、長くはもたないだろうね」
アルも自分の銃を確かめ、渋い顔をしていた。
眼鏡があれば、イーディスへ接続できた。シッテムの箱があれば、アロナと相談できた。今は、そのどちらも手元にない。
頭上を、灰色の機体が横切った。
屋根の崩れた部分から、胴体の下が見えた。
荷物を吊るために設けた空間へ、銃が取りつけられている。積載量を増やすために工夫した機構は、その重量を難なく支えていた。
もっと少ない動力で、もっと遠くへ。試作機を設計しながら考えたことが、今になって鮮明によみがえった。
背後で、資材棚が大きく鳴った。
ハルカが撃ち返す。数発撃った後に、乾いた作動音がした。
「すみません、弾が――」
「謝らなくていい。下がって」
カヨコが位置を代わる。
「このまま足を止めても状況は悪くなるだけ。ムツキ、先に行って。私が援護するから、爆弾で突破口を作って」
「りょーかい。でも、爆弾もこれでおしまい。逃げる最後のチャンスかもね」
ムツキが鞄から爆弾を取り出して前に出る。
数歩で向こう側へ渡り、入口脇に身を寄せた。周囲を確認してから、こちらへ手を振る。
「ハルカは先生をお願い。私が一番後ろにつくわ。爆発に合わせて一気に逃げるわよ」
アルが銃を構えながらハルカにそう頼んだ。
「は、はい! 命に代えても先生はお守りします!」
そのとき、頭上で羽音が膨らんだ。
カヨコが上を向いた。
「――上!」
屋根に空いていた僅かな隙間から、ドローンが降りてきていた。
アルがすぐに撃った。
外装に火花が散る。機体がわずかに傾いたが、すぐに姿勢を戻す。
ドローンの下で、銃身が動いた。
その銃口が、ハルカへ向く。
「伏せろ!」
トニーは彼女の肩をつかみ、自分のほうへ引いて、覆いかぶさるような形になった。
装甲はない。分かっていても、身体が先に動いた。
自分の作ったもので誰かが傷つくのは、もう見たくない。
ハルカが息をのむ音が、すぐそばで聞こえた。
しかし、その次に聞こえてきたのは銃声ではなかった。
何かが頭上を横切り、ドローンの胴体を打ち抜いた。
機体がひしゃげ、向かいの壁へ叩きつけられる。遅れて、激しい噴射音が路地を満たした。
トニーが顔を上げると、赤い何かが空を飛んでいた。
空中で姿勢を変えた機体が、トニーの目の前にゆっくりと降下してくる。足裏の光が強まり、地面すれすれで速度を落とした。
そして、重い音が地面を伝わった。
巻き上がった砂埃の向こうに、赤い装甲が立っていた。
足裏の噴射光が消え、金色の面がトニーへ向く。胸の中央には、白く輝くアークリアクター。肩には、「MK86」の文字が刻まれていた。
「……何、あれ」
アルの声が聞こえた。
トニーは、ようやく息を吐いた。
「間に合ったか」
スーツは小さな駆動音とともに、こちらへ背を向ける。
肩の装甲が左右へ退き、背中が開く。腰と脚の内側も分かれ、そこに一人分の空間が現れた。
アルがトニーとスーツを交互に見た。
「え? それが言っていた防弾装備なの?」
「ああ、着替えのときは目をそらしてくれると助かるよ」
トニーはハルカの上から立ち上がり、スーツへ歩いた。膝が少し笑っていた。
このスーツを装着するのは初めてだ。
使える材料も設備も、以前とは違った。妥協した箇所は、数え上げればきりがない。かつてのナノマシンスーツよりも性能ははるかに劣る。
だが、動作確認を待つための時間も、試験場も、ここにはない。
「時には、歩く前に走る必要がある。だったか」
自分の言葉を思い出しながら、トニーは片足を差し込んだ。
足裏が定位置へ収まる。続けて、もう片方。
次の瞬間、スーツが動いた。
踵が固定され、足首を装甲が包む。ふくらはぎから膝へ、順に留め具が噛み合った。腰を支えられ、疲れた脚から体重が抜ける。
肩の内側が身体に沿って狭まり、背中の装甲が閉じる。開いていた腕の装甲も閉じていき、指の一本一本に硬い輪郭が重なる。
首元の隙間まで塞がれ、胸の奥で低い駆動音が響いた。
最後に、顔の前へ金色の面が下りる。
外の景色が消えて真っ暗になった。
やがて、視界の端に細い光が走り、虹彩認証完了の文字が現れる。
暗闇開け、荒れた工場の景色が戻ってきた。あっけにとられている少女たちの姿も見える。
『こんにちは、トニー』
聞き慣れた声が、耳元に届いた。
「やあ、イーディス。元気にしてたか?」
『私のログはすべて残っています。確認しますか?』
「それは後でいい、運用中のドローンへ接続してくれ。僕の権限は生きているな?」
『有効です』
「よし」
一歩踏み出したところで、銃声が響いた。
胸部に衝撃が走り、トニーは半歩後ずさった。
「先生!」
アルの声を背に、踏みとどまる。
視界の隅で、被弾箇所が表示された。
装甲は貫通していない。
トニーはゆっくりと顔を上げた。
路地の向こうで、ヘルメットをかぶった少女が銃を構えている。その上には、こちらへ向かってくるドローンがいた。
トニーは四人の前へ出た。
「社長、今まで世話になったな」
「な、何? 急に改まってどうしたの?」
「少し休んでいてくれ」
赤い腕を上げる。
「ここからは、僕も働こう」