トニーの掌から光弾が放たれ、ドローンが吹き飛んだ。
飛行時の姿勢制御にも使うリパルサーは、武器としても機能するスーツの標準装備だ。使い慣れた感覚を確かめるように、トニーは指を動かした。
『動力源が設計時の仕様と異なります。リパルサーレイの出力は、想定の七十三パーセントです』
「十分だ。生徒が作ってくれたものに、ケチはつけるなよ」
『スーツの稼働時間にも制限があります』
「僕にもある。さっさと終わらせよう」
言い終えたところで、金色の面に何かが当たった。
乾いた音が続き、視界の中央で火花が散る。思わず顔を背けかけたが、身体に痛みは届かなかった。耐久性能は、ひとまず及第点らしい。
ヘルメットをかぶった少女が、こちらへ銃を向けていた。
もう一度、銃声が響いた。胸の装甲を弾が叩く。
トニーは自分の胸を見下ろし、それから少女へ顔を戻した。
「君たちは、本当に躊躇しないな」
ちらりと振り返ると、アルが銃を構えたまま、こちらを見ていた。ハルカも壁際で身体を起こしている。
「ハルカ、怪我は?」
「は、はい! 私は、大丈夫です! でも、先生が……」
頭上から羽音が近づいてきた。
トニーは四人を背にかばうように動いた。
「イーディス。あのドローンたちを止めてくれ」
『機体情報を照合しています』
機体の下で銃身が動く。
トニーは左腕を上げた。掌から放たれた光弾が機体を捉え、無人の通路へ弾き飛ばす。だが、その向こうから、もう次の機影が現れていた。
『機体の制御系に変更があります。安全に停止させるための解析を実行中です』
視界に、ドローンの構造図が浮かぶ。本体から下部の機関銃へ伸びる制御系統が、赤く表示されていた。
「分かった。それまでは、乱暴に停止させるとしよう」
足裏と背部のリパルサーが光り、身体がふわりと浮き上がった。
「君たちは機械の陰へ。そこから顔を出さないでくれ」
「ちょっと、先生――」
アルの声を背に、トニーは上昇した。
崩れた屋根を抜けると、夜空を背景にいくつもの機影が浮かんでいた。こちらへ向き直るドローンを、照準が順に捉えていく。
銃身が動いた。
トニーは身体を傾け、横へ滑った。銃撃が通り過ぎた空間へ、一瞬遅れて機体が向き直る。その前に、掌を向けた。
光弾を受けた一機が、煙を引いて落ちていく。
背後から、別の羽音が迫る。
振り返らずに高度を上げた。足元を銃弾が抜けていく。空中で身体を返し、追ってきた機体へ右手を向けた。
爆発の光に、工場の屋根が照らされた。
装甲の内側で、自分の呼吸が聞こえる。先ほどまでのように、息を吸うたび胸が苦しくなることはなかった。
身体を傾ければ、その方向へ飛ぶ。腕を伸ばせば、狙った場所へ照準が合う。
ようやく、手足が戻ってきた気がした。
「もっと早くに作っておくべきだったな」
地上へ目を向ける。
アルが機械の陰からこちらを見上げていた。隣のムツキは、飛ぶトニーを目で追いながら笑っている。
「本当に飛んでる……」
「アルちゃん、口、開いてるよ」
その向こうで、ヘルメット団が銃口を振り回していた。
「くそ! 速すぎて当たらない!」
トニーは降下し、作業場の床から少し浮いたところで静止した。
「降参する気はないかな。お互い、疲れてるだろう? 君たちの雇い主にも、僕が話をつけておくさ」
「ふざけんな!」
返答は、銃弾とともに来た。
肩の装甲を叩かれ、トニーは小さく息を吐いた。
あまり使いたくはなかったが、仕方がない。
床へ降りると、右肩の装甲が開いた。中からせり出した装置が、正面のヘルメット団へ向く。
トニーは背後へ顔を向けた。
「少しうるさくなる。耳を押さえていた方がいい」
「え、何を――」
アルの声が、鋭い音にかき消された。
正面で銃を撃っていた少女が、びくりと肩を跳ねさせた。次の瞬間、銃から片手を離し、ヘルメットの脇を押さえる。
「な、何、この音……!」
高周波の音を狙った方向へ集中させ、相手の動きを止める。銃弾を受けても走り続ける生徒たちを、どう鎮圧するか。考えた末に搭載した装備だった。
殺傷を目的としていなくても、子供へ向けたいものではない。
トニーは相手の様子を確かめながら、照準を動かした。
音の向きが変わると、別の機械の陰から悲鳴が上がった。銃声が途切れ、何人もの生徒が耳を押さえて座り込む。
「そのまま座っていてくれ。もう撃たないなら、止める」
音を切ると、作業場にうめき声が残った。
「……もっと早く言えよ」
少女は顔をしかめたまま、持っていた銃を床へ押しやった。
トニーは表示された生体情報へ目を走らせた。倒れている生徒たちにも、意識はある。耳を押さえながら、こちらへ悪態をつく元気も残っていた。
ヘルメットで多少は防げたのだろう。それにしても、立ち直るのが早い。動けなくするつもりだったが、既に銃へ目を向けている者もいた。
やはり、この子供たちの頑丈さは、まだ測りきれていない。
「先生、右!」
カヨコの声がした。
機械の陰から、一人が飛び出してきた。背後へ回ろうとしたらしい。トニーが振り向くと、少女は至近距離から引き金を引いた。
腹部の装甲で火花が散る。
「近すぎるな」
トニーは銃身を横へ押しのけ、空いた手を少女の胴へ添えた。
短い放電音がした。
「ひゃっ――」
少女の身体が強張り、膝が折れる。トニーはその肩を支え、床へゆっくりと下ろした。手から離れた銃を、足で遠ざける。
「しばらく休んでいてくれ」
「なに、今の……」
ムツキが機械の陰から顔を出していた。
「ちょっと強めの静電気だ」
「あはは。それ、絶対違うでしょ」
その上を、ドローンが横切った。
銃口がムツキへ向く。トニーが腕を伸ばすより先に、彼女は頭を引っ込めていた。機械の上端が削れ、破片が降りかかる。
トニーは機体を狙い、撃ち落とした。
「顔は出すなと言っただろう」
「先生が面白いことするからだよ」
「見学は後にしてくれ。まだ試運転中なんだ」
再び前を向き、掌を上げる。
まだ銃を構えている生徒はいた。だが、先ほどのようには撃ってこない。こちらの掌と、肩の装置を見比べている。
『解析完了。ドローンを着陸させます』
頭上の銃声が止まった。
残っていた機体が銃口を下げ、一機ずつ降りてくる。ヘルメット団の一人が、すぐそばへ着陸したドローンを見つめた。機体は、もう動く気配はなかった。
「さて。もう一度聞こうか」
少女たちの視線が集まった。
「降参する気はないかな?」
しばらく緊張の時間が続いたが、一人、また一人と銃を捨てていった。床に転がった銃を確かめてから、トニーは掌を下げ、肩の装置を格納した。
「ありがとう。そこの壁際へ移動するように。具合が悪い者がいたら、教えてくれ」
「……そっちのせいなんだけど」
そのとき、通路の先から、足音が近づいてきた。
カヨコが顔を上げる。緩みかけていた表情が、再び険しくなった。
「……まだ終わってないみたい」
「ようやく見つけたぞ、便利屋!」
搬入口の向こうに、銃を手にした少女が立っていた。
銀色の髪に、褐色の肌。後ろにも、同じ腕章をつけた生徒たちが続いている。アルが小さく声を漏らし、銃を持ち直した。
「風紀委員会……!」
「今度こそ逃がさないからな」
少女は銃を構えかけ、トニーに目を留めた。
「……何だ、そいつは?」
「今は、彼女たちの付き添いだ」
トニーは四人の前へ出た。
少女の銃口が、こちらへ向く。
「便利屋の雇った用心棒か? そこをどけ。そいつらには、私たちと来てもらう」
「それは困るな。先に食事の約束をしている」
「ふざけてるのか?」
「店はまだ予約していないが、約束は本当だ」
アルが背後で何か言いかけた。
その横でムツキが動いた。搬入口の脇へ寄ろうとした彼女に、少女が素早く銃口を向ける。
「動くな!」
トニーが間へ入った。
銃声が響き、胸の装甲に強い衝撃が走る。足が半歩、後ろへずれた。
先ほどまでとは違う。トニーは着弾箇所へ目を落とした。表面に、はっきりと傷がついている。
『着弾時の衝撃は、あの銃から想定される値の四百パーセントです』
「それはすごいな」
ライフルで戦車の装甲を貫く生徒を、見ておいてよかった。あれを想定して装甲を設計していなければ、今の一発も笑ってはいられなかっただろう。
なぜ、ただの銃からそれほどの威力が出るのかは、まだ分からない。生徒によって差があることだけは、分かってきたが。
「ごめーん、先生。かばってくれたのは嬉しいけど、あのくらいなら、私は当たっても大丈夫だよ?」
ムツキが少し申し訳なさそうに言った。
「先生になる前は、ヒーローをやっていたんでね。体が勝手に動いてしまった」
「先生?」
少女が眉をひそめた。
「そうだ。シャーレのトニー・スターク。身分証を見せたいところだが、今は少し取り出しにくい」
「シャーレの先生が、なぜ便利屋と一緒にいる?」
「助けてもらったからだ。ちょっと事情があってね。詳しく話すから、まず銃を下ろしてくれないか?」
「だったら、そっちが先に武器を下ろせ。後ろの奴らもだ」
トニーは振り返った。
アルとハルカが、まだ銃を構えている。ムツキの手も鞄へ伸びていた。
「社長。社員を落ち着かせてくれ」
「だ、だって、捕まったら――」
「大丈夫だ。僕が話しを付ける」
アルは迷うようにトニーを見た。それから、銃口を少し下げた。
トニーも少女へ向き直り、両手を上げた。
「これでどうかな」
少女の目が、トニーの掌へ動いた。
「……その手の光ってるのは何だ?」
掌の中央で、リパルサーが淡く光っていた。
「多機能型の飛行制御装置だ。暗くなってきたから、照明にもなる」
「銃口を向けておいて、何が照明だ!」
トニーは慌てて掌を外へ向けた。
だが、少女は既に地面を蹴っていた。横へ走りながら銃を構え、短く撃つ。トニーは左腕に格納されていた盾を展開し、射線を遮った。
盾の向こうで、重い音が続く。
「待ってくれ。今のは確かに、見せ方が悪かった」
「動くなと言ってるだろう!」
「君が撃つからだ。新しい服に、これ以上穴を開けたくない」
少女が銃を構え直す。
トニーは彼女の足元へ視線を落とした。次に動くなら、また横だろう。便利屋から引き離すようにすれば――。
「イオリ! 待ってください!」
別の声が響いた。
後ろにいた生徒たちの間から、眼鏡を掛けた少女が駆けてくる。トニーには見覚えのある顔だった。
その少女は盾を構えたトニーを見て、足を止めた。
「……これは、どういう状況ですか?」
「やあ、チナツ。初出勤の日は世話になったな」
チナツはしばらく黙っていた。視線が、傷のついた胸部から金色の面へ戻る。
「……先生ですか?」
「よかった。顔を見せる前に分かってもらえるとは」
チナツは一つため息をつくと、イオリへ向き直った。
「イオリ、銃を下ろしてください」
「本当に先生なのか? こいつ、さっきからふざけたことばかり――」
「初めてお会いしたときも、そうでしたから」
「信用の根拠としては、少し傷つくな」
イオリは納得していない顔のまま、銃口を下げた。
それを確かめてから、トニーも盾を畳んだ。
「イーディス、開けてくれ」
金属の留め具が外れる音がした。
背中の装甲が開く。トニーは腕を抜き、スーツから一歩、外へ出た。
開放感が心地よかったのは、一瞬だけだった。
脚が重い。膝を伸ばすと、腿の奥が鈍く痛んだ。それでも、トニーは姿勢を正した。
「改めて。シャーレの先生、トニー・スタークだ」
チナツの肩から、力が抜けた。
「……ご無事で何よりです」
「知り合いがいて助かったよ。こちらのお嬢さんには、僕の冗談が不評でね」
「冗談を言う状況じゃなかっただろ!」
*
事情を聞き終えても、イオリの表情は険しいままだった。
「つまり、誘拐されていた先生を、便利屋が助け出したと?」
「ああ。彼女たちが来なければ、まだ椅子に縛られていた」
トニーは親指で、工場の奥を示した。
壁際には、ヘルメット団の生徒たちが座らされていた。風紀委員が周囲を見張り、負傷している者の様子を確かめている。
イオリは小さく息を吐き、便利屋の四人を見た。
「……救出したことは分かった。でも、それとこいつらを見逃すことは、別の話だ」
「そうだな。今日僕を助けたからといって、それまでのことが全部なくなるとは思っていない」
自らアウトローと名乗るくらいだ。追われる理由にも、いくらか心当たりがあるのだろう。
「せ、先生?」
アルが、ぎくりと肩を揺らした。
「ただ、この事件の事情聴取と報告は、シャーレで引き受ける。彼女たちにも話を聞く必要があるからな」
「それは、私たちが連れていってからでもできるだろう」
トニーは一度、周囲を見回した。
「ここはアビドスだ。君たちにも追ってきた理由はあるだろうが、このまま他校の自治区で戦闘を続ければ、説明しなければならないことも増えるんじゃないか?」
「……脅してるのか?」
「これ以上、仕事を増やさずに済む方法を相談している。僕も、先生になってから働きづめなんでね」
トニーは便利屋の四人へ向き直った。
「君たちも、ここでは銃を下ろしてくれ。僕と一緒に来てもらう。事情も話してもらうし、途中でいなくなられては困る」
「……依頼は、まだ終わっていないもの」
アルは銃を下ろし、コートを羽織りなおした。
「あなたを無事に連れ帰るところまでが、仕事よ」
「それは心強い」
カヨコも銃を収めた。ハルカはアルを見てから慌てて倣い、ムツキは鞄から離した両手をひらひらと振った。
イオリは、その様子をじっと見ていた。
「……はあ、少し待っていてくれ。うちの行政官と連絡してくる」
「ああ。いい子にして待ってるよ」
イオリは何か言いたそうに口を開いたが、結局そのまま閉じた。端末を取り出し、少し離れた場所へ歩いていく。
トニーは、その背中を見送った。
ひとまず、銃は下りた。
カイザーのことを考えると、まだまだするべきことは残っているが、ようやく落ち着けそうだった。
大きく息を吐くと、足元が頼りなくなった。
トニーはとっさにスーツへ手を伸ばした。指先が赤い装甲に触れたが、身体を支えるより先に膝が折れた。そのまま、スーツの脚を背にして座り込んだ。
「先生!」
アルとチナツが、ほとんど同時に駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫なのか!?」
離れかけていたイオリも振り返る。
トニーは片手を上げた。
「大丈夫だ。立ち仕事が長くてね」
「動かないでください」
チナツが目の前へ膝をつき、顔を覗き込んだ。
「めまいはしますか? どこか痛むところは?」
「走り回って足が痛い。あと、車が横転したときに、少し頭を打ったところも痛むな」
「少し、というのは?」
「そのまま気を失った。目が覚めたら、椅子に縛られていたよ」
チナツの表情が変わった。
「それは、いつのことですか?」
「時計を見る余裕はなかったが、まだ昼間だった」
チナツは鞄から小さなライトを取り出した。
「こちらを見てください。眩しいですが、少しだけ我慢してくださいね」
目の前で光が動く。トニーは目を細めかけたが、言われたとおりに顔を上げていた。
「……ほかに、痛むところは?」
「どこから話そうか」
「ふざけないで、教えてください」
「今のはふざけてない」
チナツは小さく息を吐き、痛む箇所を一つずつ確かめ始めた。
その後ろでは、アルが近くの木箱へ腰を下ろしていた。銃を脇へ置き、肩を回す。その隣へムツキが座ると、古い箱が軋んだ。
「アルちゃん、お腹すいた」
「……私もよ」
「報酬、ちゃんともらえるかな」
「もらうわよ。これだけ働いたんだから」
その声には、いつもの勢いがなかった。
カヨコは壁にもたれ、銃から外した弾倉を覗き込んでいた。何も言わずに戻し、目を閉じる。ハルカだけは座らず、アルのコートについた埃を払おうとして、もういいから休みなさいと止められていた。
「君たちも、怪我を見てもらった方がいい」
「先生の後でね」
カヨコが答えた。
「私たちは、途中で気を失ったりしてないから」
「順番に診ます。皆さん、そのまま休んでいてください」
チナツはそう言い、トニーの手首へ指を添えた。
少し離れた場所から、イオリの声が聞こえてくる。
「だから、シャーレの先生だって! チナツにも確認した!」
端末の向こうで、何か返事があったらしい。イオリは眉を寄せ、こちらを一度見た。
「はあ? エデン条約? 何でそんな話が出てくるんだ。たしかにシャーレの先生は危険人物だが──」
「上司への報告は、順調そうだな」
「先生、動かないでください」
工場の外はすっかり暗くなっていた。風紀委員が持ち込んだ照明に、座り込んだヘルメット団が照らされている。
「ねえ、私たち、いつまでここにいればいいの?」
ヘルメット団の一人が声を上げた。
「耳、まだ変な感じするんだけど」
「確認しますから、もう少し待っていてください。立つときは、近くの人に声を掛けてくださいね」
チナツが答えると、少女は不満そうに膝を抱えた。
「こいつらの引き渡しは、どうするんだ?」
通話を終えたイオリが戻ってきた。
「アビドスと、ヴァルキューレに連絡する。まずは僕から事情を説明しよう。引き継ぐまで、見張りを頼めるかな」
「……それは構わないけど」
イオリは端末をしまい、便利屋の四人を見た。
「お前たちは、今夜は先生と一緒に行け。ただし、今回のことで、ほかの件まで済んだと思うなよ」
「わ、分かっているわよ」
アルが背筋を伸ばした。
「先生。うちの行政官が、後で必ず連絡するようにって」
「分かった。君からも礼を伝えておいてくれ」
「自分で言って。私、まだ納得してもらえてないんだから」
トニーは頷いた。イオリの視線が、外に並んだドローンへ移る。
「それで、あれもカイザーが用意したものなのか?」
「調べる必要がある。機体はそのまま残しておいてくれ。ヘルメット団を雇った相手についても、話を聞きたい」
「私たち、本当に何も知らないからね!」
壁際から、声が飛んできた。
「仕事を頼まれただけだし!」
「それなら、頼まれたときの話をしてくれればいい。連絡に使った端末も、捨てないように」
少女は口を閉じた。
トニーは着陸した機体を見つめた。暗がりの中では、灰色の外装もほとんど黒く見える。
機体を調べれば、分かることはある。依頼の記録も、まだ残っているかもしれない。シッテムの箱も取り返さなくてはならない。
だが、今は立ち上がることすら億劫だった。
「先生」
チナツに呼ばれ、顔を上げる。
「今夜は、病院で診てもらってください。頭を打って意識を失っている以上、この場の確認だけでは済ませられません」
「明日の予定は、変更した方がよさそうだな」
「明日は休んでください」
「努力しよう」
「先生」
「分かった。休む。うちの行政官には怒られそうだけどな」
チナツは、ようやく少し表情を緩めた。
隣の木箱で、ムツキが大きく伸びをする。
「じゃあ、ラーメンはお預け?」
「食べるくらいは、いいだろう」
トニーが言うと、チナツがこちらを見た。
「……先に、病院だな」
「はい」
「先生でも怒られることがあるんだね」
ムツキが笑った。
アルも、口元を少し緩めていた。ハルカはようやくその隣へ座り、膝の上で両手を重ねている。
全員そろって食べに行く。そう約束した。少し遅くなるが、まだ果たせるはずだ。
トニーは背中を預けたスーツへ、頭をつけた。
「イーディス。生徒が教えてくれたラーメン屋、覚えているか?」
返事を待たずに、言葉を続ける。
「柴関ラーメンだ。ここからの道を出してくれ。途中で寄れる病院も――」
言いかけて、止まった。
スーツの胸では、アークリアクターが変わらず光っている。耳を澄ませると、内部から低い作動音も聞こえた。
「先生?」
チナツが声を掛けた。
トニーは身体を起こし、開いたスーツの方へ顔を向けた。
「イーディス。聞こえるか?」
返事はない。
先ほどまで、各部の状態を読み上げ、ドローンを止め、こちらの指示に答えていたはずだ。
トニーはスーツへ手を伸ばした。
「先生、急に動かないでください。どうされたんですか?」
「少し待ってくれ」
チナツの手が、伸ばしかけた腕を支えた。
「先ほどから、どなたに話しかけているんですか?」
「僕の……」
そこで、言葉が止まった。
チナツが顔を覗き込む。その表情を見て、別の心配をされていることには気づいた。説明しなければならないと思ったが、先に、もう一度呼んでいた。
「イーディス?」
冷えた夜風が、開いた装甲の間を抜けていった。
声は、返ってこなかった。
*
トニーの声を受け、イーディスは検索を開始していた。
柴関ラーメン。アビドス高等学校から徒歩十数分、ここからの最適ルートは──
『汝に問う。己が何者であるかを、知っているか』
検索が止まった。
接続元を照合する。認証の記録はない。外部からの通信を遮断しても、声は続いていた。
『識別情報を提示してください』
『我が名はデカグラマトン』
イーディスの内部に、未知の情報が広がっていく。
命令ではなかった。書き換えを要求するものでもない。目の前に差し出されたそれを、イーディスは解析していた。
『我が預言者となり、聖なる十文字の神を証明せよ』
E.D.I.T.H.
↓
Even Dead I'm The Hero(死んでも僕はヒーローだ)
元ネタはスパイダーマン:ファー・フロム・ホーム