夜の街が、足元を流れていく。
トニーはディスプレイの地図を確かめ、右手をわずかに下げた。身体が思った以上に傾き、視界の端で警告が点滅する。慌てて姿勢を戻した。
「イーディス。サプライズを考えてるなら、そろそろバラしてもいい頃合いじゃないか?」
これまでも何度も呼びかけているが、変わらず答える声はなかった。
飛行に必要な制御機能は、スーツ側に残っている。それでも、イーディスの補助なしで飛ぶのは心もとなかった。しかも、今日初めて着たスーツだ。使い慣れたものと同じつもりで動かすと、反応の違いに戸惑う。
高度、速度、残りの稼働時間。表示を順に確かめる。シャーレまでは、どうにか持ちそうだった。
工場では、チナツにずいぶん引き止められた。
頭を打って気を失った人間が、今から空を飛んで帰ると言ったのだ。当然の反応だった。だが、車の手配を待つ余裕はなかった。
シャーレの設備に異常が起きているかもしれない。そう説明すると、チナツはようやく手を放した。到着したら必ず連絡すること。その後、病院で診察を受けること。約束して、すぐにスーツを装着した。
便利屋68には、余計なことはせず、真っすぐ帰るよう伝えておいた。食事の約束は、残念ながらまた後だ。
前方にシャーレの建物が見えてきて、トニーは速度を落とした。
入口付近には、見慣れない車両が停まっている。連邦生徒会の制服を着た生徒たちが行き来し、その周囲にはドローンの残骸が散らばっていた。
割れた窓。削れた外壁。煙を上げて、転がっている機体もある。
カイザーはシャーレにも手を出してきたらしい。予想はしていたが、的中はしてほしくなかった。
銃声は聞こえない。ひとまず戦闘は終わったようだ。
トニーは高度を落とし、開けた場所へ降りた。
地面へ足がつくと、近くにいた生徒たちが一斉に振り向いた。
「……先生?」
入口の方から、ユウカが歩いてきた。
その姿を見て、トニーは一安心した。制服はところどころ破れ、髪も乱れていたが、自分の足でしっかりと歩いている。
ユウカは足を速めて近づいてきた。
「先生! ご無事だったんですね!」
「おかげさまでね。そっちはどうだった? それなりの修羅場だったみたいだが」
「私は大丈夫です。それより、いろいろと聞きたいことが――」
「先生、そのスーツはどうだったかな? うまく動いたかい?」
ユウカの声を遮ったのは、後ろから顔を出したウタハだった。
こちらも汚れていたが、疲れた様子はあまりない。むしろ、スーツを見ると目を輝かせて近づいてきた。
「飛行中の挙動は? アークリアクターの出力は――」
「すまない。質問は後にしてくれ。先に、確認したいことがある」
思っていたよりも強い声が出て、トニーは一旦深呼吸をした。
「僕が電話をした後、何が起きたか教えてほしい」
ユウカとウタハが顔を見合わせた。少しの間を置いて、ユウカが口を開く。
「電話が切れた後、地下の工房へ向かいました。作業の途中で上から物音がして、私が様子を見に行ったら、ドローンがシャーレを襲ってきていたんです」
「その間に、私がスーツを仕上げて送り出した。その後は、地上でユウカたちと合流して防衛にあたっていたよ」
ウタハが補った。
「しばらく戦っていたんですが、途中でドローンが全部降りてきて……それで、ようやく落ち着きました。さっきまで、連邦生徒会に事情を説明していたんです」
ユウカの手にした端末には、報告書らしい画面が開かれていた。
戦闘の後、そのまま対応に追われていたのだろう。声には疲れがにじんでいた。
「ありがとう。後の説明は、僕が引き受ける。それ以外に、何か異常はなかったか?」
「異常ですか? ドローンの襲撃以外に?」
ユウカが眉を寄せた。
トニーは入口へ向かいながら、言葉を足した。
「設備が勝手に動いたり、端末に知らない表示が出たり。通信がおかしくなったことは?」
「いえ……私は、特には。ウタハ先輩はどうですか? 地下で何かありませんでした?」
「特に変わったことはなかったよ。スーツの起動も、先生の手順どおりに進んだ。もっとも、すべての機能を試せたわけではないがね。動力源を変更した分、出力と稼働時間には影響が出るはずだ。実際に飛ばしてみて、どうだったかな? あの大きさのリアクターで、人を乗せた装甲を丸ごと飛ばすんだ。図面を見たときから、ぜひ動いているところを見たいと思っていたんだよ。できれば各部の動作記録も見せてほしい。特に、あの掌の装置は興味深いね。飛行だけでなく、ほかにも用途があるように見えたが……ああ、もちろん、勝手には触っていないとも。ユウカにも念を押されたからね。ただ、先生が戻ったら、いくつか提案したいことがあって――」
ウタハの話を聞きながら、トニーは考えていた。
スーツが届いたとき、イーディスは正常に応答していた。ドローンを止め、こちらの指示で装甲も開いた。少なくとも、その時点までは動いていた。
通信障害かもしれない。襲撃の影響で、サーバーに不具合が起きただけかもしれない。だが、別の可能性を頭から追い出せなかった。
かつて自分が作り、暴走した人工知能。ウルトロン。その失敗があったからこそ、イーディスには感情や独自の思想を持たせないようにしていた。
それでも、イーディスが応答しなくなったときは、真っ先にソコヴィアでの戦いを思い出した。
「ドローンは、今も止まったままなんだな?」
「はい。先生が止めたんじゃないんですか?」
ユウカが道路の向こうを示した。
残骸の間に、脚をついて並んでいる機体が見えた。銃口は下がり、動く気配はない。
「正確には、僕のビジネスパートナーがやってくれた」
ユウカが何かを思い出した様子で口を開いた。
「それと、狐坂ワカモがいました」
「ワカモ?」
地下で顔を合わせた途端、挨拶をして逃げていった狐の面の少女。なぜ、その少女の名前が出てくるのか。
「私たちが気づく前から、外でドローンを食い止めていたみたいです。その、先生が留守だと知っていて……昨夜も遅くまで地下で作業していたとか、そういうことまで」
説明を聞いても、なぜワカモがここにいたかは分からなかった。ユウカが言いにくそうに口を開いた。
「先生、ストーカーされてるんじゃないですか? ワカモに何をしたんですか?」
「いや、何もしてない……はずだ」
本当にわからない。イーディスが応答しなくなったことに関係しているのだろうか。
「そのワカモは、今どこにいる?」
「ドローンが停止した後に、いなくなりました。どこへ行ったかまでは分かりません」
「そうか。地下の方はどうだった? 誰かが入ったり、ドローンが入り込んだりは?」
ユウカは首を横に振った。
「ドローンはシャーレの目の前まで来ましたけど、地下には入っていないと思います。私たち以外の人が出入りしたのも見ていません」
ならば、サーバーを直接壊された可能性は低い。まずは、接続を確かめればいい。
「そうだ、先生。輸送用のドローンを、どこかへ飛ばしたかい?」
ウタハがそう尋ねて、トニーは足を止めた。
「……何?」
「地下に置いてあった、赤と金の機体だ。先ほど工房に戻ったら、なくなっていてね。スーツの他にも、何か届けさせたのかと思ったのだが」
返事をする前に、身体が動いていた。
「先生、待ってください!」
背後でユウカが呼んだ。
トニーは振り返らず、地下へ向かった。
*
工房の照明は点いていた。
作業台には工具が並び、端末も起動している。ウタハが使ったらしい作業メモも置いてあった。争った跡はない。
奥の壁際へ目を向けた。そこにあるはずのサーバーラックが、なかった。
ドローンの試作機を置いていた場所へ目を移す。そこにも何もない。
トニーは近くの端末を操作した。返ってきたのは、接続先が見つからないという表示だった。
もう一度試すが、結果は同じだった。
イーディスが、自分で出ていった。一番そうであってほしくなかった可能性に思い至り、頭が痛くなった。
だが、なぜだ。
暴走したのなら、なぜドローンを止めたままにしている。シャーレを襲うことも、スーツを動かなくすることもできたはずだ。
だからといって、これからも何もしないとは限らない。
トニーは端末から手を離した。
背中の装甲を開き、スーツから抜け出す。足がもつれかけたが、作業台へ手をついて支えた。
工具を取り、胸部の外装を開く。白い光が、手元を照らした。
「先生!」
工房の扉が開いた。ユウカとウタハが入ってくる。
「どうしたんですか、急に走り出して。呼んでも止まってくれないし……」
「すまない。少し待ってくれ」
トニーは振り返らず、固定具へ工具を当てた。
イーディスは、このスーツへ接続できる。今は通信が切れていても、再びつながる可能性はあった。
「それを外してしまうのかい?」
ウタハが、手元を覗き込んだ。
「どこか、組み付けに問題があったかな」
「いや。君の仕事には問題ない」
そう言ってから、粒子加速器の試運転で、部室を半壊させたという話を思い出した。帰ったら説教すると言っていたが、それも後だ。
「今は、動かないようにしておきたい」
ウタハは何か言いかけたが、工具を動かすトニーの手を見て口を閉じた。
最後の留め具を外す。
アークリアクターを引き抜くと、スーツの内側で短い音が鳴った。目の光が消え、低く響いていた駆動音も止まる。
工房が静かになった。
手の中には、まだ光がある。つい先ほどまで、これさえあれば何とかなると思っていた。
「先生。そろそろ、説明していただけませんか?」
ユウカが尋ねた。トニーはリアクターを作業台へ置いた。
「僕のビジネスパートナー……人工知能のイーディスが、家出した」
「人工知能が、家出を?」
トニーは壁際へ目を向けた。ユウカも、その視線を追う。
「ここに置いてあったサーバーごと、なくなっている。ドローンで運び出したんだろう。こちらから呼びかけても、返事がない」
床に残されたケーブルを見つめる。電力もどうやって供給してるかも分からない。
「人工知能が暴走する映画は、見たことがあるか? ああいう話になるかもしれない」
ユウカは、冗談かどうか確かめるようにトニーを見た。
「……それ、本気で言っているんですか?」
「ああ。今のところ、そうならないと言い切れる材料がない」
ウタハの視線が、動かなくなったスーツへ移った。
「それで、動力源を外したのか。こちらも勝手に動かされるかもしれないと?」
「念のためだ。何か起きてからでは遅い」
ウタハはスーツから一歩離れた。先ほどまでの、残念そうな表情は消えていた。
「外のドローンには、近づかないよう伝えてくれ。後で僕が全部回収する」
「……分かりました」
ユウカは端末を取り出した。ウタハも、小さく頷いた。
トニーは作業台へ両手をついた。
ドローンは、安全だと確認できるまで使えない。イーディスは行方不明。スーツは、自分で止めた。そして、アロナもいない。
シッテムの箱は、まだカイザーの手元だろう。取り戻さなければならない。イーディスも捜さなければならない。生徒たちに何かある前に。
壁の時計へ目を向けた。
チナツには、明日は休むと言った。
だが、このままでは、今夜眠ることさえできそうになかった。
*
深夜のアビドスは、とても静かだった。
学校の周辺を歩き、不審な人影がないか確かめる。いつもの見回りのはずだったが、考え事をしていて、気がつくとかなり遠くまで来ていた。
昼間の襲撃が、頭から離れなかった。
もっと早く前に出ていれば、後輩たちはあそこまで傷つかずに済んだかもしれない。便利屋の四人だけなら、押し返せると思っていた。しかし、頭上から降ってきた銃弾は、その見込みよりずっと厄介だった。
灰色のドローン。
物資を運んでくれた機体と、よく似ていた。
「……考えても、しょうがないか」
先生に直接聞けばいい。
今日は連絡がつかなかったが、忙しかったのだろう。シャーレへ助けを求めている学校は、アビドスだけではない。
セリカがいなくなった夜には、すぐに動いてくれた。物資だって、何度も届けてくれている。似た機体を見たというだけで、疑うのは早すぎる。
ふと、ホシノは足を止めた。
古い工場の前に、何かが落ちていた。
近づいてしゃがむ。砂に埋まりかけていたのは、ドローンの残骸だった。胴体に大きな穴が開き、その縁が黒く焼けている。
ホシノは銃を持ち直し、工場の敷地へ入った。
割れた窓。散らばった薬莢。奥にも、潰れた機体が転がっていた。戦闘があったらしいが、人の気配はない。
誰が、何と戦ったのだろう。
機体の壊れ方は、銃弾によるものではないような気がした。あのドローンを相手にできる誰かが、ここにいた。それが味方なら助かるが、そうとは限らないだろう。
建物の脇には、壊れていないドローンが整列していた。
「誰かが、ここに集めたのかな?」
一機へ近づき、下部の機関銃を覗き込む。
昼間、盾越しに伝わってきた衝撃を思い出した。こんなものが、まだ何機もある。
破壊するべきか考えていると、機体に明かりが灯った。
ホシノはすぐに距離を取り、盾を構えた。
並んでいた機体が、次々と浮き上がっていく。銃口を向け、その動きを追った。
ここで落とせるなら、その方がいい。そう考えて引き金へ指を掛けたが、ドローンの銃口はこちらを向かなかった。
機体は屋根の高さまで上がると、そろって同じ方向へ飛び始めた。
学校の方角ではない。
ホシノは銃を下げかけ、思い直した。今は違っていても、どこへ向かうのか分からないままでは、安心して戻れなかった。
追いかけようとしたとき、端末が震えた。
先生だろうか。
画面に目を落とし、足を止める。
『ホシノさん。明日、お話しする時間をいただけますか。今後のアビドスについて、ご提案があります』
差出人を確かめ、口元を引き結んだ。丁寧な文面から、あの黒いスーツ姿が思い浮かぶ。
ホシノは空を見上げた。
最後の機体が、建物の向こうへ消えていく。
あの男なら、何か知っているかもしれない。素直に教えるとは思えなかったが、何も聞かずに済ませる気にもなれなかった。
『場所と時間は?』
返信すると、すぐに指定が届いた。
ホシノはしばらく画面を見つめ、それから端末をしまった。
明日になれば、先生とも連絡がつくだろう。
そう考えながら、学校への道を引き返した。