朝の風が、頬を撫でていく。
シロコはペダルを踏み込み、学校へ続く道を走っていた。
空はよく晴れている。春の涼しい、サイクリング日和の天気だ。いつもなら、少し遠回りをしてもいいと思う朝だった。
先生が学校へ来てから、数日が経っていた。
あの日から、対策委員会は古い資料を探していた。先生に頼まれた、借金に関する書類だ。
いつ、どこから金を借りたのか。何に使ったのか。どのような条件で返すことになっていたのか。
二年前に生徒会がなくなってから、手をつけていなかった棚も開けた。アヤネが書類を整理し、ノノミとセリカが足りないものを探す。シロコも、古い箱をいくつも運んだ。
そうして分かったことがあった。
アビドス自治区の土地は、もうほとんど学校のものではなかった。
今使っている校舎と、その周囲。それ以外の大半は、カイザーコンストラクションの所有になっていた。
借金を返すために、昔の生徒会が少しずつ土地を売っていたらしい。それでも足りず、多額の借金と、少しの土地だけが残った。
金を貸していたのも、土地を買っていたのも、同じカイザーの傘下だった。
先生は、契約書を最初から調べ直している。
不当な条件がなかったか。学校への襲撃と、カイザーを結びつける証拠はないか。アヤネには、資料について何度も連絡が来ていた。
シロコには、契約の細かなことは分からない。ただ、金を貸した相手を襲わせるのが、まともな商売でないことは分かる。
何十年もかけて、学校から土地を取り上げてきたのではないか。書類を読んだ先生は、そう言っていた。
カイザーが欲しいのは、返してもらう金だけではない。アビドス自治区、そのものなのかもしれない。
砂ばかりの土地を、何に使うのかは分からなかった。それでも、ようやく相手の目的に近づけた気がした。
少しずつ、良い方向に進んでいる。シロコはそう思っていた。
だからこそ、ホシノのことが気になった。
土地の話を聞いたときも、驚いていなかった。知っていたのかと尋ねても、昔のことだからねぇ、と笑うだけだった。
旧生徒会にいたのは、今ではホシノだけだ。
副会長だった先輩なら、知っていることもあるはずだった。だが、聞こうとするたびに、違う話題へとそらされてしまう。今でも、ホシノが学校にいない時間は多い。
今日こそ、真剣に話を聞いてみよう。先生を呼ぶのもいいかもしれない。最近はよく連絡を取っているし、きっと来てくれるはずだ。
そんなことを考えていると、学校が見えてきた。
シロコは速度を落とし、いつもの場所へ自転車を停めた。
*
「おはよう」
部室の扉を開け、声をかけた。
いつもなら、誰かが顔を上げる。アヤネが挨拶を返し、ノノミが笑いかけてくれる。ホシノが眠っていて、セリカに起こされていることもあった。
だが、今日は返事がなかった。
アヤネが机の前に立っていた。手にした紙へ目を落としていたが、シロコに気づくと、ゆっくり顔を上げた。
「シロコ先輩……」
その声が震えていた。
シロコは鞄を肩にかけたまま、部屋を見回した。
セリカは窓際に立ち、こちらへ背を向けている。ノノミはアヤネの隣にいた。いつもの笑顔はなく、机の上をじっと見つめていた。
ホシノの席だけが、空いている。
「……どうしたの?」
アヤネの口が動いた。しかし、言葉は出てこなかった。
シロコがアヤネのそばへ歩み寄ろうとしたとき、机の上の紙が目に入った。
退学届。
その文字を読んでから、下に書かれた名前を確かめた。
小鳥遊ホシノ。
見慣れた筆跡だった。
「……何、これ」
声に出しても、目の前の書類が何を意味するのか、うまく飲み込めなかった。
昨日まで、ここにいた。今日も来ると思っていた。話したいこともあった。
「朝、私が来たときには、もう置いてあって……こちらも、一緒に」
ノノミが手紙を差し出してきた。シロコは鞄を下ろし、それを受け取った。
最初に、一人で決めたことへの謝罪が書かれていた。
続いて、カイザー側から持ちかけられた契約について。
アビドスを辞め、向こうに身柄を預ける。その代わりに、学校の借金の大部分を負担してもらえるのだという。
前に聞いた勧誘の話には、そんな条件はなかった。
断っているから大丈夫だと、ホシノは言っていた。大したことではないという顔で、いつものように笑っていた。
あのときから、こうするつもりだったのだろうか。
手紙を持つ指に力が入り、紙の端が曲がった。
残った借金なら、四人でも返していけるはずだと書いてあった。先生にも相談して、危ないことはせず、学校を守ってほしいと。
四人。その人数に、ホシノ自身が入っていないことが嫌だった。
先生が来て、資料を集めて、ようやく何かが変わると思っていた。これからどうするか、五人で考えていくはずだった。
その下には、先生へ向けた言葉があった。
せっかく話を聞いてもらったのに、勝手なことをしてごめんなさい。後輩たちをお願いします。
特にシロコちゃんが悪い道に進まないように、ちゃんと見ていてあげてください。
シロコは、最後の一文から目を離せなかった。
だったら、先輩が見ていればいい。銀行強盗は駄目だと、これからも言えばいい。何度でも止めてくれればいい。
勝手にいなくなって、先生に頼むことではない。
「……勝手すぎるわよ」
窓際から、セリカの声がした。振り返った顔は赤く、唇を強く結んでいた。
「私たちが、こんなので喜ぶと思ってるの? 借金が減ったからよかったねって、言うわけないじゃない……!」
途中で声が詰まった。セリカはそれを振り切るように、机の上の書類を睨んだ。
「学校を守れって……ホシノ先輩がいなくなったら、意味ないでしょ」
シロコは手紙から顔を上げた。
「連絡はした?」
「何度もかけました。でも、つながらなくて。メッセージも、まだ……」
アヤネが端末を握り直した。
「昨日、もっと話しておけばよかったです。何か困っていないか、聞いていれば……」
シロコにも、聞きたいことがあった。今日こそは、と思っていた。だが、ここで昨日のことを考えていても、ホシノは帰ってこない。
シロコは手紙を机へ置いた。
「迎えに行こう」
三人がこちらを見た。
「まだ、何も話してない。これだけ置いていかれても、分からない」
空いた席へ目を向ける。あそこに座って、いつもの調子で話してもらわなければ困る。
「ホシノ先輩を連れて帰ろう。それから、ちゃんと聞こう」
「……当たり前でしょ」
セリカが袖で目元をこすった。
「帰ってきたら、言いたいことが山ほどあるんだから。今度は、はぐらかさせないわよ」
「はい。私も、話してもらいたいことがあります」
アヤネも頷いた。眼鏡を直し、端末の画面を開く。
「先生に連絡します。カイザーのことなら、何か分かるかもしれません。手紙の内容も伝えます」
「ん。お願い」
シロコは銃を手に取り、装備を確かめた。行き先はまだ分からない。だが、やることは決まった。
そのとき、窓の外から低い音が響いてきた。車のエンジン音だった。
それも、一台や二台ではない。いくつもの音が重なり、次第に近づいてくる。
「……ちょっと。何よ、あれ」
セリカが窓へ顔を寄せた。シロコも隣へ立ち、外を見る。
学校へ続く道を、車両が列になって進んできていた。荷台には、銃を持った兵士が並んでいる。
車体に描かれた文字が見えた。
カイザーPMC。
ホシノがいなくなった朝に、これだけの兵士が来る。偶然だとは、思えなかった。
「アヤネ。先生に、カイザーが来たことも伝えて」
窓の外へ視線を戻し、銃を握り直した。
ホシノを迎えに行く。
そのためにも、ここで足止めされるわけにはいかなかった。
*
校門の向こうで、先頭の車両が止まった。
荷台から降りた兵士たちが、銃を手に左右へ広がっていく。その後ろにも、次々と車両が停まった。
シロコは遮蔽物の陰から、道の奥へ目を向けた。
見えるだけでも十台以上。降りてくる兵士を数える間にも、新たな車両が姿を現す。
これまで学校を襲ってきた連中とは、規模が違った。
「ここは私たちの学校よ! 何のつもり!?」
セリカが声を張り上げた。
兵士たちは答えなかった。代わりに、拡声器の耳障りな音が校庭へ響く。
『アビドス高等学校の敷地は、これより我々が管理する。武装を解除し、速やかに退去しろ』
「そんな話、聞いてません! 誰が許可したんですか!?」
アヤネが叫んだ。
返事はない。兵士たちはこちらへ銃を向けたまま、校門へ近づいてきた。一人が、敷地へ踏み込む。
シロコはその足元へ一発撃った。
兵士が身を引いた。直後、いくつもの銃口がこちらを向く。
「伏せて!」
一斉に銃声が響いた。
身を隠したすぐ脇で、コンクリートの角が砕けた。頬に細かな破片が当たり、砂埃が舞い上がる。
撃ち返す隙を探したが、銃声は途切れなかった。
「みんな、下がってください!」
ノノミの銃が唸った。
進みかけていた兵士たちが車両の陰へ逃げ込む。その間に、シロコは低い姿勢で隣の遮蔽物へ移った。
正面ばかり見てはいられない。
道の端では、別の兵士たちが塀に沿って動いていた。校舎の裏へ回るつもりだ。
「セリカ、左も見て。回り込んでくる」
「分かってる! でも、こっちも……!」
セリカが撃ち返すと、正面からの銃撃が激しくなった。
ホシノがいれば。
いつもなら、先輩が前へ出てくれる。その背中を見ながら、自分たちは別の相手を狙えた。
シロコは浮かんだ考えを振り払った。
そのホシノを、助けに行かなければならない。
「先生とはつながったの!?」
セリカが銃声に負けない声で尋ねた。
「はい! すぐに向かうから、持ちこたえてほしいと……!」
アヤネは端末をしまい、校門の方へ顔を向けた。
気がつくと、向こうの銃撃が弱まっていた。
車両の後ろから、大柄な男が姿を現した。そばの兵士へ何か指示を出すと、拡声器を手にこちらを見る。
「無駄な抵抗はやめたまえ」
落ち着き払った声が、校庭へ響いた。
「私はカイザーPMCの理事だ。この土地の管理を引き継ぎに来た」
「ここは、まだ私たちの学校の土地です!」
アヤネが答えた。
「書類も確認しました! この校舎と周囲の土地は、アビドス高等学校が所有しています!」
ここ数日、何度も確かめたことだった。
自治区の大半がカイザーに渡っていても、ここだけは残っていた。今、身を隠している校庭も、背後にある校舎も、まだ自分たちのものだったはずだ。
「少し前までは、そうだったな」
理事は手にした書類を掲げた。
「だが、今は違う。旧生徒会から在籍を続けていた最後の生徒、小鳥遊ホシノが退学した。君たちの学校の存続条件は、もはや満たされていない」
シロコは銃を握り締めた。
退学届に書かれた名前が、頭に浮かぶ。
ホシノは、自分がいなくなれば学校を守れると思っていた。残された四人ならやっていけると、あの手紙に書いていた。
その退学を理由に、学校まで奪うつもりなのか。
「したがって、諸君らがここに居座る権利もない。学校が存続できなくなった以上、この土地は債権者である我々が引き取る。おとなしく退去すれば、これ以上の攻撃は控えよう」
「ふざけないで!」
セリカが立ち上がりかけた。
「ホシノ先輩を連れていったうえに、学校まで――」
シロコはその腕をつかみ、引き下ろした。二人の頭のすぐ上を弾が通り過ぎ、背後の壁を叩く。
再び、銃声が校庭を埋めた。
セリカが息をのみ、それから悔しそうに歯を食いしばった。
「……ありがと」
「ん。まだ出ちゃ駄目」
理事は兵士たちの後ろへ下がっていった。その姿を隠すように、重い盾を構えた兵士たちが前へ出る。
シロコは狙いを定め、撃った。
盾を持つ一人がよろめく。だが、その隣から別の兵士が進んできた。後ろの者が銃を撃ち、その援護を受けて、また距離を詰めてくる。
押し返しても、すぐに次が来る。
弾倉が空になった。
身を沈め、新しいものへ交換する。隣ではセリカが撃ち続けていた。ノノミも、反対側へ回ろうとする兵士たちを抑えている。
「シロコ先輩、右からも来ます!」
アヤネの声に顔を向けた。
こちらを狙う銃口が見えた。反射的に頭を引っ込めると、遮蔽物へ弾が集中した。
顔を出せない。
銃撃の向こうで、兵士たちの足音が近づいてくる。このままでは、囲まれる。
どうすればいいのか。こういう時は、ホシノが何とかしてくれていた。だめだ、今は自分たちしかいない。どうにかして、現状を打開しないと──。
そのとき、頭上から別の音が聞こえた。
車のエンジンとも、砲撃音とも違う。高く響くその音は、銃声に紛れることなく、急速に近づいてきた。
兵士の何人かが、空を見上げた。
シロコが顔を上げるより先に、赤と金の塊が校庭へ降ってきた。
重い金属音とともに、地面が震えた。砂埃が一気に広がる。
シロコは顔をかばいながら、その向こうを見た。
それは、人の形をしていた。
片膝をつき、片手を地面へ添えている。ゆっくりと身体を起こして、立ち上がった。
砂煙の間から朝日が差し込み、赤い装甲の輪郭を照らした。金色の顔が、目の前の兵士たちへ向く。
シロコは銃を構えたまま、その背中を見つめた。
「アロナ。着地はもう少し優しくしてくれ。膝の皿が割れそうだ」
金属の身体から聞こえたのは、知っている声だった。
*
『ご、ごめんなさい。でも、先生が急いでって言ったんですよ!』
立ち上がったトニーの耳元で、アロナの抗議が響いた。
「ピンチに駆けつけるヒーローの着地としては、申し分なかったがね」
足元には、ひびの入った地面と、まだ舞い上がっている砂埃。演出としては上出来だ。膝への負担さえ考えなければ。
トニーは、目の前に並ぶカイザーの兵士たちを見回した。
校門の向こうまで車両が続き、その間にも銃を構えた兵士がいる。たった四人の生徒を追い出すには、明らかに多すぎる戦力だった。
視界の左側には、背後にいる生徒たちの位置が示されていた。四人とも動いている。大きな怪我をしている様子もなかった。
間に合った。胸の奥に張りつめていたものが、少しだけ緩んだ。
シッテムの箱はシャーレに置いてきた。そこからアロナに接続してもらい、スーツの制御を補助させている。
スーツの操作は難しいらしく、ときどき戸惑った声が聞こえてくる。それでも、飛んでくる間に必要な動作は確かめられた。
着地には改善の余地がある。すべての操作を任せるのも、まだ不安が残る。だが、今は十分だった。
トニーは兵士たちへ向けて、一歩踏み出した。
一人が銃口を持ち上げたが、後方から制止の声が飛んだ。
「待て! 撃つな」
忘れようにも忘れられない声だった。
兵士の間から姿を現した男へ、トニーは顔を向けた。
「やあ、久しぶりだな。カイザーPMC理事殿」
「スターク……!」
理事の視線が、金色の面から胸元へ、そして両腕へと動いた。初めて会ったときのような、取り繕った愛想はなかった。
「僕のドローンは、お気に召したようで嬉しいよ。ロゴをつけていいとは言ったが、機関銃をそのままつけるのは、センスがないんじゃないか?」
「相変わらず、口だけはよく回る」
理事の背後で、兵士たちが位置を変えていた。
射撃は止まっているが、銃を下ろしたわけではない。トニーを囲むように、左右へ広がっていく。
「その兵器で脅すつもりか? 残念だが、これは契約に基づいた正当な手続きだ。小鳥遊ホシノが退学した以上、アビドス高等学校は――」
「ああ。それは読んだよ。わざわざシャーレにまで、勝ち誇ったようなファックスを送ってくれたからな」
「ならば、話は早い」
「おかげで、記入漏れにも気づけた」
理事の口が止まった。
「……何?」
「あの退学届は、手続きが完了していない」
「馬鹿な。本人が署名したものだぞ。今さら言いがかりを――」
「本人の署名だけでは足りない。学校顧問の同意欄が空白だった」
トニーは自分の胸を指した。
「シャーレがアビドスの面倒を見る以上、そこは僕が確認する。もちろん、サインするつもりはない」
「そんな理屈が通ると――」
「契約を持ち出したのは君だろう。書類くらい、最後まで読んでおけ」
理事は何か言い返そうとして、口を閉じた。
手元の書類をめくる音がした。視線が紙面を走り、ある箇所で止まる。
「……黒服め」
「苦情は後にしてくれ。ホシノは、まだアビドスの生徒だ。学校を接収する根拠はなくなった」
トニーは校門の外を指した。
「というわけで、お引き取り願おうか」
理事はしばらく黙っていた。周囲の兵士たちも、指示を待っている。
やがて、理事は書類を下ろした。うつむいた顔から、低い笑い声が漏れる。
「……ははは。スターク。お前は、自分が何を相手にしているのか分かっていないようだ」
兵士たちが、再び銃を構えた。何十もの銃口がこちらへ向く。
「お前が来ることは予想していた。そのために、これだけの戦力を用意したのだからな」
「ずいぶん歓迎してくれるな」
「ドローンを通して、その兵器の戦い方は見ている。生徒の集団や、ドローンを相手にするのとは違うぞ。この数の兵士を、一人でどうにかできると思うか?」
視界の端に、短い通信が届いた。
トニーは内容を確かめ、理事へ顔を戻した。
「僕のドローンで見ていたんだろう? 何が映って、何が分かるかくらい、設計者は知っている」
「何が言いたい」
「こちらの装備を見て、数をそろえる。君がそう考えることくらいは、分かるという話だ」
トニーは、わずかに首を傾けた。
「僕が、一人で来たと思ったのか?」
兵士たちの後方で、爆発が起きた。
理事が振り返った。
道路脇から砂煙が噴き上がり、後方の兵士たちが一斉に向きを変える。そこへ、横から銃撃が浴びせられた。
整然と並んでいた隊列が乱れた。車両の陰へ駆け込む者と、反撃しようとする者がぶつかり、怒鳴り声が飛び交う。
「後ろからだと!? 卑怯な真似を!」
「まあ、アウトローを名乗っているくらいだからな」
トニーは肩をすくめた。
「おしゃべりに付き合ってくれて助かったよ。到着まで、少し時間が必要だった」
煙の向こうから、赤い髪の少女が姿を現した。
アルは銃を構え、兵士たちの動きを見渡した。その口元には、得意げな笑みが浮かんでいる。
「便利屋68、仕事を始めるわよ!」
「もう始まってるけどね、アルちゃん」
ムツキが笑いながら、次の爆薬を手に取った。
カイザーの兵士たちは陣形を崩し、背後から現れた四人へ銃口を向けようとしていた。理事も、兵士たちの陰へ下がりながら声を張り上げる。
「くそっ! もともと、お前たちを雇っていたのは我々だろう!」
「あら。匿名の依頼だったから、気がつかなかったわ」
アルは涼しい顔で答えた。
「それに、こんな大勢で学校を取り囲むなんて。ずいぶん小物じみたことをするのね」
銃を手に立つ姿も、相手を見下ろすような口調も、堂に入っていた。
「でも、私たちもアビドスを襲ったよね? ラーメンまでサービスしてもらったのに」
ムツキの一言で、アルの笑みが引きつった。
「うっ……そ、そのときの借りを返しに来たのよ! 先生にも、風紀委員会から逃がしてもらった借りがあるし……」
「本当にそれだけ? 先生から報酬の話を聞いたとき、アルちゃん、すっごく嬉しそうだったけどな~」
「ちょっと、ムツキ!」
「ムツキ。社長をからかうのは、依頼が終わってからにして」
二人の隣で、カヨコは校庭へ目を配っていた。トニーの姿を見つけると、短く手を上げる。
「先生、後ろは任せて。全員を相手にするのは無理だけど、あの理事は逃がさないようにしておくから」
「期待してるよ。働きによっては、報酬に色をつけておく」
トニーも片手を上げて応じた。
「わ、私も、あのとき先生に守っていただいたので……」
ハルカが銃を握り直した。その視線が、トニーへ向かおうとする兵士たちを捉える。
「せ、先生の邪魔をする人は、全部消します!」
激しい銃撃が、迂回しかけていた兵士たちを押し戻した。
その間にも、トニーの近くでは別の兵士が盾を構え、前へ出ようとしていた。
トニーは兵士に掌を向けた。
リパルサーの光弾が盾を弾き飛ばし、前進しかけた隊列が崩れる。生徒たちを狙っていた銃口が、こちらへ集まった。
スーツの装甲を弾が叩く。しかし、あのゲヘナ風紀委員会のイオリと比べれば、大したことはない。
トニーは一歩も退かず、もう片方の腕を上げた。
『先生、右側から来ます!』
アロナの声とともに、視界に警告が灯った。
右へ掌を向け、リパルサーレイを放つ。回り込もうとしていた兵士が身を伏せた。その隙に、トニーは四人のいる遮蔽物まで下がった。
シロコが片膝をついていた。こちらを見上げる顔には、疲れがにじんでいる。
「シロコ。立てるか?」
「ん。大丈夫」
差し出した手を、シロコが取った。引き起こすと、彼女は足元を確かめ、銃を持ち直した。
「助けに来てくれてありがとう、先生」
「気にするな。シッテムの箱を取り返してもらった借りもある。今度は僕が、ホシノを取り返すのを手伝う番だ」
セリカとノノミも、こちらへ寄ってきた。アヤネは端末を胸に抱え、トニーの顔を見上げている。
「……先生、なんですよね?」
声で分かってはいても、目の前の姿とは結びつかないらしい。
「ああ。これを見せるのは初めてだったな」
トニーは生徒たちをかばう位置でしゃがみ、フェイスプレートを開いた。
金色の面の下から顔が現れると、アヤネの肩から力が抜けた。
「な、何よ、それ? というか、来るの早すぎない? 連絡してから、十分もたってないわよ」
セリカはトニーの顔と、胸の装甲を交互に見ていた。
「急いだからな。もうヘリを待たずに来られる。間に合ってよかったよ」
「助かったのは、そうなんだけど……」
聞きたいことが多すぎるのか、セリカはそこで言葉を切った。
代わりに、ノノミが校門の方へ目を向けた。
「あの便利屋たちも、先生が雇ったんですか?」
「まあな。何かあったときに備えて、アビドスで待機してもらっていたんだ。君たちを襲ったことがあるのは分かっているが、仕事はしっかりやってくれる。安心してくれ」
待機中の衣食住はこちらで用意すると伝えると、アルは即座に引き受けてくれた。
あの会社の最低賃金と福利厚生については、一度話し合う必要がありそうだ。
「ほかの学校にも、協力を頼んである。さすがに、到着までは時間がかかりそうだが」
「ほかの学校にも?」
アヤネが目を丸くした。
「ああ。君たちの実力を疑っているわけじゃない。万が一に備えてだ。アビドス自治区に、相談もなくほかの学校の戦力を呼び込んだのは悪かったが――」
「い、いえ。そうではなくて」
アヤネは首を振った。
「先生は、生徒を危険に巻き込まないようにしていたので。ほかの方にも頼んでいたと聞いて、少し驚いただけです」
トニーは四人を見た。
あのときは、安全な仕事だけを渡せばいいと思っていた。守るつもりで、彼女たちが何をできるのか、何をしたいのかを聞こうとしていなかった。
「生徒を頼ることも、少しは覚えたからな」
トニーはシロコへ目を向けた。
「どこかの、銀行強盗が好きな生徒のおかげでね」
「ん」
シロコが嬉しそうに頷いた。
『先生! アルさんたちが押されています!』
アロナの声が響いた。
校門の方へ顔を向ける。奇襲から立ち直った兵士たちが、車両を盾にして反撃を始めていた。便利屋の四人も、身を隠しながら撃ち返している。
ホシノを迎えに行くためにも、まずはここを片づけなければならない。
「よし。まずは、こいつらを学校から追い出そう。手伝ってくれるか?」
「もちろんよ。私たちの学校は、私たちが守るんだから!」
セリカが弾倉を確かめ、銃を構えた。
「頼りにされたなら、応えなくてはいけませんね」
ノノミも、いつもの笑顔で武器を持ち直した。
「はい! 私も全力で支援します!」
アヤネが端末を開いた。
「ん。ホシノ先輩を取り返す」
シロコが隣へ並んだ。
トニーは四人を見た。
守られるだけでいるつもりなど、最初からなかったのだろう。ならば、自分がするべきことも決まっている。
フェイスプレートを閉じる。視界に敵の位置が浮かび上がり、その向こうに、便利屋の四人が表示された。
トニーは腕を持ち上げて構えた。
「行くぞ、アビドス廃校対策委員会。報復の時間だ」