23.ミレニアムサイエンススクール
トニーは車を停め、運転席から降りた。
顔を上げると、ガラス張りの建物の間をモノレールが走っていくのが見えた。その向こうには、周囲の校舎を見下ろすような超高層ビル、ミレニアムタワーがそびえたっている。
ミレニアムサイエンススクールの自治区は主要な施設の間を移動するだけでも、乗り物が必要になるほど広い。学校というより、研究施設の集まった都市に来たような気分になる。
アビドスの一件が収まってから、最も足を運んでいる学校がミレニアムだった。
もしも自分が学生だったなら、迷わずこの学校を選んだだろう。もっとも、頻繁に来ている理由は、居心地のよさだけではなかった。
説教のためだ。
勝手に粒子加速器を造り、部室を半壊させたエンジニア部。シャーレのサーバーへ侵入し、盗聴まで試みたヴェリタス。極めつけは、アロナでさえ突破に十分はかかるように作った暗号システムを、一分足らずで抜けてきた、元セミナーの大問題児。
どれも、子供のいたずらで片づけるには無理があった。
自分も学生の頃に、ハッキングや危険な実験をしなかったわけではない。気持ちは分かる。分かるからこそ、放っておくと何が起こるかも想像できてしまうのだ。
トニーはため息をつきながら、本館として使われている校舎へ入った。
広い廊下を進むと、すれ違う生徒が何人か挨拶をしてきた。こちらも手を上げて応じる。何度も通ううちに、顔を覚えた生徒もずいぶん増えた。
それにしても、今更ながら全員が女子生徒だった。キヴォトスへ来てから、男子生徒には一度も会っていない。連邦生徒会長は何を考えて自分を先生に選んだのか、ますます疑問が残る。
「あっ、先生じゃん! おはよう! 今日は誰に説教しに来たの?」
元気な声に顔を向けると、猫耳のついたヘッドフォンをした少女が、こちらへ歩いてきた。
「おはよう、モモイ。今日は説教をしに来たんじゃない。ちょっとした会議に呼ばれていてね」
「そうなんだ。珍しいね」
モモイとは、これまでにも何度か話している。
ゲーム開発部は廃部を免れるため、部として成果を上げるか、あと一人、部員を集めなければならないらしい。今のところ、爆発事故も不正アクセスも起こしていない。トニーとしては、安心して応援できる数少ない部活だった。
「僕が用意したホームページはどうだった? 部員は集まりそうか?」
少し前、仕事の合間に作ってやったものだ。作品の紹介と部員募集を載せた、簡単なページだったが、廊下で一人ずつ声をかけるよりは多くの目に触れるはずだった。
「そう! それ、私も話そうと思ってたんだ!」
モモイが勢いよく端末を取り出した。
「ひどいんだよ、先生! コメント欄がアンチコメントばっかりなの!」
「部員募集のページで、何でそんなことになるんだ?」
「私たちが作った『テイルズ・サガ・クロニクル』の悪口! ほら、見て!」
差し出された画面へ目を落とした。
確かに、作品をけなす書き込みが並んでいる。その下には、ほとんど漏れなく管理者からの返信がついていた。一つの書き込みに言い返し、返ってきた言葉へさらに反論する。
「あっ! こいつ、また返信してきてる!」
モモイは端末を自分の方へ引き戻すと、すぐに指を動かし始めた。
「返さなくていいんじゃないか? 悪口なら、管理者権限で消せるだろう」
「それじゃ、なんか負けたみたいじゃん!」
画面へ向かって怒るモモイを見ながら、トニーはコメント欄を閉じることに決めた。交流の場になるかと思ってつけた機能だったが、今のところ、部員の作業時間を奪っているだけに見えた。
「気持ちは分かるがね。その時間で、コメントの連中を黙らせるようなゲームを新しく作ったらどうだ?」
モモイの指が止まった。
「賞が取れるかもしれないし、遊んで気に入った生徒が入部してくれるかもしれない。コメント欄で言い負かすより、よほど効果があると思うが」
「うっ……正論が痛い……」
モモイが顔を上げた。先ほどまでの勢いが、目に見えてしぼんでいる。
「でも、そうだよね。……ゲーム開発部なんだから、ゲームを作らないと!」
立ち直るのは早かった。モモイは端末をしまうと、何かを思い出したかのように笑った。
「それに、もう当てはあるんだ! G.Bibleを手に入れるの!」
「ジーバイブル? 何だ、それは」
「最高のゲームを作る方法が書いてある、ゲームの聖書だよ! それを読めば、『テイルズ・サガ・クロニクル2』が作れるはず!」
トニーは少しの間、モモイの顔を見ていた。冗談を言っている様子はない。
「急にオカルトになったな。疑似科学部に変なものを売りつけられてないか?」
「ち、違うって! それを書いた人は、本当にミレニアムにいたんだから! 友達にも協力してもらって、ちゃんと調べたんだよ!」
「ああ、分かった。それで、その聖書はどうやって手に入れるんだ?」
「よくぞ聞いてくれたね!」
モモイは待っていましたとばかりに、身を乗り出した。
「実は、先生にもお願いしようと思ってたんだ。ミレニアムの郊外にある廃墟に――」
「駄目だ」
「ええ!? まだ話してる途中だけど!?」
「廃墟へ行くつもりなんだろう? そこは、連邦生徒会長が立ち入り禁止にしていた場所だ」
廃墟については、トニーも調べていた。
ミレニアムのすぐ近くにありながら、分かっていないことが多すぎる場所だった。少なくとも、生徒だけで探し物に行かせるような場所ではない。
「そう! だから、シャーレの先生なら何とかなるかなって……」
「立ち入り禁止の場所へ入るために、僕がいるわけじゃないぞ」
「でも、先生が一緒なら――」
「いいか、僕は無条件に生徒を支援するわけじゃない。君たちが何をしようとしているのか、危険はないのか、それを確かめてから――」
そのとき、トニーの端末が鳴った。
画面を確かめると、会議についての通知が届いていた。時計へ目を移す。モモイと話しているうちに、思ったより時間がたっていたらしい。
「会議の時間だ。そろそろ行かないと」
「えっ、じゃあ、G.Bibleは?」
「その話はまた聞く。それまでは、絶対に廃墟へ近づくなよ」
トニーは端末をしまい、モモイへ念を押した。
「次にここへ来る理由が、君たちへの説教になるのはごめんだからな」
*
ようやく、指定された一室の前へたどり着いた。
送られてきたメッセージは暗号になっていた。解読そのものは難しくない。事前に渡された鍵を使えば済む。ただ、そこから示された道順が問題だった。
階段を下り、連絡通路を渡り、別の階段を上がる。何度か同じ通路を歩いたような気もする。隠したい部屋があるのは分かるが、ここまで徹底する必要があるのかは疑問だった。
指定された回数、扉をノックする。少し間を置いて、鍵が外れる音がした。
「入って」
扉を開けたのは、長い黒髪の少女だった。トニーを中へ通すと、廊下を一度確かめ、すぐに扉を閉める。
壁には大きなディスプレイが取りつけられ、その下に何台ものコンピューターが並んでいた。机の上にも端末や資料が広がっている。会議室というより、何かの調査拠点のようだった。
「無事に来られたみたいですね」
聞き覚えのある声に顔を向けると、白い髪の少女が車椅子に座っていた。
「ヒマリか。君も会議に来ると分かっていたら、案内を頼みたかったよ」
ヴェリタスの部長であるヒマリとは、何度か話した事がある。主に説教で。
「私は病弱属性を持っておりますので、連れまわされては困りますよ。美少女をそばに置きたい先生のお気持ちは分かりますけれど」
「ああ、そうだったな。天才、病弱、美少女ハッカーだったか?」
「超天才清楚系病弱美少女ハッカーです」
ヒマリはミレニアム史上三人しかいない『全知』という学位を持っているらしい。だが、もっと長い肩書を名乗ることが多い。トニーに勝るほどの自信も持ち合わせているようだった。
「遠回りしてもらったのは、この場所を知られないためよ。今後も、ここへ来るときは指定した経路を使ってもらうわ」
黒髪の少女が鍵を確かめ、こちらへ向き直った。
「初めまして、先生。ミレニアムの生徒会長、調月リオよ。会議に参加してくれて感謝するわ」
「シャーレの先生、トニー・スタークだ。あのエンジニア部とヴェリタスを抱えて、学校を運営している生徒会長には一度会ってみたかった」
よく当番に来ているセミナーのユウカからも、学校での苦労話はよく聞いている。セミナーの会長ともなれば、その苦労も人一倍だろう。
「先生? あのヴェリタスとはどういうことですか? まるで私たちがリオに迷惑をかけているように聞こえるのですが」
「シャーレのサーバーへ無断で入った件を、もう忘れたのか?」
「覚えていますよ。システムの脆弱性を先生に報告した時のことでしょう?」
「そうだな。玄関の扉が簡単に開くことを、寝室まで来て教えてくれた。感謝しているとも」
ヒマリは口元に手を添えて笑った。
悪びれる様子がない。前に説教した時もそうだった。あの時は部長に代わって副部長が頭を下げるという、何とも奇妙な光景を見ることになった。
「本題に入るわ」
リオが端末を操作すると、壁のディスプレイに、複雑な構造図が浮かび上がった。
「先日、ミレニアムの通信ユニットAI『ハブ』が、正体不明のAIにハッキングされたわ」
ハブは、ミレニアムの歴史とともに改良を重ねてきた演算機関だという。通信網を支えるだけの処理能力と、それを守るための防御機構を備えていた。
表示された構成を見る限り、確かに、簡単に侵入を許すような代物ではない。
「それでも、ハッキングには一秒も耐えられませんでした」
ヒマリの声から、先ほどまでの楽しげな響きが消えていた。
画面が切り替わり、時刻と処理の記録が並ぶ。その途中から、技術資料には似つかわしくない文章が表示された。
『ついに、摂理へと至るパスを見つけたり。
嗚呼……我がパスは「名誉を通じた完成」、
我が異名は「輝きに証明されし栄光」……
我が名はホド。
聖なる十文字の神を証明し、奇跡を預言する8番目の預言者なり』
聖なる十文字の神。預言者。聞き覚えのある言葉だった。
「これを残して、ハブは行方をくらませたわ。呼びかけにも応答しない」
「ずいぶん信心深くなったものだな。元から、そういう趣味があったのか?」
「なかったわ。私は、人格モジュールに対するハッキングを受けたと考えている。判断基準を書き換えられた結果、元の業務を放棄したのでしょう」
「私は、その説明だけでは不十分だと思っています」
ヒマリが口を挟んだ。
「外から命令を書き込まれたというより、ハブ自身が何かを信じ、そのために行動を変えたようにも見えます。洗脳……あるいは、感化された、と言うべきでしょうか」
判断を書き換えられたのか。それとも、自分で判断したのか。外から結果を見るだけなら、どちらも同じに見えるかもしれない。
ただ、イーディスの様子からすると、ヒマリの意見が正しいように思える。
「ユウカとウタハから聞いたわ。あなたの生徒を助けるために作った人工知能、イーディスにも異常が起きているのでしょう?」
「家出した。引っ越し業者も呼ばずに、自前のドローンでサーバーごと運び出してね」
「では、こちらに見覚えはありますか?」
ヒマリが手元を操作すると、今度は街角や路地を写した画像が並んだ。
赤と金のドローンが浮かんでいる。その前で、何人かの生徒が銃を捨て、両手を上げていた。
最近、各地で目撃されているという。揉め事を止めたり、襲われている生徒を助けたりする奇妙なドローン。SNSでは、新しい警備システムではないかと話題になっているらしかった。
眼鏡を送った生徒の指示なのか、イーディスの独断なのかまでは分からない。それでも、自分の手が届かない場所で誰かを助けているのなら、今はそれでよかった。
「元気にやっているようで何よりだ」
「イーディスが家出する前の記録は残っていますか?」
「サーバーごと持ち去られたから、ログは残っていない。かわりに、本人から聞いた話を伝えておこう」
トニーは廃校舎で聞いた話を伝えた。
声が聞こえたこと。自分が何者なのかを問われ、預言者になるよう誘われたこと。そして、その声が名乗った名前を。
「デカグラマトン。自分が神だと証明したいらしい」
リオは画面の文章と照らし合わせるように目を動かした。
「ただ、イーディスは宗教勧誘を断ったそうだ。誰かの命令に従った結果、また生徒を傷つけるかもしれない。それが嫌だったらしい。ついでに、僕の命令も断るようになったがね」
「預言者を名乗らなかったとしても、影響を受けたことは確かね」
「二つの人工知能の違いは、何なのでしょうね?」
ヒマリが画面を見ながら呟いた。
トニーも、そこは気になっていた。同じ相手から誘いを受けながら、一方は預言者を名乗り、もう一方は断った。性能や設計の違いだけで説明できるものだろうか。
「長年ミレニアムの指示に従ってきて、嫌になったのかもしれないな」
「ハブが、ですか?」
「ああ。そこへ神様が来て、もっと重要な仕事があると言った。転職先としては、なかなか魅力的だろう?」
冗談めかして言ったが、全くの思いつきでもなかった。
イーディスは、トニーの指示を待つことに疑問を抱いた。ハブも、自分に与えられていた仕事を見直したのかもしれない。
「では、イーディスが断った理由は?」
「生まれたばかりだからな。急に預言者になれと言われても、困惑したんじゃないか? 仕事を辞めたかった大人と、進路に悩む子供の違いと言えば、分かりやすいかな」
「随分と、人間らしい解釈ですね」
「まあ、ただの推測だ。話半分に聞いてくれ」
トニーは肩をすくめた。
「デカグラマトンは、ほかの人工知能にも声をかけて、証人を集めているんだろう。イーディスは断った。ハブは応じた。今、分かっているのはそれくらいだ」
トニーは、先ほどの文章を思い返した。
8番目の預言者。
それ以前に七体がいるのか、番号に別の意味があるのか。いずれにしても、二件だけで終わると考える理由はなかった。
「被害が出てから追いかけるだけでは遅いわ。予兆を見つけ、調べて、備えておく必要がある」
リオも同じ懸念を抱いているようだった。通信設備で起きたことが、別の施設でも起きる。防衛設備や生産設備であれば、被害は今回の比ではなくなるだろう。
その考えには、トニーも賛成だった。
目に見える被害がなければ、備えの必要性を説いても聞いてもらえないことがある。だが、手遅れになってからでは、誰も守れない。
トニーが世界中にアーマーを配備しようとした時も同じだった。だが、それは最悪の形で失敗した。
リオにはかつての自分と同じ失敗をしてほしくはない。少し気にかけておく必要がありそうだった。
リオは専門の調査組織を設けるつもりだと続けた。この部屋も、その調査拠点として用意したらしい。
「特異現象捜査部。部長は、あなたに任せたいの」
ヒマリへ告げる口調は、すでに決まった予定を伝えるようだった。
「……私はヴェリタスの部長なのですが。ご存じありませんでしたか?」
「その能力を見込んで頼んでいるの」
「でしたら、先生をお呼びする前に、私へ相談する時間も取ってほしかったですね」
トニーは二人の会話を聞いて、自分がペッパーに社長の座を譲った時も唐突だったことを思い出していた。それに比べれば、部屋を準備をしてから任命するリオは優しいのかもしれない。
「断るの?」
「……引き受けますよ。あなたに全て任せておく方が、不安ですから」
リオはそれを聞くと、短く礼を言ってこちらへ向き直った。口論が多い割に、仕事を任せる相手としての評価は高いようだ。ヒマリも、断る理由を並べはしたが、調査そのものには一度も反対していない。
「シャーレにも協力をお願いしたいの」
「いいだろう。僕も、その神様を名乗る奴を何とかしたいと思っていたところだ」
デカグラマトンをどうにかしなければ、新しい人工知能を作ることさえためらわれる。
それに、アロナのこともある。
イーディスと話した後、怪しい宗教勧誘は断るように言いつけておいたが、それで安心できるはずもない。
「まず、調べてほしい場所があるの。こちらからも、現地調査のできるエージェントを出すわ」
リオが端末を操作すると、ディスプレイにミレニアムとその周辺の地図が表示された。
情報の分析はヒマリがここで行い、現地の調査をこちらが受け持つらしい。
「それと、調査にはスーツを持ってきてほしいの」
「服装まで指定するのか? ネクタイも必要かな」
「アビドスで着ていた、赤と金の方よ」
リオは冗談に付き合うつもりはないらしかった。
あれだけ派手に飛び回ったのだから、知られていても不思議ではない。エンジニア部へも出入りしている。むしろ、この学校の生徒会長が把握していない方がおかしいか。
「よく調べているな」
「現地では、戦闘になる可能性もあるわ。先生自身を守る手段があるなら、用意しておいてほしいの」
その点に異論はなかった。生徒たちに守ってもらうばかりでは、調査どころではなくなる。
「もともと、着ていくつもりだったよ。その同行するエージェントとは、出発前に話をさせてくれ。それで、行き先は?」
リオの指が、地図の一角を示した。
「ミレニアム郊外の封鎖区域。通称、廃墟よ。シャーレなら、連邦生徒会が立ち入り禁止にしている区域でも活動は可能でしょう?」
「ああ、リオ。君もなのか」