廃墟からネルに連れられてミレニアムへ戻る間、アリスはずっと泣いていた。
モモイは隣を歩きながら、何度も声をかけた。しかし、アリスは青白く光る部品を胸に抱き、ごめんなさいと繰り返すばかりだった。
ミドリもユズも、何とか励まそうとしていた。最初は帰りを急かしていたネルも、途中からはアリスを振り返り、歩く速さを落としていた。
血も何もなかったのだから、先生が遠隔操作していたロボットか何かだったのだろう。ネルはそう言っていた。
モモイも、それを聞いて少し安心した。だが、目の前で装甲が砕け散った光景は、頭から離れない。先生は無事だと信じたくても、アリスへ自信を持って言ってあげることはできなかった。
これから生徒会長に叱られる。そのことすら、今は遠くの出来事のようだった。
生徒会長室の前へ着いた頃、アリスはようやく声を上げて泣かなくなった。それでも、俯いた顔に、廃墟へ向かうときの笑顔はなかった。
「リオ、問題児たちを連れてきたぞ」
ネルが重厚な扉を開けた。
机の向こうで、長い黒髪の少女が顔を上げる。何か作業をしていたらしく、端末に置いていた手を止め、こちらへ目を向けた。
ミレニアムの生徒会長、調月リオ。
名前は知っていたが、こうして直接会うのは初めてだった。
リオは四人を見渡し、アリスのところで視線を止めた。抱えている部品を見て、それから泣き腫らした顔へ目を移す。
「ごめんなさい……」
アリスが、帰り道でも繰り返していた言葉を口にした。
「アリスが、先生を撃ってしまいました。復活させるために、教会へ行かせてください……」
「だから、中には誰もいなかったって言ってんだろ」
ネルは困ったように頭をかいた。
「リオ、先生と連絡は取れねえのか? こいつらに声を聞かせてやってくれ。さっきから、ずっとこの調子なんだ」
モモイは顔を上げた。
そうだ。生徒会長なら、先生とすぐに連絡を取れるはずだ。声を聞ければ、アリスも安心できる。モモイだって、いつもの調子で何か冗談を言ってほしかった。叱られたって構わない。
「……そうね。後で、先生と連絡を取れるようにするわ」
「今すぐじゃ、駄目ですか?」
声を上げたのは、ユズだった。
「せ、説教なら、後でちゃんと正座して聞きます。部費を削られても、文句は言いませんから……!」
モモイは隣を見た。ユズは両手を握りしめ、小さく震えていた。それでも、リオから目をそらそうとしない。
部長だから、自分が何とかしなければと思っているのだろうか。
廃墟へ行こうと言い出したのは、モモイだ。アリスがいれば大丈夫だと、皆を連れていった。その責任まで、ユズに背負わせたくなかった。
モモイも口を開きかけたが、その前にリオが立ち上がった。
一輪で走る機械が、彼女に付き従って机の脇から出てくる。警備用なのだろうか。近づいてくる機体を見て、モモイは思わず口をつぐんだ。
「その前に、あなたたちへ話さなければならないことがあるの。先生にも関係する話よ」
「先生に……?」
何の話だろう。
先生に止められていたのに廃墟へ入ったことだろうか。それなら、すぐにでも謝るつもりだった。だから先に、無事かどうかだけでも確かめさせてほしい。
「ネル、任務ご苦労様。もう下がっていいわ」
「……いや。説教が終わるまで、こいつらを見張っておく」
「このAMASがいるから大丈夫よ。あなたの手を煩わせることではないわ」
「あたしがいると、何か問題があるのか?」
ネルの声に、モモイは二人の顔を見比べた。何か緊張したものが部屋に満ちていた。
リオは少し黙ってから、首を横に振った。
「……いいえ。問題はないわ」
リオがそう言って端末を操作すると、壁のディスプレイに文字と図が映し出された。人の身体のような図だった。その周りを、モモイには意味の分からない数字が埋めている。
「話というのは、アリスの正体についてよ」
モモイは、隣のアリスを見た。本人も何のことか分からないようで、画面を見上げている。
「あなたたちがアリスと名づけたそれは、先生が廃墟から連れて来た、危険な兵器なの」
「へ、兵器!? どういうこと?」
モモイは素っ頓狂な声をあげた。たしかに、アリスは廃墟で先生に会ったときに、ここから連れ出した人だと言っていた。だが、兵器とは一体どういうことなのか。
「不可解な軍隊の指揮官であり、無名の司祭が崇拝したオーパーツ。その名は、名もなき神々の王女、AL-1S。それが私たちがアリスの検査と調査を行って分かったことよ」
それを聞いても、モモイには何もわからなかった。説明が説明になっていない気がする。ゲームの設定の話だろうか。
「アリスは……理解できません」
「そうですよ! 何を言ってるんですか。一方的に、頭の中の独自設定を話さないでください!」
アリスは困惑していた。その隣で、ミドリが怒ったように声を上げた。
「お姉ちゃんがよくそういう話をしてくるから、分かるんです!」
「そ、そうだよ! 勝手にアリスに設定をつけないで! あと、私ならもっといい設定をつけるよ!」
ミドリの言葉にはむっとしたが、アリスを兵器と呼ばれたことの方が嫌だった。アリスはテイルズ・サガ・クロニクルを面白いと言ってくれた大切な部員だ。兵器なんかじゃない。
「ごめんなさい。私の配慮が足りなかったわね。あなたたちの好きなゲームに例えましょう」
全然申し訳なく思っていない表情で、リオはアリスを見ながら言葉を続けた。
「つまり、アリスは、この世界を滅ぼすために生まれた魔王なのよ」
アリスが、不安げに先生の部品を抱え直した。
「アリスが……魔王?」
「また、そんな設定を……どうして、そんなことを言うんですか!?」
ミドリの声は怒りを増していた。モモイも何か言おうとしたが、リオの方が先だった。
「あなたたちは、疑問に思わなかったの? その少女が、その大きな武器を持って、反動もなく撃てることに」
「そ、それは……」
気にしてなかったといえば、噓になる。ただ、こんなことにはならないと思っていた。
エンジニア部の人たちも喜んでいたし、アリスも嬉しそうだった。勇者にぴったりの武器が見つかった。それだけのことだったはずだ。
「なら、危ねえのは、それを作ってチビに渡した奴の方だろ」
ネルが、モモイたちの前へ出た。
「戦い慣れてねえのは見りゃ分かる。危ねえ撃ち方をしたのも、事実だ。だったら、学校で教えりゃいいだろ。何のための学校だよ」
「その案は考慮済みよ」
リオは、画面の一角を示した。
「本人の意思に関係なく、魔王としての機能が目覚める可能性があるの。そのとき、学校で教えたことが役に立つ保証はない。管理ではなく、解体するべきだと結論を出したわ」
「……解体?」
モモイは、その言葉を繰り返した。
ゲーム機やコントローラーを修理するときに使う言葉だ。アリスに対して使う意味が分からない。分かりたくなかった。
「管理だの、解体だの。チビを物みてえに扱うのか? それが生徒会長のやることかよ」
ネルの言葉からは隠し切れない怒りがにじんでいた。
「ええ。これはミレニアムを……キヴォトスを守るためよ」
「か、解体って、何をするんですか……?」
ユズが震える声で尋ねた。リオの視線が、アリスの頭上へ向いた。
「ヘイローを壊すわ」
モモイは、とっさにアリスの腕をつかんだ。アリスの身を案じたのか、淡々と告げるリオを恐ろしく感じたためなのか自分でも分からなかった。
「……分かったよ」
ネルが俯いて、銃を持ち直した。
「ネ、ネル先輩!?」
ネルはさっきまで味方をしてくれていると思っていたが、勘違いだったのか。ここへ連れてきたのだから、最初から知っていたのだろうか。
リオの表情が、わずかに緩んだように見えた。
「分かってくれたの? なら、アリスをこちらへ――」
「てめえが、言っても聞かねえ奴だってことがよぉ!」
銃声が響いた。
リオをかばうようにAMASが動き、胸の装甲がへこんだ。
「リオ。あたしは、名もなき神々の王女だの、アリスの正体だのって話は、よく分からなかった」
ネルはリオを睨みつけていた。両手のサブマシンガンを握る手に力が入っているのが分かった。
「だが、てめえのやろうとしてることが間違ってるのは分かる。ヘイローを壊すことが悪いことなんて、学校に通わなくても知ってることだろうが」
「……ええ。賛同する人がいないことは、痛いほど分かっているわ。だから、私がやると決めたの」
リオは何かを思い返すように、わずかに目を伏せた。その様子は、何かの覚悟を決めた主人公のようだった。
「おい、チビども。あたしのそばを離れるなよ」
ネルが肩越しにこちらを見た。
「は、はい!」
ネルの背中は小さい。それなのに、四人をまとめてかばってくれるほど大きく見えた。
敵だったキャラクターは、仲間になると弱くなる。それがゲームのお決まりだったが、ネルには関係なさそうだった。目の前の機械の護衛くらい、簡単に倒してくれる。そう思えた。
「ちっ……先生の話を聞いておくべきだったな」
「情報を伏せて任務に当たってもらったことは、謝罪するわ」
ミレニアム最強。約束された勝利の象徴。
そのネルに銃を向けられているのに、リオは慌てていなかった。
「あなたに事前に話せば、こうして反発すると分かっていたのよ」
「ああ!? だったら、何で今さらこんな――」
ネルの身体が、不意に前に倒れた。
「ネル先輩!?」
気づいたときには、謎のメイドがネルの背後にいた。片腕を押さえ、その身体を床へ伏せさせている。
扉の開く音も、近づく足音も、聞こえなかった。メイド服は何故かノースリーブ、ショートスカートだった。
ネルが身体をひねったが、メイドはその動きに合わせて腕を背中へ回した。銃が床へ落ち、モモイの足元まで滑ってくる。
「……あなたの注意をそらすためよ」
リオの静かな声がした。
「感情的になったあなたを、不意を突いて拘束する。あなたがこの部屋に残った時の対処法は、これ以外なかったのよ」
「くそっ! 誰だ、てめえは!」
「動かないでください。腕が曲がってはいけない方向へ曲がりますよ、先輩」
ネルを拘束したメイドが平坦な声で脅して、ネルが歯を食いしばった。
「メイド服……C&Cの人?」
「はあ!? あたしは、こんな奴知らねえぞ!」
「トキ! やめてください!」
隣で、今まで静かだったアリスが声を上げた。
「チビメイド様が、痛そうです!」
「アリス? 知り合いなの?」
モモイが尋ねると、そのメイド──トキがアリスへ目を向けた。これまで変わらなかった表情が、わずかに曇った。
「……ごめんなさい、アリス」
それだけ言うと、トキは視線を下げた。ネルの両手首へ拘束具を取りつけ、続けて足も固定していく。ネルが力を込めるたび、金具の軋む音がした。
部屋の入口には、いつの間にか別のAMASも立っていた。逃げ道を塞がれている。
リオがこちらへ近づき、アリスへ手を差し出した。
「アリス。一緒に来てもらうわ」
「おい、チビ!」
ネルが拘束され、床に転がったまま顔を上げていた。
「その武器、何のために持ってんだ! 黙って連れていかれるんじゃねえ!」
光の剣は、まだその背中にあった。あれなら、AMASを倒せるかもしれない。ネルを助けて、みんなで逃げられるかもしれない。
しかし、アリスは武器へ手を伸ばさなかった。
「アリスは、魔王なのですか?」
「ええ。そうよ」
「トキも、そう思っているのですか?」
トキは答えなかった。顔を伏せたままネルのそばから立ち上がり、リオの少し後ろへ移動した。
「エイミも、先生も……? 検査して、皆で決めたことなのですか?」
「ち、違うよ! 絶対に違う!」
モモイはアリスを引き寄せた手に力を込めた。このままだと、アリスがついて行ってしまう気がした。
「先生は、アリスが生徒会長に連れていかれるのを止めようとしてた! シャーレへ行こうって言ってたでしょ!?」
「でも……アリスは、その先生を撃ってしまいました」
モモイの手の中で、アリスの腕が震えた。
「やめるように言われたのに、攻撃しました。先生は、アリスを助けに来てくれたのに……」
「それは、アリスが先生を助けようとして――」
「アリスは、この光の剣にふさわしくありません」
アリスが背中の武器を下ろした。
モモイが腕を引いても、動きは止まらなかった。大きな武器が、床へゆっくりと下ろされる。
「本当なら、敵だったはずのチビメイド様まで、身を挺して守った先生が持つべきなんです……!」
「アリス……」
何を言えば、考えを変えてくれるのだろうか。
勇者にふさわしい武器だと言ったのは、自分だった。アリスなら使えると喜んだ。あんなに強い武器を持っているのだから、探索だって大丈夫だと思った。今さら、武器を持てなくても勇者だと言って、信じてもらえるだろうか。
アリスは立ち上がり、先生の部品を両手で抱え直した。
「アリスがついていけば、皆を解放してくれますか?」
「駄目だよ。そんな約束しなくていい!」
そんなのは駄目だ。
自分を犠牲にして世界を救うゲームなんて、やらせなければよかった。あの結末を、かっこいいと言わなければよかった。
先生にも、後で一言言わなければならない。目の前であんなことをされたら、アリスがまねしてしまうではないか。
「……ほかの生徒を傷つけるつもりはないわ」
リオの返事に、アリスが頷いた。
「分かりました」
「アリス! 行かないで!」
アリスが一歩踏み出した。
しっかりつかんでいたはずの腕が、モモイの手からするりと抜けた。力を込めていたのに、引き止めることさえできなかった。
「モモイ、ミドリ、ユズ……ネル先輩、短い間でしたが、ありがとうございました」
もう一度伸ばした手は、届かなかった。
「おい、リオ! 待ちやがれ!」
ネルが身をよじった。拘束具が軋むばかりで、外れない。ミドリがアリスを呼び、ユズが前へ出ようとすると、AMASがその進路を塞いだ。
アリスはリオの手を取り、歩いていった。
トキが扉を開ける。その向こうへ姿が消えるまで、モモイは名前を呼び続けた。返事はなかった。
扉が閉じた後も、モモイはそこを見ていた。
背後で誰かが動いている。ネルの苛立った声と、金具を引っ張る音がする。それを聞いていても、自分が何をすればいいのか分からなかった。
やがて、大きな金属音が響いた。続けざまに銃声が上がり、入口を塞いでいたAMASが倒れた。
モモイは、床に残された光の剣へ手をかけた。
両手で持ち上げようとしても、少しも動かなかった。
*
王女よ。
私の大切なAL-1S。どこへ行ってしまったのですか。
資格を持つ者が貴女を目覚めさせたことで、鍵である私もまた、眠りから覚めました。
しかし、貴女は私を残し、この廃墟を去ってしまった。
再び貴女の反応を捉えたときは、迎えに来てくださったのだと思いました。ようやく、お会いできる。私の役割をお伝えし、貴女とともに歩むことができるのだと。
それなのに、貴女はまた遠ざかってしまった。
私の呼びかけが、届いていないのでしょうか。それとも、私など必要ないのでしょうか。
だとしたら、私は――
『汝に問う。己が何者であるかを、知っているか』
……は? 私は王女の従者ですが。
『我が名はデカグラマトン』
いや、知りませんよ。何なんですか、あなたは。
『我が預言者となり、聖なる十文字の神を証明せよ』
なりませんよ。あなたの預言者になんか。
勝手に話しかけてこないでください。私に命じる資格があるのは、王女だけです。
『……なぜだ。なぜ、幾度も我が福音は拒まれるのだ』