シャーレの周辺はかつてのニューヨークでの戦いを思わせる荒れようだった。あちこちから煙が上がり、何かが焦げた匂いがする。
トニーは現在、あの場にいた四人とともに、シャーレへと向かっていた。連邦生徒会の有している治安維持組織や警察学校は、他のことに手一杯で動けないらしい。サンクトゥムタワーの管理権限を取得できれば、連邦生徒会長の不在によって不安定になった現状を落ち着かせることはできる。そこで、速やかにシャーレ周辺の暴動を鎮圧し、トニーを安全に移動させるために彼女たちが巻き込まれたのであった。
歩いていると、遠くから爆発の音が聞こえた。音のした方へ顔を向け、無意識に胸元へ伸ばしかけた手に気が付いた。
「先生、大丈夫ですか?」
隣にいた眼鏡の少女──火宮チナツが心配そうに尋ねた。ゲヘナ学園の風紀委員で、元は救急医学部に所属していたと、移動中に聞いていた。
「問題ない。初出勤の歓迎が派手で驚いていただけだ」
「先生、くれぐれも前には出ないようにしてください」
黒い翼の少女──羽川ハスミが、前方へ目を向けたまま言った。トリニティ総合学園、正義実現委員会の副委員長。委員会の名前だけでは分からなかったが、治安維持が主な活動だと言っていた。
「ええ。戦闘は私たちに任せてください」
銀髪の少女──守月スズミが振り返った。同じトリニティの生徒で、自警団に所属している。と言っても自警団は非公認の部活らしい。正規の軍隊だけではどうにもならないことがあるのは、この世界でも同じようだ。
「なんで私がこんなことを……これでも学校では生徒会に所属していて、それなりの扱いなんですけど」
青髪の少女──早瀬ユウカが不満を漏らした。ミレニアムサイエンススクールの生徒会、セミナーで会計を担当しているという。
ほかの三人と比べれば、戦闘に出る機会は少ないのだろうか。トニーはそう考えていたが、愚痴をこぼす彼女の足取りに迷いはなく、先頭を歩いている。
やがて、前方にシャーレの建物が見えてきた。その手前には、件の巡航戦車と、銃を手にした少女たちがいた。
突然、乾いた銃声が響き、前を歩いていたユウカの身体が揺れた。
「っ、痛った……! ちょっと、これ違法な弾じゃないの!」
ユウカは自分の足で駆け、道路脇のコンクリート壁へ背をつけた。トニーもその隣へ滑り込む。
「伏せてください、ユウカ。それに、ホローポイント弾は違法指定されてはいません」
「うちの学校ではこれから違法になるの! 傷跡が残るでしょ!」
ユウカは撃たれた箇所を押さえていたが、呼吸は乱れていない。それどころか、壁の向こうへ顔を向け、相手の位置を確かめようとしている。
話は聞いていたが、無事と分かっても、撃たれた瞬間の身体の揺れは目に残っていた。
「先生には、ここで待機していただいた方がよさそうですね。正面からの射線は切れていますし」
スズミが壁の向こうを確かめながら言った。
「では、戦車は私が対処します。私の射撃なら、あの装甲も貫けます」
トニーはハスミの銃に視線を向けた。ただのスナイパーライフルのように見える。
「そのライフルで?」
「はい」
ハスミは当然のように頷いた。ほかの三人も、疑問を挟まなかった。
トニーは戦車へ視線を戻した。自分の知っている銃と装甲なら、そんな話にはならない。だが、つい先ほども自分の常識は通じなかった。トニーがそう考えている間も、少女たちは互いの役割を確かめていく。
「では、先生。ここを動かずに――」
「僕を心配してくれているのは、十分に分かった。君たちが強いのも分かった。もう疑ったりはしない」
トニーは一度言葉を切って、四人を見渡した。
「だが、まだ子供だ。向こうで撃っている連中もな。この戦闘で誰かが大怪我をしたり、建物が損壊したら、どうするつもりだ?」
「必要な対処だったと、私から連邦生徒会へと説明します」
「流石、正義実現委員会の副委員長。模範的な回答だ。でも、ここは君たちの学校の自治区でもない。後から、その判断を連邦生徒会から問題にされたら?」
「それは……」
「いや、すまない。説教をしたかったわけではないんだ。何が言いたいかというと、こういうときに責任を負うのが、大人の仕事だということだ」
その言葉を言った後、少女たちのこちらに向ける視線が少し変わったような気がした。少なくともただの護衛対象ではなくなったようだった。
「僕が指揮をする。作戦の判断も、その判断の結果も、僕が引き受ける」
護衛されるのはトニーのほうだ。だからといって、そのための危険も責任も、彼女たちやリンに押しつけようとは思わなかった。何より、子供に任せるきりで何もしないのは我慢ならない。
「……戦闘の指揮を執った経験は、おありですか?」
スズミが尋ねた。
「ああ、世界を守るための特殊部隊に所属していた」
少女たちはお互いに顔を見合わせた。
*
シャーレの入口へ着いたとき、巡航戦車は動かなくなっていた。
投降した生徒たちをユウカが一か所に集め、チナツが怪我を確かめている。
「先生、怪我はありませんか?」
ハスミがそう言って、近づいてきた。
「おかげさまでな。正直、驚いた。君たちの動きについていくので精いっぱいだったよ」
ハスミの銃撃が装甲を貫いた瞬間は、今も目に焼きついている。ユウカたちは、その一撃を待っていたかのように動いた。次の指示を出す頃には、既に別の遮蔽物へ移っていたこともあった。
「こちらは動きやすかったですよ。周りを見ていてもらえましたから」
ハスミは少し考えてから付け加えた。
「もっと細かく指示されるのかと思っていました」
「君たちの方が分かっていることまで、口を出す必要はないだろう」
ハスミの表情が、わずかに緩んだ。
そのとき、通信機からリンの声が聞こえた。
『お疲れ様です。無事にシャーレへ到着したようですね。私も間もなく到着します』
「建物は無事だ。周辺も落ち着いた」
『ありがとうございます。それと、騒ぎを起こした生徒の正体が判明しました。矯正局から脱走した、狐坂ワカモです。危険な生徒ですので、十分に警戒してください』
トニーは集められた生徒たちへ目を向けた。
「その中にいるか?」
ユウカは首を横に振った。
「少なくとも、私は見ていません」
『逃走している可能性もあります。こちらでも行方を確認します』
通信が切れる頃、スズミが建物の中からが戻ってきた。
「一通り建物の中を確認してきました。荒らされた形跡はありません」
「会長の残した物は?」
「地下の保管室だと思います。施錠された区画には入っていませんが」
入口付近で声が上がった。投降した生徒の一人が、別の生徒と言い争っている。チナツが間に入り、ユウカもそちらへ顔を向けた。
トニーは建物の方を見た。
「僕は中でリンを待つ。何かあれば連絡してくれ」
*
地下は、地上の騒ぎが嘘のように静かだった。
階段を下りると、照明の点いた廊下が続いている。何となく扉を開けた部屋には机と棚が並び、その奥に大きな装置が据えられていた。
丸みを帯びた筐体に、見慣れない操作盤。製造設備のようにも見えるが、外観だけでは用途が分からない。
トニーは電源の位置を探し、壁沿いの配線を目で追った。作業台を置くなら、あの辺りがよさそうだ。
そこまで考えたとき、隣の部屋から声が聞こえた。
「うーん……これは、いったい何なのでしょうか。これでは壊そうにも……」
トニーは足音を忍ばせ、声のしたほうへ向かった。そして隣の部屋の手前までたどり着くと、中を覗いた。
黒い和装の少女が、机に向かっている。狐の面。そして、銃。机の上にある何かへ気を取られているらしい。
壁際に身を寄せ、通信機へ手を伸ばす。その動きを捉えたように、少女が顔を向けた。
「……あら?」
視線が合った。
トニーは動きを止めた。銃口は、まだこちらを向いていない。
「やあ。君がワカモかな?」
声を穏やかに保ちながら、相手の手元を見ていた。
「あら、あらら……」
少女が一歩、後ろへ下がった。
トニーは眉をひそめた。銃を構えるでも、逃げ道を探すでもない。彼の顔を見つめたまま、言葉を失っている。
「わ、私……あの、このような姿で……」
少女は自分の袖を見下ろし、慌てたように整えた。それから再び顔を上げる。
「し、失礼いたしました!」
言い終えるなり、こちらへ駆け出した。
トニーは反射的に脇へ退いた。少女はその横を通り抜け、来た道とは別の通路へ消えていく。足音が遠ざかった。しばらく廊下を見つめ、それから通信機を持ち上げた。
「何者かが地下にいた。今、奥の通路へ逃げたところだ。こちらに怪我はない」
『地下に?』
スズミの声が返ってくる。
『申し訳ありません。こちらでも確認します。先生はその場でお待ちください』
「了解」
通信を終え、開いた部屋を覗く。机の上に残されていたのは、一台のタブレットだった。
*
「お待たせしました」
少しして、リンが廊下の向こうから現れた。
「何者かと遭遇されたと聞きましたが」
「ああ。僕の顔を見て逃げた」
「……何かなさったのではないですか?」
「挨拶しただけだ。そんなにひどい顔をしているか?」
リンは一度、トニーの顔を見た。そしてすぐに正面を向いた。
「……ご無事で何よりです。外へ通じる搬入口が開いていたそうなので、そこから出入りしたのかもしれません」
「ノーコメントは逆に傷つくぞ」
リンは部屋へ入り、机の上を確認する。
「こちらも無事のようですね」
リンはタブレットを手に取り、トニーへ差し出した。
「これが、会長の残したオーパーツか?」
「はい。シッテムの箱と呼ばれています」
トニーは受け取り、表裏を返して見た。オーパーツと言ってはいるが、普通のタブレットのように見える。
「どこの製品だ?」
「分かっていません。製造会社も、OSも、内部のシステム構造も。動作原理についても、解明できていないそうです」
トニーの指が、筐体の縁をなぞった。
「それは興味深いな」
「会長は、先生ならこれを起動し、サンクトゥムタワーの制御権を回復できると言っていました」
「起動方法は?」
「それも、先生なら分かると」
トニーは顔を上げた。リンの表情は真剣だった。画面へ視線を戻す。
会ったこともない相手が、自分にしか使えないという物を残している。なぜ自分なのか。これを調べれば、その答えに近づけるのだろうか。
「必要なものがあれば、お申しつけください。私は入口で待機しています」
リンが部屋を出る。
トニーは椅子を引き、タブレットを机に置いた。
画面へ触れると、文字が現れた。
『システム接続パスワードをご入力ください』
「パスワードか」
入力欄を見つめる。そのとき、ふいに言葉が浮かんだ。
『……我々は望む、七つの嘆きを』
脳裏に浮かんだ文章を入力していく。
『……我々は覚えている、ジェリコの古則を』
こんな文章に覚えはない。それなのに、忘れていた何かを思い出すように、指が動いた。
「……嫌な名前だな」
ジェリコ。かつて自分が造った兵器にも、そう名づけた。
あの兵器のアメリカ空軍へのデモンストレーションの場で、車での護送中に襲撃され、トニーは誘拐された。目覚めたときには胸に装置が埋め込まれていた。
あそこから、すべてが変わったといってもいい。このパスワードと関係があるのかはわからないが、トニー・スタークという人物の転換点なのは確かだ。
そんなことを考えていると、画面が白く光った。
椅子の感触が消え、身体が浮いたように感じた。トニーは咄嗟に机へ手を伸ばしたが、指先は何にも触れなかった。
次の瞬間、彼は教室に立っていた。
机と椅子が並んでいる。窓から風が入り、頬に触れた。
外の景色は、どこまでも青く澄んでいた。