窓から入り込んだ砂が、薄いカーペットのように廊下を覆っていた。
「もう……昨日も掃除したのに」
セリカはぼやきながら、ちりとりに集めた砂を窓の外へ払い落とした。
「砂漠が相手だからねー。根気よく付き合っていくしかないよ」
「そう思うなら、ホシノ先輩も手伝って!」
壁際に座り込んでいたホシノは、片目を開けた。
セリカがこちらを見下ろしている。あの夜、縛られていた手首には、もう包帯もない。
「おじさんは、みんながちゃんと働いているか見守る係だから」
「さっきまで寝てたじゃない!」
「目を閉じてても、分かることはあるんだよー」
「じゃあ、掃除が終わったかどうか当ててみて」
「うーん、まだ?」
「正解。だから手伝って」
腕をつかまれ、ホシノは「うへー」と気の抜けた声を上げながら、壁から背を離した。
セリカが戻ってきてから、十日が経っていた。
病院で診てもらった結果、大きな怪我はなかった。学校へ戻って早々、心配させたことを謝り、翌日にはいつもの調子でホシノの居眠りを叱っていた。
その声を聞けるなら、掃除を手伝うくらいは安いものかもしれない。
それでも、かわいい後輩をからかうのはやめられなかった。むきになって言い返してくる声を聞いている間は、嫌なことも頭の隅へ追いやれる。
ようやく立ち上がったところで、アヤネの端末が鳴った。
「あ、先生からの支援物資が到着するみたいです!」
「おお。それじゃ、先に荷物を受け取らないとねー」
ホシノはセリカの手をそっと外し、そそくさと玄関へ歩き始めた。
「掃除は後でやってもらうからね!」
「まあまあ。みんなで受け取りに行きましょう。今回も、かなりの量があるみたいですし」
ノノミが笑顔で取りなす。その言葉に何度も頷きながら、ホシノは足を速めた。
*
赤と金色の機体が、校庭へゆっくりと降りてきた。
何度見ても、目立つ色だ。砂ばかりの景色ではなおさらだった。
「これをデザインした人は、派手なのが好きみたいだねー」
「ん。遠くからでもよく見える」
シロコは着地を待ちきれない様子で、積まれた箱を見ていた。
弾薬、医療用品、保存食。アヤネが受け取った一覧には、ほかにも細々とした物が並んでいる。これだけの荷物を抱えて飛んできたというのに、機体はほとんど傾くことなく地面へ脚をついた。
「便利だねぇ。おじさんも乗せてもらえないかな」
「荷物として申請すれば、運んでもらえるかもしれませんよ☆」
「ノノミちゃん、申請は記入漏れのないようにお願いね」
「人を乗せるための物ではないと思いますけど……」
アヤネは苦笑しながら、端末で受領の操作を済ませた。
「先生にも、ご連絡しておきますね」
箱を下ろしている間、呼び出し音が続いた。やがて、通話はつながらないまま途切れた。
「……お忙しいみたいです」
「先生は、うちだけの先生じゃないからねー。メッセージを残しておけば、後で見てくれるでしょ」
「そうですね。写真も送っておきます」
アヤネが荷物へ端末を向ける。その画面に映り込むようにシロコが顔を出し、無言で親指を立てた。
ホシノも同じように指を立てたところで、セリカに箱を押しつけられた。
「写真はいいから! 先輩たちも運んで!」
「はいはーい」
荷物を下ろし終えると、ドローンは再び浮かび上がった。
ホシノは片手を振って見送り、箱を抱え直した。
*
倉庫の壁際に、箱が少しずつ積み上がっていく。
セリカは中身を確かめながら、アヤネの一覧に印をつけていた。しばらく黙って作業していたが、ふとペンを止めた。
「ねえ。先生に、話した方がいいんじゃない?」
「何を?」
シロコが箱を抱えたまま振り返る。
「その……借金のこと」
ホシノは、持ち上げかけた箱から手を離した。
アビドス高等学校が抱える借金は、九億円を超えている。完済の見通しは、立っていなかった。
「いつまでも黙ってるのも、どうかと思うのよ。こうして何度も助けてもらってるんだし……」
「おやおや。セリカちゃんが、先生を頼ろうって?」
「な、何よ」
「最初は、あんなに胡散臭いって言ってたのにねー」
「うぅ……でも、先輩たちだって、怪しいってところは否定しなかったでしょ!」
セリカは顔を赤くし、一つ息を吐いた。
「別に、先生に払ってもらおうって話じゃないわよ。何か、私たちが知らない方法とか……そういうのがあるかもしれないじゃない」
「私も、相談してみていいと思います」
アヤネが頷いた。
「先生も、学校のことを気にされていましたし。次にお話しするときには、きちんと事情を説明したいです」
「ん。賛成」
「私もです。五人で考えるより、いい案が浮かぶかもしれませんしね」
ノノミもそう言って、ホシノを見た。四人の視線が集まる。ホシノは腕を組み、少しだけ考えた。
あの先生は、セリカを助けるために夜中でも駆けつけてくれた。今回の物資にも、何かを差し出せという条件はついていない。
それでも、借金の話をするとなれば……黙っていられないかもしれない。黒い服を着た男の姿が、一瞬、頭をよぎった。
「……そうだね。話してみようか」
セリカの肩から力が抜けた。
「じゃあ、先生から返事が来たら――」
「アビドス高等学校! お邪魔するわよ!」
外から響いた声に、五人は顔を見合わせた。
ホシノたちは銃を手に取り、校庭へ出た。校門の向こうには、四人の少女が立っていた。
その中央で赤い髪の少女が、こちらに気が付いた。少し離れた場所には、ヘルメットをかぶった連中も集まっていた。
「便利屋68、社長の陸八魔アルよ」
「あれ? 柴関ラーメンのお客さん?」
セリカが目を丸くした。そういえば、先日店で会った顔だった。ずいぶん賑やかに食事をしていたのを覚えている。
「あら。覚えていてくれたのね」
「覚えてるわよ。何しに来たの?」
「仕事よ。あなたたちには、この学校から退いてもらうわ」
一瞬、誰も何も言わなかった。
「……はあ!?」
最初に声を上げたのは、やはりセリカだった。
「どういう事!? 山盛りのサービスまでしたのに、恩を仇で返すつもり!?」
アルの肩が小さく跳ねた。
「そ、それとこれとは別の話でしょう」
「ラーメン、おいしかったねー。アルちゃん」
隣の小柄な少女が、にやにやと笑う。
「ムツキ!」
「あ、あの、私も……おいしかったです……」
おどおどとした様子の少女も、こくこくとうなずいた。
「ハルカ、感想は今じゃなくていいわ!」
「……はぁ。気が進まないなら、今からでも辞めたら?」
あきれた様子の少女は、そう言いながらもこちらを警戒していた。
「カヨコまで、何を言ってるのよ!」
便利屋68の漫才じみたやり取りを見ながら、ホシノは欠伸をかみ殺した。
「うへー。一緒にご飯を食べたら、少しは仲良くなれたと思ったんだけどなー」
「私情を仕事に持ち込まない。それがプロというものよ」
アルは一つ咳払いをし、真剣な表情を作り、銃を構えた。
「恨みはないけれど、手加減はしないわ」
「はいはい。それじゃ、こっちも追い返させてもらおうかな」
ホシノは盾を持ち上げた。セリカとシロコが左右へ分かれ、ノノミが後方で銃を構える。アヤネは校舎の入口へ下がり、端末を開いた。
そのとき、塀の向こうから、いくつもの機影が浮かび上がった。
「あれは……」
ホシノは目を細めた。
灰色の機体だった。下部には大きな機関銃が取り付けられている。その重さを感じさせず、ドローンはアルたちの頭上で静止した。
「今回は、依頼主からの支援もあるの。悪いけれど――」
アルの言葉が、銃声にかき消された。
ホシノは盾を上げた。重い衝撃が、立て続けに腕へ伝わってくる。足元の砂が跳ね、背後で窓ガラスが砕けた。
「みんな、あのドローンに注意して」
*
便利屋68たちは、思っていたよりも厄介だった。
ヘルメット団を押し返しても、その頭上からドローンが飛んでくる。低い塀の向こうまで回り込み、隠れた場所へ上から弾を浴びせてきた。機体へ銃口を向ければ、便利屋の四人が動く。こちらが狙いを定める隙を、簡単には与えてくれなかった。
校庭のあちこちに、薬莢と機体の破片が散らばっていく。
「っ、しつこい……!」
セリカが腕を押さえながら、壁際へ駆け込んだ。シロコの膝にも血がにじんでいる。ノノミは肩を負傷していたが、それでも二人を援護するために銃を撃ち続けていた。
ホシノは盾を構え直した。腕へ伝わる衝撃の向こうで、機関銃の銃口が動く。通信機から、アヤネの声が聞こえた。
『右側に、もう一機――』
轟音とともに、校舎の外壁が崩れた。通信が途切れる。
「アヤネちゃん?」
『……だ、大丈夫です。破片が、少し……』
入口の向こうで、アヤネが額を押さえていた。指の間から、赤いものが流れている。
ホシノは息を吐いた。
「セリカちゃん、シロコちゃん。アヤネちゃんのところまで下がって」
「でも、まだ――」
「うん。だから、ここは私がやる」
ホシノは空を見上げた。残っているドローンは三機だった。
「ノノミちゃん。向こうの四人、少しだけお願い」
「……はい!」
ノノミのミニガンが火を噴いた。便利屋の四人が身を隠す。その間に、ホシノは遮蔽物を離れた。
正面の一機がこちらへ機首を向ける。
ホシノは盾を傾けた。降り注ぐ弾を受けながら距離を詰め、銃口を上げる。
一発。機体が傾いたところへ、もう一発。煙を噴いたドローンが、背後へ落ちた。
横から迫る羽音に振り向く。二機目が銃口をこちらへ向けようとしていた。
その真下へ素早く踏み込んだ。上へ向けた銃を撃つ。重い機関銃が機体から外れ、砂へ突き刺さった。追い撃ちを受けた本体も、その脇へ落下する。
最後の一機が高度を上げ始めた。
ホシノは駆けた。崩れた塀を踏み台にして跳び、逃げる機体を狙う。銃声が響いた。
着地して振り返ったときには、三機目も煙を噴きながら落ちていた。
「な、なんですってー!?」
アルが遮蔽物から顔を出していた。
「ちょっと、さっきまでそんな動きしてなかったじゃない!」
「おじさんも、なるべく疲れたくないからねー」
そう言いながら、ホシノは弾を込め直した。
「でも、もう帰ってもらおうかな」
盾を前へ出し、歩き始める。アルが銃を撃った。ホシノ盾で平然と受け止めながら、悠然と歩みを進める。
「ちょっ、待っ――」
銃口を向けると、アルが慌てて頭を引っ込めた。直後、銃弾が遮蔽物を粉々にして、その衝撃でアルは後方へと吹き飛んだ。
「あ、アル様!?」
「社長。まだ続けるの?」
「撤収! 撤収するわよ!」
「えー、もう?」
「ムツキ、あなた、まだやりたいの!?」
「ううん。アルちゃんの面白い顔、十分見られたし」
「見てないで走って!」
四人が校門の向こうへ引いていく。ヘルメット団も、地面に伏せていた仲間を引き起こし、後を追い始めた。
ホシノは銃を構えたまま、その背中を見送る。追いかけるより先に、後輩たちの怪我を確かめたかった。
*
「……行きましたね」
アヤネの声に、ホシノはようやく盾を下ろした。
「うん。みんな、お疲れー」
校庭を見回す。割れた窓。崩れた壁。運び込んだばかりの支援物資に、粉々になったガラスが降りかかっている。
ホシノは盾を壁へ立てかけ、救急箱を取り出していたアヤネに声を掛けた。
「アヤネちゃん。その傷、見せて」
「私は大丈夫です。ほかのみなさんを――」
「いいから、見せて」
額の傷を確かめ、ガーゼを当てる。
隣では、ノノミがセリカの袖をまくっていた。シロコは片脚をかばいながらも、まだ校門の外を見ている。
「シロコちゃんも、手当てしてもらってね」
「ん。先に、周りを見てくる」
「それは、おじさんがやるから」
シロコを座らせ、ホシノは校庭へ戻った。
落ちたドローンの一部が砂に埋まっている。外装の破片を拾い、軽く振って砂を払った。
灰色の塗装。今朝見たものとは、色も、積んでいた物も違う。それでも、やはり似ていた。
偶然だろうか。同じところで買っただけかもしれない。では、あの便利屋にこれを渡したのは誰だ。
拾った破片を裏返した。ホシノに分かることは、何も書かれていなかった。
「ホシノ先輩」
顔を上げると、シロコが立っていた。膝には包帯が巻かれている。
「……顔、怖い」
「えー。そんなことないでしょ。ちょっと、疲れちゃっただけだよ」
にへら、と笑ってみせたが、シロコはしばらくこちらを見ていた。
「それ、気になるの?」
視線が、手元の破片へ落ちる。
「ちょっとね。見たことがある気がして」
「……今朝の?」
ホシノはすぐには答えなかった。シロコが校舎を振り返る。誰かに電話をしているのか、アヤネが端末を耳へ当てていた。
「ん、先生に聞いてみる?」
「そうだね。まずは、聞いてみないと」
破片を持ったまま、二人で戻った。セリカが散らばった荷物を箱へ戻そうとして、ノノミに止められていた。
「傷が開いちゃいますよ。今は休んでいてください」
「でも、片付けないと……」
「後でみんなでやればいいよー」
ホシノが声を掛けると、セリカは渋々と箱から手を離した。その横でアヤネが端末を下ろす。
「……先生、まだ出られないみたいです」
「メッセージは?」
「送りました。襲撃があったことも、みなさんが無事なことも」
「そっか」
ホシノは手の中の破片を見下ろした。
「……もう一回だけ、掛けてみてくれる?」
アヤネが頷き、端末を操作する。呼び出し音が鳴り始めた。誰も口を開かなかった。
朝は気にも留めなかったその音を、ホシノは最後まで聞いていた。
先生は出なかった。