キヴォトスでも有数の高さを誇る、超高層ビルのエントランスホール。
吹き抜けの天井は高く、入口から受付までは妙に遠い。自分が小さくなったような気分になる。
そこでは機械の身体を持つ者や、二本足で歩く動物たちが行き交っていた。誰もが端末や書類を手に、忙しそうにしている。
シャーレの白い制服に眼鏡という姿で、トニーはその中を歩いていた。社員の見た目こそ違うが、どこか懐かしい光景だった。
「むにゃ……あれ、先生。もう着いたんですか?」
手元の画面で、アロナが眠そうに目をこすった。
「ああ、お昼寝機能は正常に動いているようだな」
セリカを救出してから、そのままここへ向かっていた。移動中も商談に持ち込む機体の調整に追われ、結局、一睡もしていない。
受付まで進むと、トニーは首から下げたシャーレの身分証を示した。
「おはよう。連邦捜査部シャーレのトニー・スタークだ。商談の約束がある」
「おはようございます、スターク様。カイザーコーポレーションへようこそ。お話は伺っております。担当の者を呼びますので、少々お待ちください」
受付係が内線で連絡を入れると、ほどなく一人の社員がやってきた。
「お待たせいたしました。四十二階、第十三会議室へご案内します。お荷物をお持ちしましょうか」
「助かる。少し重いぞ」
大きなケースを預けると、社員は難なく持ち上げた。
トニーはシッテムの箱を持ち直し、その後についてエレベーターへ向かった。
*
会議室には、数人の人型ロボットが座っていた。中央の一人が立ち上がり、こちらへ歩いてくる。
「お待ちしておりました、スタークさん」
「遅れて悪かった。予定外の仕事が入ってね」
「いえ、お気になさらず。先生としてのお仕事で、ご多忙なのは存じております。私はカイザーコンストラクションの代表を務めております。お会いできて光栄です」
差し出された右手を握る。少なくとも、遅刻で商談を損ねる心配はなさそうだった。
「先日譲ってもらった廃材は、役に立ったよ。聞いていたより状態もよかった」
「それは何よりです。処分するにも費用が掛かる物でしたから、こちらとしても助かりました」
トニーは勧められた席へ座り、シッテムの箱を机の端に置いた。運ばれてきたケースが、椅子の脇へ置かれる。
「忙しそうだな。下もずいぶん人が出入りしていた」
「おかげさまで。復旧工事の依頼が相次いでおりまして、人員も設備も増やしているところです。それでも、対応が追いつかないほどでして」
カイザーコンストラクション。再開発や復興事業で大きな実績を持つ、カイザーグループの一社だ。
事前に調べたところ、連邦生徒会長の失踪後、受注を大きく伸ばしていた。混乱によって増えた仕事を引き受け、グループ内でも存在感を強めているらしい。
「さて、資料は先に送っておいたが、改めて説明しよう」
トニーは眼鏡のフレームへ軽く触れた。
「イーディス、起きてるか?」
『いつでも起きています』
「プレゼン用の資料を映してくれ」
目の前にホログラムが浮かび上がり、キヴォトスの地図が表示された。各地に赤い印が散らばっている。
「道路の損傷、建物の破壊、物資の不足。赤い印は、その対応を求めている地域だ。ほとんどが、連邦生徒会長の失踪後に被害を受けている」
トニーは地図を拡大した。
「例えば、この地域。着工はしているようだが、復旧がほとんど進んでいない」
「資材の搬入に時間が掛かっています。直接向かう道路が使えませんので」
「直すための資材を、直っていない道路で運ぼうとしているわけだ」
トニーは席を立ち、ケースの留め具を外した。
「まず、そこを変えたい」
赤と金色の機体を取り出し、机の上へ置く。幹部たちの視線が集まった。
「空輸用のドローンだ。すでに学校への物資支援に使っている。実際の運用結果も、資料に入れておいた」
「拝見しました。ですが、この積載量と航続距離は……」
代表が手元の資料へ目を落とす。
「現在の上位モデルに近い性能です。それに対して、製造費用が低すぎるように思えるのですが」
「その機体には、君たちから譲ってもらった戦車の残骸を使っている」
「……あの廃材を、ですか?」
「使える材料を選び、必要な形に加工した。全部を新品で揃える必要はない」
「どのような設備で製造されたのです?」
「手元にある物を使った。工房は狭いが、今のところ苦情は生徒一人分で済んでいる」
「シャーレには、それほどの開発設備があるのですか? そちらの眼鏡も、ご自身で?」
「ええ。もっとも、設備だけで作れるなら、僕が遅刻をすることはなかった」
代表が次の問いを口にする前に、トニーは資料を切り替えた。
「こちらは機体の設計と、製造への技術協力を提供する。そちらには工場と人員、それから実際の復興事業を担当してもらいたい」
「設計の使用料については、資料の記載どおりで?」
「ああ。製造台数に応じて支払ってもらう。僕が使う工場の利用料は、そこから相殺してくれ。差額はシャーレの活動資金に回す」
トニーは資料の一項目を指した。
「復興事業の収益まで分配しろとは言わない。ただし、製造した機体はすべて運用管理システム、イーディスに登録する。運用の監督は僕が続ける」
代表が書類を一枚めくった。
「復興を優先する地域は、シャーレからご指定いただくと」
「依頼の緊急性を見て相談する。工事の専門家は君たちだ。現場を見ずに順番だけ押しつけるつもりはない」
自分一人で街を直して回れるわけではない。キヴォトス中の学校が抱える問題を、すべて引き受けることもできなかった。
シャーレには権限がある。だが、道路を修理する作業員も、資材を運ぶ車両も揃っていない。権限を振りかざし、その不足を生徒たちに埋めさせるつもりもなかった。
だからこそ、設備と人手を持つ企業に、仕事の一部を任せることに決めたのだった。
「……条件については、前向きに進められると思います」
代表が、同席する幹部たちと頷き合った。
「工場の候補もございます。設備の使用範囲と、製造費用の分担について詰められれば――」
その時、会議室の扉が開き、人型のロボットが入室してきた。
「失礼。興味深いお話をされていると伺ったもので。カイザーPMCの理事です。スターク先生。お会いできて光栄です」
トニーは座ったまま理事を見上げた。
「今は、カイザーコンストラクションと話をしているんだが」
「承知しております。資料も読ませていただきました。廃材を利用し、これほど優れた機体を作られるとは。先生の技術力には驚かされました」
理事の視線が、ドローンへ移る。
「積載能力、航続距離、そして少人数での統括運用。弊社の活動にも、大いに役立つはずです」
「軍事目的の使用は禁止だ。資料を読んだなら、分かっているはずだが」
「ええ。その点について、ご相談を」
理事は書類の束を差し出した。
「物資の輸送には、安全な経路の確保が不可欠です。弊社が運用すれば、輸送と警備を一体で進められる。先生の望まれる復興にも、貢献できるでしょう」
「この機体に武器を載せたい、と聞こえるな」
「用途を限定しすぎるのは、惜しいということです」
トニーは書類を受け取った。
「イーディス。送付済みの契約案と比較してくれ」
『確認します……利用目的、第三者への供与、および管理権限に関する条項に変更があります』
理事が、トニーの眼鏡を見て口を開いた。
「ふむ。先生、その眼鏡は――」
「技術資料を社外へ渡していいとは、言っていないはずだ」
トニーは言葉を遮り、コンストラクションの代表へ顔を向けた。
「同じグループ内で、事業上の連携を検討するために共有したものです。正式なご提案の前段階として――」
「その提案が、用途制限と停止権限の削除か」
書類を閉じ、乱暴に机へ置く。
「条件は最初に伝えた。復興と輸送のために使う。それを前提に、設計を開示したんだ」
「先生。武器は使い方次第です」
理事が口を開いた。
「十分な戦力があれば、無用な争いを防ぐこともできる。結果として、被害を減らせるとはお考えになりませんか?」
聞き覚えのある理屈だった。かつてなら、自分が同じ席で口にしていただろう。
「考えたことはある。戦力を用意していた時期もある。そして、それを悪用されたこともある」
トニーは眼鏡のフレームを指先で叩いた。
「だから、僕が監視できるようにした。いつでも、どこでも、だ」
一息つき、眼鏡を外す。折り畳んでケースへ収めるまで、理事の視線が追っていた。
*
会議室の扉が閉まった。
机の上には、署名を終えた契約書が残されている。
軍事目的への使用は禁止。製造した機体の登録と運用状況の確認。違反があった場合の停止権限は、トニー・スタークが保持する。
結局、条件はほとんど変わらなかった。
「ずいぶんと、物分かりがいいんだな」
PMC理事が口を開いた。
コンストラクションの代表は、契約書を揃えながら答えた。
「悪い条件ではありません。我が社の利益が伸びるのは確実です。工場の一部を貸し、復興事業を進めるだけでいいのですよ?」
「その事業を、外部の男が止められる」
「契約を守っていれば、止められることはありません」
「今まで、利益のためなら散々破ってきただろう? 連邦生徒会長がいなくなってから随分と余裕ができたようだな、カイザーコンストラクション」
代表は理事を見据えた。
「御社の要求で、まとまりかけた話が危うく壊れるところでした。なぜ、あんな要求をしたのですか?」
理事は空いた椅子へ腰を下ろした。先ほどまでトニーが座っていた席だった。
「……トニー・スタークという男を、便利な技術者だと考えているなら、改めた方がいい」
「どういう意味です?」
「あの男は商談の間に、こちらの工場をどう使い、どの地域から仕事を進めるかまで話を決めていった。君たちは、それを喜んで聞いていたな」
「提案に合理性があったからです」
「そうだ。利益も出る。だから受け入れる。次も、その次も」
理事は、机の上の契約書へ指を置いた。
「そして気づいたときには、あの男なしでは、事業が成り立たなくなっている」
「随分と先のことまで心配されるのですね」
「発明品を売って終わる男ではない。設備を使い、人を動かし、決定権を握る。しかも、それを善意の顔でやってのける」
代表は黙っていた。
「今は復興の順番を相談するだけで済んでいる。いずれ、それだけでは済まなくなるぞ。これは、グループ全体に関わる問題だ」
「懸念は分かりました。しかし、私たちは先生との契約を優先します」
代表は理事から目をそらさなかった。
「あの眼鏡で、運用を監視すると言っていましたね。こちらが勝手なことをすれば見逃さない。強引なやり方をする、あなたへの警告でもあったのでしょう」
理事は背もたれへ身体を預けた。
「そう。あの眼鏡だ」
その視線が、トニーの出ていった扉へ向く。
「設計図は、すでにこちらにある。ならば、あの眼鏡さえ何とかすればいいのだろう?」
*
会議室を出たトニーは、エレベーターの前で足を止めた。大きなケースは、試作機とともに先方へ預けてきた。
事前に調べていたとおり、カイザーグループは仕事を任せるには不安の残る相手だった。イーディスの管理権限はこちらにある。だが、それだけで安心するつもりはない。
あの少年のように、イーディスを託せる相手がここにもいればよかったのだが――。
そこまで考えたところで、エレベーターの扉が開いた。乗り込もうとして、中にいた人物と目が合う。
黒いスーツ。その上にある顔も、黒かった。
亀裂のような筋が走る顔を、トニーは見つめた。機械なのか、生き物なのか、判断がつかない。
「どうぞ」
男が一歩、奥へ退いた。
「ああ、どうも」
トニーはシッテムの箱を持ち直して乗り込み、一階のボタンを押した。
「スターク先生ですね」
扉が閉まるのと同時に、声をかけられた。
「受付では名乗ったが、声が大きかったか?」
「お噂を伺っております。ぜひ一度、お話ししたいと思っていました」
男が右手を差し出す。
「黒服と申します。以後、お見知りおきを」
「覚えやすい名前だ」
シッテムの箱を左腕に抱え、手を握った。冷たい。
「キヴォトスでの生活には、慣れましたか?」
「それなりにはね」
トニーは握手を解こうとしたが、相手の指は緩まなかった。
「初対面の相手に手を放してもらえないのは、まだ慣れないが」
「失礼。少々、気になることがありまして」
黒服が、握った手へ目を落とす。
触れられているのは手のひらだけだった。それなのに、腕の内側を通して、身体の奥まで覗き込まれているような感覚がした。
トニーは右腕を引いた。
動かない。
「……これは。クックック……」
低い笑い声が漏れた。
黒服の視線が右手から腕へ、それから顔へと移る。身を乗り出してくる黒服に、トニーは右足を半歩引いた。
「先生。あなたは――」
その時、エレベーターの到着を知らせる音が鳴った。
扉が左右へ開き、エントランスの話し声が流れ込んでくる。
「僕が大声を出す前に、手を放した方がいい」
トニーが告げると、黒服はようやく手を放した。
「ええ。お引き止めしてしまいましたね」
トニーは右手を一度握り、開いた。そのまま相手から目を離さず、扉の外へ出る。
「また、お話しする機会もあるでしょう。そのときは、腰を据えてお話ししたいものです」
「ああ。そんな日が来ないことを願っているよ」