シャーレの執務室では、机の上に書類の山ができていた。
トニーはその一角から、返送されてきた封筒を引き抜き、確認した。
「レッドウィンターへの書類が突き返されているな……どこか間違えたか?」
送る前に、アロナと二人で確認したはずだった。封を開けて読み直しても、不備は見当たらない。
「ええっと……申請内容も、添付資料も揃っています。日付も間違っていませんし……」
画面の中で、アロナが首を傾げた。
「イーディス、レッドウィンターについて調べてくれ」
『検索しています……数日前にクーデターが発生し、学校の代表者が交代しています。現在の代表は、池倉マリナです』
トニーは書類へ目を落とした。代表者欄には、連河チェリノ。その隣に、幼い子供が一生懸命に書いたような署名がある。
突き返された理由は分かった。だが、それより気になることがあった。
「何でクーデターが起きたんだ?」
『詳細は不明です。なお、直近一か月では三回のクーデターが確認されています。ほかにも、デモ活動やストライキが日常的に――』
「ああ、もういい。十分だ」
トニーは書類を脇へ置いた。
「少し待とう。元に戻る方が早いかもしれない」
椅子の背へ深くもたれかかり、目頭を押さえる。
カイザーとの商談から、幾日かが経っていた。今のところ、確認できた運用に契約違反はない。
先生としての仕事も、多少は様になってきた。だからこそ、引き受けた仕事の途方もなさが分かってきていた。
「安請け合いするべきじゃなかったな……」
教員免許こそ持っていないが、大学では相応の勉強をしてきた。高校生に数学や物理を教えるくらいなら、何とかなると思っていた。
その程度で済まないことは、生徒が当然のように銃を持ち歩いていると知った時点で察していた。それでも、実際に届く依頼は予想を上回っていた。
テロ行為が横行するゲヘナ学園。派閥争いが絶えないトリニティ総合学園。クーデターが頻発するレッドウィンター連邦学園。
そして――。
「イーディス、例のアビドスの資料を出してくれ」
ホログラムが浮かび上がり、融資に関する資料が並んだ。
「……生徒五人で、九億円を超える借金か」
商談の後も、カイザーについては調べ続けていた。その中で、アビドス高等学校がカイザーローンから融資を受けていると分かった。
まだ、彼女たちには切り出していない。
以前の通話では、学校の事情を話すかどうか、仲間内で相談しようとしていた。そこへ、こちらで調べた借金の話を持ち出せば、せっかく築きかけた関係を損ねるかもしれない。
もっとも、ほかの仕事に追われ、落ち着いて話す時間を取れていないのも事実だった。
シャーレの先生というのは、思っていた以上に忙しい。
授業の相談から弾薬の支援要求まで、机へ届く依頼に境目がない。連邦生徒会でも手の回らない案件が加わると、学校の先生をしているのか、都市の運営を任されているのか、分からなくなる。
すべてを一人で引き受けていては、身体がもたない。
元の世界へ帰る方法を探す時間も、確保しなければならなかった。
そして、仕事ではないがカイザーを調べる中で、一つ気になっていたことがある。
「イーディス、次は、カイザーと連邦生徒会の防衛室長との取引の内容を――」
扉の開く音がした。
トニーは素早く眼鏡を外し、ホログラムを消した。
「先生、荷物運びは終わりましたよ」
入ってきたのはユウカだった。不満を口にしながらも、よく当番に来てくれる生徒の一人だ。
「ご苦労様。少し休憩してくれ」
「そうさせてもらいます」
ユウカはカップを取り、コーヒーを注いだ。
「そういえば、地下にあったロボットみたいなのは何ですか?」
「あれが、前に話した防弾チョッキだ。九割方、完成している」
トニーは端末へ向き直り、キーボードを打ちながら答えた。
「あれがですか? チョッキというより、全身鎧じゃないですか」
「守る場所を増やしていったら、ああなった」
「……先生が撃たれても困りますけど。外に出るときは、ずっとあれを着るつもりですか?」
「必要なときだけだ。あれを着て書類仕事はしたくない」
「それはそうでしょうけど……あの色、かなり目立ちますよ? 機械の身体の方が歩いていても気になりませんが、あの赤と金はちょっと」
「なら、迷子になっても見つけやすいな」
ユウカは何か言いかけたが、ため息をついてカップを置いた。
「……色については、もういいです。それより、前に話していた設備の件なんですが」
トニーがキーボードを打つ手を止めた。
「ミレニアムで借りられそうですよ。先日いただいた設計図も、確認してもらいました」
「それはよかった。なら、十割完成したと言っても過言ではないな」
製作したい物の設計図は、先に送っておいた。どうやら、引き受けてもらえたらしい。
「本当は、設備を貸してくれる部の子も連れてくる予定だったんですけど、用事があるそうで。放課後に時間が取れたら来ると言っていました。先生のご予定は?」
「ああ、夕方なら空いている。この後、外回りの仕事があるが、それまでには戻れるはずだ」
カイザー側から、工場の視察を提案されていた。
向かう先は、アビドス砂漠にある工場だ。製造設備を確かめるついでに、気になっていた点も直接聞いておきたい。
「分かりました。伝えておきますね」
「僕もそろそろ、ヘリを手配しておくか」
トニーは端末を操作し、モモカへ連絡を入れた。
数度の呼び出し音の後、見慣れた顔が映る。
「やあ、モモカ。いつものヘリを頼みたい」
この数日ほどで、何度か繰り返したやり取りだった。だが、今日は行き先を聞かれなかった。
『あ、先生。ちょうどよかった。リンちゃんから伝言があるよ』
「伝言?」
『連邦生徒会のヘリを、タクシー代わりに使わないでください、だって。今度から、ちゃんと事前に申請してね』
元の世界では、予定に合わせて移動手段が用意されていた。自分で手配する必要もなかった。
こちらでは、そうもいかない。とはいえ、公共交通機関を乗り継ぐ時間があるなら、その分だけ仕事を進めたい。
そんな調子で、出かけるたびにモモカへヘリの手配を頼むようになっていた。生徒の中で一番話しているのがモモカかもしれない。
モモカは菓子の袋に手を伸ばしながら、言葉を続けた。
『まあ、今回はイエローカードってところかな』
「なら、もう一回までは退場にならないな」
『え、本気で言ってる? 私まで怒られそうだから、やめてほしいんだけど』
「僕も、さすがに二度目の商談まで遅刻したくは――」
そこで、視線に気づいた。
ユウカがカップを置き、こちらへ笑顔を向けていた。リンにも、こんな表情をされた覚えがある。
「先生? 生徒の模範になるべき方が、申請を飛ばしていいんですか? それに、遅刻って聞こえたんですけど」
「もちろん、申請手続きの確認をしていたところだ。車なら、今日中に借りられるか?」
*
「先生は車で出発しました。自分で運転しています。同行者は見当たりません」
男は建物の陰から、シャーレの入口を見ていた。
『工場の視察か。予定どおりだな』
端末から、上司の声が聞こえる。
「こちらも追跡に移りますか?」
『必要ない。道中の確認は、別の者に任せてある。お前は引き続き、シャーレを監視しろ』
「本人がいなくなっても、ですか?」
『あの男が、必要なものをすべて持ち歩いているとは限らん。地下には製造設備もある。誰が出入りし、何が運び出されるか、見ておけ』
「了解しました」
通話が切れた。
まだしばらく、ここを離れられそうにない。男が端末をしまった、そのときだった。
とん、と肩を叩かれた。
「もし」
男は息をのんだ。
振り向くと、すぐ目の前に狐の面があった。
「先ほどから、ずいぶん熱心にご覧になっていますね」
黒い和装の少女が、首を傾げていた。片手には銃を提げている。
近づいてくる足音は、聞こえなかった。
男は反射的に一歩下がった。
「何のことだ」
「あちらの建物です。先生がお出かけになるところを、撮影なさっていたでしょう?」
「……見ていたのか」
「ええ。今朝はいつもより早くいらっしゃいましたから。私も、少し慌ててしまいました」
少女は恥ずかしそうに頬へ手を添えた。
「それに、今日はお車でしたのね。いつもはヘリコプターですのに」
男は押し黙った。
別の監視役か。だが、応援が来るとは聞いていない。どこかの学園が、同じように先生の動向を探っているのだろうか。
相手の所属を確かめようとしたところで、少女が一歩近づいてきた。
「あなた、昨日もこちらにいらっしゃいましたよね?」
「人違いだ」
「いいえ。昨日は向こうの角に。その前は、通りの反対側にいらっしゃいました」
男は思わず、言われた場所へ目を向けた。
「……毎日、見ていたのか?」
「先生のお姿を一目でも拝見できればと思って、お待ちしていただけです」
何を不思議がっているのか、とでも言うような口調だった。
男の指先が冷たくなった。自分はこの少女の存在にすら気づいていなかったのに、向こうは数日前から、こちらの居場所を把握している。
「ですが、あなたは先生にご挨拶もなさらず、隠れてお写真を撮ってばかり。まさか、つきまとっていらっしゃるのではありませんよね?」
口を開きかけたところで、少女の手元が目に入った。銃を握る指が、ゆっくりと動いている。
言い返しかけた言葉をのみ込んだ。
「仕事だ。俺は仕事で――」
「お仕事でしたら、受付を通せばよろしいでしょう?」
「お前は通したのか?」
「私は、先生のお仕事のお邪魔をしないようにしているんです」
少女は胸を張った。
「昨日も、夜遅くまで地下で作業をなさっていましたから。お疲れのところへ押しかけるなんて、できませんもの」
地下のことまで知っている。
男が上司から確認を命じられたばかりの場所を、この少女は当然のように口にした。
男はゆっくりと後ずさった。
背中が壁にぶつかる。
「さて」
少女が狐の面へ手を掛けた。
現れた顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。その視線が、男の上着のポケットへ落ちる。
「先生のお写真を、どなたへ送っていらしたのですか?」
端末を押さえようとした手が止まった。銃口が、こちらを向いていた。
「先生につきまとう不審な方を、放っておくわけにはまいりません。どうぞ、ご協力くださいませ」
*
砂漠の荒れた道を、一台の車が走っていた。
トニーはハンドルを握り、久々のドライブを楽しんでいた。これが自分で選んだ高級車なら、もっとよかったのだが。
カイザーとの取引が軌道に乗り、余裕ができたら、この世界の車を見て回るのも悪くない。
「アロナ、起きてるか?」
「起きてますよ」
「ああ。静かだから、寝てるのかと思った」
いつもなら、窓の外に何か見つけるたびに声を掛けてきそうなものだが、今日は妙に静かだった。
「元気がないな。どうした? ほら、あそこにサボテンがあるぞ」
「……おしゃべりしたいなら、イーディスさんとすればいいじゃないですか」
助手席に固定したシッテムの箱から、拗ねた声が返ってきた。
どうやら、イーディスに嫉妬しているらしい。
確かに、このところは仕事をイーディスへ振ることが多かった。今朝もアロナと話したのは、書類の確認くらいだった気がする。
「ああ……イーディスはビジネスパートナーとしては優秀だが、雑談には向いていなくてね」
ウルトロン計画の失敗以来、人工知能に人格や感情をどこまで持たせるかは、慎重に考えるようになった。イーディスに話を振っても機械的に返されるだけだ。
「いいんですよ、別に。タブレットより、眼鏡の方が持ち運びやすいですし」
どうも、イチゴミルクを約束するだけでは済みそうにない。
「君にしかできないこともあるだろう。例えば――」
お昼寝、と言いかけてやめた。
トニーは前を向いたまま、一つ息を吐いた。
「正直に言おう。イーディスを作ったのは、君の負担を減らすためでもある」
「え?」
「シャーレの仕事は、僕と君だけで片づけるには多すぎる。そこへ僕の作った物の管理まで任せたら、君が何人いても足りないだろう?」
当初は、ドローンの運用と監視もアロナへ任せるつもりだった。
シッテムの箱に外部から干渉する難しさを考えれば、管理を置く場所としては申し分ない。専用の設備を新たに用意する必要もなかった。
一方、イーディスを動かすために地下へ設置したサーバーは、昼夜を問わず膨大な電力を消費している。次の電気料金を見たユウカの顔は、できれば見たくなかった。
それでも、仕事を分ける必要はあった。アロナが眠っている間にも、ドローンは飛ぶのだから。
「それに、最初に会ったとき、約束しただろう。連邦生徒会長と、外の世界について調べてくれると」
「……はい」
「僕には大事な仕事だ。そちらを、君に頼みたい」
「先生……」
アロナの声が、少し柔らかくなった。
トニーは道の先へ目をやり、緩やかなカーブに合わせてハンドルを切った。
「とはいえ、今はドライブ中だ。仕事の話はあまりしたくないな。そういえば、カステラには何が合うんだったかな」
「……覚えてないんですか?」
「専門家の意見を、もう一度聞いておこうと思ってね」
「ふふ。もう、しょうがないですね」
隣から、ようやくいつもの明るい声がした。
「そんなにおしゃべりしたいなら、アロナちゃんが相手になってあげます!」
「それは助かる。イーディスに聞いたら、栄養成分の比較から始まりそうだ」
「カステラは、そういうものじゃありませんからね。まず――」
前方で、砂が噴き上がった。
トニーは反射的にハンドルを切った。遅れて爆発の衝撃が車体を大きく跳ねさせた。
「先生!?」
別の光景が、一瞬だけ目の前に重なった。
砂漠。車列。突然の爆発。ひび割れた窓。叫び声。自分を車内に残して、外へ飛び出していった兵士。
いや、そんなことを思い出している場合ではない。トニーは歯を食いしばり、ハンドルを握り直した。
「先生、シッテムの箱を持ってください!」
隣から声がした。
「早く!」
トニーは片手を伸ばし、固定具からシッテムの箱を引き抜いた。
ほとんど同時に、窓ガラスが砕けた。
乾いた音が立て続けに響く。座席が裂け、計器盤から火花が散った。
肩をすくめ、端末を胸へ抱え込む。
銃弾は身体に当たったはずだった。
だが、痛みはやってこない。
「そのまま、離さないでください!」
アロナの声から、先ほどまでの弾んだ調子は消えていた。
トニーは身を低くしながら、車を道路へ戻そうとした。ハンドルが激しく振れ、踏み込んだアクセルに車体が応じない。
「イーディス、救難信号を――」
車の後方で、もう一度爆発した。
車体が傾き、身体が座席から浮いた。直後、横倒しになった車が地面へ叩きつけられる。
頭に衝撃が走り、視界が暗転した。
アロナの自分を呼ぶ声が遠ざかっていく。
トニーはシッテムの箱を抱えたまま、意識を失った。