混沌の王は何処か見覚えのある異世界で迷子をしながら無双する~TSもあるよ~ 作:鬼豆腐
世界は二つの文明によって支えられている
大地に満ちるマナを力とし精霊やドラゴン天空を巡る魔導城が息づく魔の世界
テクノロジーが発達し科学や兵器が発展、摩天楼が夜空を貫く科学の世界
本来交わるはずのなかった魔法と科学は一つの世界「アルカディア」として繁栄を極めた
その交差には幾多の物語、冒険が生まれ世界に生きる冒険者は伝説へと挑む…
そんな大規模MMOゲームアルカディアのトッププレイヤーの一人ケイオスは広場での戦闘イベントを終えいつも通りログを流し見ながら次の狩場へと歩を進めていた。
全身を幾重もの重厚な鎧で覆い一歩踏み出すたびに鈍い金属音が静かに響く。
その兜の奥から覗く素顔は人間とは異なるものだった。
二本の曲がりくねった角、蛙を思わせる大きな口元、猫のように丸く大きく鋭い瞳孔、大きな頭部と大きな目は何処か愛嬌もある、しかし口を開けば横まで割け鋭い牙が並ぶ、様々な生物を詰め込み混ぜ込んだ歪な存在。
「キメラ」と呼ばれる合成種
異なる生物の特徴をその身に宿す種族の一人だった
何百時間いや何千時間と潜り続けたこの世界。
マップの隅々、隠しダンジョンの奥、期間限定のイベント、バグ地形に至るまでケイオスが踏破していない場所などほとんど存在しない。
「次どこ行くか」
独りごちながら転移門を潜ろうとしたその瞬間だった。
視界が唐突に歪んだ。
いつもの読み込み画面とは違うノイズがかったような、光と闇が渦を巻く奇妙な空間。
エラーかそれとも新しい演出イベントかそう考える暇もなく、体が重力を失ったように浮き渦の中心へと引きずり込まれていく。
「っ……なんだ、これ……!」
叫び声すら渦の音にかき消され視界が真っ白に染まり、そして
静寂
気づけばケイオスは草原の只中に立っていた。
風が吹いている草の匂いがする。
それだけでまず違和感があった幾らよく出来ていても匂いなどあるはずがないのだ、ゲームなのだから。
しかしそれを感じ次に温度、触覚、目の前を吹き抜けていく風、全てを感じる。
「……は?」
思わず声が漏れた。
見渡す限りの草原
地平線まで続く緑
空には雲が流れ太陽の光が降り注いでいる
UIを出そうとしたがマップがわからない
違う、そもそもマップを開こうとして
指先、人間の手ではない大きく分厚い皮膚と装備に覆われたそれがやけに馴染むように感じる、
反応がないUIそのものが存在しない
HPゲージもMPゲージもスキルアイコンも何も表示されない
「おいおい」
ゲームをやり込んで数年全てを制覇したとは言わないが、それでもほとんどマップを見てきたし大体のイベントに参加してきた、アルカディアの事のほとんどをケイオスは把握していたはずだった。
だからアルカディアならそもそもここが何処かも見た瞬間にわかるはずだった。
何もわからない
こんな草原は見たことがない
魔の世界の神秘的なフィールドとも違う
科学の世界の人工的に管理された緑地とも違う
何より先ほどから感じる生々しい質感、現実としてしか思えないソレは今までと根本的に異なっていた
「…っ!?」
そして鼻先を掠める匂いがある。土の匂い、草いきれ、遠くから漂う花のような香り
最新MMO体感型ゲームそれでもそんな事はあり得ない匂いがあるはずはない
しかし今ケイオスの鼻先にあるのは幾重にも入り混じった生きた匂いだ
「……おいおい、待てよ」
いつも通りの鎧を身に纏いいつも通りの体でここに立っているはずなのに感覚だけがまるで別物だったゲームであるということを裏付けるはずの装備が逆にこの状況の異常さを際立たせている
「……どういうことだよ、これ」
答えの出ない問いを誰に向けるでもなく呟く。
草原には他に誰もいない応答するNPCもいなければ、他のプレイヤーの気配もない。
ただ、風の音と遠くの草木が揺れる音だけがある。
ケイオスはしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
考えても答えは出なかった
どう検討しても全てが想定すら不可能な圧倒的な現実感
目の前の草原はただ静かに広がり続けているだけで
何の手がかりも与えてはくれない
やがてケイオスは特に行き先を決めたわけでもなくただ足を前に出した。
深く考えることを一旦やめた、いや、やめたというより考えることに耐えられなくなった、というほうが近かったかもしれない。
一歩また一歩、目的地のない足取りだった地平線の彼方に何があるのかもわからないまま、ただ体を動かしていることでしかこの状況から意識を逸らす術がなかった。
草を踏む感触がやけに鮮明に足の裏へ伝わってくる。
その足は巨大で鋼のような皮膚と重厚なブーツに覆われている。
ケイオスは何も考えないようにしながらただ草原の中を歩き続けた。
※
どれくらい歩いただろうか。
考えることをやめたまま進んでいたケイオスの足が、ふと止まった。
視界の先、草むらの一角が小さく盛り上がり、ぼこり、ぼこりと小刻みに震えている。
土の塊がまるで意思を持っているかのように蠢き、やがて丸っこい石の姿が地面から顔を出した。
「……ペブルモールか」
思わず声が漏れた。
土中の小石が意思を持って動き出したような鈍重な鉱物モンスター。
動きは緩慢で攻撃パターンも単調そのもの、序盤も序盤、初心者が最初に叩いてレベルを上げるような下級中の下級モンスターだった。
頭上でパサパサと羽音がする、見上げると小型の鳥型モンスターが二羽草原の上空を旋回している。
素早く飛び回る割に体力は紙のように薄く回避行動を覚えたての初心者がよく相手にする、あれもまた見慣れた顔だった。
「……フェザーピックまでいるのか」
見たこともない草原、消えたUI、生々しすぎる感触
わけのわからないことだらけの中で、目の前にいるのは何百回何千回と見かけた雑魚モンスターたちだった、それだけで強張っていた肩から少しだけ力が抜けていく。
ペブルモールはのそのそと地面を這い、フェザーピックは相変わらず低空を旋回している、ケイオスの知っているアルカディアの序盤フィールドそのものだった。
「ここはアルカディアなのか?」
少なくとも何もかもが未知数の草原の中で初めて知っていると言えるものに出会えた。
冷静さがわずかにだが戻ってきていた。
ケイオスは握りペブルモールへ向かって足を踏み出した瞬間だった。
ペブルモールがびくりと体を震わせた次の瞬間すごい速さで地面に潜り逃げ去っていく。
頭上のフェザーピックたちもけたたましく羽ばたきながら一斉に飛び去り、あっという間に空の彼方へと消えていった。
「……………」
ケイオスは呆気にとられていた。
いつものアルカディアなら逃げ出すことなどまあり得ない挙動だ、最下級モンスターの行動は何も反応しないかあるいは真っすぐ襲ってくるかのどちらかだ。
「いや、そうか」
自分の巨体、纏っている鎧、こんな化け物を前にした生物としての本能的な反応だとすれば、話は違ってくる逃げるのはむしろ当然の反応だった。
「…は、はは、リアルになったもんだなアルカディア」
そう自嘲気味に呟く、またここが自分が居た世界と違う事を突き付けられた巨体からは乾いた笑いがこぼれていた。
途方にくれてはいるがアルカディアのモンスターを見て少しだけ落ち着いたケイオス。
「アルカディアのモンスターが居るなら…ゲームのシステムも残ってるのか?」
UIは使えないが使えなくなったとは限らないはずだと考え付く。
何千、何万と使い馴染んできた事を試す。
「…………これは」
ケイオスは右手を軽く掲げた。
システムメニューは開けない、ステータス画面もスキル一覧も表示されない。
それでもスキルを発動する事を今考えてみた。
途端、喋ったり歩いたりすると同じくらいに、それがどうすればいいのかを自然と理解していた
「下級キメラ召喚、鳥《Summon Lesser Chimera: Feather》》」
低く唱えると、掲げた手のひらの前に淡い光が集まった
光は歪に渦を巻き、黒く澱み、やがて小さな塊へと収束していく
次の瞬間そこには小型のキメラが姿を現していた。
動物の断片を継ぎ接ぎしたようないびつな体つき、鳥の形ではあるが鳥ではない無い、だが間違いなく、いつも通りのキメラだった。
「出た、な」
安堵と困惑が入り混じった声が漏れる。
召喚は成功した。少なくともスキルという機能自体は、この世界でも生きているらしい。
だがゲームとは違う圧倒的な存在感が目の前のキメラにはあった。
「お前この辺り見て来れるか?何か変わったものがないか探ってこい」
こんな指示は本来出せない「見て来い」だの「変わったものを探れ」だのという抽象的な指示はシステムが受け付けるコマンドの範疇を大きく超えている。
敵を攻撃させるか、その場に留まらせるか、連れて歩くか、それくらいしかできない。
だが小型キメラはくるりと体を巡らせると、迷う素振りも見せずに草原の奥へと駆け出していった。
まるで命令の意味を正しく理解したかのように。
「召喚したモンスターへの命令が…全然できない方が不自然だしな…はは」
ゲームで見てきた事でありながら何処までもリアルな形に昇華している事実。
ケイオスはもはや驚く事も止めそれを受け入れていた。
※
そのまましばらく待っていると草を掻き分ける小さな音が近づいてきた。
先ほど偵察に出した小型キメラが戻って来た。
いびつな体をひょこひょこと揺らしながら戻ってきたそのキメラは、ケイオスの前まで来るとくるりと体の向きを変え、そして動き出す。
「…案内してくれるってことか?」
キメラは答えない。ただ、示した方向から一歩、また一歩と歩き出しては、ケイオスの反応を確かめるように振り返る。
その仕草だけで十分すぎるほど意図は伝わってくる。
「嬉しいな、こいつですらこれだけ仕事やってくれる訳か」
ゲームではありえない複雑な指示をこなすその姿にまた乾いた笑いを零しながらキメラに付いて行くのだった。
※
草原は緩やかに起伏を描き進むにつれて草丈も高くなっていく。
風の音に混じって遠くから何か別の音が届き始めたのはしばらく歩いた頃だった。
金属のぶつかる音地面を叩く重い音。
そして人のものらしき声でケイオスの足が、自然と止まった。
ケイオスはそれ以上進む前に、周囲の草むらへと体を沈めた。
丘の向こう側少し開けた窪地のような場所に、複数の人影があった。
距離があるためはっきりとは見えないが穏やかな光景でないことだけは疑いようもなかった。
「…戦闘か」
何が原因で争いになっているのかどちらが正しいか、そんなことはケイオスには関係のないことだ、肩入れする理由など何一つない。
だが同時に数少ない手掛かりでもある。
目の前で起きていることから何かを掴んだ方がいいかもしれない。
窪地の争いは一方的だった、捕らわれている側が嬲られている、文字通り手も足も出ないと言った所だ。
その有様を見てケイオスが少し顔をしかめる
「…戻ってこい、仕事は終わりだ」
小声でキメラへ指示を出すキメラは素直に身を翻し、ケイオスのもとへと戻ってくる。
そして黒い光に包まれ泥のように溶けてその姿を消した。
次に右手を掲げる
試すのは、もう一段階上のスキル
「中級キメラ召喚、ゴーレム《Summon Intermediate Chimera: Golem》」
黒い光が渦を巻き、赤い光で幾何学的な魔方陣が描かれる、その地面から迫り上がるようにして大きな影が姿を現した。
頭部を持たない人型の巨躯、継ぎ接ぎだらけの皮膚と筋肉が幾重にも縫い合わされ異形の巨体を形作っていた、刺青の様に光る赤い文様が胸もとに刻まれている。
先ほどのキメラとは比較にならない威圧感がその場に満ちていた。
ケイオスは自身以上のその巨躯を見上げながら、静かに告げる。
「行け、あそこに割り込んで優勢な方を襲え、あんな初心者狩りみたいなの見てて面白くないからな」
一拍置いて付け加える。
「だが加減して相手を測れ、もし向こうの方が強そうなら撤退だ」
頭のない巨躯が応じるように身を屈めた。
そして次の瞬間草を蹴散らしながら窪地へ向けて、猛然と駆け出していった。
※
窪地の一角で輸送団の司令官ガルドは苛立ちを隠そうともせずに部下を睨みつけていた。
「何度言わせる拘束具を嵌める前に武器を取り上げろと、何処に隠し持ってるか解らない絶対に取り上げてから拘束しておけと、それだけのことがなぜできてない!」
いつも通りの仕事のはずだった、戦争奴隷として捕らえた獣人種の一団を輸送する任務。
だが一人の獣人の女が爆発的な膂力で拘束具ごと部下を突き飛ばし隠し持っていた得物を振りかざして暴れ出した。
獣人種の身体能力は非常に高いゆえに他にも二重三重の対策を講じている。
それらが功を奏し暴れた獣人はほどなく取り押さえられた、だがそれでもガルドの怒りは収まらなかった。
剣を抜き、まずは部下へ切っ先を向ける。
「次にこの程度のミスをしでかしたら、貴様の首が飛ぶと思え」
部下が青ざめて頭を垂れる。
ガルドはその視線を地面に押さえつけられている獣人たちへと移した。
憎悪と侮蔑の入り混じった目で剣を今度は彼らへと向ける。
「お前たちも身の程を弁えろ。逆らえばどうなるか今から教えてやる」
視線が先ほど暴れた女へと固定される
まだ反抗的な光を宿したまま荒い息を吐くその獣人へガルドはゆっくりと歩み寄った
剣を振り上げる。
だがその刃が振り下ろされるよりも早く
轟音とともに窪地の外周から巨大な影が土煙を上げて突入してきた。
怒声が上がり整然としていた陣形が一瞬にして崩れ始めた。
※
草むらの中でケイオスは丸い瞳孔を細めて観察していた。
「…弱いな、想像以上に」
未知の地であることを警戒し慎重に様子を窺うつもりだった。
だが蓋を開けてみれば中級のキメラ一体の乱入だけで陣形はあっという間に崩壊した
剣を構える暇もなく吹き飛ばされる兵、盾ごと弾き飛ばされる者、地面に叩きつけられて動かなくなる者。
死者は出ていないようだがほとんどの兵が意識を刈り取られ地面に転がっていた。
「加減しとけって言っといて良かったなこりゃ」
ケイオスは小さく息を吐いたもし指示を出していなければこの窪地はとうに屍の山になっていただろう。
キメラは指示に忠実だった、巨躯の身体は本来の力を抑えつつも兵たちを次々となぎ倒しながら暴れ続けている。
だが、そこで動きがあった
隊長らしき男が、懐から何かを取り出した。
拳ほどの大きさをした黒い金属塊だった。
表面には赤黒い紋様が刻まれその隙間から禍々しい紫色の光が漏れ出している。
明らかに通常の装備ではないソレ、男はそれを握ったまま一瞬だけ動きを止める。
「クソッ、ただのモンスター風情ががいい気になりおって」
苦々しく呟く。
その姿に兵が気づきはなしかける
「司令官!それは本来…」
「分かっている!」
ガルドが苛立たしげに声を荒らげた。
視線の先では謎のモンスターが兵士たちを次々と薙ぎ払い包囲を崩そうとしている。
このままでは被害が増える一方だった。
「……やむを得ん!」
管理官らしき男が意を決したように頷いた。
「《封縛晶――グラビティ・バインド》!」
黒い金属塊が激しい光を放ち、次の瞬間、そこから無数の光の鎖が伸びた。
鎖は空中を走り中級キメラの巨躯へと絡みつく。
四肢だけではない、胴体や翼にまで幾重にも巻き付き、その動きを強引に押さえ込んでいく。
「グォオオオオッ!」
キメラが大きく咆哮した。
それまで兵士たちを蹴散らしていた巨体の動きが、目に見えて鈍る。
「今だ!」
好機と見た兵たちが、素早く態勢を立て直す。
鈍ったキメラを取り囲み数の利を活かして一斉に攻撃を仕掛けていく。
完全には動きを封じられていないものの、その巨躯は確実に包囲の中へと押し込まれていった。
草むらの中で、ケイオスの大きな目がすっと細められた。
「……あれ、似てるな」
視線の先にあるのは、キメラの巨躯に絡みついた光の鎖。
形状こそ記憶にあるものとは微妙に違う。色合いも、光の走り方も、細かな意匠も異なっている。
「捕縛系のアイテムエフェクトそっくりだ」
ゲーム時代の記憶を辿る。
モンスターの動きを封じたり鈍らせたりするためのアイテム。
性能には幅があり雑魚相手から強力なモンスターを対象にする高級品も存在していた。
ただ、目の前で使われたものはゲーム内のエフェクトから推測するに控えめな部類に見える
「…それに全く同じじゃない、か?」
ケイオスはじっと光の鎖を観察する。
よくよく見ればそれもアルカディアの記憶のそのままではない。
しかしゲームに存在したものとよく似た魔法や道具が実際に存在している。
「……ますます、分からなくなってきたな」
ケイオスは小さく呟いたまだ判断するには材料が少ない。
だが少なくともこの世界が自分の知っているアルカディアと完全に無関係というわけではなさそうだった。
※
厄日だ、と輸送隊隊長ガルドは内心で毒づいていた。
獣人の暴走からこの得体の知れない巨躯の乱入、着任以来これほど手順の狂う日はなかった。
だが貴重なマジックアイテムの効果が現れ、兵たちが包囲を固めつつありガルドの表情には再びいつもの高圧的な色が戻りつつあった。
「ふん、化け物が、所詮は王国の技術にはこの程度よ」
改めて、目の前の異形を睨む。
継ぎ接ぎだらけの巨躯に頭部の存在しない異様な姿。
これまで見聞きしてきたどのモンスターにも該当しない代物だった。
こんな化け物がただの草原に潜んでいるはずがない。
北方か南方の勢力か?それともまったく未知の何かか?
考えを巡らせながらも、ガルドの頭の中では、すでに損得勘定が動き始めていた。
先ほど使わせた捕獲機は輸送隊の虎の子の一つ。
国で大きな出費として計上されるだろう、だがこの異形の怪物を捕らえ持ち帰ることができれば、その損失を補って余りある成果になる。
前例のない強力なモンスターの捕獲。それは、ガルドの評価を大きく押し上げる材料になるはずだった。
「逃すなよ、多少無理をしてでも押し切れ」
動きの鈍った巨躯が、じりじりと追い詰められていく。優勢は、間違いなくこちら側にあった。
「まあ十分わかった」
不意にそんな声が響いた。
誰の声かどこから聞こえたのか確かめる暇もなかった。
「《咆哮《Roar》》」
直後、空気そのものを震わせるような咆哮が轟く。
「■■■■■■!!」
それは音ではない、もはや衝撃そのものだった。
大気が震え地面が揺れる、耳を塞ぐ暇すらなくガルドと戦っていた兵たちの身体が一斉に硬直した。
声すら漏らす事も出来ず
その直後糸の切れた人形のように次々と地面へ倒れていく、地面に落ちる一瞬の間に誰かがそれを見る。
巨大な影、鎧が擦れる音、草を踏みしめる巨大な足
誰かがわかったのは、そこまでだった。
※
あれは、いったいなんだ
少し離れた場所で今は人間たちの荷物を漁っている巨大な存在を獣人の一人が呆然と見つめていた。
つい先ほどまでの出来事。
頭の無い異形の襲撃は初め異形が優勢だったが途中から人間側が優勢になっていた。
逃げ出すには絶好の機会しかしろくに力の出せない拘束がそれを遮る、
この拘束さえ緩めばあそこに加勢して戦える事もできるはずなのに。
そんな歯がゆさを噛み締めながら、人間たちの動きを見ていた。
しかし不意にどこからともなく現れたもう一つの異形
何処からと思った次の瞬間
空気を震わせる凄まじい咆哮が轟いた。
何が起きたのか理解する暇すらなかった。
人間たちが次々と倒れていく、まるで糸が切れたように地面へ崩れ落ちていった。
自分達のいる場所までは距離があったがその余波が届いたのか周りの同胞達もそのほとんどが意識を刈り取られ気を失っている。
見たこともない意匠の重厚で豪奢な装備
人間ではないが自分たちが知るどの種族とも似た者は居ない
だが、まとっている気配だけは本能が理解していた
圧倒的な強者。
争うという考えすら浮かばないほどの隔絶した力。
「……何なんだアレは」
意識のある誰かの掠れた声が、誰にも届かないほど小さく漏れた。誰一人として、答えを出せる者はいなかった。
※
「あーめんどくさい…」
書類らしきものを乱雑にめくりながらケイオスは声を漏らした。
先程の介入で向こうの戦力は解った、非常に弱いと、レベルが自身より一定以下の相手なら気絶させるスキルの一つである咆哮で横入りしつつ黙らせる。
ついでに戦利品として荷物からアイテムや情報を漁る、完璧な計画だった、しかし。
「文字が読めん」
手にした紙には見たこともない文字が並んでいる。
図らしきものも描かれてはいるが、記号なのか装飾なのか判別すらつかない。
他にも様々な道具があるが用途の見当がまるでつかない。
「俺は偵察職でもなんでもないし、いや、それ以前の話か」
討伐すればアイテムがドロップし、勝手にインベントリに収まる。
情報は勝手にまとまって解りやすくUIで見れる。
それが当たり前だった世界で生きてきたケイオスにとって
こうして地面に転がった誰かの持ち物を一つ一つ物色するという行為がそもそも初めてであり勝手など何も解らなかった。
ケイオスは大きく息を吐き手にしていた書類を放り出した。
放り出した書類にもう一瞥をくれると、興味を失ったように立ち上がった。
「まあいいや、こいつら起きるまで待つのもめんどくさいし、邪魔したな」
誰へともなく、そう呟く、もとよりどちらの事情にも肩入れするつもりはなかった。
ただ一方的に蹂躙されるだけの光景が気に食わなかった、それだけの理由で首を突っ込んだに過ぎず目的はもう十分すぎるほど果たされている。
きびすを返し唐突に現れた巨躯は唐突に去っていった。
※
窪地に残された者たちは誰一人として動けずにいた。
人間の兵たちは地に転がり目を覚ます気配がない。
獣人達も大半は同じ有様、何名か意識を残している者は居るがそれでも体は石のように固まったまま動かない。
目の前で示された隔絶した力の差、蛇に睨まれた蛙のように動くことそのものが叶わなかった。
それでもいつかは人間たちは何処かで目を覚ますし、痺れが解けた獣人は逃げ出すだろう。
そんな中でただ一人、そこに当てはまらない者がいた、騒動の始まり隙を見て兵に反抗した獣人の女性。
彼女がふらつきながらも体を起こし遠ざかっていく巨躯の後ろ姿を確認し、そして次の瞬間には、強く大地を蹴りその足でその後を追い始めていた。
※
夕暮れの色が濃くなり始めた草原にケイオスの巨躯の影が長く伸びていた
蛙と猫を継ぎ合わせたような異形の顔立ち幾重にも重なる無骨な鎧。
その輪郭は薄暗くなっていく景色の中でもなお異様な存在感を放っている。
周囲に生い茂る草が風に揺れるたびケイオスの巨体だけが、不自然なほど動かない黒い塊のように浮かび上がった。
「はあ、イカだいこんさんでも居ればな」
漏れた愚痴はかつてのフレンドの名前。
「いや別に誰でも良い…誰か一人でも居てくれたら…それに拠点のNPCはどうなってるんだ今?」
ケイオスは基本的にソロでプレイするタイプだがギルドにも所属している。
大勢で運営するようなギルドではないが、それぞれがトッププレイヤーであり完全な戦闘職で小回りの利かないケイオスに取って頼れる仲間だ。
そこにはケイオスが手塩にかけて制作したNPCだって居る。
だが、今この場には、その誰一人としていない。
「そもそもこの場所に居るのかもわからないけど」
自嘲気味に呟きながら、ケイオスは歩みを止めなかった。
偵察職のフレンドがいればこの見知らぬ土地の地理ももう少し掴めていたかもしれない。
そうでなくても自分より頭の良いフレンドが居ればさっき投げ出した書類の文字も多少は解読の糸口が見えたかもしれない。
「全部たられば、か」
結局手がかりは無いまま自暴自棄な気分なままあてどなく歩いていた。
だが、背後から荒い息遣いと草を踏み分ける音が段々と聞こえてくるのにケイオスは気づいていた。
「…何か用事か?」
振り返りはしないが、歩みだけは止めて声だけでケイオスはそう話しかける。
※
「…何か用事か?」
獣人の女は改めて目の前の化け物の存在感に震えるが拳を握り震える足を叱咤し声を絞り出す。
「頼みがある、力を貸して欲しい」
「また唐突だな」
「私には、探さなきゃいけない相手がいる、離れ離れになった妹が、この国のどこかに居るはずなんだ…お前が何者かはわからない、だが、あの力は本物だ、あの数の兵隊を一声で全滅させられる奴なんて見たことがない」
「そうか…まあそうかもな」
ケイオスの声は特別荒々しいわけではない。だが先ほど窪地で目にした圧倒的な力の余韻が彼女に響いている。
震える、理屈ではなく本能が全身で警鐘を鳴らしていた。
目の前にいるのは格上などという言葉では到底片付けられない、規格外の存在。
それでも、レイラは膝を折らない。
「この王国を一人で探すのははっきり言って無理だ、だがお前の力があれば違うはずだ、力を貸してくれ!何でもする!だから妹を、見つけるのを手伝ってほしい!」
必死な訴えだった、その姿にケイオスはしばらく黙り込んでいた、しかし。
「悪いんだが」
ようやく口を開いた声は、いくらか困ったような色を帯びていた。
「俺は今、右も左もわからない身だ、いきなりそんな話をされても、な」
「…っ!」
正直な感想だった。
今この草原がどこなのかすらつ掴めていない、そんな状態で他人の頼みごとを引き受ける暇があるかと。
「ただ、そうだな…」
軽くケイオスは頬をかく、先ほどの襲撃を見た上で自分を追いかけてきた。
どれだけ力の差があるか理解してもこうして来た覚悟には興味が湧いていた。
そして何より。
「…どうせ俺もあてなし、か」
このままあてどなく草原をさまよい続けるのもうんざりな所だった、なら自ら自分を目的に来た相手の話を聞くくらいはいいだろう。
呟くように言うと、ケイオスはようやく体の向きを変えた、巨躯がゆっくりと反転する。
巨大な目が簡素な服を来て拘束されている獣人の女性を真っすぐ見据えた。
「俺の名前はケイオス、ケイオスだ、今はそれだけでいい」
素っ気ない自己紹介だったが、レイラはそれで十分だというように小さく頷いた。
「私はレイラだ、私もそれだけでいい」
互いにそっけない自己紹介だがそれで十分だった。
「そうだな、じゃあとりあえず知る限りお前の事や居た国やこの場所について話してくれ」
「全部か?」
「さっき言ったろ右も左も分からないんでな」
「…そうか、長くなるぞ?」
「構わん」
そうして草原に夕暮れが訪れる。
傾いた陽が地平線へ沈み赤く染まった草原に長い影を落としていく。
その中に並んで座る巨躯と一人の獣人の姿があった。
二つの影は夕陽に照らされながら静かに伸びていった。