家族に捨てられた天才少女は、人懐っこい同級生に溺愛される   作:めろんちゃん

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第4話小さな一歩

 

 朝の空気は少しひんやりとしていた。

 

 リシェルはいつものように学院へ向かい、静かな廊下を歩く。

 

 窓から差し込む朝日を浴びながら、ふと昨日の出来事を思い出していた。

 

 ――少しだけ楽しかった。

 

 図書館でエレノアと過ごした時間。

 

 笑ってしまったこと。

 

 図書委員に注意され、慌てるエレノアの姿。

 

 思い返すと、自然と口元が緩みそうになる。

 

「……変。」

 

 小さく呟き、自分の頬に触れる。

 

 こんな気持ちは初めてだった。

 

     ◇

 

「リシェル、おはよう!」

 

 教室へ入ると、すぐに聞き慣れた声が飛んできた。

 

「……おはよう、エレノア。」

 

 その瞬間。

 

 教室の空気がぴたりと止まる。

 

「……え?」

 

 エレノアは目を丸くした。

 

「い、今……名前で呼んでくれた?」

 

「……。」

 

 リシェルは少しだけ気まずそうに目を逸らす。

 

 無意識だった。

 

 今まで「あなた」としか呼ばなかった相手を、自然に名前で呼んでいた。

 

「あっ……。」

 

 エレノアは胸の前で両手を握りしめる。

 

「嬉しい……!」

 

 その満面の笑顔を見て、リシェルは少しだけ照れくさくなる。

 

「そんなに喜ぶこと?」

 

「喜ぶよ!」

 

「だって、一歩前進した気がするもん!」

 

 その言葉に、リシェルは返事をしなかった。

 

 けれど、否定もしなかった。

 

     ◇

 

 昼休み。

 

 いつもの大樹の下。

 

 エレノアは今日も楽しそうに話していた。

 

「昨日ね、図書館で借りた本を読んでみたんだけど……。」

 

「うん。」

 

「やっぱり三ページで寝ちゃった。」

 

「……ふふ。」

 

 小さく笑うリシェル。

 

 それを見たエレノアも嬉しそうに笑う。

 

「あ!笑った!」

 

「笑ってない。」

 

「今度は誤魔化せないよ?」

 

 二人の間に流れる空気は、以前よりずっと穏やかだった。

 

 沈黙になっても気まずくない。

 

 風の音を聞きながら隣に座っているだけで、不思議と落ち着く。

 

 そんな時間だった。

 

     ◇

 

 食事を終えたあと。

 

 エレノアが立ち上がろうとした時だった。

 

「あっ。」

 

 手にしていた小さなハンカチが風で飛ばされる。

 

「ああっ!」

 

 ハンカチは風に乗って校舎の方へ飛んでいく。

 

 エレノアが追いかけようとした、その前に。

 

 リシェルが静かに杖を取り出した。

 

「《ウィンド・バインド》」

 

 柔らかな風がハンカチを包み込み、ふわりと速度を落とす。

 

 そのままリシェルの手元へ戻ってきた。

 

「はい。」

 

 何事もなかったように差し出す。

 

「ありがとう!」

 

 エレノアは嬉しそうに受け取った。

 

「リシェルって本当に優しいね。」

 

「……そんなことない。」

 

「え?」

 

「落とした物を拾っただけ。」

 

「それでも優しいよ。」

 

 真っすぐな笑顔。

 

 その笑顔を見ていると、不思議と胸が温かくなる。

 

 リシェルは小さく息を吐いた。

 

「……エレノア。」

 

「なあに?」

 

「どうして。」

 

「うん?」

 

「どうして、そんなに私に構うの?」

 

 初めて、自分から聞いた質問だった。

 

 エレノアは少しだけ驚き、それから柔らかく笑う。

 

「うーん……。」

 

 少し考えてから答える。

 

「一緒にいると楽しいから。」

 

「それだけ?」

 

「うん。それだけ。」

 

 迷いのない返事だった。

 

 本心からの言葉。

 

 リシェルはその答えを聞き、静かに目を伏せる。

 

(……やっぱり、変な人。)

 

 また心の中でそう思う。

 

 でも。

 

 以前のように嫌な意味ではなかった。

 

     ◇

 

 放課後。

 

 昇降口で靴を履き替える。

 

「じゃあ、また明日!」

 

 エレノアが手を振る。

 

 リシェルは少しだけ間を置いてから、小さく頷いた。

 

「……また明日。」

 

 その一言だけで十分だった。

 

 エレノアは嬉しそうに学院を後にする。

 

 その背中を見送りながら、リシェルは自分の胸に手を当てた。

 

(少しだけ。)

 

(本当に少しだけ……。)

 

(この子といる時間が、嫌じゃなくなってきた。)

 

 まだ人を信じることはできない。

 

 まだ心の傷は消えない。

 

 それでも、凍りついていた心には、小さな春の風が吹き始めていた。

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