家族に捨てられた天才少女は、人懐っこい同級生に溺愛される 作:めろんちゃん
体育祭まで、あと五日。
放課後の訓練場には、生徒たちの掛け声が今日も響いていた。
「よし、もう一回!」
エレノアは勢いよく障害物へ向かって走り出す。
木製の壁を飛び越え、魔法障壁を風魔法で吹き飛ばし、そのままゴールまで駆け抜けた。
「はぁ……はぁ……!」
「どうだった?」
息を整えながらリシェルを見る。
リシェルは静かに頷いた。
「昨日より速い。」
「本当?」
「魔法を使うタイミングも良くなってる。」
その一言だけで、エレノアの顔がぱっと明るくなる。
「やった!」
「でも。」
「え?」
「最後の着地だけ少し大きい。」
「もっと膝を使うと疲れにくい。」
「なるほど……。」
エレノアは何度も頷き、再びコースへ向かう。
リシェルはそんな姿を見つめ、小さく微笑んだ。
(頑張り屋さん。)
そう思った瞬間、自分でも少し驚いた。
いつの間にか、自然とエレノアを目で追うようになっていた。
◇
練習が終わる頃には、空は夕焼け色に染まっていた。
「今日はここまでにしようか。」
「うん!」
二人は学院を出て並んで歩く。
途中でエレノアが少しだけ足を止めた。
「ねぇ、リシェル。」
「なに?」
「もし時間があったら……。」
少しだけ視線を泳がせながら続ける。
「私の家に遊びに来ない?」
「家?」
「うん!」
「せっかく明日は休みだし、おしゃべりしたり、お茶を飲んだり……。」
リシェルは少し考える。
誰かの家へ遊びに行く。
そんな経験は、一度もなかった。
「……迷惑じゃない?」
「そんなわけないよ!」
エレノアは慌てて首を横に振る。
「むしろ来てほしい!」
その笑顔を見て、リシェルは小さく頷いた。
「……じゃあ、お邪魔します。」
「やった!」
◇
エレノアの家は、王都の住宅街にある温かな雰囲気の一軒家だった。
玄関先には小さな花が飾られ、窓からは柔らかな明かりが漏れている。
その光景を見た瞬間、リシェルの足がほんの少しだけ止まった。
なぜか胸の奥がざわついた。
「ただいまー!」
扉を開けると、奥から優しい女性の声が聞こえる。
「おかえり、エレノア。」
現れた女性は、エレノアによく似た柔らかな笑顔を浮かべていた。
「今日はお友達を連れてきたのね。」
「うん! リシェルっていうの!」
エレノアの母は、リシェルを見ると穏やかに微笑む。
「初めまして。いつも娘がお世話になっています。」
「……初めまして。」
リシェルは少し緊張しながら頭を下げる。
その優しい声。
温かな表情。
娘を見る時の、愛情に満ちた瞳。
それはリシェルがずっと昔に失ったものだった。
「エレノアったら、最近毎日楽しそうなのよ。」
「リシェルさんのお話をよくしてくれるの。」
「えっ、お母さん!」
エレノアが慌てて顔を赤くする。
その様子を見て、母親は楽しそうに笑った。
その光景を見つめながら、リシェルの表情が少しだけ曇る。
(……家族。)
胸の奥に、忘れたはずの痛みが蘇る。
昔は、自分にもあんな時間があったのだろうか。
優しく名前を呼ばれること。
帰る場所があること。
誰かに大切にされること。
全部、遠い記憶だった。
「リシェル?」
エレノアの声で、はっと我に返る。
「……なに?」
「大丈夫?」
心配そうに覗き込む瞳。
リシェルは一瞬迷ったあと、小さく首を振った。
「……大丈夫。」
嘘だった。
けれど、今はまだ言葉にできなかった。
自分が捨てられたこと。
家族というものを知らないこと。
そんな弱い部分を誰かに見せる方法を、リシェルは知らなかった。
◇
二人はエレノアの部屋へ向かった。
「ここが私の部屋!」
本棚には魔法書と物語の本が並び、机には小さなぬいぐるみが飾られている。
「可愛い部屋。」
「えへへ。」
二人はカードゲームをしたり、魔法の話をしたり、本を読んだりして過ごした。
笑い声が絶えない時間。
リシェルは気づけば自然と笑っていた。
「リシェル、その笑顔かわいい。」
「……。」
照れたように視線を逸らすリシェルを見て、エレノアはくすりと笑う。
◇
夕食をごちそうになり、気づけば窓の外はすっかり暗くなっていた。
食卓には温かな料理が並び、エレノアの母は何度もリシェルへ声を掛けてくれた。
「遠慮しないで食べてね。」
「はい……。」
その何気ない優しさが、リシェルには眩しかった。
嬉しい。
でも、少しだけ苦しい。
知らなかった温かさを知るほど、自分が失ったものを思い出してしまうから。
◇
「そろそろ帰る。」
リシェルが立ち上がる。
「あっ……。」
エレノアが小さく声を漏らした。
「どうしたの?」
「その……。」
頬を赤く染めながら、指先をもじもじと動かす。
「明日、お休み……でしょ?」
「うん。」
「だから……その……。」
深呼吸を一つ。
「もし迷惑じゃなかったら……。」
「今日、このまま泊まっていかない?」
「……え?」
リシェルは目を丸くする。
「もっとお話ししたいし……。」
「一緒に夜更かししたり、本を読んだり……。」
「友達って、そういうこともするって聞いたから……。」
最後の方は小さな声になっていた。
断られるかもしれない。
そう思うと胸がどきどきする。
リシェルは少しだけ黙り込んだ。
“友達。”
その言葉が心の中で静かに響く。
そして、さっき見たエレノアと母親の姿を思い出す。
温かな家。
優しい声。
自分にはなかったもの。
それでも――。
今、目の前にいる少女は、自分にも同じような温かさを向けてくれている。
「……迷惑じゃ、ないなら。」
小さく頷く。
「泊まる。」
一瞬、時間が止まったようだった。
「……本当?」
「うん。」
エレノアの顔が一気に明るくなる。
「やった!」
思わず両手を胸の前で合わせ、嬉しそうに笑う。
「ありがとう、リシェル!」
その笑顔を見ていると、不思議とリシェルの胸も温かくなる。
まだ、家族の温かさを完全に受け入れることはできない。
まだ、過去の傷は消えていない。
それでも。
初めて、自分にも帰りたいと思える場所ができるのかもしれない。
人生で初めての、お友達とのお泊まり。
それは、リシェルにとってまた一つ、新しい思い出になろうとしていた。