人生には消費期限がある。
親しい人を喪ったり、重大な過失で身を削る苦しい経験をしたりすることはその後の人生の彩りを無に帰し、モノクロの世界に変える恐れがある。
当然、一度は白黒になった世界を塗り直して再起を計る高尚な人間も存在するが、誰もが強靭な精神性をもつとも限らない。
柊愁もその転換点を機に世界から色を失った者である。
愁の両親は長らく子宝に恵まれていなかった。そのため愁という命を授かり、そして産声をあげた瞬間はたいそう喜んだらしい。
父親は愁とよく外に出て遊び相手になってくれて、息子が日に日にボールを強く真っ直ぐ投げれるようになっていく様子を楽しみにしていたらしい。母親は愁に、人の想いを汲んで誠実に生きてほしいと願っていたらしく、日ごろから地域で行われる行事に愁を連れ出し、人との交流の機会をつくっていた。
その甲斐もあって、幼少期の愁はおおむね温和で真っ直ぐな性格で他人と接するようになり、両親もその時は愁の更なる成長に期待していたんだろう。
愁自身もきっと、この時まで自分自身を好きでいたんだろう。
しかし、彼の人生の色の喪失は早かった。
小学校から帰ってきた時、愁を出迎えたのは父親の声でも母親の声でもなかった。
家のドアには乱暴に破壊されたような亀裂が刻まれ、床は割れて散らばったガラス片とどこかから漏れ出たであろう赤黒い液体で覆われていた。
その液体の先に倒れこんでいた物言わぬ二人の骸が、瞬間、愁の何かを壊した。
「強盗」「資産」「犯人は郊外に」 警察が事件の整理で奔走してる間、保護された愁は何も言わず、ただ病院の部屋でへたり込んでいた。目元にあの場で流した涙の跡が残っており、枯らし切った後にはどこか遠い遠い虚無をずっと見つめていた。
愁にとって両親のいない世界はただ動いているだけの無価値な世界であった。
施設に預けられた際もしばらくの間は何もできずただあの日の惨劇を思い出してむせび泣いていた。時が過ぎても愁の心の空洞は空いたままで、他人がどうこうできるものでもなかった。
愁が施設を出る年齢になった頃、アパートの一室を借りて一人で暮らし始めた。もともと独りでいた期間の方が長い愁にとっては大した変化でもなかった。
生前に両親は愁のために相当な養育費を貯蓄していたらしく、学費に加えて生活費や維持費をまとめて賄える位の金銭は、独り身の愁にとって僥倖であった。
学校でも愁は孤立気味だった。愁が信用を置くのは生前の両親のみであったため、必要な事以外で馴れ馴れしく近寄ってくる存在には厳しい視線を送ってしまう。しかし愁は精神的に成熟するうちに、ただ相手を拒絶する事が現代社会においてどんなに悪手であるかを理解し、少しずつ他人との交流をし始め、母との約束を遅くなりながらも果たそうとした。
学校が冬休みに突入してから数日、愁は身支度を済ませ、早々と外に出た。あまり目立たない黒のジャージにウエストポーチをかけてまだ日も出ていないうちに。
薄暗く、霧がかかっている住宅街を黙々と走り、ペースを安定させる。
父の影響で始めたランニングは、幼き愁にとっては父との対話の場であり楽しい思い出として刻まれていた。しかし今の愁にとってこの固定化したルーティーンは決して快不快といった次元のものではなく、こうして目的のないまま走り続けている間だけは目の前を進む単純な目的を、人生の仮のゴールに投影できるからであった。
住宅街を抜けて森近くの公園にさしかかったあたりで愁はペースを上げた。息が若干荒くなりはじめ、時折ウエストポーチから小さいペットボトルを取り出し、中のスポーツドリンクを飲みながら目の前をひた走る。
公園から坂を上がり始め、霧が段々と濃くなってきた。
かなりの距離を走り、流石に愁の身体にも疲れが見え始めた。汗をジャージで拭い、呼吸も少しずつ大きく深くなっている。
走り続けてるその時、愁はふと道路のそばに奇妙なものがあるのを見つけた。
そこには随分と年月がたって風化しかけたような鳥居が存在していた。
柱はその殆どが雨風によって摩耗し、今にもひび割れて砕けてしまいそうな危うさを秘めている。鳥居だけで、周辺に参道も殿らしきものもない。鳥居の奥はひときわ濃い霧で覆われており、愁からは何も見えない。
「...鳥居なんてなかったような」
ランニングのルートはある程度固定している愁は当然こんな所に鳥居だけがある事はおかしいと気づいた。まだ薄暗いのも相まってその存在は不気味であり、その周辺だけ別世界から切り取られた印象を抱かせる。
少し躊躇しながらも愁は鳥居の柱に手を這わせ、それが紛れもない実体として顕在したことを確かめた。決してまやかしでなく、完全に現実にあるものとして。
「まさか本当にここにあるのか...? いやいや、そんな訳...」
ひとり鳥居の前に佇んで、眼前の不可解じみた様相に対して冷静になろうと思考を飛ばす愁の集中は、不意に途切れた。
「...ん?」
影だ。
さっきまで何も見えなかった鳥居奥の霧のベールに、謎の影がちらついている。
愁は鳥居を少しだけくぐった所で影をじっと観察した。
影は見たところ人間のような四肢と顔の風体と思われ、こちら側をじっと見つめているように動かず、そこに居座っていた。
「人? なんでこんな時間にこんな訳の分からん場所に...」
急に現れた鳥居と、霧に佇む人影。
既存の常識では説明できない異変に対し、愁はかすかに警戒し、無意識に身体は硬直する。
愁が注視する中で、影に動きがあった。
影が段々とこちらに向かってきていた。遠く小さかった影が愁の方向に接近しているのか、その姿が少しずつ大きく見えてきた。
「...近づいて、くる」
愁は身構えながらも、自分も影に近づこうと重い足を踏み出して歩き始めた。
なぜ明確に異様と認識できるモノに自分から歩み寄っていったのか、愁の意識はただ目の前の存在に釘付けになっていた。否、そうさせられていたのかもしれない。
愁がまるで見とれてるように真っ直ぐに影に近づき、影もまた呼応するように愁との距離を縮める。
そうして互いの距離が数歩分まで縮まり、愁と影が手を伸ばして触れ合おうとする。
その瞬間だった。
「え」
あっけない声すらも最後まで出せなかった。
愁の目の前に異形の空間が開き、伸ばした腕も踏み出した足もなにもかもを吞み込んだ。
いつの間にか影は消え失せ、霧も登る朝日に照らされ徐々に晴れていく。
霧が晴れると同時に鳥居も、そしてその周りの空間も全てが霧散したかの如く存在を消し、その地は道路沿いの林と遜色ない背景へと成った。
ただひとり、愁の存在だけがその場から永遠に消え失せた。
あとがきも初めて書くので何を題材にしたらいいのでしょうか。うーん( ゚д゚)
とりあえず自己紹介をば
筆者のTAKOと申します。東方歴は6年くらいの若造で、二次創作自体もこれが初めてです。
どっちかというと原曲をやアレンジを聴く形で世界観を楽しんでいて、こういった創作は最近になって改めて触れた感じです。
元々文自体を書くのが好きで、ただどうしても頭の中の展開を具現化できずに埋もれていたんですが、意を決してやってみようと、そう思い形にしてみました。
主人公はなるべく自己投影を避け、あくまで幻想郷で生きる只人となるように設定を汲みました。自分が見た創作作品の多くは幻想入り直後から何らかの強大な力やいわゆるチート能力を有し、それをしょっぱなから存分にふるって立場を確立するものが多かった印象です。
ただこの作品ではそんな都合のいい展開はなく、スタート地点はただの一般ピーポーです。ただ一般人並みの知性、力、精神。幻想郷に生きる者は人間以上の存在がほとんどであり、そんな存在に出会った時に愁がどうするのか。それが俗にいう弱者のあがきという面で面白いものだと思っています。
次回は消えた愁が再び目覚めた直後からです。ある種お決まりの展開が想像つきますが、それが好きな人も多いしシチュエーションとしても適していると思うので、奇をてらわずに書きます。