◇ ペネロピー(レネ)
マーレで暮らすエルディアの血を引く少女。
差別に苦しみ、祖父母が暮らすパラディへと渡る。
◇ メーガン(メグ)
ペネロピーの母。ミカサとジャンの娘。
幼い頃の体験から、ある葛藤を抱えている。
◇ ロバート
ペネロピーの父。マーレ人。孤児院で育つ。
◇ ミカサ、ジャン
ペネロピーの祖父母。戦後結婚し、娘をもうけた。
マーレからやってきた孫娘のペネロピーを預かる。
◆ エレン
世界の八割の命を奪った男。
ペネロピーと出会い、自分の選択の結果を視ることになる。
エピローグ
祖母が亡くなったという知らせを受けて、私はパラディへと向かった。少し前、休暇を使って祖父母の家に滞在し、マーレへと戻った矢先のことだった。祖母は朝になっても目を覚まさず、祖父の隣で、文字通り眠るように息を引き取ったのだという。
ポーチで椅子に座り、庭先を静かに眺めていた祖父に、私は声をかけた。
「おじいちゃん、……大丈夫?」
祖父はゆっくりと振り向くと、目尻の皺を深くした。
「ああ……レネか。大丈夫だよ。ミカサより長く生きられて、ほっとしているところだ」
私は祖父の手に、そっと自分の手を重ねた。
祖母の葬儀から、二日が経っていた。明日には、マーレに戻らなければならない。私はマーレの出版社で、翻訳の仕事をしていた。締め切りの迫っている仕事がある。私は、祖父の遠くを見るような瞳が心配でならなかった。
背後で玄関扉が開き、父が顔を出した。お茶の準備ができたと呼びに来たのだ。私は父が祖父にそっと手を貸し、まるで本当の親子のように親しげに話す様子を見て、微笑んだ。私の心配は無用かもしれない。
父と母は、二年前から祖父母と一緒にここで暮らしていた。昔は距離があったと聞いているが、今ではそれが嘘のようだった。
家の中に入ると、賑やかな声が聞こえた。母とクレア、ベティが、少女のように楽しげに話している。
「ロバートったら、馬もだめなの。自分の足が地面についてないとだめだって。それが正しい人間の本能だって言うのよ」
クレアとベティが笑った。背後から父と祖父がやってきた。
「その話はもう何度も聞いたよ」
ロバートは苦笑しながら言った。
「私の息子の悪口を言ってるのは、どこのどいつだ?」
三人はくすくすと笑った。
「レネ。お前も母さんたちに言ってやりな」
祖父の言葉に、私はほんの少し首をすくめた。最初に父の乗り物嫌いの話を披露したのは、私なのだ。
祖母が残していったタルトを食べながら、みんなで紅茶を飲んだ。話は尽きず、穏やかな時間が流れた。
私はそっと両親たちから離れると、二階へ上がり、自室へ入った。元は母の部屋だったが、子どもの頃に一ヶ月程ここで暮らした時から、私の部屋になっている。
私は窓を開け、しばらく外を眺めてから、久しぶりに古いチェストを開けた。微かなハーブの香りが鼻腔をくすぐる。美しい洋服を取り出しては眺めた。祖母が昔、母の為に繕った服だ。もう自分が着れないのが残念だが、いつか自分に娘ができたら、この服を着てくれるかもしれない。
そろそろみんなの所に戻ろうかと部屋を出た時、ふといつも閉まっている扉が少し開いていることに気がついた。屋根裏に続く扉であることは知っていた。物置だと聞いていた私は、これまでそこに足を踏み入れたことはなかった。
私は何気なく、その扉の向こうへ進んだ。少し急な階段を上ると、天井の低い空間に出た。古い雑誌や、使わなくなった家電製品、雑多な物が入った箱などが置かれている。特別面白そうなものはなさそうだった。
私はすぐに引き返そうとした。だが、ふと木製のトランクが目に入った。随分古そうなものだったが、作りは良さそうだった。角やベルトには本革が使われている。マーレ育ちの私は、こういう物に目がなかった。
これは祖母の物だろうか。祖父の可能性もある。私は少し迷ったが、好奇心に駆られ、トランクを開けてみた。私は中身を見て、首を傾げた。古い本。使い込まれたペン。見慣れない古い硬貨の入った小さな巾着。紐のついた鍵。その下にグリーンの布地が見え、私はそれを広げた。マントのようだった。大きくあしらわれた翼のエンブレムには、どこか見覚えがあった。その時、マントから、はらりと何かが落ちた。汚れたリボンのようだった。私はそれを拾い上げようとした。
その瞬間、頭の中に記憶の濁流が流れ込んだ。一瞬の出来事だった。だが、その一瞬で忘れ去っていた記憶が蘇った。
私は呆然と虚空を見つめた。
記憶の中に、知らない景色があった。
少女を抱きしめる、誰かの記憶。
それなのに、その瞬間を私は鮮明に覚えていた。
それは、初めてパラディ島を訪れた、あの日の出来事だった。
オフィスの一室で、仕上げたばかりの原稿を閉じると、まっさらな別のファイルを立ち上げた。文章を打っては消すを繰り返す。いつものライティングとは勝手が違った。
私は椅子の背にもたれ、窓の外に目をやった。相変わらず灰色の味気ない景色だ。だが、私はこの景色に、少しばかり愛着を持っている。
一人の孤独な青年が願った世界とは、少し違っていたとしても。
私は一つ深呼吸をした。ディスプレイに向き直ると、再びキーボードを叩き始めた。
あとがき
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
代償の落とし子は、進撃の巨人の原作ラストの加筆シーンに触発され、書き始めた物語です。
加筆シーンにおいて、ミカサは地鳴らし後の世界を生き、やがてジャンと思しき男性と結ばれ、子どもを授かり、天寿を全うすることが示されています。ですが、あくまで読者の想像の余地を残す形で描かれ、具体的な説明はありません。私はあのダイジェストの裏で、どんな人生があったのかを以前より考えていました。
〈プロットについて〉
一つの物語として残しておこうと思った時、ミカサがジャンと結ばれ、娘を授かり、やがて娘は母との確執からパラディの外で暮らす、というのを基本として設定しました。しかし、それをどのように物語に落とし込むかが課題でした。
最初に考えたのは、小説をミカサの日記調とし、それを孫が読むという案です。ですが、これは早々に断念しました。ミカサは自分の思いを言葉や文章にすることが得意なキャラクターではないと思ったからです。次に思いついたのが、ミカサの孫が自らのルーツに興味を持ち、当時のエレンの関係者にインタビューしていくという形式です。関係者の表向きの話とオフレコとを前後編にまとめ、歴史の裏側にあった真実を未来の世代が知るという話は、なかなか面白いアイデアだと思いました。しかし、正直なところ原作をなぞる部分が多くなるため、これも却下しました。次に思いついたのが、タイムスリップ案です。
ところで私は以前、ミカサの血を引く現代の少女が、進撃の巨人の本編の時代へタイムスリップ(正確にはあの時代のミカサの身体の中へ入り込む)という二次創作をほんの少しだけ考えたことがありました。ですが、当時の私はその思いつきだけで書き始めたため、完結どころか一話も書けずじまいで終わってしまいました。それをふと思い出し、タイムスリップ案として復活させてみようと思ったのです。
そして、これが初期のプロットです。
仮題:代償の落とし子
原作後の未来。
ミカサとジャンの娘は、ミカサと確執(エレンの件で)があり、ミカサに反発して、マーレ大陸に移住。そこで結婚し生まれたのが、今作の主人公ペネロピー(孫娘12歳)。
母メーガンの設定
エルディアより医師としてマーレのかつての首都ティベリスに派遣。そこで同じく医師のロバートと出会い、後に結婚。
マーレ大陸では、今もなお、表立ってではないもののエルディア人への根強い差別がある。孫娘はいじめ(差別)にあっており、引きこもりがちに。
母(ミカサの娘)は苦渋の末、この孫娘をミカサ、ジャンへ預ける。
孫娘はパラディ島で過去に迷い込み、エレンに出会う。
エレンはこの孫娘と接触することで、地鳴らし後の未来を見る。(ミカサの結婚、ジャンと娘との幸せな暮らし)
エレンは傷つきながらも、ミカサの幸せな未来を見たいと思ってしまう
他の悲しい未来も見る
(娘が生まれてもなお、エレンの墓に通い悲しんでいるミカサ、そのせいで娘との関係が破綻する様子、など)
エレン、孫娘は時が経つにつれ、次第にお互いが何者か気づき始める
孫娘は過去を変えようとするが、変えることができない
エレンは地鳴らし後の世界を見てしまったことで、地鳴らしへの決意が揺らぎ始める
(差別がなくなっておらず、なんなら自分のせいで、ペネロピー一家が辛い目に合ってる)
最後に、年老いたミカサが孫娘のペネロピーを愛おしそうに見つめ、抱き締める未来を見る
ミカサの愛するこの孫娘は、地鳴らし後の世界じゃないと存在しない
エレン地鳴らし決意
エレンは地鳴らし直前に、孫娘のエレンについての記憶を消す(だがアッカーマンと非エルディア人の血が混ざっているので不完全)
さらにエレン自身の記憶も消す
道の世界でのアルミンとの対話
「…何でかわかんねぇけど…、やりたかったんだ…、どうしても…」
エレン、ミカサに殺される直前に、ペネロピーの記憶を消される直前の驚きと悲しみの混じった表情を思い出す
なんやかんやで孫娘は精神的に成長
ある時、記憶消去が不完全だった為に、ふとした瞬間にエレン地鳴らし実行の理由が自分の誕生の為であったことを思い出す
自分の罪を自覚しながらも、差別に立ち向かっていく覚悟を決める
End
完成稿と比較すると異なる部分も多々あり、印象も大分違うかなと思います。原作の余韻を台無しにしかねない部分(エレンが最後にペネロピーの表情を思い出す部分や、地鳴らしの理由に関する部分)は削ったり、解釈や後味を変えています。このように変更した部分もありますが、大体の流れはここで完成したかなと思います。
〈ペネロピーが生きる世界について〉
原作後の話を描くにあたって難しかったところは、地鳴らし後の世界としてのリアリティです。豊かなパラディと比較し、地鳴らしの被害にあったマーレは、五十年以上経っても貧しく、国内でも大きな貧富の差があります。ペネロピーが暮らすのは、現在のマーレの中心都市ではなく、中流層が暮らすエリアで、それよりもっと下流なのがティベリスというイメージです。なお、ティベリスという地名は私の創作であり、原作には、マーレの首都やその地名について言及されていません。
〈エレンが地鳴らし後の世界を見るという設定について〉
これを原作のエレンの行動、描写を崩壊させずに組み込むことは非常に難しいことでした。どの時期のエレンに、どの未来を見せるのかを考えるのと同時に、ペネロピーといつ出会い、別れるのかも考えなくてはなりません。プロットの段階ではこのあたりが全く決まっておらず、二話以降が書けない時期が二ヶ月ほどありました。特に悩ましかったのが、エレンがミカサの恋心に確信を得るのが、レベリオでのジークとの会話以降という事実です。この時期より前には、あまり核心的な未来を見せては矛盾が生じます。
いろいろと試行錯誤ののち、未来を時系列順に見せるのではなく、ポジティブな未来(ミカサとジャンが夫婦になる過程や、メーガンとロバートの恋を予感させる出会い)から、ネガティブな未来(エレンを思い続けていることによる悪影響、ミカサとメーガンの確執、マーレに残る傷跡や差別)へとシフトさせることにしました。これにより、ある程度は前述の問題点を解決し、さらに地鳴らしに向かっていくエレンの心情に沿うようにできたかなと個人的には思っています。
〈ミカサの人生について〉
代償の落とし子は、地鳴らしから55年後という設定ですが、これはミカサの人生に基づいて設定しています。
※ミカサの年齢
0年/19歳 天と地の戦い
3年/22歳 原作ラスト、島にかつての仲間が集まる
10年/29歳 10年の引きずり終了
14年/33歳 ジャンと結婚
16年/35歳 娘誕生
43年/62歳 孫娘誕生(娘27)
55年/74歳 孫娘12歳 祖父母のいるパラディへ
大体このようなイメージです。ただ、これはプロットを作成した時に作成したものであり、文章を書いている間はあまり意識していなかったため、今改めて見るとメーガン誕生がミカサ35歳というのは、少し年齢が行き過ぎのような気もします。本文を書いていたときは、三十代前半くらいのイメージだったかもしれません。
ミカサの大まかな人生については、原作最終巻の加筆シーンで描かれています。しかし、これらのコマにはセリフや説明はなく、また私が把握している限りではありますが、原作者の諫山先生の言及もないため、現在でも謎が残されています。以下は疑問点の一部です。
・ミカサは、どのようにジャンと結ばれ子どもを授かるに至ったのか。
・ミカサは、ジャンを男性として愛していたのか。
・ミカサは、エレンへの思いにどのように折り合いをつけたのか。
・子どもは、墓の主がエレンであることを知っていたのか。
・子どもは、両親とエレンの関係を知っていたのか。
・子どもは、両親とエレンについて、どのように感じていたのか。
原作ではあえて描かれなかった部分ではありますが、ファンとしては考えずにはいられない所かなと思います。代償の落とし子は、これらの疑問点ついての個人的なアンサーとなっています。