SCP-1887-JP-Cへの接続地点へ向かう廊下を、僕は一人で歩いていた。手元の端末には、これから向かう場所についての最低限の情報が表示されている。
正直なところ、気が重い。僕は調査員でも探検家でもない。戦術神学部門の人間であって、未知の世界へ気軽に踏み込むような仕事を専門としているわけではない。それでもO5からの命令となれば、断るという選択肢はなかった。
接続地点へ到着すると、すでに数人の職員が準備を整えていた。部屋の中央には巨大な術式陣が描かれ、その周囲には複数の観測機器が並べられている。壁際には異常エネルギーを測定する装置まで設置されており、実験室と儀式場を無理やり一つにしたような光景だった。
「準備は整っています。これより接続術式を起動します。」
数人の奇跡論専門家が術式陣の周囲に立つ。彼らが一斉に術式へ干渉すると、床に描かれた幾何学模様が淡い光を帯び始めた。空間そのものが歪み、部屋の中央に薄い亀裂のようなものが生まれる。最初は一本の線だったそれは徐々に広がり、その向こう側に別の景色が浮かび上がってきた。青い空。深い森。そして、遠くに見える山々。
「接続可能時間は約十秒です。時間を過ぎれば自動的に閉じます。」
「分かりました。行ってきます。」
僕は装備を確認し、亀裂へ足を踏み入れた。
次の瞬間、身体が一瞬だけ浮いたような感覚に襲われる。耳鳴りが響き、視界が白く弾けた。そして次に目を開いたとき、僕は見知らぬ森の中に立っていた。足元には湿った土。周囲には見たことのない植物が生えている。空気そのものも現世とは違っていた。僕は端末を取り出し、温度、湿度、周囲の生体反応、未知のエネルギー反応を順番に記録していく。少なくとも、ここが財団の把握している地球上のどこかではないことだけは確かだった。
「……さて、ここからどうしましょうか」
独り言を呟いた直後だった。頭上から、枝が折れる音がした。僕は反射的に顔を上げる。そこには、一人の少女がいた。
金色の髪。赤い瞳。そして黒い服を纏った小さな身体。少女は木の枝に腰掛けながら、じっと僕を見下ろしていた。
「ねえ、そこで何をしているのかしら?」
「少し調査をしています。あなたは、この辺りに住んでいる方でしょうか?」
「そうだけど、あなたから変な匂いがするわ」
少女が枝から飛び降りる。着地した音は驚くほど小さかった。
「変な匂い、ですか?」
「ええ。それに、あなたは人間なのかしら?」
「少なくとも、僕自身は人間だと思っています」
その答えを聞いた少女の表情が変わった。笑っている。けれど、その笑顔には先ほどまでの軽さがなかった。
「じゃあ、食べてもいい人間なのね?」
空気が変わった。
次の瞬間、周囲から光が消えていく。森の木々も、地面も、空さえも黒く塗り潰され、僕を中心として異様な暗闇が広がっていった。
「……これは、まずいですねまだ来て20秒ぐらいしか経ってないのですが...」
僕は腰に装着していたジャスティティアへ手を伸ばす。
暗闇の奥で、赤い瞳が光った。
「それじゃあ、いただくわ」
その瞬間、無数の光弾が闇の中から飛び出した。僕は咄嗟に身体を横へ投げ出す。先ほどまで立っていた場所を弾幕が通り抜け、背後の木々へ次々と突き刺さっていく。
「光弾いや弾幕……ですか」
一発や二発ではない。数十、いや、それ以上。大小様々な弾が不規則な軌道を描きながら、僕を包囲するように迫ってくる。
しかも、避けた先には次の弾が待っていた。僕はジャスティティアを構え、迫り来る弾幕を見据える。
「財団神拳*1――確率論的回避」
財団神拳は、単なる格闘術ではない。財団が研究してきた異常現象や科学理論を戦闘へ応用し、通常なら成立しないような現象さえ技術として成立させる。その中には、相手の攻撃がどこへ到達する可能性が高いかを瞬時に判断し、最も安全な位置へ身体を移動させる技も存在する。僕は迫り来る弾幕の隙間を見つけ、身体を滑り込ませた。
しかし、ルーミアはそれを読んでいた。避けた先へ向かって、さらに大量の弾が殺到する。
「そこなら当たるでしょう?」
「……なかなか厄介ですね」
身体を捻り、弾を躱す。頬を弾が掠めた。その直後、頭上からも弾幕が降ってくる。
僕はジャスティティアを振るい、迫ってきた弾を弾き飛ばす。一本の軌道を潰した直後、別の弾が目前へ迫った。身体を沈め、その上を通過させる。さらに横から弾幕。
今度は地面を蹴った。
「本気で僕を倒すつもりですか?」
「もちろんよ。食べるなら、本気じゃないと面白くないでしょう?」
ルーミアの声が暗闇の中から響く。弾幕がさらに激しくなった。その瞬間、僕は理解した。この少女は遊んでいるわけではない。
今の彼女は、本気で僕を倒すつもりで攻撃している。僕も防御だけでは終わらせられない。
「ならば、こちらも本気で対応します」
僕はジャスティティアを握り直し、一気に踏み込んだ。
「財団神拳――瞬間歩法*2」
次の瞬間、僕の身体が弾幕の隙間から消える。ルーミアが目を見開いた。
「えっ、どこへ行ったのかしら?」
僕は彼女の側面へ回り込んでいた。ジャスティティアを握ったまま拳を構える。
「財団神拳――共振パンチ」
拳がルーミアの身体を捉えた。衝撃が一気に内部へ伝わり、ルーミアの身体が大きく吹き飛ぶ。闇が一瞬だけ晴れた。ルーミアは地面を転がり、数メートル先で止まった。
「……」
僕はその場から動かず、ルーミアを見つめる。今の一撃は、手加減していない。普通の人間なら、まともに受けて立っていられるような攻撃ではない。だからこそ、僕は次の光景に目を疑った。ルーミアが起き上がった。
「……痛かったわ」
そう言いながら、彼女はゆっくりと身体を起こす。呼吸は乱れているけれど、立っている大きな傷も見当たらない。僕は無意識に目を細めたおかしい。
あれだけの攻撃を受けて、なぜ立っていられる?僕は財団職員として、これまで数え切れないほどの異常存在を見てきた。人間そっくりの姿をしていながら、身体構造も生命活動も人間とはまるで異なる存在は珍しくない。
そして目の前の少女も、その一つなのだろう。
「……あなた、普通の人間ではありませんね」
ルーミアが首を傾げる。
「最初からそう言っているでしょう?」
「そうでしたね」
僕はジャスティティアを構え直す。まだ戦える。いや、戦えるどころか、まだ弾幕を撃てるだけの余力があるらしい。
ルーミアも再び両手を広げた。周囲の闇が再び濃くなる。
「まだ続けるつもりですか?」
「もちろんよ」
再び弾幕が形成される。 無数の光弾が螺旋を描きながら迫ってきた。僕は弾幕の隙間へ飛び込む。
右左上後そして、迫り来る弾の軌道を読みながら、一歩ずつ距離を詰めていく。
「その財団神拳(?)というのは、本当に変な技ばかりね」
「よく言われますよ」
「でも、あなたも変な人間ね」
「それについては否定できません」
弾幕の中心を抜けた。僕はルーミアの目の前へ立つ。だが、拳を振り抜く直前、ルーミアが両手を上げた。
「分かったわ。私の負けでいいわよ」
僕は拳を止めた。
「本当に降参するつもりなんですか?」
「ええ。これ以上やっても、あなたを食べられそうにないもの」
ルーミアはそう言って、両手を下ろした。周囲を覆っていた闇も、ゆっくりと消えていく。僕はジャスティティアを下ろした。警戒は解かない。目の前にいるのは、どう見ても小さな少女だ。
しかし、その身体能力も弾幕を操る力も、そして何より、僕の攻撃を受けても立ち上がった異常な耐久力も、人間という分類だけでは説明できない。
少なくとも、彼女を普通の少女として扱うのは危険だ。
「それで、あなたはここで何をしていたんですか?」
「私はルーミア。森で暮らしているだけよ」
「そうですか。僕は高柳です。少し調査のために、この辺りへ来ました」
「高柳ね。それで、どこへ行きたいの?」
「できれば、人が集まっている場所へ案内していただきたいです」
ルーミアは少し考えるように首を傾げ、それから森の奥を指差した。
「それなら、人里へ行けばいいわ。案内してあげる」
「助かります。お願いします」
こうして僕は、異常な力を持つ少女――ルーミアとともに、森を抜けることになった。
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