わたしは剣。――無能だった少女が、異能者たちの全国大会で運命を斬るまで 作:遠野静
そんなわけでわたしの初めての『国異』の一回戦は、ちょっと消化不良な感じで終わってしまった。
いや、明日からはちゃんと戦えるとは思うんだけど……どちらにせよ試合開始前までの気張った感じが、結局誰にも向けられないまま消えてしまって。
なので、なんというか……その日の夜も、ちょっと眠れなかった。
眠れなかったので、あくまで宿泊施設内の自動販売機の前で缶ジュースを買って、ぼんやり夜の空を見上げる。
さすがにひとりで知らない都会の街は、ちょっとまだ怖い。
『明日の試合も早いぞ。寝た方がいい、と思うが――』
などと、凄い人間臭いというか、何ならもはやお父さんみたいなことを言う大蛇さん。
でもなんか眠れないんだよ。試合で消耗してないのもそうだけど、寄藤さんからずっと圧を感じていたし。
『圧か……そうだな、御前には、そのように感じるのだろう』
……?
『あれは、御前の友の言う“剣気”とやらと同じものだ。感じているものは少々違うが、御前も、それを感じ取れるようになった、ということだ……いや、あれだけ御前にだけ向けられていれば、必定誰でも感じるものか』
ああ、これが……。でもわたしが感じているものは、戸枝さんの言うような『剣気』とはまた違う気がするんだけど。
『だから、少し違うといった。……御前の感じているものはもっと広い。なので熱剣は感じ取れず、御前だけが感じている』
なるほど……? ちょっとチャンネルが違うのかな?
『うん。ところで――その圧とやらが、今お前に近づいてきているのは大丈夫か?』
え?
思わぬ発言に驚いていると、奥から急に別の感覚を感じた。
夏の夜、街灯の先から、急にわたしに向けてだけの圧が。
まるで、夜中に出逢う殺人鬼みたいな気配が、街路樹の向こうから近づいてきて――
「――あら、奇遇じゃない。佐守あお」
「よ、寄藤、さん…………」
今のわたしには戸枝さんはいない。
だから、自分で向かい合うしかない……この圧に。
「あんたも、どうせ力有り余ってんでしょ? こっちも、今ちょっとむしゃくしゃしてんの。――ツラ貸しなさい。今なら、邪魔も止める理由もないでしょう」
だから立ち会え――否、『殺す』と。
夜の殺人鬼は、「これは八つ当たりだ」と明確にした上で、わたしを選んだ。
◇
夜中の試合練習場。
本当なら閉まっている時間だけど、大会期間中は軽い練習をする選手のために、二十四時間開けてくれているらしい。
――と、そんなのとか無関係に。
寄藤さんは鍵のかかった扉を試合用の模擬剣で斬り捨てると、無理矢理蹴飛ばした。
そこには、聖剣の傍にいた時の彼女のような雰囲気はない。
抜き身の刃のような圧の塊だった。
そうして彼女は前まで行くと、抱えていた二本の試合用の模擬剣の一本を、わたしに投げつけてくる。
「ほら、拾いなさい。あんたから先に『異能』を抜いていいから」
「…………本当に、やるつもりなんですね?」
「理由とか、聞かないでね。ないし」
ただ、彼女はわたしが気に入らない。
そして、丁度むしゃくしゃしていた時に、わたしに出逢った。
だから、八つ当たらせてもらう。
あまりにも分かりやすい加害の理由。
ならば、こちらも別に付き合う道理もなく――
「――『大蛇さん』」
『うん』
――純粋に、その訳の分からない圧を向けられ続けるのもうんざりだったので。
それを見ていた寄藤さんは、少し目を見張る。
「……模擬剣に変化はないのね。まあ、どうでもいいけど……結構、凄いじゃん」
そこだけは素直に褒めてくれる寄藤さん。
多分わたしの『大蛇さん』への素直な言葉。しかしそれもすぐ嘲笑に変わる。
「まあ、やる気になってくれたのはよかったわ。……こんなん、逸見先輩に見られたら、絶対に叱られるしね」
はっと笑いながら、正眼に構えるわたしの前で、試合用の模擬剣を、左手を柄に、右手を刃側に持って立つ。
まるで、『今から剣を抜く』みたいな恰好で。
「――『お前が和解を求めても、今はもう遅すぎる。我が刃は既に抜かれ』」
始まる詠唱。目に見えるほどの『圧』に包まれて、模擬剣が黒く禍々しい剣に代わる。
いや、アレはまだ抜かれていない。現れた黒皮の鞘から、彼女はゆっくりと、『ソレ』を抜いていく。
「『これはわたしによって鍛えられ、ひとたび抜かれれば必ず誰かを殺す剣』」
瞬間、鋭い圧と同時にその剣が引き抜かれ――
「――『抜剣。ダインスレイヴ』」
その、黒い魔剣が姿を現した。
「……っ」
赤黒に濡れた切っ先は、剣というよりも狼の牙に似ている。
抜いた魔剣を片手で握り、もう片方にはさっき抜いた鞘を無造作に留め具の縄で持つ彼女の姿は――あの『ガラティン』を持っている時よりも、圧倒的に禍々しく。
――けれど、圧倒的に彼女に似合っていた。
「本当はコレ、抜きたくないのよね。だって気持ち悪いでしょう?」
こんこんと肩を叩きながら、彼女は自分の『異能』を何処か憎らしく眺める。
「でも、その内お役御免になるだろうし……今日あんたを屠る分には、コレで十分――」
そう言って、彼女は無造作に剣を握る。その構えも、全然あの『聖剣』とは違う、綺麗でも、美しくもない我流。
「だからねっ……!」
……というより、ほぼ力技みたいな勢いで彼女は急に全力で剣を振ってきた……!
鋭すぎる圧を感じて、慌てて下がる。この距離なら、まだ彼女の牙は届かな――
「逃げんな!」
「――――!?」
安心しているわたしに次の一撃。
彼女がもう片手に握っている『鞘』の一撃が、続けてわたしを襲ってきた。
「くっ」
思わず刃で受ける。剣みたいに鋭い一撃だったけど、あくまでそれは鞘だ。
剣のように攻撃力はないので、防ぐだけですむ――
「なにチンタラしてんのよっ……!」
「は――!?」
ありえない。
回転を終えた彼女は、続けてその勢いで『回し蹴り』を放ってきた……!
思いっきり腹を蹴られて吹き飛ばされる。
さらに彼女は剣を握りなおして、体勢が崩れたわたしを襲ってくる……!
「な、なん……!?」
なんだ、この荒々しい剣。
というよりも、そもそも剣術なの?
少なくとも逸見さんが教えてくれた剣とは真逆――というよりも、これは――
――これは、ただのチンピラの喧嘩殺法……!
「あ、ぐっ……このっ」
「ほらほらほら……!」
そんな殺法でも、変幻自在かつ荒々しくて、わたしはどうしても防戦一方になってしまう。
狂狼の如き暴れようは、たまに重力だとかを無視して襲ってくる……!
落ち着け……! 手数の多さに惑わされちゃいけない……!
鞘だとか蹴りはあくまでフェイク。鞘はそこそこ重いし、蹴りも純粋に背丈の違うわたしだと蹴り飛ばされてしまうけど、彼女の本命はあくまであの黒い刃。
他を無視して、魔剣の刃が振り下ろされた瞬間、その隙を狙ってわたしは迫る――
「――『殺す』」
一言――静かな声と同時に、急にあり得ない方向から剣が回った。
それからあり得ないような挙動をして、刃は真っ直ぐにわたしの胸に向かう……!
「う、ぐぅ……は、“払え”!」
咄嗟に魔力を乗せた剣を一気に振るう。
広範囲に広がる斬撃で、どうにか寄藤さんを振り払う――
「『殺す』――!」
「……!?」
またあり得ない方向転換。
身体は空中で足を蹴ってもいないのに、まるでそちらが本命だと言わんばかりに、彼女の剣だけがこちらへ無理矢理斬り込んでくる。それに、彼女の体は引っ張られているだけ。
その斬撃はさすがに防げたけど、あまりに重たい攻撃で、強引に肩へと剣を埋め込まれてしまった。
「いっ……う」
赤い血が、わたしの肩と、それから彼女の魔剣の先に。
血に濡れた魔剣をぬぐうでもなく、彼女は一度刃を鞘に戻す。
「よく避けんね。思ったよりやるじゃん」
「……それが、あなたの『異能』ですか」
「そう。相手を仕留めにいく刃。どんな無茶な動きだってかまわずね」
つまり……自動追尾だ。なので、彼女はどんな体勢からでも、どんなに無理な剣筋だろうとも、道理を無視して無理矢理に成立させることができる。
刃が抜かれている限り、油断してはならない。必中の牙。『血濡れの魔剣』。
それが、彼女――寄藤環の真の『異能』……!
「使いにくいのよねぇ。『聖剣』の隣に立つには似つかわしくないし。本当は剣を見たくもない……けど、まあいいでしょ、これは勝負じゃなくて、ただの八つ当たりなんだから!」
使いにくいという割に、彼女の剣は紛れもなく真だ。我流で、荒々しくて。
そもそも剣と呼ぶには烏滸がましいただの喧嘩殺法だけど。
その剣は今のわたしよりも圧倒的に強くて――何よりも――
「――『殺す』」
その一言で急に軌道を変えてくる剣が、どうしても防ぎきれない……!
「ぐ、うぅ……」
「まだ、立てるんだ? いいわね、そうじゃなくっちゃ」
楽しげに加害を喜ぶ寄藤さんの姿は、確かに聖剣には相応しくない魔性である。
……故にこそ癪に障る。禍々しいが、これは間違いなく、
だというのに、この剣に何の不満が――
「――さあ、行くわよぉ!」
「くっ……はっ……しま――」
まずい、体力がもうない……! あの合宿で多少増えたにも関わらず、既に息がからっきしだ。
でも、それも仕方がないことだ。彼女の刃は変幻自在にして必殺。油断したら即座に狩られると集中すればするほど、術にはまる。
とにかく視界から消えた瞬間が危ないと理解しているのに、つい黒皮の鞘で視線を奪われて。
「――『殺す』」
見えないところで歌われた声。同時に、彼女の圧が全身に掛かる。
『見るな』『あの剣は、見て捉えようとするな』
大蛇さんの姿を幻視する。双頭の顔が、わたしを見下ろしている。
全身に感じる圧――いや、正しくはこの圧こそが、彼女の刃の正体だ。
『分かるだろう』『それは殺気だ。目で見えるものではない』
そもそも、彼女の全身から、わたしは『感じていたもの』
なんか肌にピリピリとする殺気、それには濃淡がある。
『確実に狙ってくる、獲物を狩る牙』『確実に殺すという決意』
『それから逃れたいのならば』
三首目の顔が現れる。わたしに、その圧から逃れる術を――
『――“察し”ろ』
目でとらえるのではなく、肌で察しろと。
かの三つ首の大蛇は言った。
「――――っ!」
「なっ」
見えてはいない……。見えてはない、けど。
喉元を抉ろうとする殺気を“察し”て、ただその箇所に刃を置いて真横に“薙いだ”。
続けて、全力で魔力を剣に流し込み、動揺する寄藤さんに“払う”……!
「ぐあ……っ! くっ……」
予想外の反撃に、思わず目を白黒させている寄藤さん。
『獲物』に反撃されるなど、思ってもみなかったのだろう。
苛立っている。怒っている。
――ああ、きっと癪に障っているのだろう。
「――さっき、八つ当たりって言ってましたよね」
ならありがたい。その殺気は実に分かりやすい。
わたしと同じものだから、わたしはそれを吐き出す一番の術を知っている。
「いいですよ。わたしも今から、あなたに八つ当たりしますから」
知らぬ間に恨まれて、知らぬ間にこんなところに引っ張られて。
明日も試合だというのに、勝手に相手の怒りを向けられて。
八つ当たりというには、正当な怒りの気もするけど……まあいいか。
最初から、分かって乗っていたのはわたしだし。
なので――まあ、とりあえず『これ』かと思いつつ、模擬剣を両手で握って、正眼に構える。
「――雑で安っぽい剣技。貴方の剣の師は――『白夜の聖剣』は、こう教えてくれましたよ? 『肩に力を入れるな』って」
かの『聖剣』に教えてくれた通りの構え。正眼で真っ直ぐ、肩の力を抜いて。
あの堂々とした身のこなしからは、とてもじゃないが一緒だとは言えないけど。
それでも『白夜の聖剣』と一緒に過ごしていたなら、きっと見覚えはあるはずの構え。
「ふざけんじゃないわよ……! あんたがその構えを取るな! ……『殺す』!」
魔剣を構えて再び道理を無視した剣戟を見舞ってくる寄藤さん。
けれど、十分“察す”ることができる。そうなれば回避も防御も容易だ。
――まして、あの『聖剣』の教え。チンピラの喧嘩殺法如きに負けるわけがない。
「はぁ……はぁ……! 『殺す』『殺す』『殺す』『殺す』!」
「……っ、はあっ!」
いくら『異能』を使っても、無駄な魔力を消費するだけ。
あなたの殺気はあまりにも分かりやすい。
“薙ぐ”必要もなく、ただ逸見さんに教えてもらった通りに、彼女に剣を突き付ける。
「はぁ……はぁ……」
「『余分な体力』。『余分な力』……基礎の基礎から、やり直したらどうですか」
ただの八つ当たり如きに負けるわけもない。かの『聖剣』の術だ。技だ。
……それを彼女に振るってるのは、まあ八つ当たりじみているんだけど。
いっか。
「……じゃあ、『斬ります』」
よし今度はこっちから、さっきまでの八つ当たりの仕返しをさせてもらう――
と決めた途端――
「――――そこまで」
静かな――けれど、僅かに怒りの籠った声と共に。
一瞬、白い何かがわたしと彼女の間を通り抜けたかと思うと――
「え」
「あ……!?」
気づけば、わたしたちの手から、剣は奪われていた。
代わりにそこに立っていたのは……。
「まったく……こちらは眠いと言っているのに。なにを、まあ……その隙に」
呆れた顔をしながら、片手にわたしの模擬剣と、魔剣を同時に持っている、『白夜の聖剣』逸見明音その人だった。
◇
「君達。喧嘩をするなら他所で……。いや、喧嘩をするな。今は大会中だぞ」
寝起きのせいか、珍しく少し怒りを浮かべながら、逸見さんは立っていた。
……ていうか、え……?
今の一瞬で、わたしと彼女の手から剣を奪った……?
見れば、魔剣はもう元に戻っているけれど……。
「い、逸見先輩……!」
「寄藤……あのな」
寄藤さんが彼女に駆け寄ると同時に、全身で感じていた殺気は消えた。
代わりに、なんだか別の感情を、強く感じる。
ああ、これは――憧憬だ。わたしが戸枝さんに抱くものと、同じ感情。
「状況は……何となく察する。大方ウチの寄藤が、佐守さんに嚙みついたんだろう」
「え、あ、まあ……」
「なので――そうだな。戸枝さん、すまない……。もし彼女が怪我をして明日に支障があるようなら、私の管理責任だ」
え? 戸枝さん……?
振り返ると、試合場の入口付近にかの『熱剣』、戸枝小春が立っている。
かの『みんなのヒーロー』、『白夜の聖剣』と、『わたしのヒーロー』、『終の熱剣』に、挟まれている。
一方の戸枝さんは、はあとため息を吐きつつ。
「いいえ。多分ですが……佐守さんも分かって付き合ってると思うので、そんなに気にしないでいただいても構いません。この子、これで……いえ、見ての通り喧嘩っ早い一面があるので」
「と、戸枝さん……」
思わず駆け寄る。
「佐守さん……あのね」
と、戸枝さんはため息を吐きながら。
「多少は慣れたみたいですけれど。そう簡単に、売られた喧嘩を買わない」
「寄藤、君もだ。怒りを辺りに撒き散らすな。見ていて、ハラハラする」
「「そ、それは」」
「彼女が、先に――」「元はといえば」
「売ってきた喧嘩で――」「こいつが悪くて」
「こちらもイライラしていたし――」「八つ当たりではあるけど」
「「とにかく、こいつが悪いんです!」」
「二人とも、他責にしない。話を聞くにどっちもどっちだ。……それと、寄藤は『異能』を抜いたな?」
「う、で……でも、どうせ試合では使いませんし……」
「それは、私が決める。そういう約束だったろう。君の魔剣が必要な盤面もあるかもしれない」
「どちらにせよ、こんな子どもの喧嘩で抜くものではない」と、逸見さんは言って。
「……ええと、すまない。寄藤のことは、こちらでよく言っておく……。ともかく、私は、今日はもう眠い……」
「なので、あまり問題を起こしてくれるな」と。そう言う逸見さんは何時になく疲れていた。
そんな彼女に肩を貸して去っていく寄藤さん。あなたのせいで疲れているんですよ?
だって言うのに、彼女の眼には、もうすっかりこちらなんて映っていない。
なんなんだよ、本当……。
「佐守さんも、苛立ちをすぐにぶつけないでくださいまし……。怪我はないの?」
「え、あ、まあ……大したことは……」
多少の怪我はあるけど。まあ治る範囲。
少なくとも明日の試合に支障はでないだろう。ちょっと疲れたけど。
「そう、ならいいんですが……うう~ん……」
両手を組んで何やら悩んでいる戸枝さん。
(うい~……戸枝ちゃん、佐守ちゃんは見つかったかねぇ)
とか悩んでいたら、急に頭の中に水野部長の声が聞こえた。どっかで水野部長が念話だけの異能を使ったのか。それでも、しばらく会ってないわたしにもつながるとは。
(あ、佐守とも繋がった。……最初からこれでよかったのでは?)
(ダメだよ、戸枝ちゃんが見つけてたから見つけられたってだけで。居場所も分かんね~相手はさすがにね~?)
戸枝さん経由で、わたしにも繋がったようだった。さすが……。
ていうか、今のは山名先輩の声……?
(あ、あの……もしかして、みんなで……?)
(ああ、僕もいるよ? ……ていうか、何なら絶賛佐守さん捜索中)
(自動販売機に行くと言ってから、急に宿から消えるんですもの。それは心配もしますわ)
そう言えば……そうだった。
元はちょっと夜風を浴びに行く、くらいのつもりだったんだ。
……それがどうしてこんな血生臭いことになったのかは、ちょっと分からない――というか、そもそも理由がないけど――
(ともあれ、見つかったんだね? んでなに? んで? 明日に支障はない? おっけおっけ、それなら戻ってきな~。安全にね~)
(……部長、それだけですの?)
(うん。大会参加と明日に支障がなければ、いい。君らの喧嘩に口出しはしないよ。あたしは自由をヨシとする、素敵な気楽な部長さんなんでね~?)
優しい声音と共に、ぷつりと切れる念話。
あとに残されたのはわたしと、戸枝さん。
戸枝さんは、何だか難しそうな顔で――
「…………ああいうのは、自由ではなく無責任というのでは」
とか、なんか難しいことを言っていた。
「とはいえ、そうですね……貴方が怪我をしていないからよかったですが。その力は明日に取っておいてください。……それと、逸見さんも言っておられましたが、ああいうのは、見ている側がハラハラします……」
「ああいうの……」
とは……。
「ともかく……。そうですね、『余計な喧嘩』はしない。まずはこれを守ってください。でなければ、私は『貴方の友だちを止めます』」
「うむ……」
なんだか、それを言われれば、わたしが何でも納得すると思って……。
言葉にはできないけれど、気持ちが悪い。
愉しくない。
「……もっとちゃんと言いましょうか。私は、『貴方に失望します』。この縁を『終わらせます』」
「……っ」
それは、嫌だ。
あの頃の――誰もに羽虫のように扱われていた、無能だった頃の自分に戻ってしまう。
あの、学園に向かうだけで泥に足が取られるような日々――またあの花瓶が、机の上に――
「わぅ……あ……やだ……」
「……佐守さん?」
「やだ、いやです……わ、わたし、分かりました……分かりました、から……」
「…………はあ」
ぎゅって。
身体に、暖かい感触。
戸枝さんに抱き締められた。みたい。な。
「……今のは、極論です」
「ぇ……」
「でも、実際、人にすぐ手を出すのは……無意味な加虐は、とても、良くない行為です。分かるでしょう?」
「……ん」
「じゃあ、そんなのやめなさい。試合中の怪我ならさておき、ただの喧嘩で大けがなんてしたら、みんな心配しますよ?」
「たしかに……」
もしわたしが不祥事でも起こせば、参加中止もあり得――
「そうじゃない。そうじゃないの」
さらに強く、ぎゅっと抱き締められる。
「みんなが、あなたを心配します。『友だち』の私も、もちろん心配します。だから――」
そこまで口にしてから、戸枝さんはまた口を閉じちゃった。
彼女の身体がゆっくりと離れていく。
なんだろうと思って顔を見てみると、彼女は口に手を当てて。
「――まったく、何様のつもりなんでしょうね、私は」
と、とても忌々しそうに呟いていた。
「何様って……『終の熱剣』……?」
あと、『わたしのヒーロー』……?
「そうですね、そのとおりです」
はあっと彼女はため息を吐いてから、
「――佐守さん、おいで」
そう、優しく呟いた。