文化祭の準備期間、普通科の教室でも何かしらの出し物が求められた。あたしのクラスは、ちょっとしたダンスステージをやることになった。話し合いはいつものように予算の話や、模擬店をやりたいという声で紛糾していたが、最終的に体育館のステージが一時間だけ空いているということで、簡単なパフォーマンスをやろうという流れに落ち着いた。
「花海さん、お姉さんがアイドルだし、ダンス経験あるんじゃない? 振り付け、考えてくれない?」
クラスメイトにそう頼まれて、あたしは咄嗟に断ろうとした。心臓が嫌な感じに跳ねた。目立つことはできるだけ避けたかった。でも、周りの期待するような視線に押されて、結局引き受けてしまった。「ちょっとだけなら」という言い訳を、自分自身に言い聞かせながら。
放課後、誰もいない教室であたしは一人、振り付けを考え始めた。最初は簡単な動きだけで済ませようと思っていた。目立たない程度の無難な振り付け。そのつもりだった。
久しぶりに音楽に合わせて体を動かした。イヤホンから流れる曲のリズムに、体が自然と反応していく。
やっぱり身体は覚えていた。
驚くほど自然に振り付けが浮かんでくる。指先の動き、視線の運び方、間の取り方。何年も遠ざけていたはずのものが、身体の奥底から溢れ出してくるようだった。気がつけば、当初考えていた無難な振り付けはもっと複雑で、もっと表現力豊かなものへと変わっていた。
楽しい。
その感情に気づいた瞬間、あたしは我に返って動きを止めた。息が上がっていた。教室の窓ガラスに映る自分の姿を見つめながら、あたしはしばらくその場に立ち尽くしていた。
止められなかった。楽しいという感情があまりにも純粋で、あまりにも懐かしくて、あたしはその感覚に少し戸惑ってすらいた。
◇
文化祭当日、あたしの振り付けたステージは思いのほか評判が良かった。体育館に集まった観客から大きな拍手が湧き起こった。クラスメイトたちが口々にあたしを褒めた。
「花海さん、才能あるんじゃない?」
「なんでアイドル科行かなかったの、もったいない」
悪気のない言葉があたしの胸に小さな棘のように刺さった。あたしは曖昧に笑ってその場をやり過ごした。汗を拭きながら、体育館の隅に移動する。まだ心臓がドクドクと音を立てていた。それは緊張のせいだけじゃなくて、久しぶりに味わった高揚感のせいでもあった。
その時だった。
「佑芽」
振り返るとお姉ちゃんが立っていた。少し離れたところからあたしのステージを見ていたらしい。制服姿のまま、まだステージ衣装を着替えていないあたしの前に立って、お姉ちゃんはじっとあたしを見つめていた。
「お姉ちゃん……。見てたの?」
「うん。最初から」
お姉ちゃんの表情はいつもと少し違っていた。驚きと、それから、何か言いたげな複雑な色が浮かんでいた。あたしはその視線から目を逸らしたい衝動に駆られたが、なんとか堪えた。
「佑芽、あんなに上手に踊れたんだ」
その声には責める色はなかった。ただ、静かな戸惑いがあった。まるで、長年知っているはずの妹の知らなかった一面を見つけてしまったような、そんな声色だった。
「わたし、知らなかった。佑芽がそんなに、ダンスが得意だったなんて」
あたしは何も言えなかった。ただ、体育館の喧騒が遠くに聞こえるだけだった。
◇
その夜、リビングで二人きりになったとき、お姉ちゃんが切り出した。テレビは消えていて、部屋には静かな緊張感が漂っていた。
「佑芽、聞いていい?」
あたしは嫌な予感がした。膝の上で手を強く握りしめる。
「なに?」
「佑芽って、本当はアイドルやりたかったんじゃないの?」
心臓が跳ねた。喉の奥が急に乾いた気がした。
「な、なんで急にそんなこと」
「今日のステージ見て、ずっと考えてた。佑芽、昔から運動神経良かったし、リズム感もあったし……。それなのに、なんで普通科選んだのかなって」
お姉ちゃんの目は真っ直ぐあたしを見ていた。誤魔化しを許さない、静かな強さがあった。あたしはその視線に耐えられなくなって、思わず目を伏せた。
「わたしと同じ場所に立ちたくなかったから? それとも……わたしに、遠慮したの?」
図星だった。でも、その理由の全部をあたしはまだ話すことができなかった。時間遡行のことも、あの言葉を飲み込んだことも、全部を打ち明けるにはあまりにも突飛すぎる話に思えた。
「そんなんじゃ、ないよ」
あたしの声は自分でも分かるくらい弱々しかった。説得力のない否定だと自分でも分かっていた。
「佑芽」
お姉ちゃんはあたしの手をそっと握った。その手のひらの温かさに、あたしの目頭が熱くなった。
「ちゃんと、教えて。わたし、佑芽が何か我慢してるなら、それを理解してあげたい」
その言葉に、あたしの中で何かが音を立てて揺れた。何年もかけて積み上げてきた壁が、今にも崩れ落ちそうな予感があった。
部屋の壁掛け時計の秒針の音だけがやけに大きく聞こえていた。あたしはお姉ちゃんの手を握り返しながら何と答えるべきか、必死に考えを巡らせていた。ここで全てを話すべきなのか、それとも、まだこの秘密を抱え続けるべきなのか。答えはまだ見つからなかった。
「あたし、ずっと隠してたことがあるんだ」
沈黙を破って、あたしはそう切り出した。お姉ちゃんはじっとあたしの言葉を待ってくれていた。
「でも、それを話してもお姉ちゃんはきっと信じられないと思う」
「話してみないと分からないでしょ」
お姉ちゃんの声は優しかった。でも、あたしはまだ言葉を継ぐことができなかった。何度も口を開きかけては、また閉じることを繰り返した。
「佑芽、無理に話さなくてもいいのよ。ただ、わたしは知りたい。あなたが何を我慢してるのか」
お姉ちゃんはそう言って、あたしの背中を優しくさすってくれた。その温もりに、あたしの中で張り詰めていた何かが少しずつ緩んでいくのを感じた。
でも、その夜、あたしはまだ真実を打ち明けることができなかった。時間遡行のことを話せば、お姉ちゃんはきっと戸惑うだろう。信じてもらえないかもしれない。そう思うと、どうしても言葉が喉の奥で詰まってしまった。
「ごめん、お姉ちゃん。今はまだ、うまく言えない」
「……そう。分かった。無理に聞かないから」
お姉ちゃんはそれ以上追及することなく、あたしを優しく抱きしめてくれた。その腕の中で、あたしはしばらく動くことができなかった。
◇
文化祭の余韻が残る翌週、あたしはクラスメイトから、「もう一回踊ってみせてよ」とせがまれることが増えた。断り切れずに、休み時間や放課後、簡単な振り付けを披露することがいつの間にか日常になっていった。
その様子を時々お姉ちゃんが見に来ることもあった。渡り廊下を通りかかったついでにといった様子で、教室の窓からあたしのダンスを眺めていく。
あたしはその視線に気づきながらも、あえて気づかないふりをして踊り続けた。心のどこかで、お姉ちゃんに見てほしいという気持ちがあったのだと思う。身勝手で、悍ましい気持ち。
その気持ちの正体にあたしはまだ、正面から向き合うことができずにいた。でも、文化祭のあの日を境に、あたしの中で何かが確実に動き始めていた。長い間閉じ込めていた感情が少しずつ、その姿を現し始めていた。
◇
ある日の夜、お姉ちゃんの部屋に呼ばれた。机の上にはアイドル科のパンフレットが広げられていた。
「これ、見て」
お姉ちゃんが差し出したのは転科制度についての案内だった。普通科からアイドル科へ、条件を満たせば編入できるという初星学園の制度。
「お姉ちゃん、これ……」
「調べたの。もし佑芽が本当はアイドルをやりたいなら、まだ間に合うんじゃないかって」
あたしはその紙を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。お姉ちゃんがこんなにも真剣に、あたしのために動いてくれていたなんて思ってもみなかった。
「決めるのは佑芽自身よ。わたしはただ、選択肢があることを伝えたかっただけ」
その言葉を受けて、あたしの中で何かがはっきりと形を持ち始めた。もう、目を逸らし続けることはできない。あたしは自分自身と向き合わなければならない時が来ていることを、痛いほど自覚していた。