誰もが心に持つ、心象風景。
それは日々を過ごす中で、更新されていくものなのだろう。
今の僕にとってのそれは、少し前の記憶になる。
少々荒れていた中3の秋。
例に漏れず、僕も反抗期真っ只中だった訳だが、それが向かう先は親ではなく、僕を取り巻く世界だった。僕はそんな世界に対して、傲慢でささやかな反抗心を抱いていたのだ。
そんなある日、親父に山キャンプへ連れ出された。
反抗の対象が親ではなかったため、両親ともに多少口は利いていたが、返事は愛想のないものばかり。
親父も元々愛想のいい人間ではなかったため、車での移動中は終始会話が生まれることはなかった。
長い移動時間の末、ようやく辿り着いたキャンプ場。意外と手際よく設営を行う親父に驚かされたものだ。
しかし、山キャンプと言っても、特別何かをしたわけではない。
スマホの電波が入らない場所で、焚き火を囲み、カップ麺を食べながら、他愛のない話をポツポツと交わす程度。
こんなことに意味があるのか、と思っていたが、ネットから隔離された、何もしない時間が心地よかった。
今思えば、あの時の僕に、1番必要な時間だったのだろう。
その夜、親父が急にテントの灯りを消し、僕に外に出るよう促した。
薄い布切れ1枚をめくると、そこには満天の星空が広がっていた。
──────ただ圧倒された。
時間を忘れ、言葉もなく、ただ空を眺めていた。
流れる星と共に、僕の頬を涙がつたっていたのを覚えている。
その時、僕の小さな反抗は終わったのだと思う。
あの夜は、まるで星が降るような夜空だった。
そう言えば星が降る、というのは英語だとなんというのだろうか。
スターフォールン、これではまるで隕石のようだ。
あまりに物騒だ。
あの日の想いに添えるのであれば、『スターレイン』と言ったところだろうか。
我ながら凡庸な並びだ。
いずれは他の思い出に塗り替えられるのであろう、ありふれた心象風景。
例えば、帰宅部に入った夏のできごと。
例えば、それより前の3人で過ごした1年間。
例えば、これから描いていくのであろう明日《いつか》。
大人になった時、僕の心に残るであろう大事な日々。
それと比べれば、やはりあの秋の宵空は大きく劣る。
──────それでも今はまだ、凡庸な秋夜の風景が、星降る夜空が、僕の中に輝いている。
夏休みも明け、流れる風が心地よくなる頃、僕たちの学校では文化祭に向け、本格的に動き始めていた。
我がクラスの文化祭実行委員の田宮くんが、黒板に文字を連ねていく。
クラスの出し物を決めるわけだが、各自思い思いの案を発言し、それを書き出していた。
まず間違いなく却下されるのだろうが、『水着メイドカフェ』とは、一体どこを目指したのだろうか?
カフェで水着を着たら、それはメイドカフェではなく、間違いなくアダルティなお店のそれだろう。
と言うか誰だ、そんな案を出したのは。
「えーっと、まず恋崎くんの案、水着メイドカフェだけど、常識的に考えてNGなので却下します」
マジか、僕だった。ってそんなわけあるかい!
脳内で寒いノリツッコミが響く。
兎にも角にも名誉回復を図らなければならない。
「ちょっと待って!僕はそもそも発言してない、と言うかさっきまで寝てたから絶対僕じゃ無い!」
「まず寝るな恋崎」
「はぃ・・・」
しまった。若干墓穴を掘った。
高岡先生の一喝により、僕は不真面目な生徒の烙印を押された。真面目一本で通していたのに。
黒板の端に雑務の欄と、僕の名前を書き足す高岡先生。
どうやら出し物より先に、僕の役割が決まってしまったようだ。
「あれ?でも恋崎くんの案だって、誰かが言ってた気が・・・」
そのやりとりの傍で、田宮くんは首を傾げる。
「いや、だから僕は寝てたし、そんな企画興味はあっても発信する度胸はないって!」
「興味は、あるんだ?」
確かにそうか、と納得する田宮くん。しかし隣の席からは若干冷ややかな声が、いや、視線も冷たい。
「でもさ、月宮さん。思春期男子なんて、みんなそんなものだって」
「ふーん・・・」
ダメだ。もう僕の名誉ポイント、略してMPはゼロだ。と言うかマイナスだ。
月宮さんからの好感度が急降下したのを感じていると、田宮くんの進行はどんどん進んでいく。
演劇は誰も主演をやりたがらないため見送ろう。
クレープは生ものが使えないからやめておこうか。
恋崎くん案のコスプレ喫茶は予算の都合と、透けて見える下心故に却下。
などなど、中々の手腕で取りまとめていく田宮くん。
ちなみにコスプレ喫茶も僕の案ではない。
寝てたし!と再度弁明し、寝るな。と再度叱られ、黒板の端には、雑務の横に客引きの欄と、二つ目の僕の名前が刻まれた。
「それじゃ2組の出し物はお化け屋敷、で決定します。来場者数、No. 1を目指して頑張りましょう」
田宮くんの手腕により、無事に出し物と各役割が決められた。
僕は、雑務兼、客引き兼、そしてもう一つ追加されたスパイの役割を割り振られている。
もちろん三つ目の役割も冤罪だ。いや、ホントだよ?第一、僕が男装ホストクラブなんて提案しても何の得もない。男装なんて見てなんの意味が・・・まぁ涼風さん辺りなら、男装は似合いそうではあるが。どのみちクラスが違うのだから叶うはずもない。
ちなみにスパイについて聞いたら、他クラスの出し物の客入り状況の調査と、ステルスマーケティングをしてこい、との事だった。営業妨害で怒られたりしないのだろうか。
と言うか、No. 1とか、そう言う表現は取り締まられませんか?・・・ふむ。
「田宮くん、ちょっといいかな」
「恋崎くん、君の案は全部却下されてるけれど」
「だから僕じゃないって。それにこれは結構画期的なアイディアだと思うんだ」
そう、当日校内を見て回るのは大半が学生、つまり来場者数を伸ばすなら、ちょっとしたホスピタリティと、お財布への優しさも大事なのだ。
「ツケ払いでドリンクサービス、なんて言うのはどうだろうか?」
こうして、僕はマジトーンのお説教と、新たに各種報告書の作成が追加された。
完全に男装ホストで思考を引っ張られすぎたわけだが、高岡先生の説教と僕の弁明する姿にクラスはざわついていた。
また、恋崎か。
やっぱり、恋崎か。
マジで、恋崎だよな。
どうしていつも、恋崎くんは。
今絶対、恋崎を悪口みたく使った奴がいたよな?
そんなざわめきの中に、楽しそうな笑い声が聞こえた気がした。
@
「なんか、僕だけ負担大きくないかな?」
「んーあれは恋崎くんが悪いよ」
「問題児の自覚、足りなすぎる。本当に、もう少し弁えて」
ホームルームが終わり昼休み、若山さんは呆れ果て、月宮さんは頭を抱えていた。
1番頭を抱えたいのは、僕だと思うんだけれど。
「失礼。恋崎、と言う生徒を探しているのだが」
聞き覚えしかない名前と聞き覚えのない声が耳に届き、教室の入り口へ目を向ける。入り口には、吊り目に仏頂面でメガネをかけた男子生徒がいた。
僕でも知っている。彼は我が校の生徒会会長、吉川《きっかわ》・・・下の名前は、まぁうん。
いわゆる天才と呼ばれる部類の人間で、学問だけではなく芸術方面にも秀でる。特筆すべきは、将来の夢が殺陣師だそうで、武道においても優秀な成績を残しているらしい。
正に武芸百般。この学校で1番頭がよく、1番侍に近い人、それが吉川会長だ。
そして扉より少し後ろ、腕を組んでいるウルフカットと地味に明るい髪色の女子生徒は、副会長の小早川《こばやかわ》先輩。下の名前はもちろん、ね?
会長に劣らず、こちらも天才肌。ただし運動方面に極振りされている。曰く女子の部活なら何をやらせても、この人には勝てず、一部の個人競技なら男子の大会に出ても優勝を掻っ攫えるそう。
この学校で1番行動力があり、唯一生徒会長と張り合える人、それが小早川副会長だ。
僕が心の中でブクロの両川と呼んでいる、3年生の先輩達なのだが、個人的には吉川の姓には運動で、小早川の姓には学芸ではないのか、と思わなくもないが、それも心に留めている。だってにわか知識で恥をかきたくないし?
そんな2人が僕を訪ねてきたわけだけど、ツケ払い発言って、生徒会まで敵に回すようなものだったかな?冗談ですやん?
「ねぇ恋崎くん呼ばれてるよ?」
「大丈夫。顔は割れてないし、居留守が使える」
そう、居留守が使えるのだ。だからみんなは僕の名前出したり、僕の方を見るのはやめてね?
そんな僕の心境とは真逆に、クラスメイト達は全員僕の方を見て、「また、恋崎か」「やっぱり、恋崎か」「マジで、恋崎だよな」「ホント恋崎くんなんだから」など騒めきたつ。
おい、誰だよ最後のやつ。なんかすごく楽しそうに笑ってなかったか?
そんな視線を見逃すはずもなく、両川は僕の席へ歩み寄ってくる。
「ふむ、君が恋崎か」
「ヒトチガイデス・・・」
「シラを切るってことは、なにか私達に後ろめたいことでもあるのかな?」
「ボク恋崎デス・・・」
なんか怖い!3年生怖い!
などと気圧されてしまっている僕なわけだが、もちろん高圧的な話し方ではない。
吉川会長は落ち着いた声色で、なんならその話し方には柔らかさすら感じる。
小早川副会長も面白がっているだけで、決して強い口調ではない。
2人の天才エピソードの数々に、僕、と言うよりも周囲が、勝手に萎縮しているだけなのだ。
それにより自ずと生まれる距離感、きっと2人にとって、気兼ねなく接してくれるのは、天才同士である、お互いだけなのだろう。
そんな勘繰りを裏付けるかのように、月宮さんや若山さんを始め、クラスメイトは皆、どこか緊張の色が混ざっていた。
「ところで、その・・・裏の生徒会長的な人は・・・」
「残念なことだが、我が校に毛利という生徒はいない。無論、裏の生徒会長とやらもな」
そっか・・・いないのか、毛利さん・・・。
「え、なになに?今どっから毛利でてきたの?」
「気にするな。俺と恋崎は意外と馬が合う、と言うだけだ」
なんか勝手に馬を合わされたんだが。
「あっそ。それなら私は君と仲良くさせてもらおうかな。ね?月宮さん」
「恋崎くん、私を、巻き込まないで・・・」
なんか勝手に巻き込んだことになってるんだが。
「僕の方から話の腰を折っておいてなんですが、何か要件があったのでは?」
小早川副会長に肩を抱き寄せられ、恨めしい目線を向けている月宮さんを見えないふりして、吉川会長に助けを求める。
どうして小早川副会長は、月宮さんのことを知っていたのか、藪蛇感のある問いは、この際だから棚に上げておく。
「まぁ、そう急くな。こんな所で話すような事でもない。放課後に生徒会室へきてくれ」
「もちろん月宮さんも、ね?」
待って月宮さん。そんな目で僕を見ないで。まだ僕が巻き込んだとは限らないじゃないか。
それに僕にはとっておきの秘策があるんだ。だから大いに安心して欲しい。
「そうですか。行けたら行きますね」
どうだみたか!これが『これで君もプレジデント!頂点へ向かうためのお断り全集。〜嫌なこととは、今日でお別れ〜』の全項目にしつこくかいてあった断り文句だ!
ちなみに全項読破してみたが、中身なんてどこにもなかった。第一お断りしてどうやって大統領になるんだよ。どちらかと言うと、大統領の任の方からお断りされそうな一冊だった。
「安心しろ恋崎。小早川からは逃げられない。それに俺も多少は武の心得がある。少しくらい痛い思いをするかも知れんが、ちゃんと生徒会室まで連れていってやろう」
「わぁーそれは安心ですねぇー・・・」
ボディーガードにしたら心強そうだ。はっ!?つまり僕がプレジデント!?そうか、あの本は嘘なんかじゃなかったんだ!お断りでなれる大統領職はあったんだ!
「恋崎くん、その嫌そうなのを隠さないところ、私は結構嫌いじゃないよ」
「男ならもっとはっきりとモノを言うべきだ、とは思うが。変に取り繕わないあたりは好感は持てるな」
「それは、とても光栄です・・・」
おいおいおい。ただでさえ素行が云々と、謂れもない誹謗中傷を受けているのに、生徒会に目をつけられちゃったよ。
それでは、また放課後にな。と肩を軽く叩き、吉川会長は教室を後にする。それに続いて小早川副会長も月宮さんに手を振りながら帰って行った。
「だから、ごめんって」
そうして僕は、冷たい視線を向ける月宮さんに謝罪をするのであった。解せない。
@
「恋崎くん、早く開けて」
「なんかさ、職員室とかって入る時緊張するじゃん?あっちはもう慣れたもんだけどさ。生徒会室って、初めてだし。なんか、ね?」
「普通は、職員室も、慣れるほど、行かない」
「え、でもみんな何回も呼び出されてたら、慣れてこない?」
「普通は、何回も、呼び出されないの」
「へーみんな変わってるね」
月宮さんは信じられないものを見るような目を向ける。
「へぇ2人の時はそんな感じなんだ。仲良いんだね」
声の方向へ向き直ると、小早川副会長がいた。その手の先には、首根っこを掴まれた池田がいた。
「恋崎、俺を巻き込むな」
だから、まだ僕が巻き込んだとは限らないじゃないか。どちらかと言えば池田の方が、トラブルを起こしそうなものだし。
「まぁまぁいいからいいから。ほら入るよー」
小早川副会長に背中を押されるまま、生徒会室へ押し込まれる僕たち。
中は向かい合う長机といくつかのパイプ椅子。そして壁沿いには、資料が詰め込まれた棚が並べられていた。背表紙に〇〇年度と冠して会計報告や各種イベントの報告書から、保護者報告会に関するものまで、この学校の今までの歴史が詰め込まれているようだった。
なんと言うか、地味だ。もっとこう、高級感のある机や椅子とか、謎のカーペットみたいな華やかな部屋を想像していたのに。
横を見れば池田も不服そうな顔だったが、流石に声には出さないようだった。
「ほらな小早川。恋崎は月宮がいるから放っておいても来ると言っただろ」
急須にお湯を注ぐ吉川会長は、視線をこちらに向けることなく、僕たちの現状を言い当てる。月宮さんがいなければ逃げていたことを含め、完璧に見透かされていた。
「そうね。案の定、池田くんは逃げたけど」
捕まえてきちゃった、と良い笑顔で答える小早川副会長。この人からは逃げられないんだな、と本能が察知する。
「あとは小桜ちゃんが来るのを待つだけだね」
そして安定の信頼感を得ている小桜ちゃん。まぁ確かに、小桜ちゃんは逃げなそうだ。
「池田に小桜ちゃんも来るってことは、白石先輩達も来るんですか?」
「いいや。紬ちゃんと葵ちゃんは来ないよ。あの2人、私は苦手だしね」
飄々と苦手宣言をする小早川副会長。まぁわかる。あのすぐ距離感を詰めてくるとことか、パーソナルスペースって知ってるのかな?あんな風な絡み方は、僕みたいなオタクがあまり得意としないタイプの人種だし。
──────だけど。
「どうして、そんなこと言うんですか?」
「そんな怖い顔しないでよ、恋崎くん。みんながあの2人のことが、大好きなのはわかるよ。すごくいい子達なのもわかってる」
嫌いじゃなくて、苦手なの。そう寂しそうに呟く小早川副会長に、何も言えなくなる。
怖い顔、になっていたのだろうか。そんなつもりはなかった。少なくても、事情をよく知らないのに、断片的な材料だけで誰かを責めたりはしたくない。そう思ってきたのに。それなのに、僕がそんなことをしてしまっていたのなら・・・。
大きく息を吸って気持ちを落ち着かせる。そんな僕を見て、小早川副会長は慈しむような眼差しを向ける。
「まっ、私が一方的に感じてる劣等感みたいなものだから。それに今回呼ばなかったのは、ちゃんと理由があるからね」
その理由を問おうとしたところ、小さなノックが響く。
「どうぞ」
吉川会長の声を受け、失礼します。と言う声と共に、生徒会室の扉を開けるのは小桜ちゃん。
部屋を一瞥して僕と目が合うと、むすっとした表情になる。
「先輩、巻き込まないでくださいよ」
だからさ、まだ僕が巻き込んだとは限らないじゃない?断片的な材料で誰かを責めるの、よくないよ?
「ちょうどお茶が入ったところだ。粗茶ではあるが、くつろいでくれ」
吉川会長に促されるまま、両川の向かいの席に並んで座る帰宅部。そして目の前に差し出される緑茶の入った紙コップ。
「それで、早速だが。君達に頼みがある」
改まった吉川会長に、自然と背が伸びてしまう僕達。頼みと言うから、叱られるわけでもないだろうに。それでも、体が自然と反応してしまうのだから仕方がない。
「俺達と、バンドをしないか?」
ただでさえ少し硬いイメージのある生徒会。そしてどちらかと言えば、和のイメージが強い吉川会長。その人の口から出るには、その誘い文句はあまりに不釣り合いな提案だった。
4人揃って呆けていると、見兼ねた小早川副会長が助け舟を出してくれる。
「ウチの文化祭、体育館で有志のバンドライブやってるのは知ってるよね?今年は大トリでサプライズ演奏しちゃおうかなって、思ってるんだ」
Why?つまり、何故?動機もさることながら、僕達に声が掛かったことにも、そもそも何故バンドなのか、わからないことだらけだった。
「私達にはこの文化祭が最後なわけよ。終われば後は次期生徒会を決めるための選挙をして、それが終わったら引き継ぎをして、すぐに引退して、あとは受験が待っている」
「この文化祭が最後に楽しめるイベント、と言うことだ。だから思い出作りをしたい、と小早川が言い出してな」
「それに、ずっと優等生だった私達も、最後にちょっとした問題を起こしてやりたいなって。そんなロックなことするなら、もうバンドしかないでしょ?」
反体制=ロック=バンド、みたいな思想はどうなのだろうか。怒られません?大丈夫そ?
「無論、恋崎が心配しているような、過激な曲はやらせん」
えぇ、もう僕の思考読まれてるの?
僕がわかりやすいのか、吉川会長が聡いだけなのか、そこだけ教えて欲しい。
「それにサプライズなんて盛り上がること間違いないし、青春って感じじゃん?」
青春と言えば、なんでも許されるとでも思っているのだろうか?
「それでも、どうして、私達、なんですか?」
「如何せん時間がない。楽器の演奏ができる生徒を探すしかない上に、軽音楽部はみなライブ参加側だ。自分たちの練習もあるので、こちらに時間を割ける生徒がいない」
「サプライズだから大っぴらにも募集できないしね。そこで君達だよ。恋崎くん、ツケ払いって言うのは良くなかったねー?」
あ、これ僕が巻き込んだやつだ。
みんなの視線が痛い。それなら責任を取って、なんとかこの話から降りるしかない。
「あの発言は軽率でしたが、責任があるのは僕だけですよね?みんなには関係がないはずですが」
「あれは、そこそこな問題発言だからな。なんとかこじつけて、帰宅部の活動停止、くらいには追い込めるだろう」
おっと。この前帰宅部を救った僕が、うっかり帰宅部を活動停止に追い込んでしまうみたいだ。
「すみませんでした!」
僕は机に額を押し付けながら頭を下げた。それはもう豪快に。
「気にするな恋崎。今回の件で綺麗に水に流そうじゃないか」
有無を言わせぬ宣告だった。やっぱり怖いよこの人達。
「でも僕、楽器はてんでダメで・・・」
「私も、できません」
「ふむ、そうか。だが、月宮はともかく、恋崎もできないのか?オタクは必ずギターを弾けると聞いたのだが」
あまりに認識が偏っている。
確かにアニメの影響で始める人も多いが、中には僕のように、手を出さないオタクだっているのだ。
「会長、まずオタクの定義について認識合わせをする必要があると思うんです。と言うかオタクは必ずギターを弾けるなら、弾けない僕は必然的に──────」
「待ってください!」
僕の懸命な弁明に、意外な方向から待ったがかかる。
「その話、一体どこで・・・?」
珍しく顔色が優れない池田。
何か後ろめたいことがあるのか、お前。
「あぁ、それは君が前にそう発言していた、と聞いていたものでな」
クラスで聞かれもしていない、ギター弾ける話をする池田の姿が浮かぶ。バンドアニメの布教を試みていたのだろう。バレバレなのにオタバレを避けようとした結果、ギターが弾けるという話だけが先行していたのだと、容易に想像がつく。
「僕を巻き込むなよ池田」
「いやちょっと待て!そもそもお前が変なこと言ったせいで、こんなことになったんだろ!」
「いーや違うね!お前のギター弾けるアピが呼び込んだ、人為的な巻き込み事故だろ!」
「恋崎くん、池田くん、座って」
「「はい」」
帰宅部男子は、基本女子に弱いのだ。
「本当に、君達は仲が良いね」
小早川副会長の慈しむ様な眼差し。それにどこか違和感を感じる。何かを懐かしむ様な、そんな意味合いの、微かな違和感を。
「担当楽器についてだが、俺はドラムをやる。経験はないが、ロジックは理解した。あとは実際に練習すれば、基本程度なら難なくこなせるだろう」
普通に聞けば、全国のドラマーを怒らせないかと心配になる。しかし吉川会長においては、その自信はあって然るべきとすら思えるのだ。
「私はボーカルって決めてるんだけど、まぁ人が見つからなきゃ、ベースならなんとか出来ると思うんだよね。人に合わせるの得意だし、周りに巻き込まれずに弾き切る自信あるしね」
さらりと言ってのけるが、ベースはそもそも簡単な楽器ではない。ベースの音がバンドの完成度を左右する、と言っても過言では無いのだ。
しかし、小早川副会長ならとも思えてくる。吉川会長もそうだが、運動方面に強い小早川副会長は、自分のペースを乱されないことの大切さもわかっているだろうし、周りを見る目も人一倍養われているのだろう。
「それで恋崎か池田がギターで最低限の形になる、という算段だったわけだ。ベストはどちらかがベースか、リードギター、と言ったところだったが、そう上手くはいかんな」
「あの、私ピアノなら昔習っていたので、多少できますが・・・」
小さく手を挙げる小桜ちゃん。小早川副会長は目を輝かせながら、その手を握った。
「いいじゃんいいじゃん!それならシンセお願いできる?個人的には必須だったんだよね」
「シンセサイザー、ですか。まぁ多分できると思いますけど、あんまりバンドでやる様な曲は弾いたことがないんですが」
「大丈夫、大丈夫。そんなのノリでなんとかなるって。第一文化祭の有志バンドにそんなクオリティ求めて聞きにくる生徒いないよ」
身も蓋もない事を言っているが、確かに一理あるかもしれない。知り合いが壇上に立って演奏している、と言うだけでなんとなく盛り上がるものだ。ましてや吉川会長と小早川副会長なら、校内における話題性としては十分過ぎるのではないだろうか。
「待ってください。俺はまだやるなんて言ってませんよ!軽いトラウマなんですからね!?」
「そう難しく考えるな、池田。先程の小早川の言い方には難があるが、そう的外れだとも思わない。思い出なんて言うのは気軽に作ってしまえばいい。文化祭でサプライズ演奏、それだけで十分過ぎるほどの思い出になる」
「文化祭ライブはもう中学の時に通ってるんで、お腹いっぱいなんですよ。まぁ、俺の場合黒歴史として、ですがね・・・」
珍しく粘ると思ったら、そう言うことか。差し詰め、誰も知らないアニソンのカバーでもやって、会場全体を冷えっ冷えにしたのだろう。
うん、同情の余地はある。オタクならカラオケなどで誰もが通る道だ。
「ありがとうね、池田くん。無理にとは言わないよ。そもそもこれは、私のわがままなんだからね」
ただね、と小早川副会長は続ける。その眼はどこまでも透明で、やはり見ているのはここではないどこか。それが取り返しのつかない過去なのか、それとも渇望する未来なのか。僕には推し量ることはできないけれど、大切なものなのは確かにわかる。
「何かを手に入れるなら、今しかないんだよ。過去でも、未来でもない。それはね、池田くん──────」
しかし、その言葉は池田ではなく、僕たちに向けられているかの様で。
「何かを失わない為にできることも、今しかないってことなんだよ」
なんの具体性もない言葉は、どこまでも深く、何よりも自然に、優しく染み込んでくる。
秋風に揺れる小早川副会長の髪は、その何かに惹かれているかのようで。その裏に隠れる瞳は、確かに揺れていた。その狭間に悔恨の光が見えた気がした。
そのひどく大人びた表情にかすかに息を呑むと、どこか寂しげな秋の空気が肺を満たす。それは瑞々しい春や、ざわめき立つ夏を越えて。やがて訪れる終わりを、或いはかつて過ぎ去った結末を、澄んだ空気が鮮明に映し出すようで。
「私達と、バンドをやってくれないかな?」
そんな澄んだ空気の中を、小早川副会長の声は真っ直ぐ通り抜けた。
それが何かはわからないけれど、掴みたいと、失いたくないと、きっと彼女は願ったのだ。
もう手遅れなのかもしれないけれど、それでも小早川副会長は、"今"できる事をしている。
確かなものなんてないけれど、そう感じさせる何かがそこにはあった。
高く遠い秋空の下、そこには冬を予感させる寂しさがあり、一つの区切りに向かう終わりを意識させる。哀愁という言葉を思い起こさせるような、そんな季節の中で、きっと何かが動き出していた。