世界最強は彼女達のバッグを担ぐ。 ~無敗の女王と彼女に脳を焼かれた少女たち~ 作:Zuzuiikb
※女子ゴルフが舞台ですが、ゴルフについて何も知らなくても全く大丈夫です。
みんなはゴルフという競技を知っているだろうか。
簡単に言えば、止まっているボールをクラブでしばいて遠くにある小さな穴へ入れる。
一つのコースには1番ホールから18番ホールまで、全部で18個の穴があり、それを順番に回って18ホールを終えた時に一番少ない打数だった選手が勝ち。
ものすごく雑に説明すれば、そんな競技だ。
.......たぶん、本気でゴルフをやっている人間に聞かれたら怒られる。
当然ながらただ遠くへ飛ばせばいいわけではないし、毎回まっすぐ打てれば勝てるわけでもない。風が吹けばボールは流される。地面が傾いていれば構え方も変わるし、芝が深ければ思ったようには飛ばず、逆に条件によっては予想以上に飛んでしまうことだってある。
まったく同じ距離が残っていたとしても、風向きが違えば使うクラブは変わる。ボールを高く上げたいのか、低く抑えたいのか。落としてすぐ止めるのか、それとも少し転がすのか。
選ぶ答えはいくらでも変わってくる。しかもその答えが一つとは限らない。
知れば知るほど面倒くさくて、やればやるほど思い通りにならない。それなのに一度うまくいくと、もう一度あの感触を味わいたくなる。
私にとってゴルフとは、そういう競技だ。
そしてこの世界では、そんなゴルフをする女子たちが、世界で一番人気だった。
サッカーでもなければ野球でもない。バスケットボールでもテニスでもない。観客動員、放映権、スポンサー収入、競技人口、選手の知名度、そのどれを取っても女子ゴルフは他の競技を大きく引き離していた。
世界最高峰の大会ともなれば、広大なコースを何万人もの観客が埋め尽くし、一打一打を世界中の人間がテレビや配信越しに見守る。
トップ選手は、もはやただのスポーツ選手ではない。
街を歩けば囲まれ、テレビをつければCMに出ていて、子どもたちはそのスイングを真似する。選手が使ったクラブは翌日に売り切れ、ほんの数秒の練習映像が世界中で何千万回も再生されることだって珍しくない。
そして、その熱狂はプロだけのものでもなかった。
高校生はもちろん、中学生や小学生の大会ですら、才能のある選手にはファンがつく。世界ジュニアともなれば、まだ十代半ばの少女たちの一打に国中が一喜一憂し、未来の女王候補を巡って何時間も議論が続く。
そんな世界で、六年間。
誰にも負けなかった少女がいた。
『――入ったぁぁぁっ! 決まった、決まりました! 久世伊織、最後も沈めた!』
実況の声が跳ね上がった、その直後。
音が消えたように錯覚するほどの歓声が、18番グリーンを包み込んだ。
最終日、最終ホール。
最後に残っていたパットを沈めた少女は、カップへ手を伸ばしてボールを拾い上げる。それから一度だけ息を吐き、帽子のつばを軽く持ち上げた。
『優勝です。久世伊織、ジュニア最後の大会も優勝。……いや、ちょっと待ってください。本当に最後まで勝ちましたねこの選手は』
実況が途中から笑っていた。
隣の解説者も堪えきれなかったらしい。
『勝ちましたねえ』
『勝ちましたねえ、じゃないんですよ。これ今さらっと言ってますけど、とんでもないことですよ』
グリーンの周囲では拍手が途切れない。
日本語だけではなかった。英語も、韓国語も、中国語も、それ以外の言葉も飛び交っている。何重にも人垣を作った観客たちが、たった一人の少女へ向かってスマートフォンを掲げ、名前を呼び続けていた。
十五歳。
久世伊織は、その中心で少し困ったように笑っていた。
『確認しましょう。久世が最初に世界大会を勝ったのは』
『九歳です』
『九歳。それから今日まで六年間』
『はい』
『世界中の大会に出ていますよね』
『出ています』
『日本だけじゃない。アメリカ、イギリス、韓国、タイ、それ以外にも……もう数えられないくらい行ってますよね』
『行ってますね』
『で、一度も負けていない』
『負けていません』
『……本当に?』
『今さら疑うんですか』
実況席に笑い声が響いた。
『いやだっておかしいでしょう。六年間ですよ?小学生の頃からずっと、世界中の同世代を相手にして、一回もですよ? 一回も一番上を譲らずにそのままジュニア卒業ってそんな選手います?』
『そんな選手いるわけないですよね....』
『私も信じられません。というか、毎年出てくるんですよね。「今年こそ久世を倒す子が現れた」って』
『いましたね。今年もいました』
『去年もいました。その前もいました。アメリカの神童、韓国の怪物、イギリスの天才、日本にも何人いたか分かりませんよ。みんな本当に強かった。実際、他の年なら世界一になっててもおかしくない子ばかりです』
『ええ』
『なのに気がつくと、最後にこれです』
カメラが伊織を映す。
同伴競技者と握手し、何かを言われた伊織が吹き出した。相手も笑っている。
そのすぐ後ろでは、スコアボードの一番上に彼女の名前があった。
KUSE IORI。
見慣れすぎた文字だった。
『毎年毎年、「今度こそ」と言われて、世界中の選手が久世伊織を追いかけて。それで結局、ジュニア最後の日まで逃げ切った』
『逃げ切ったと言うと、本人に怒られそうですけどね』
『むしろ途中から突き放してますからね』
『それはそうです』
二人がまた笑う。
けれど、その声には少しだけ寂しさも混じっていた。
『……ただ、これで終わりなんですね。久世伊織のジュニアゴルフは』
歓声の中を歩いていた伊織が、観客席から差し出された小さな手に気づいた。
まだ小学生くらいの女の子だった。伊織は足を止めると、その手に軽く触れる。少女の顔が一瞬で輝いた。
『九歳で世界に出てきて六年。長かったような、短かったような』
『他のジュニア選手に聞いたら、たぶん「長かった」って即答されますよ』
『そうでしょうね。ようやくいなくなるって思ってる選手、世界中にいるんじゃないですか?』
『いやあ……結構いるでしょうね』
実況がそこで少し声を弾ませた。
『しかし久世伊織がゴルフを辞めるわけじゃない。ジュニアを卒業するだけです』
解説者が笑う。
『今度は上の選手たちが大変ですね』
『そうなんですよ。今まで「ジュニアだから」で済ませられた人たちのところへこの子が行くわけです』
『トッププロ相手にどこまでやれるのか』
『私はもう、それが見たくて仕方ないですよ。世界の頂点にいる選手たちと久世伊織が同じコースに立った時、いったい何が起きるのか』
その言葉に誰も違和感を覚えなかった。
久世伊織。
ゴルフにまったく興味がない人間でも名前は聞いたことがある。それなりにスポーツを見る人間なら顔まで知っているし、同じ世代でゴルフをやっている選手なら、知らないなんてことはありえなかった。
日本でも勝った。
アメリカでも勝った。
ヨーロッパでもアジアでも。
そのたびに「今度こそ久世を止める」と呼ばれる少女が現れた。彼女たちは決して弱くなかった。むしろ、普通の時代なら一人で何年もジュニアの頂点に立てたような選手だって何人もいた。
それでも最後に勝っているのは、いつも伊織だった。
だからこの日だって誰も疑っていなかった。ジュニアを卒業した彼女は、そのまま次の舞台へ進む。
今度は大人を相手に勝つ。
そして、いずれ世界の頂点へ行く。
そんな未来は予想というより、もう決まっていることのように語られていた。
けれど、
久世伊織が公式戦でボールを打つ姿を世界が見たのは――
この日が、最後になった。