最新機が全滅したので、退役オヤジが展示物のディーゼル旧型機で出撃します   作:龍改二

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前編 今日は違う

 

鼓膜を破らんばかりに叩きつけるのは、毎分数百回転で爆縮を繰り返す超大型ディーゼルの咆哮だった。

 

密閉された装甲の内室には、沸騰した重油の生臭い熱気と、摩擦で焼き切れたパッキンの白煙が充満している。内壁を這う無数の油圧配管が激痛に悶える血管のように激しくのたうち、真紅に赤熱した太い排気マニホールドが、肌を炙る凶悪な熱波を放射していた。電子音など何一つない。聞こえるのは、四十メートルの巨躯を支える巨大ピストンが金属塊を粉砕するような衝撃音と、高圧蒸気が漏れ出すけたたましい破裂音だけだ。

 

「水温計、まだ上がってる! 止まらないわよ……っ! 早く撃ちなさいよ、このバカ親父ィッ!」

 

真新しい純白のプラグスーツを黒いグリスと飛沫油で無残に汚し、アイリスが絶叫していた。高熱を帯びた手動バイパスバルブに両手で縋り付き、体重のすべてをかけて真鍮のハンドルを強引に捻じり絞る。熱気に炙られた吊り目には、過酷な負荷と悔しさに滲む涙が光っていた。

 

その真横、分厚い鋳鉄の床から突き出た光学式潜望鏡に額を押し当て、シャーロットは微動だにせず目視レティクルを睨み据えていた。額から滴る汗が銀縁メガネのレンズを濡らしても、瞬き一つしない。

 

「……敵機捕捉、異常なし。目標、左脚部アクチュエータへトルク集中。回避軌道、右へ〇・二……未来位置、固定した。――ブルック、今」

 

「装填レバー、引きます……ッ! 閉鎖完了、次弾入りましたッ! 撃てます、ブルックさん!」

 

セレナの悲鳴に近い呼応が狭いキャビンに木霊する。華奢な腕で泥臭い手動クランクを力任せに回し切り、重量数百キロの徹甲弾頭を荒々しく薬室へと押し込み、重い尾栓が金属音を轟かせてロックされた。

 

三人の呼吸が、狂気的なディーゼルの脈動と完全に重なり合う。

 

操縦席の中央、汗で濡れた無精髭の口元で、ブルックは噛み潰したタバコをギリリと鳴らした。

全身の骨を軋ませる爆発的な振動を受け止めながら、荒れた指先で無骨な油圧レバーのロックを親指で跳ね上げる。男の双眸が獲物を捉えた獣のように細まり、獰猛な嗤いがその唇を歪めた。

 

「――ヨトヘム・ワン、踏み潰すぞ」

 

二本の主推進レバーが、深々とフロアへ叩き込まれた。

 

巨大な鉄塊が大地を蹴り崩し、黒煙の奔流が全てを呑み込んでいく。

 

『事の始まりは、わずか三時間前だった――』

 

* * *

 

澄み渡る蒼穹を鋭く切り裂いたのは、耳を震わせる金属の軋みでも、煤煙を吐き出す内燃機関の爆音でもなかった。ただ一筋、空気を超高圧で電離させるような、澄み切った高周波の共鳴音――第三世代型超小型原子炉「エンゼルコア」が発する、無機質で神聖な唸り声だった。

 

アスガル軍事要塞基地の郊外、広大無辺に広がる演習平原。

その外周の一角を囲むように聳え立つ「アスガル戦史博物館」の観覧スタンドは、押し寄せた数万の市民と兵士たちで埋め尽くされていた。掲げられた極彩色の軍旗が風に翻り、群衆が放つ興奮の熱気が地表を陽炎のように揺らしている。

 

『――現在、演習平原へ進入したのは、帝国軍が誇る最新鋭戦術機動兵器〈ヴァルキリー〉! 人機一体の神経接続リンクを確立した選ばれし戦乙女たち、栄光ある〈ヴァルハラ隊〉による模擬戦術演習です!』

 

博物館の巨大な指向性スピーカーから、祝祭を盛り上げる麗らかなアナウンスが響き渡る。その音声をかき消すように、大地が震天動地の歓声に呑まれた。

 

『先陣を切るは、隊長アイリス=オーヘントッシャン少尉駆る、万能型決戦機――〈ユグドラシル〉!』

 

視界の端から、真紅の閃光が突風となって吹き抜けた。

全長約二十メートル。鏡面のように磨き上げられた純白と真紅の装甲躯体は、質量を無視したかのような滑らかなフットワークで地表を滑空する。思考速度そのもので駆動する四肢が仮想敵ドローンの包囲網を踊るようなステップで躱し、背部マウントから抜き放たれた高周波ブレード「レヴァテイン」が白熱の光刃を形成した。

振るわれた一閃。衝撃波が空間を裂き、十数メートル前方の標的柱が、断面を灼熱に溶解させながら音もなく両断される。

 

『続いて上空――天を統べるのはセレナ=ファークラス少尉、高機動強襲機〈フレスヴェルグ〉!』

 

平原の彼方から、重力を嘲笑う影が天空へと跳ね上がった。背部の大型フロートユニットから青白い推進炎の奔流を撒き散らし、大気圏内を文字通り「飛翔」する唯一の機体。亜麻色の軌跡を描きながら急降下したフレスヴェルグは、三次元的なアクロバット機動で標的の上空を掠め、精密無比なマルチロックビームを全方位へ散弾のように叩き落とす。爆煙の輪が空中に咲き乱れ、群衆は総立ちとなって叫んだ。

 

『そして前線を鉄壁で支える守護神、シャーロット=ポートマン少尉の重量防壁機――〈ニーズヘッグ〉!』

 

凄まじい地響きとともに、頑強なヘビーフレームを持つ黒銀の巨影が急停止した。一斉に放たれた模擬徹甲榴弾の嵐を、左腕に展開した電磁障壁「スヴェルシールド」が幾何学模様の光彩となって全て弾き返す。火花すら散らさない絶対防御。標的が無力化されたその刹那、右腕の巨大油圧杭――パイルバンカー「トールハンマー」が電磁加速とともに炸裂した。

轟音。杭が撃ち出された直撃点から同心円状に衝撃波が走り、百トン級の模擬標的ブロックが一撃で粉々に四散し、白煙の霧となって消し飛んだ。

 

排気ガスも出ない。滴るオイルもない。

極限まで研ぎ澄まされた純白の無菌室で、少女たちの脳波と直結して踊る三機の最新鋭――美しく、冷徹で、あまりにも優雅な「新時代の兵器」の姿に、観客席の熱狂は頂点に達していた。

 

だが、その狂騒から遠く離れた、博物館裏手の整備用パドック。

祝賀ムードの届かない薄暗い天幕の下には、それらとは完全に隔絶された空気が漂っていた。

 

砂埃とオイルの染みついた四輪駆動の装甲支援車両「ラタトスク」。その無骨なフロントフェンダーに背中を預け、一人の男が指先で安タバコを弄んでいた。

四十代半ばの男――ブルック=ラディアス。

洗っても落ちないグリスが黒ずんでこびりついた作業用ツナギに身を包み、頬には無精髭、手元には歴戦の現場を生き抜いてきた者特有の硬いタコと無数の古傷が刻まれている。

 

シュボッ、とオイルライターの鈍い金属音が響き、粗悪な葉煙草の煙が紫色の筋となって青空へと溶けていった。

ブルックは細めた瞳で、遠く平原を軽やかに舞う三機の最新鋭機を眺める。

 

思考と直結した神経リンク。超小型炉の無限の出力。

確かに見事なものだ。速く、鋭く、一分の隙もない。だが――男の耳が捉えるのは、あまりにも清廉潔白すぎる機械の駆動音だった。

 

「……綺麗に踊るこった。まるでお人形さんのダンスパーティーだな」

 

タバコの灰を軍靴の踵で踏み消しながら、ブルックは小さく喉を鳴らして嗤った。

大歓声に沸くスタジアムの喧騒の裏で、パドックの無線機が、微かな、だが不穏なノイズをチリチリと拾い始めていた。

 

* * *

 

演習平原を包んでいた万雷の拍手と歓声が、潮が引くように遠ざかっていく。

 

定位置へと帰還した三機の最新鋭機――ユグドラシル、フレスヴェルグ、ニーズヘッグの背部スラスターから、超小型原子炉「エンゼルコア」の余剰エネルギーを示す青白い排気熱が、微かな陽炎となって立ち上っていた。機械油の焼ける匂いも、黒煙の煤もそこにはない。ただ、オゾンに似た澄み切った電離臭が、冷たい風に乗って漂っているだけだった。

 

機体胸部のコクピットハッチが、電子制御された減圧音とともに滑らかに開放される。

設置された簡易リフトから、整備パドックの冷たいコンクリートへと降り立つ三つの影があった。

 

先頭を歩むのは、隊長であるアイリス=オーヘントッシャン。

燃えるような鮮烈な赤髪を二つの高い位置で結わえたツインテールが、彼女の小気味よい足取りに合わせて鋭く揺れる。勝気な性格をそのまま形にしたような切れ長の吊り目、意志の強さを湛えた琥珀色の双眸は、大観衆の視線を一身に浴びた後でも一切の揺らぎを見せない。身体のラインに完璧に密着した純白のナノマテリアル製プラグスーツには、一滴の汗も、微細な塵埃すら付着していなかった。

 

その半歩後ろを、柔らかな足取りで追うのがセレナ=ファークラスだ。

波打つ亜麻色の豊かな髪をサイドテールにまとめ、肩口へと優美に流している。アイリスの刺々しさを中和するかのような穏やかで温かみのあるアーモンド形の瞳には、激しい三次元機動の直後とは思えないほどの慈愛と落ち着きが宿っていた。華奢でありながら、過酷な高Gに耐えうるしなやかさを秘めた肢体が、スーツ越しにも窺える。

 

そして最後尾を、無音の足音で歩いてくる小柄な少女がシャーロット=ポートマンだった。

顎のラインで切り揃えられた漆黒のボブカット。冷徹な知性を思わせる銀縁メガネの奥から、感情の起伏を押し殺した漆黒の瞳が淡々と周囲を観察している。小柄で線が細く、ともすれば戦場で最も脆弱に見えるその体躯からは想像もつかないが、三機中最も過酷な質量打撃を受け止めるニーズヘッグの重力を完全に手懐けていた。

 

神経接続リンクを介して機体と完全に同調していた彼女たちの表情には、肉体的な疲労の色は微塵もない。無菌室からそのまま抜け出してきたかのような彼女たちの足取りは、油と埃にまみれた前線基地の荒々しさから完全に浮き上がっていた。

 

「ただいま戻りました、ブルックさん」

 

ラタトスクのフロントフェンダーに腰掛けたままのブルックへ、セレナがふわりと微笑みかけながら声をかける。

 

「ああ、お疲れさん、三人とも。見事な演習だったぜ。スタンドのひな壇に並んだお偉方連中も、揃いも揃って鼻高々でご満悦のツラ下げてたさ」

 

ブルックはくわえタバコを指で挟み、立ち上る紫煙の向こうから少女たちを値踏みするように眺めた。

その皮肉めいた称賛に対し、シャーロットがメガネのブリッジを中指で押し上げながら、抑揚のない声で事実だけを告げる。

 

「うん。……各機体ともニューラルシンクロ率は設定値の九八パーセントを維持。模擬標的の破壊精度も予定通り。何の問題もない」

 

「ふん、当然でしょ。こんなお遊戯みたいなデモンストレーション、退屈ったらありゃしないわ。あんな木偶の坊を切り刻んで見せるために、私たちの時間を奪わないでほしいものね」

 

アイリスはフンと誇らしげに鼻を鳴らし、ツインテールの毛先を指で弾きながら腕を組んだ。その傲慢なまでの自信は、最新鋭機を駆るトップエリートとしての絶対的な自負からくるものだ。

 

「もう……そんなこと言わないの、アイリスちゃん。国民や兵士の皆さんを安心させるのも、私たちの大事な任務なんだから」

 

セレナが苦笑いを浮かべながら宥めるように首を振る。

そんな少女たちの軽口の向こう側――パドックの外周、演習平原と博物館の敷地を隔てる境界線に、無骨な機械群が鈍い足音を立てて整列していた。

 

第二世代主力量産機――『エンヘール』。

 

全長約二十メートル。第三世代とほぼ同等の体躯を持ちながら、その外観は似ても似つかない。

塗装は艶のない国防色の濃緑。角張ったプレス加工の鋼板装甲は、至る所に溶接痕や補修のパテ跡が露出し、最新鋭機の流麗な有機的フレームとは比較にならないほど泥臭く、工業的な無骨さに満ちていた。

動力源は大型リチウム複合バッテリー。神経接続リンクを持たない彼らは、狭隘なコクピット内で操縦桿とフットペダルを力任せに押し引きする旧来の人間工学で動いている。機動のたびに、機体各部から大容量冷却ファンの甲高い排熱音が「フィィィン」と耳障りに唸り、関節駆動部からは重苦しいモーターの駆動音が軋みを上げていた。

 

数にして十数機。演習の警戒警備として配備されたその姿を、セレナが何気なく見つめる。

 

「警備のエンヘールは……十数機といったところでしょうか。要塞基地の周辺警備にしては、少し寂しい気もしますね」

 

「……ずいぶんと手薄だね」

 

シャーロットが視線をエンヘールの脚部アクチュエータへ走らせ、機械的な構造の脆弱性を瞬時に見抜きながら淡々と呟く。

 

「現在のアスガル軍は、前線の防衛線維持に全兵力の八割を割いている。後方の警備に回せる第二世代機のリソースも、よほど手が足りていないのかな」

 

「ふん、多すぎるくらいよ」

 

アイリスは並び立つエンヘール隊を一瞥し、興味を失ったように冷淡に言い放った。

 

「私たちヴァルハラ隊がここに居るのよ? あんなバッテリー駆動の鈍重な量産機の連中なんて、居たって居なくたって同じじゃない。無駄に電気を食うだけよ。要らないに決まってるわ」

 

「失礼だよ、アイリスちゃん。彼らだって、私たちの足元を守るために任務に就いてくれているんだから」

 

セレナが困ったように眉を下げて咎めるが、アイリスは取り合おうともせず、ふんぞり返ったままブルックへと勝ち誇ったような視線を向けた。

 

整備車両のボンネットの冷たさを背中に感じながら、ブルックは何も言わず、ただ短くなったタバコを深く吸い込んだ。

無菌の天才たちと、使い捨てられる旧式の量産機。

静寂と轟音の狭間で、空気がじわりと重く湿り始めていた。乾いた風が吹き抜ける平原の遥か上空――薄い雲の切れ間に、不気味なほどの「歪み」が兆しを見せている。

 

パドックを吹き抜ける風が、演習後の熱を帯びた空気をさらっていく。

少女たちは無菌のプラグスーツの上から、それぞれ支給された薄手のミリタリージャケットを羽織った。アイリスは肩に掛けるだけで袖を通さず、セレナは前を丁寧に留め、シャーロットは大きめの襟に顎を埋めるようにして立っている。

 

「よお、ブルック! 久しぶりじゃないか。せっかくこんな僻地まで足を伸ばしたんじゃ、うちの戦史博物館をじっくり拝んでいかんか?」

 

背後から掛けられたしゃがれ声に、ブルックはくわえ煙草を指先で弾いて振り返った。

そこに立っていたのは、色褪せた旧帝国軍の作業服に身を包んだ老人だった。頭髪も顎髭も塩のように白く染まり、日に焼けた顔の皺には、何十年ものあいだ機械油を洗い落としてこなかった男特有の頑固な誇りが深く刻まれている。

 

「スミスのおやっさん。……ご無沙汰してます。相変わらず油臭いところで油を売ってるようで安心しましたよ」

 

「カッカッカ! 死ぬまでこの匂いからは逃げられんわい」

 

ブルックは軽く口元を緩め、背後の三人を親指で差した。

 

「そうですね。こいつらの頭を冷やす勉強にもなりますし、付き合いましょうかね」

 

「はぁ? あんまり興味ないわね」

 

即座にアイリスが、ツインテールを跳ねさせて露骨に顔をしかめた。腕を組み、鼻先をツンと上に向ける。

 

「過去の遺物を見て何になるっていうの? あんたたちが思い出に浸って、昔は良かったってグダグダ語りたいだけなんじゃないの?」

 

「ちょ、ちょっと、アイリスちゃん! 年長者に対して失礼でしょ!」

 

慌ててセレナが割って入り、アイリスの腕を引っ張りながら頭を下げる。

その様子を白髭の下からじろりと見据えたスミスは、深いため息をつきながらブルックに視線を向けた。

 

「……おいおいブルックよ。最近のヴァルキリー乗りは、揃いも揃ってこんなお行儀の悪い若造ばっかりなのか?」

 

「面目ありません、おやっさん。俺の指導不足です」

 

「ちょっと! あんたは私たちの専属整備士であって、指導員でも教官でもなんでもないでしょ! 勝手に保護者ヅラしないでよ!」

 

喚き立てるアイリスの横で、シャーロットが銀縁メガネの奥の瞳を静かに光らせた。

 

「……私は興味あるな。たしか、この見学コースの最後の展示区画には……」

 

「おおっ! さすが黒髪の嬢ちゃん、話がわかるわい、えらいぞ!」

 

スミスは破顔し、これ見よがしにアイリスへ勝ち誇ったような視線を投げた。

 

「どれだけ最新鋭で強かろうが、自分たちの国がどうやって生き残ってきたか、その歴史と機械のルーツを知らぬ兵士に未来などないわい。うんうん!」

 

「ぐっ……なによ、年寄りの癖に偉そうに……!」

 

不満げに唇を尖らせるアイリスを半ば引きずるようにして、一行は分厚い防爆扉をくぐり、戦史博物館のメインストリートへと足を踏み入れた。

 

――館内に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。

演習場の熱狂とは対極にある、巨大な鉄とコンクリートが冷え切った静謐な冷気。

 

薄暗いドーム状の天井の下、整然と並べられた展示パネルと実物大のモックアップが、人型機動兵器「ヴァルキリー」の血塗られた誕生史を語りかけてくる。

かつて戦場を支配していた通常戦車や戦闘機を、文字通りただの的へと変貌させた巨大人型兵器の登場。重火器の反動を二脚で相殺し、局所的な質量打撃と圧倒的な不整地走破能力によって戦線の概念そのものを塗り替えた戦争の特異点。

 

頭上の指向性スピーカーから、厳かな解説ナレーションが低く響き渡っていた。

 

『――末期、未曾有の国境紛争において戦況を劇的に転換させたのが、第一世代機で編成された帝国最初のヴァルキリー部隊、通称〈ヨトヘム隊〉である。過酷を極める激戦の末、彼らは泥と硝煙に塗れながらも防衛線を死守し、現在の帝国の礎を築き上げた――』

 

スピーカーから流れるその言葉を聞きながら、ブルックは無言のままポケットに手を突っ込み、わずかに伏し目がちに歩みを進めていた。

 

見学順路の最後、分厚いガラス扉を押し開けた先は、博物館の前庭に広がる吹き抜けの大広場だった。

 

そこに、それはいた。

 

圧倒的なまでの質量が、頭上を完全に覆い尽くしていた。

現行の第三世代機――ユグドラシルたち二十メートル級の機体すら見下ろす、全長約四十メートル。

コンクリートの基礎に深くめり込んだ巨大な二本の鋼鉄脚。リベットと極厚の圧延鋼板で隙間なく覆われた装甲は、まるで移動要塞そのものが仁王立ちしているかのような威圧感を放っていた。

 

だが、その無骨極まりない右肩の増加装甲には、あまりにも不釣り合いな極彩色の大型看板が、太いボルトで無神経に貼り付けられていた。

 

『――戦史博物館へようこそ!――』

 

「…………」

 

ブルックの足が止まった。

くたびれたツナギのポケットから右手を取り出し、男は看板の陰に隠れた鋼鉄の装甲を、どこか懐かしむような、ひどく痛ましいものを見るような目でじっと見上げた。

 

「……本当にデカいわね」

 

アイリスが見上げるように首を折り曲げ、眉をひそめて吐き捨てる。

 

「何よこれ。全身油まみれで、煤だらけで、鉄臭いったらありゃしない。こんな前時代の鉄屑、場所を取るだけだし早く溶鉱炉に放り込んで処分したらいいのよ」

 

「そんなこと言っちゃダメだよ、アイリスちゃん」

 

セレナが看板の文字と機体の傷跡を見つめ、静かに息を呑む。

 

「装甲のあちこちに、弾痕や焼けた跡がそのまま残ってる……。私たちが生まれるよりも前に、この鉄の塊が、命懸けでこの国を護って戦ってくれたんだよ」

 

「……そうだね」

 

シャーロットは眼鏡を押し上げ、食い入るように巨大な脚部シリンダーを見つめていた。その表情には、同型の重量機ニーズヘッグを駆る技術肌特有の、純粋な好奇心と敬意が滲み出ている。

 

「装甲の傾斜角度、フレームの剛性バランス……大きいけど、無駄を極限まで削ぎ落とした合理的で堅牢な設計だ。機動力を最初から放棄して、砲撃と打撃の衝撃吸収だけに特化している。……まあ、目立つし、客引きの看板を掲げるにはちょうどいいよ」

 

「見ろ見ろ、小娘ども。今日は特別に上まで上がれるようになっておるぞ」

 

スミスがニヤリと笑い、機体の背面に架設された見学用の鉄製タラップを指差した。

一般の観光客に混じり、カンカンと甲高い金属音を響かせながら階段を登る。胸部ブロックの整備ハッチが開け放たれており、四人はその開口部から機体内部へと身体を滑り込ませた。

 

――重油と、使い古された機械油、そして冷え切った鉄の匂いが鼻腔を刺す。

 

「……なにこれ」

 

中に入ったアイリスが、呆然と声を漏らした。

そこは、彼女たちが知る「コクピット」とは完全に別物だった。

白を基調としたクリーンな球体状の全天周囲モニターもなければ、神経接続端子を首筋に差し込むシートもない。

あるのは、鋳鉄の床、無骨な計器類、真鍮製の圧力計、壁面を所狭しと走る極太の油圧パイプ、そして――。

 

「座席が……四つ?」

 

セレナが目を丸くして呟いた。

中央奥に一段高く設置された無骨な操縦席。その周囲を囲むように、それぞれ異なる計器とレバーが配置された三つの補助シートが鎮座していた。

 

「なんで四人も乗る必要があるわけ? 機動兵器のパイロットなんて一人で十分じゃない。狭っこくて暑苦しいだけじゃないの」

 

アイリスが怪訝そうに腕を組むと、ブルックが中央のシートのヘッドレストにぽんと手を置いた。

 

「お前さんたちの乗ってる最新型や、第二世代のエンヘールには当たり前についてる『お利口さん』が、こいつには載ってねえんだよ」

 

「お利口さん……? 戦闘支援AIのことですか?」

 

セレナの問いに、ブルックは無精髭を撫でながら静かに頷いた。

 

「そうだ。火器管制の未来位置予測も、ダメージコントロールの自動弁切り替えも、動力炉の熱量管理も……第二世代以降は全部AIがやってくれる。だが、この第一世代が造られた時代にはそんな便利な電脳はなかった」

 

ブルックは指を折りながら、三つの補助シートを順に指し示した。

 

「巨大なディーゼルエンジンがオーバーヒートを起こさねえよう、常に油圧と蒸気圧を睨んで手動で冷却弁を捻り回す機関手」

 

「砲身が焼き切れる前に手動クランクで数百キロの砲弾を薬室へ叩き込む装填手」

 

「電子アイが死んだ視界の代わりに、光学潜望鏡と目視のステレオ測距儀で標的の距離を弾き出す測距手」

 

男の低く乾いた声が、狭く暗い鉄の空洞に染み渡っていく。

 

「そして、そいつらが命懸けで繋いだ出力と弾丸のすべてを預かって、レバーとペダルを力任せに踏み抜く操縦手――」

 

ブルックは座席の背もたれを軽く叩き、乾いた笑みをこぼした。

 

「全部、人間の肉体と五感で動かしてたのさ。……四人の呼吸が一秒でもズレりゃ、敵の弾に当たる前に自分自身の熱で焼き豚になるような、途方もなくバカでかい鉄の巨人だよ」

 

アイリスは圧倒されたように口を噤み、シャーロットは真鍮の計器にそっと触れ、セレナは複雑な表情で分厚い隔壁を見つめた。

 

その時だった。

 

――キィィィィィィィィン……ッ!、と。

 

けたたましい高周波の金属鳴動のような音が、博物館の外、遥か上空の成層圏から大気を揺るがして響き渡った。

それは、彼らがこれまでに聞いたことのない、空間そのものが軋みを上げるような不気味な重圧だった。

 

* * *

 

大気を引き裂くような高周波の共鳴が、分厚いコンクリートの壁を震わせていた。

 

「おい、出るぞ!」

 

ブルックの鋭い一言に弾かれたように、三人の少女は展示区画の狭いタラップを駆け下り、博物館の外へと飛び出した。

 

広場はすでに恐慌状態に陥っていた。演習に見入っていた観衆の悲鳴が錯綜し、警備兵たちが怒号を交わしながら誘導に追われている。その混乱の波を掻き分け、金モールの肩章を揺らしながら一人の初老の将官が真っ直ぐにこちらへ駆け寄ってきた。仕立ての良い軍服に身を包んだその男は、息を切らしながらブルックの顔を正面から見据えた。

 

「おお、ラディアス中尉! 探したぞ、無事だったか!」

 

「……レインズ中将。お久しぶりです。ですが、もう中尉じゃありませんよ。とっくに階級を返上して引退した身です」

 

ブルックの気のない返答に、隣にいたアイリスが信じられないものを見るように目を見張った。一介のうらぶれた整備士が、軍の最高中枢に座す中将と対等に言葉を交わしている光景が、彼女の常識では理解できなかった。しかもこの男はいま、中尉と呼ばれていなかったか。

 

「で、一体何事です? さっきの異音は」

 

「わからん。レーダー網にも一切の予兆がなかった。突如として、あの巨大な要塞が空から落ちてきたのだ」

 

中将の指差す先、先ほどまで少女たちが華麗な演習を披露していた平原の遥か彼方に、それはあった。

 

全長は百メートルを優に超えている。幾何学的な装甲板を異様に重ね合わせた歪な塊が、地表からわずか数十メートルの高度で、重力を無視して不気味に滞空していた。大気を激しく歪ませる強力な力場の膜を張り巡らせ、空中に静止している。

 

その浮遊母艦の下部ハッチが重々しく開放された。

投下されるようにして、地上へ次々と影が降り立つ。大地に激突した土煙の向こうから現れたのは、四肢を持つ異形の機械群だった。背部の推進器を低く唸らせ、大地を踏みしめて前進を開始する。空を飛ぶ様子はないが、その歩行動作には一切の迷いも機械的な遊びも存在しなかった。

 

「なにあれ……? まさか、ヴァルキリーなの?」

 

目を凝らしたアイリスが眉を寄せる。その疑問が言葉として完結するよりも早く、世界が暴力的な破壊に呑まれた。

 

閃光。

次の瞬間、広場の最前線で警戒態勢を取っていたエンヘールの一機が、超長距離から放たれた不可視の一撃によって胴体中央を抉り抜かれた。複合装甲が熱で溶解しながら四散し、装甲板が破片となって周囲の舗装を削り取る。遅れて届いた衝撃波が暴風となって吹き荒れ、第二世代の量産機は燃え盛る鉄屑へと成り果てていた。

 

敵襲。それも、既存の戦術思想を根底から覆す絶対的な蹂躙の予兆だった。

 

「中将閣下!」

 

アイリスの声が広場に響き渡った。怯えは微塵もない。彼女の切れ長の双眸には、守るべき者を背負った指揮官としての冷徹な覚悟が宿っていた。

 

「民間人を今すぐ地下防空壕へ避難させて! 警備のエンヘールは全機、後方護衛に回して構わないわ! ――ここは、私たちが迎え撃つ!」

 

前線を支えるのは自分たち第三世代機であるという絶対の自負。国民の盾となり、侵略者を完膚なきまでに叩き潰す。その責務が、彼女の小さな身体を突き動かしていた。

 

「行くわよ、セレナ! シャーロット!」

 

「「了解!」」

 

三人は踵を返し、パドックに待機させた各々の愛機へ向かって猛然と駆け出した。

 

「おい待て、アイリス!」

 

ブルックが怒鳴りつけるように呼び止める。

 

「まだ演習直後の機体点検も済んでねえ! 推進系の熱量確認も、エンゼルコアの負荷テストもこれからだぞ!」

 

振り返ったアイリスは、立ち止まることすら拒むように鋭い視線を投げ返した。

 

「なによ! あんたが完璧に整備して送り出した機体でしょ! 問題なんてあるはずないじゃない! それとも何、あんたの手がけた整備は、たかが演習で少し走り回ったくらいでガタが来るような安物なわけ!?」

 

吐き捨てるように叫び、アイリスはツインテールを激しく揺らして背を向けた。

 

「あんたは整備士なんだから、ここで大人しく見てなさい!」

 

少女たちの背中は、あっという間に整備パドックの奥へと消えていった。

 

残された瓦礫と煙の混じる空気の中、レインズ中将が苦笑混じりに低く息を吐いた。

 

「ふむ……随分と信頼されているな、ラディアス中尉」

 

「中尉じゃありませんて、レインズ『大佐』殿」

 

ブルックは作業用ツナギの袖を無造作に捲り上げた。その双眸には、老兵特有の冷え切った戦況判断が宿っている。

 

「俺も行きます。アイツらのケツを拭くのが、今の俺の仕事ですから」

 

男は振り返ることなく、黒煙の立ち上るパドックへ向かって、四輪駆動の支援車両ラタトスクへと足を速めた。

 

* * *

 

整備パドックの自動気密扉が横へ滑り、三つの格納ベイを外気から遮断した。

 

外壁の向こうで響く爆発音と地鳴りとは隔絶された、無響音室のような静寂。そこには重油の焦げた匂いも、過熱した鉄の熱気も存在しない。かすかなオゾン臭と、純白に統一されたクリーンルームの無機質な光が空間を満たしていた。

 

簡易リフトを駆け上がった少女たちは、ミリタリージャケットを放り捨て、各々の愛機の胸部に開かれたエントリーハッチへと身を滑り込ませる。

 

第三世代型コクピット――全天周囲型の複合球体セル。

操縦桿もフットペダルも、計器盤すら存在しない。あるのは中心に据えられた液体ゲル封入式のインターフェースシートのみ。純白のプラグスーツがシートの表層と微細な分子レベルで密着し、拘束フレームが音もなく三人の四肢を包み込んだ。

 

頸椎の後部、露出した接続端子へ向けて、銀色の神経接続プローブが無痛で滑り込む。

 

――ニューラルリンク、確立。

 

アイリスの脳内で、視界が一気に反転した。

肉体の感覚が希釈され、代わりに二十メートルの純白と真紅の鋼鉄躯体が、第二の皮膚として神経網に接続される。三百六十度全方位の外部映像が直接網膜へと投射され、大気の流速、重力ベクトル、演習平原に展開する敵性反応の群れが、鮮明な戦術データとなって思考の表層を流れていく。

心臓の拍動に合わせて、胸郭の深部に眠る超小型原子炉「エンゼルコア」が覚醒した。排出される余剰エネルギーが青白い燐光となって四肢を巡り、超高周波の唸りが機体フレームを微かに共鳴させる。

 

『おい、聞こえるかお前ら』

 

無菌の電脳空間に、ノイズ交じりの粗野な音声が割り込んできた。

 

緊急通信回線。ラタトスクの操縦席に滑り込んだブルックからの、有線信号に近い帯域を用いた通信だった。

 

『敵の正体も戦力規模も割れてねえ。エンヘールが一撃で消し飛ばされたのを見ただろ。……突っ込む前に、まずは間合いを取って様子を見ろ』

 

「うるさいわね、ブルック!」

 

アイリスは思考伝達だけで通信帯域を弾き返すように叫んだ。

思考速度のまま、機体の右手が背部の高周波ブレード「レヴァテイン」の柄へと伸びる。指先一つ動かす物理的なラグすら存在しない。ただ「抜刀する」と念じただけで、機体はその通りの初動を描いていた。

 

「様子見なんてしてる間に、市民の避難が間に合わなくなるわ! 敵が何者だろうと関係ない……私のユグドラシルで、まるごと切り刻んで終わりよ!」

 

『アイリス、前衛の武装と後衛の狙撃に注意。……敵機、熱源反応極小。通常の内燃機関ではない。未知の動力源と推測する』

 

隣のベイから、シャーロットの感情を排した声が回線に乗る。

ニーズヘッグの左腕にマウントされた電磁障壁「スヴェルシールド」が、幾何学的な光芒を放ちながら励起を開始した。右腕の長大な射出鉄杭「トールハンマー」が、内部の油圧と電磁レールを完全に充填させ、冷徹な一撃必殺の態勢を整える。

 

「ヴァルハラ・スリー、〈ニーズヘッグ〉。出撃する」

 

重厚な脚部ダンパーがカタパルトのロックを解除し、黒銀の巨体がパドックの射出ゲートへと滑り出た。

 

『シャーロットちゃんの言う通りです、油断は禁物だよ。……でも、みんなが逃げる時間くらいは私たちが稼がなきゃ!』

 

セレナの柔らかな、けれど芯の通った声が続く。

フレスヴェルグの背部に架設された大型フロートユニットが甲高い推進音を響かせ、重力制御フィールドが青白い光の翼となって左右へ展開した。揚力すら必要としない三次元機動の準備が完了する。

 

「ヴァルハラ・ツー、〈フレスヴェルグ〉。出撃します!」

 

二機の後を追うように、ユグドラシルのエンゼルコアが出力を最大戦速へと跳ね上げた。

アイリスの琥珀色の双眸に、敵性反応の赤いアイコングラフィックが次々とロックオンされていく。迎撃の恐怖など微塵もない。彼女を支配しているのは、純粋な戦士としての昂揚と、背負った責務への矜持だけだった。

 

「ヴァルハラ・ワン、〈ユグドラシル〉。出るわ! ――任せときなさい!」

 

カタパルトのリニアレールが電磁反発の閃光を放った。

 

空気を切り裂く鋭利な衝撃波を残し、三色の閃光が次々と射出ハッチから平原の空へと飛び出していく。大地を掠めるように超低空を疾走するユグドラシル、天高く垂直に跳ね上がるフレスヴェルグ、地響きを立てて前線を押し上げるニーズヘッグ。それは神話の戦乙女そのものの、完全無欠の戦闘機動だった。

 

「……チッ。クソガキどもが、人の言うことを聞きゃしねえ」

 

パドックの出口に残された支援車両ラタトスクの車内で、ブルックは短く舌打ちした。

旧式の大型ディーゼルエンジンにセルモーターを噛み合わせる。鈍重な回転音が腹の下で唸りを上げ、黒煙が太い排気管から吐き出された。

男は荒々しくクラッチを蹴り込み、長いシフトレバーを一速へと叩き込む。

 

四輪駆動の太いタイヤが砂利を激しく掻き毬り、ラタトスクは猛然と飛び出した。

遠ざかる三機の美しい軌跡を追いかけるように、老兵の駆る鉄の箱が、戦火の立ち上る平原の泥濘へと突進していく。

 

* * *

 

思考速度に直結した第三世代機のコクピットは、真空のように静まり返っていた。三百六十度を映し出す全天周囲球体スクリーンには、網膜へ直接照射される戦術オーバーレイが光の幾何学模様を描き出し、リアルタイムで敵性戦力の分析ログを高速展開していく。

 

『――未登録機動兵器群を捕捉。脅威度判定、甲種。戦闘支援AI、照合インデックスに基づき識別コードを自動策定』

 

無機質なシステムアナウンスが、脳幹に直接囁きかける。

 

『二十メートル級・汎用機動型――コード〈フェンリル〉。数、十四』

『中央後方、三十メートル級・重装型――コード〈スルト〉。数、一』

 

視界の先、漆黒の複合装甲に覆われたフェンリル群が、一切の無駄を削ぎ落とした統率で散開陣形を取った。その背後には、異様な威圧感を放つ三十メートル級の巨影――スルトが、長大な砲身を水平に据えて地表を圧している。

 

「合計十五機ぽっちが……私たちの前に立ち塞がる気?」

 

ユグドラシルのコクピットで、アイリスの琥珀色の双眸が鋭利に細まった。

彼女の神経とダイレクトに連動した純白の機体が、大地を滑るように極低空で加速する。背部のエンゼルコアが青白い燐光を噴出させ、抜き放たれた高周波ブレード「レヴァテイン」が空気を灼熱に焼き焦がした。

 

「セレナ、上空から視界を奪いなさい! シャーロット、右翼の退路を断って!」

 

「了解、高度確保! 散弾マルチビーム、撃ち下ろします!」

 

青空へ垂直跳躍したフレスヴェルグのフロートユニットが閃光を放ち、重力を振り切った立体機動から無数のビーム光条が雨となって降り注ぐ。フェンリル群のセンサーアイが撹乱され、陣形がわずかに乱れた。

 

その刹那、真紅のユグドラシルが電光石火の踏み込みを見せる。すれ違いざまに振るわれたレヴァテインの一閃が、フェンリル二機の胸部装甲をバターのように滑らかに両断し、爆発の連鎖を生み出した。

 

残る一機が側面から強襲を仕掛けようとしたその瞬間、影が割り込む。

ニーズヘッグの重装甲躯体だ。

 

「どいて」

 

シャーロットの抑揚のない呟きと同時に、黒銀の巨体がゼロ距離まで踏み込む。

右腕に架設された超大型油圧杭――パイルバンカー「トールハンマー」が、電磁加速の臨界に達する。

 

「私がぶっ潰す。……一撃だよ」

 

鉄杭が射出された。

直撃の瞬間、フェンリルの正面装甲が超高圧の衝撃波によって同心円状に破断し、内部フレームごと背中から粉々に吹き飛んだ。装甲の破片が砂塵となって霧散する。完璧な連携、一片の淀みもない流麗な蹂躙劇だった。

 

だが、その優勢を断ち切るように、戦場の空気が凍りついた。

 

平原の奥、巨躯を沈めていたスルトの右腕が跳ね上がる。

エンヘールを一撃で蒸発させた、あの不可視の長距離砲撃――超高速電磁加速砲が、直線の真空のトンネルを大気に穿ちながら放たれた。狙いは先陣を切るユグドラシル。

 

「アイリス、下がって!」

 

シャーロットの冷徹な声が通信を裂く。

ニーズヘッグが即座に割り込み、左腕の電磁障壁「スヴェルシールド」を最大出力で展開した。空間に幾何学的な光の防壁が展開される。

 

直撃。

金属の激突音すら置き去りにする超高圧のエネルギーがシールドの表面で激突し、火花すら散らすことなく、光の奔流となって全方位へ弾き散らされた。絶対的な防御。ニーズヘッグの頑強な脚部フレームが地表をわずかに削り取っただけで、砲撃は完全に無力化されていた。

 

「小賢しい真似を……! デカブツ、先にアンタの首を落としてやる!」

 

アイリスが叫び、ユグドラシルが地を蹴った。

フレスヴェルグが上空から急降下で挟撃の針路を取り、ニーズヘッグがシールドを構え直して前進する。最新鋭三機による、絶対の包囲殲滅機動。スルトを仕留めるまでに、もはや数秒もかからないはずだった。

 

――その瞬間、天が鳴動した。

 

演習平原の上空、百メートルを超える歪な浮遊要塞から、大気を激しく電離させる高周波が響き渡った。

 

『――未登録浮遊母艦、強震動を確認。……コードネーム、〈ヨルムンガンド〉と定義』

『警告。高密度電磁パルスの指向性放射を――』

 

戦闘支援AIの機械音声が、激しいノイズにかき消された。

 

母艦ヨルムンガンドの下部から、目に見えるほどの歪みを持った紫電の波紋が、同心円状に戦場全体へと叩きつけられた。広域神経遮断電磁嵐――。

 

「あ……が、ぁっ……!?」

 

ユグドラシルの球体コクピット内で、アイリスが喉の奥から悲鳴を漏らした。

神経接続端子を通じて、頭蓋の奥底を直接灼熱の針で掻き回されるような激痛が走る。視界の全天周囲モニターが砂嵐へと反転し、機体各部のフィードバックが暴力的なノイズとなってパイロットの脳を襲う。

 

『神経防護リミッター、強制作動』

『――パイロットの生命保護のため、システムを緊急遮断します』

 

冷酷な安全装置の作動アナウンス。

直後、ユグドラシルの胸郭深部で脈打っていたエンゼルコアが、急速に臨界を下回り、青白い光を失った。

 

「うそ……動かない……!? なんで、嘘でしょ……っ!」

 

アイリスの必死の呼びかけに応じるものは何もない。

それは上空のフレスヴェルグも、鉄壁を誇ったニーズヘッグも同じだった。重力制御を失ったフレスヴェルグが無様に地表へと墜落し、ニーズヘッグの電磁シールドが泡のように弾け消える。思考の糸を断ち切られた最新鋭機たちは、ただの動かない二十メートルの彫像へと成り果てていた。

 

そこへ、スルトが歩み寄る。

超合理的な戦闘ルーチンを持つ巨人は、機能停止した獲物に対して一切の躊躇を見せなかった。

重火器すら使わない。ただその巨大な鋼鉄の右腕を無造作に振り抜き、沈黙したユグドラシルを薙ぎ払った。

 

装甲の破壊こそ免れたものの、百トンを超える質量打撃の衝撃が、動けない機体をボールのように平原の泥濘へと吹き飛ばす。フレスヴェルグとニーズヘッグも同様に蹴散らされ、最新鋭の戦乙女たちは地面に無様に転がり、砂煙の中に横たわった。

 

逃げ場のない死の沈黙。スルトが鈍い足音を響かせ、止めを刺すべくアイリスの機体へと歩みを進める。

 

その絶望の荒野を、一台の影が狂ったように疾走していた。

 

爆音を撒き散らすディーゼルエンジン。

装甲支援車両「ラタトスク」が、四輪のタイヤからゴムの焼ける白煙を上げ、泥を跳ね飛ばしながら突進してくる。

 

「――言わんこっちゃねえだろうがッ!」

 

運転席で、ブルックが歯を剥き出しにしてステアリングを力任せに切り込んだ。

スルトの巨大な鋼鉄足がユグドラシルを踏み潰そうと振り下ろされる直前、ラタトスクがその足元へと滑り込む。車載のスモークディスチャージャーが一斉に起爆し、濃厚な黒煙とリン粉の幕がスルトの光学センサーを遮断した。

 

「チッ、目眩ましが効くのは数十秒だ!」

 

ブルックは車体を滑らせてユグドラシルの胸部装甲の真横に停車させると、助手席の工具箱から無骨な油圧バールを引っ掴み、外へと飛び出した。

動力を失ったハッチの手動非常開放ラッチにバールを叩き込み、全身の体重をかけて強引に抉じ開ける。

 

「アイリス! 立て、外へ出ろ!」

 

「ぶ、ブルック……? 動かないの、機体が……なんにも……っ」

 

涙目で呆然とシートに縛り付けられていたアイリスの拘束具をナイフで切り飛ばし、その華奢な身体を荒々しく引っ張り出してラタトスクの後部座席へ放り込む。

男は休む間もなく車を急発進させ、墜落現場で這い出そうとしていたセレナと、ハッチを自力で蹴破りかけていたシャーロットを次々と荷台へと回収した。

 

「全員乗ったな! 舌噛むんじゃねえぞ!」

 

後方から、スルトが振り下ろした打撃の衝撃波が地響きとなって追いすがる。

跳ね上がる砂利と至近弾の爆風を背中に浴びながら、ラタトスクは全速力で泥濘を駆け抜け、黒煙の立ち上る戦史博物館の搬入ゲートへと滑り込んでいった。

 

* * *

 

焼け付くようなブレーキの摩擦音と白煙を撒き散らし、装甲支援車両ラタトスクは戦史博物館前広場の石畳へと滑り込んだ。泥濘と破片を車体に浴びた四輪駆動車が荒々しく停止すると同時、車内には息苦しいほどの静寂と、冷めやらぬ恐怖が澱のように沈殿していた。

 

荷台のハッチが蹴り開けられ、少女たちが地面へと転がり出る。

肉体には傷一つない。だが、神経接続を力づくで引き裂かれた脳幹の激痛と、人機一体の全能感から一瞬にして無力な肉の塊へと叩き落とされた感覚が、彼女たちの四肢から力を奪い去っていた。

 

ブルックは運転席から飛び降りると、煤けたドアを無造作に閉め、短く息を吐いた。

 

「だから言ったんだ。まずは間合いを取って様子を見ろってな」

 

その乾いた声音が、過密な負荷に耐えかねていたアイリスの神経を鋭く逆撫でした。

純白のスーツを胸元で握りしめ、地面に両膝をついたまま、燃えるような赤髪を振り乱して顔を跳ね上げる。その瞳孔は激しく収縮し、焦点が定まらないまま泳いでいた。

 

「な、何かの間違いよ……! コアの出力調整、あんたがミスしたんじゃないの!? 嘘よ、嘘に決まってる……! 私が、私たちが……あんな訳のわからない相手に手も足も出ないなんて、そんなわけないじゃない……っ!」

 

それは他者を貶めるための言葉ではなかった。

自らが積み上げてきた誇り、選ばれし戦乙女としての自負、そして背負ったはずの重責。その全てが、正体不明の紫電に触れただけで泡のように消え去ったという冷厳な事実から、必死に目を背けようとする子供の悲鳴だった。

 

刹那、澄んだ硬質な破裂音が広場に響いた。

 

アイリスの顔が横へ薙ぎ払われる。

打たれた白い頬が瞬く間に赤く腫れ上がった。

 

腕を振り抜いたまま立ち尽くしていたのは、セレナだった。

いつも穏やかに微笑んでいた亜麻色の瞳が、大粒の涙を湛えながら激しく揺れている。その手はかすかに痙攣し、憧れの隊長であり誰よりも誇り高かった友が見苦しく取り乱したことへの、耐え難い悲しみと怒りに震えていた。

 

「――いい加減にして、アイリスちゃん!」

 

喉を裂くようなセレナの叫びが、広場の冷たい空気を震わせる。

 

「一番よく分かってるはずでしょ!? ブルックさんの整備のせいなんかじゃない! 私たちの機体のエンゼルコアを、あの相手の放った何かが……完全に上回ったんだってことくらい!」

 

「……っ、あ……」

 

打たれた頬を細い指先で押さえ、アイリスは呆然とセレナを見上げた。

急速に熱が引いていく。自らの口から吐き出された浅ましい言葉の醜悪さが、遅れて脳髄を打ちのめした。八つ当たりだ。そんなことは最初から分かっていた。ただ恐ろしかったのだ。思考を遮断され、鋼鉄の棺桶と化したコクピットの中で、指先一つ動かせず巨人に踏み潰されかけたあの底なしの暗闇が。

 

「ごめんなさい……っ。ごめんなさい、ブルック……。私、わたし……何もできなかった……!」

 

膝の上にポロポロと大粒の涙が零れ落ち、埃まみれのプラグスーツに黒い染みを作っていく。隊長としての矜持も、高飛車な虚勢も剥ぎ取られ、ただの一人の少女として身を縮めて嗚咽を漏らす。

 

ブルックは怒るでもなく、軽蔑するでもなく、ただポケットからくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出した。歪んだ一本を唇に咥え、ジッポのホイールを親指で弾く。小さな炎が紫煙を生み出し、男の無精髭を淡く照らした。

 

「気にすんな、アイリス。ありゃあ、何らかの強力な妨害電波みたいなもんだ。お前さんの腕前や根性の問題じゃねえよ」

 

煙をふうと天へ吐き出し、男は静かに事実を受け止める。

その傍らで、乱れた黒髪の隙間から銀縁メガネを指先で押し上げながら、シャーロットが淡々と、だが確信に満ちた声で口を開いた。

 

「……おそらく、そう。あの浮遊母艦から放たれた電磁パルスが、機体と私たちの脳神経を繋ぐシナプス回路に直接干渉した。コクピットの生命維持システムが、パイロットの脳死を防ぐためにエンゼルコアを緊急停止させたんだ。……極めて合理的。私たちの身体を守るための安全装置を、そのまま逆手に取られた」

 

「そういうこった。最新型はお利口すぎて、毒親みたいに過保護なんだよ」

 

ブルックは視線を広場の向こうへと向けた。

鳴り響く退避警報のサイレンの中、要塞都市へと通じる地下防空壕の重厚な防爆扉が、完全に閉鎖される重低音が響いていた。避難完了を示す緑の誘導灯が一斉に点灯している。そして、その広場を背にして、十数機の第二世代量産機エンヘールが、排熱ファンの唸りと鈍重な足音を立てながら、前線の死地へと向かって歩陣を組んでいく姿があった。

 

「見ろよ。お前たちが時間を稼いでくれたおかげで、民間人は一人残らず潜り込めた。……よくやったな、アイリス」

 

ブルックは屈み込むと、大きな、無数の古傷と焼き油の染み付いた右手を、アイリスの赤髪の頭頂部へと無造作に乗せた。

大きな手のひらで、くしゃりと乱暴に、だが確かな温もりを込めてその髪を撫でる。

 

「……っ、こ、子供扱いしないでよ……バカ……!」

 

アイリスは涙に濡れた顔を伏せ、袖口で乱暴に目元を拭いながら、震える声で精一杯に強がった。だが、その頭を男の手から振り払おうとはしなかった。

 

「おい、ブルック! こいつを見ろ!」

 

広場の外周、芝生を削り取った一角から、しわがれた怒声が飛んだ。

見れば、スミスのおやっさんが工具箱から引き抜いた大型のバールを手に、横転した機械の残骸に取り付いている。先ほどの戦闘でユグドラシルが切り捨てたフェンリルの一機だった。

 

ブルックが歩み寄り、バールの先端を歪んだ胸部装甲の隙間にねじ込んで、力任せに装甲板を跳ね上げる。

軋んだ鋼板が外れ、内部構造が白日の下に晒された。

 

そこには、人間が乗り込むためのスペースなど塵芥ほども存在しなかった。

 

複雑に組み上げられた多層基盤と、青白く脈動する冷却液の細管。そして中央に鎮座する、冷徹な光を放つ多軸演算ユニット。

 

「コクピットがない……。完全な無人機か」

 

ブルックが眉をひそめると、スミスが吐き捨てるように唾を吐いた。

 

「ああ。感情も恐怖も持たん、プログラム通りに引き金を引くだけの自律演算人形じゃ。……そしてあの空の化け物は、人間が機械を動かす神経の隙間だけを狙い撃ちにしてきおった。ワシらのヴァルキリーたちを、指一本触れずに無力化するためにのう」

 

遠く演習平原から、エンヘール隊の放つ実弾の掃討射撃と、それを嘲笑うかのような質量と打撃の破壊音が、地響きを伴って博物館の敷地を揺らし始めた。

 

広場の向こう、演習平原の境界線では、一方的な殺戮劇が繰り広げられていた。

 

十数機いた第二世代量産機エンヘール隊は、すでに半数以上が黒煙を吹き上げる鉄屑へと変わり果てていた。バッテリー駆動のアクチュエータを甲高く唸らせ、アサルトライフルから実体弾を乱射するものの、自律機動するフェンリル群の統率された散開軌道には捉えきれない。隙を突いたフェンリルの超硬爪がエンヘールの胸部装甲を刺し貫き、内部の搭乗員ごとコクピットブロックを粉砕する。

 

さらに平原の奥、巨躯を据えたスルトの長大な砲口から衝撃波が走るたび、装甲の破片を撒き散らしながらエンヘールが爆散していった。抗う術を持たない前時代の兵器が、冷徹な演算アルゴリズムによってただの数字として処理されていく光景だった。

 

「残存のエンヘールは四機……。全滅まで、三十分も持たない」

 

シャーロットが双眼鏡を降ろし、氷のように冷めた事実を口にする。

ブルックは噛み潰したタバコを吐き捨て、戦況の残骸を値踏みするように眼を細めた。

 

「状況を整理するぞ。敵の戦力は、あの俊敏な量産型が残り数機。奥で長距離砲を撃ち込んでくる一回りデカい狙撃野郎が一機。そして、頭上で神経遮断のジャミングを撒き散らしている浮遊要塞が一隻だ」

 

男の低く乾いた声が、硝煙の立ち込める空気に染み渡る。

 

「相手は血も涙もねえ無人機だ。交渉も降伏も通じねえ。つまり、あの機械人形どもを片っ端から叩き潰さなきゃ、俺たちは全員ここで挽き肉になる」

 

「だったら……どうするっていうのよ……っ」

 

アイリスが拳を硬く握り締め、悔しさに唇を噛み切らんばかりに震わせていた。誇りとしていたユグドラシルは平原で沈黙し、動かす手立てはない。自らの無力さに苛まれ、瞳には再び悔し涙が滲んでいた。

 

「そうだね……。神経接続が封じられた以上、第三世代機はただの巨大な置物だ。私たちにはもう、戦うための機体が無い」

 

シャーロットが淡々と、だが絶望を滲ませて呟く。

その静寂を裂いたのは、ブルックの平然とした声だった。

 

「いや、まだ一機ある」

 

三人の少女の視線が、一斉に男へと集まった。

セレナが目を見張り、信じられないといった色を浮かべて息を呑む。

 

「……まさか、あれを動かすつもりなのですか?」

 

「ちょっとあんた、正気なの!? あれは私たちが生まれる前の、大昔の骨董品なのよ!? 今はもう博物館じゃない!!」

 

アイリスの金切り声のような制止を、ブルックは冷たく、だが鋭い光を宿した瞳で受け止めた。

 

「今日は違う」

 

男はそれ以上言葉を重ねず、大股で踵を返した。向かう先は、広場の中央で悠然と立ち尽くす、四十メートル級の巨大な鉄塊の足元だった。

 

 

 

 

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