最新機が全滅したので、退役オヤジが展示物のディーゼル旧型機で出撃します   作:龍改二

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後編 博物館へようこそ

 

――戦史博物館、前庭。

 

見上げるばかりの巨大な二脚の威容。リベット打ちの無骨な装甲板は、立ち込める硝煙を浴びて鈍い鉄色の輝きを放っている。右肩には、薄っぺらなプラスチック製の『戦史博物館へようこそ』という看板が無神経にぶら下がったままだ。

 

巨大な鋼鉄の爪先へ近づいたブルックは、煤けた装甲板へとそっと右手を触れた。冷たい鉄の感触が、掌の古傷へと伝わってくる。

 

「おやっさん」

 

傍らに立つ白髭の老整備兵、スミスへ向けて、ブルックは静かに言葉を紡いだ。

 

「コイツはもう、十分すぎるほどよく戦った。血みどろの泥沼を駆け抜けて、ようやく手に入れた余生だった。……本当なら、平和な空の下で子どもたちに囲まれて、昔語りの看板でも背負って余生を過ごさせてやりたかった」

 

ブルックは手を離し、スミスの皺だらけの顔を真っ直ぐに見据えた。

 

「だが、あえて頼む。……もうひと働き、コイツに付き合ってもらいたい。コイツを俺に貸していただけますか、おやっさん」

 

老兵は深く刻まれた皺を歪め、吐き捨てるように笑った。

 

「カッカッカ! 何を水臭いことを抜かしとるか、バカ息子が。貸すもなにも、最初からお前さんのモンじゃろうが!」

 

スミスは手にした大型バールで、機体の足元にある分厚い鉄製のマンホールを力任せに跳ね上げた。地下へと続く急勾配の階段から、濃厚な重油の臭気と、防錆油のツンとした刺激臭が一気に吹き上がってくる。

 

薄暗い地下の備蓄庫。そこには、壁一面にびっしりと積み上げられたドラム缶の山と、天井クレーンに吊るされた長大な超大口径砲弾が、整然と保管されていた。

 

「上層部の甘ったれのガキどもめ、効率だの無人化だのとほざいて、ワシら現場の古株をパシリみたいに顎で使いおってからに」

 

スミスは地下の重油ポンプのバルブを慣れた手つきで開放し、発電機を力任せに始動させた。唸りを上げるモーターが、地下から巨大な機体へと燃料を圧送し始める。

 

「じゃがお陰様で、タマもアブラも、ここにたんまりと隠してあるわい!」

 

「あんた……っ、それ、完全な軍規違反じゃないの!?」

 

呆気にとられていたアイリスが、我に返って叫んだ。軍の退役兵器の燃料や実弾を独断で貯蔵するなど、軍法会議ものの重罪だ。

だがスミスは、鼻でせせら笑いながら胸を張った。

 

「その軍規の草案を書いたのは、他ならぬワシじゃわい! 『軍所属機の武装類を不法所持することを禁ずる』……。この機体はとうの昔に除籍され、帳簿上はただの建築物扱いじゃ。対象外に決まっとるわ!」

 

「だ、大丈夫なのでしょうか、これ……」

 

セレナが引きつった笑みを浮かべ、困惑したように額の汗を拭う。

その隣で、地下クレーンに固定された超大型徹甲弾の信管と装薬の型番を冷静に検分していたシャーロットが、銀縁メガネを押し上げた。

 

「……まあ、法解釈としては完全な詭弁だね。でも、弾薬の保存状態に劣化はない。機械油の粘度も完璧に保たれている。――撃てるよ、これ」

 

「おい、四の五の言ってる暇はねえぞ」

 

給油ホースが巨大な脚部の注入口へと接続され、高圧ポンプが重油を吸い上げる重低音が響き渡る。

ブルックはタラップの鉄梯子に手をかけ、呆然と立ち尽くす三人の少女たちを見下ろした。

 

「四人乗りだと言ったはずだ。死にたくねえなら、腹を括って付いてきな」

 

* * *

 

鉄梯子を軋ませ、長年使い込まれた作業靴が迷いなくタラップを登っていく。

ブルックは振り返りもせず、開放された胸部ハッチの暗がりへと自らの身体を滑り込ませていった。その足取りには、先ほどまでのうらぶれた整備士の気怠さは欠片も残っていない。

 

「……ちょっと、どういうことなの!?」

 

下で見上げていたアイリスが、結い上げた赤髪を激しく揺らしながら声を荒らげた。

 

「なんで一介の整備士であるあんたが、そんな当たり前みたいな顔して乗り込んでいくわけ!? 冗談でしょ!?」

 

「なんじゃお前さんら、本当になにも聞かされとらんのか」

 

地下へのハッチ脇でバルブを締めていたスミスが、油まみれの軍手を外して呆れたように太い眉を持ち上げた。深く刻まれた顔の皺を歪め、吐き捨てるように老兵の誇りを言葉に乗せる。

 

「あやつはな――今から二十五年前、弱冠二十歳にしてこの第一世代機で泥水をすすり、祖国防衛線を死守し抜いた帝国最初の機動強襲部隊……〈ヨトヘム隊〉の隊長だった男じゃぞ」

 

「ええっ……!? う、嘘でしょ!?」

 

アイリスは息を呑み、目を見開いたまま絶句した。

普段はくたびれたツナギを着て、自分たちの機体のオイル漏れを愚痴りながら拭いていた冴えない中年男。その背中に隠されていた戦歴の重さに、言葉を失う。

 

「……初耳だ。記録にあったヨトヘム隊の初代隊長コードは、戦後に軍籍を抹消されていたはず……」

 

シャーロットが銀縁メガネの奥で黒い瞳を激しく明滅させる。

 

「ブルックさんが……あの伝説の……」

 

セレナが胸元に両手を添え、言葉を震わせた。

だが、余韻に浸る猶予など戦場には存在しなかった。ハッチの奥、薄暗いキャビンの鉄床から、低く鋭い男の怒声が叩きつけられる。

 

「おい、いつまで突っ立ってる! 敵はすぐそこまで来てんだぞ! 死にたい奴だけそこに残れ!」

 

三人は弾かれたように顔を見合わせ、タラップへと飛びついた。

 

狭隘な鉄の空洞。

外部の爆発音が装甲を伝って鈍く反響する中、ブルックはすでに中央の操縦席へ深く腰を下ろしていた。無骨なトグルスイッチが次々と跳ね上げられ、真鍮の計器盤に淡いオレンジ色の豆球が灯っていく。

 

「アイリス、お前は右舷の機関管理席だ。水温計と蒸気圧のメーターから片時も目を離すな。どれか一つでも針が赤に触れたら、対応するバイパス弁を力任せに開け。エンジンのオーバーヒートを抑え込むのがお前の役目だ」

 

「なっ……! 私が機関手!? なんで隊長の私がそんな裏方みたいな――」

 

「文句を言うな! お前がサボれば全員焼き豚になる! 命を預かるのが隊長の仕事だろ!」

 

怒鳴りつけられたアイリスは気圧され、唇を噛み締めながら指示された座席へ滑り込んだ。目の前に並ぶのは、見たこともない無骨な手動バルブと、激しく震動するアナログ圧力計の群れだった。

 

「セレナは左舷、装填とダメコンだ。主砲の給弾ラインが詰まったら、横の油圧クランクを手動で回し切れ。弾が込もらなきゃただの鉄の的だぞ」

 

「了解しました、ブルックさん! 計器の異常数値、全て読み上げます!」

 

セレナはプラグスーツの袖を捲り上げ、油の浮いた太い装填レバーへと両手をかけた。

 

「シャーロットは正面下段、測距手席へ入れ。電子アイは死んでる。光学式の潜望鏡とステレオ測距儀で、直接敵の未来位置を割り出せ。お前の目が、この巨人の目だ」

 

「……了解。空間把握と測距計算は、私の領分だ」

 

シャーロットは迷いなく席に滑り込み、接眼レンズのヒビ割れたゴムカバーに額を押し当てた。

 

「おやっさん! 燃料ライン切り離し、急速離脱してくれ!」

 

ブルックがハッチの隙間から叫ぶ。

 

「応とも! 死ぬなよ、バカ息子どもが!」

 

スミスが地上供給パイプの元栓を跳ね上げ、退避壕へと身を躍らせた。

重厚な胸部装甲ハッチが、手動の油圧ロックとともに重い金属音を立てて完全に密閉される。外光が遮断され、キャビンは計器の光と、配管から漏れ出す微かな蒸気に包まれた。

 

「久しぶりだな。行くぜ、相棒」

 

ブルックは無骨な足踏みペダルに両足を据え、左右の主推進レバーを力強く握り締めた。

 

「――ヨトヘム・ワン、〈ユミル〉。出撃するッ!」

 

始動スイッチが叩き込まれた。

圧縮空気の解放とともに、機体背部に据えられた超大型ディーゼルエンジンが唸りを上げる。

重油がシリンダー内で爆縮を繰り返し、猛烈な振動が四人の骨の髄まで叩きつけられた。全身を揺さぶる凄まじいトルク。四十年前に造られた鋼鉄の心臓が、血を巡らせるように熱狂を取り戻していく。

 

四十メートルの巨体が、展示台のコンクリートを力づくで粉砕した。

 

深くめり込んでいた鋼鉄の二脚が、地中から引き抜かれ、大地を激しく踏み砕く。

 

その瞬間だった。

 

演習平原の遥か彼方、隊長機スルトの長砲身が火を噴いた。

超高速電磁加速砲が、大気を切り裂きながら一直線に飛来する。

弾丸はユミルの右足元、わずか数メートル手前の石畳に着弾した。爆薬を持たない純粋な質量弾が地表を抉り、粉砕されたコンクリートの破片と強大な爆風が機体正面を薙ぎ払う。

 

砂塵が立ち込める中、衝撃波がユミルの右肩を激しく打ち据えた。

 

甲高い破断音が響く。

長年その右肩に無神経にボルト留めされていた、薄っぺらなプラスチック製の『戦史博物館へようこそ』という看板が、衝撃に耐えかねて真っ二つに割れ、粉々に吹き飛んだ。

 

砂煙のヴェールが吹き払われる。

吹き飛んだ看板の下、露わになった装甲板の表面。陽の光を浴びて現れたのは――。

 

荒々しいタッチで描かれた、天を衝く巨人の意匠。

かつて帝国全軍の先頭に立ち、泥と血を浴びて戦線を支え続けた伝説の部隊章。

そして、その中央に誇らしげに刻まれた、白掠れの巨大な識別番号――『1』。

 

その数字の表面には、配管の継ぎ目から滲み出た赤黒い重油が、まるで古傷から流れる生々しい血のように一筋、装甲を伝って滴り落ちていた。

 

「光学視界、確保……! 目標、前方千二百メートルにスルト!」

潜望鏡を覗き込むシャーロットの鋭い声がキャビンを裂く。

 

「水温計、急上昇! 冷却ライン、圧力異常なし……まだ行けるわ!」

アイリスが油圧パイプの熱風に顔を炙られながら叫ぶ。

 

「主砲弾、薬室へ送り込み完了! いつでも撃てます!」

セレナが手動クランクを固定し、振り返る。

 

四十メートルの鋼鉄の巨人が、黒煙の奔流を背負って前進を開始した。

ブルックの双眸が、獲物を睨み据える。

 

演習平原の硬質舗装が、四十メートル・数百トンの鉄塊の足底に踏み砕かれ、地響きとともに捲れ上がる。

前進するたび、背部の巨大直列ディーゼルエンジンがシリンダーブロックの内側から爆縮の衝撃を撒き散らし、コクピットの鋳鉄フロアを容赦なく跳ね上げた。全身の骨を軋ませる粗暴な振動。第三世代機の無菌カプセルに満ちていた無音の静寂など、ここには微塵も存在しない。

 

「うぐっ、うあっ……! な、何なのよこの揺れ! 舌噛みそうなんだけど!?」

 

機関席にしがみついたアイリスが、飛び跳ねるバイパスレバーを両手で抑え込みながら悲鳴を上げた。油圧配管の継ぎ目から漏れ出した重油の飛沫が、彼女の純白のプラグスーツと頬を容赦なく黒く汚していく。

 

「文句は後だ! 潜望鏡、スルトの砲身はどうなってる!?」

 

ブルックは両足で踏ん張り、重い左右の旋回ペダルを交互に蹴り込みながら吼えた。

 

「……次弾装填プロセスへ移行中」

 

額を潜望鏡のゴム接眼部に押し当て、シャーロットが冷静極まる声で応じる。

 

「砲身基部から冷却ガスを排出。閉鎖機の開閉動作を確認。……次の長距離砲撃まで、最低でも三十秒の空白」

 

「上等だ! ドタマに一発叩き込んでやる、一気に間合いを詰めるぞ!」

 

ブルックが左右の主推進レバーを力任せに前頭部へ押し倒した。

燃料噴射ポンプが極限まで重油をシリンダーへ注ぎ込み、背部の極太マフラーから真っ黒な煤煙が空へと吹き上がる。轟然たる排気音とともに、巨体が加速した。

 

その前方に立ち塞がったのは、残存するフェンリル二機。統率された無人機のアルゴリズムが、ユミルの前進軌道を遮断すべく左右から挟撃のステップを踏む。

 

「目障りな虫ケラどもが! シャーロット!」

 

「右舷前方、三〇〇。目標、二番機――仰角マイナス二、旋回右五! ……レティクル合致!」

 

「セレナ、主砲撃発ラッチ外せ!」

 

「はいッ! 安全装置解除、撃てます!」

 

ブルックが右操縦桿の頭部にある、赤く塗装が剥げた無骨な撃発トリガーを親指で押し込んだ。

 

砲火が大地を昼間のように照らし出した。

右肩に据え付けられた四〇〇ミリ超大型アサルトキャノンの薬室で、数百キロの無煙火薬が一気に爆燃する。ビームのような光線でも、レールガンのような電磁加速の甲高い共鳴でもない。ただの火薬の膨張圧だけで撃ち出された巨大なタングステン合金の金属塊が、超音速の衝撃波を纏って空間を貫通した。

 

直撃。

フェンリルの胸部装甲など、何の意味も成さなかった。運動エネルギーの暴力は装甲を破断するだけに留まらず、二十メートルの無人機を機体内部のフレームごと一瞬で粉砕。超高圧で圧縮された内部部品が四方八方へ弾け飛び、爆薬すら積んでいない純粋な鉄の塊が、敵機をただの塵芥へと変えて平原の彼方へ吹き散らした。

 

吹き荒れる硝煙の突風。

主砲の排莢ハッチが機械音を立てて跳ね上がり、真っ赤に焼けた巨大な薬莢が「ガランッ!」と地表へ転がり落ちる。その凄まじい発射反動を受け止めながら、アイリスが過熱する計器盤を見つめて半狂乱で喚き散らした。

 

「ちょっと! なんでこんなに暑いのよ!? 状況も分かんないし、モニターは!? 敵の自動追尾IFFとか、オートバランサーは無いの!? そもそもエアコンすら付いてないじゃないの、この棺桶!」

 

「そんな小洒落た便利グッズ、このポンコツにあるわけねえだろ!」

 

ブルックは汗を拭いもせず、歯を剥き出して笑い飛ばした。

 

「二十五年前にエアコンなんぞ積んで前線に出たら、即座に軟弱者として笑いもんだ! 死にたくなきゃそのバイパス弁を力任せに引け! 水温計がレッドゾーンに突っ込んでるぞ!」

 

「ひっ……! 嘘でしょ、もう一〇〇度超えてる!? 開きなさいよ、この錆び付いた鉄クズぅっ!」

 

アイリスが体重を浴びせ、真鍮のバイパスバルブをギリギリと力づくで回し開ける。高圧蒸気がプシューッと激しい音を立てて逃げ、車内の熱気がさらに跳ね上がった。

 

その隙を、生き残ったもう一機のフェンリルは見逃さなかった。

瞬時に正面へと飛び込んできた無人機が両腕から爪のような超硬合金ブレードを光らせ、ユミルの無防備な左腹部へと必殺の突貫を仕掛ける。

 

甲高い、金属が削れる狂気の摩擦音がキャビン全体に響き渡った。

だが――衝撃はそれだけだった。

 

フェンリルの刃は、ユミルの側面に幾重にも積層された五〇ミリ圧延均質鋼板の表面をわずか数センチ削り、激しい火花を撒き散らしただけで完全に停止していた。分厚い装甲の裏打ち構造が、ブレードの運動エネルギーを平然と殺し尽くしている。

 

「雑魚が……効かねえんだよ!」

 

ブルックの眼光が獰猛に光る。

 

「セレナ、右腕部のロケットブースト起動しろ! そっちの右の赤いレバーだ!」

 

「右の赤いレバー……これですね!? 安全ボルト引き抜きます――点火ッ!」

 

セレナが両手で無骨なレバーを一気に押し下げた。

 

ユミルの右肩、そして肘関節に外付けされた使い捨ての固体燃料ロケットモーターに火が灯った。

 

超高熱の白煙と炎が後方へと猛烈な勢いで噴射される。何十トンもの重量を持つ鋼鉄の腕が、化学ロケットの暴力的な推進力によって強制加速され、空気の壁を叩き割るような轟音とともに振り下ろされた。

 

フェンリルの頭部へ、加速し切ったユミルの超重量鉄拳が叩き込まれる。

 

衝突の瞬間、金属がひしゃげる鈍い破壊音が響いた。

二十メートルの無人機は、首から胴体、そして脚部にかけて一瞬でアコーディオンのように圧縮され、そのまま平原の地面へ向けて叩きつけられた。フレームが破裂し、駆動オイルを血飛沫のように撒き散らしながら、一撃でペシャンコのスクラップと化して沈黙する。

 

「……右舷、フェンリル全滅を確認」

 

シャーロットが潜望鏡から顔を上げることなく、淡々と、だがわずかに息を弾ませて告げた。

 

「敵残存、中央――隊長機スルト、長距離砲の装填が完了した。……砲身、こちらを指向」

 

濛々と立ち込める黒煙と火薬の匂いの向こう側。

平原の彼方で、三十メートル級の漆黒の巨躯――スルトが、再び長大な砲身を水平へと持ち上げていた。その単眼のセンサーアイが、第一世代機の無骨な姿を冷徹にロックオンしている。

 

「アイリス、蒸気圧は!」

「……まだ、まだ保ってるわ! 踏み込みなさいよ、バカ親父!」

 

「セレナ、主砲次弾!」

「次弾装填完了、閉鎖機ロック! いつでもいけます!」

 

ブルックは噛み潰したタバコをさらに強く噛み締め、二本の推進レバーを握り直した。

怪物の心臓が、再び重油を燃やして吼え猛る。

 

平原を埋める硝煙の向こう側で、二つの巨躯の砲身が完全に水平で交錯した。

 

「右舷前方、四五〇! 照準軸、固定!」

 

ステレオ測距儀に額を押し付けたシャーロットの鋭叫が走る。

 

「セレナ、撃鉄起こせ! アイリス、衝撃に備えろ!」

 

ブルックの怒号と同時に、二本の閃光が大気を両側から引き裂いた。

ユミルの四〇〇ミリ大型アサルトキャノンと、スルトの長大な電磁加速砲。放たれた数百キロの金属塊が真空のトンネルを穿ち、瞬時に互いの胸部へと吸い込まれる。

 

衝突。

装甲の破片を火花とともに撒き散らし、二条の衝撃波が同心円状に平原の草地を薙ぎ払った。だが、双方の足取りはわずかに数歩後退したのみ。ユミルの極厚の圧延鋼板とスルトの幾何学的複合装甲は、互いの致命の一撃を力づくで跳ね返していた。

 

直後、ユミルのコクピットは巨大な鐘楼の内側に閉じ込められたかのような阿鼻叫喚へと叩き落とされた。

 

何千回と金床を叩きつけるような凄まじい金属反響が、密閉された鉄の空洞を満たす。装甲板から伝わる強烈な音響エネルギーが少女たちの鼓膜を容赦なく揺さぶり、剥がれた防錆塗料の粉塵と白煙がキャビンに立ち込めた。

 

「し、死んだ……!? 私、死んだわよね、これぇっ!?」

 

機関席にしがみついたアイリスが、自らの両耳を塞いで激しく頭を振った。視覚も聴覚もホワイトアウトし、平衡感覚すら喪失した叫び。

 

「巨人がそう簡単にくたばるか! シャーロット、敵の様子は!」

 

ブルックは足踏みペダルを踏ん張り、狂ったように針を振る油圧計を睨みつけながら叫び返した。

 

「……敵機、損傷軽微。胸部装甲に亀裂が入った程度」

 

潜望鏡の筒にしがみつき、激しい振動に耐えながらシャーロットが冷静に視覚情報を紡ぐ。

 

「長距離砲、強制冷却が追いついていない。……スルト、武装懸架ラッチを解除」

 

視界の先で、漆黒の三十メートル級巨人は、自らの右腕に固定されていた長大な砲身と弾倉ブロックを無造作にパージした。重い鉄塊が地表に落ち、土煙を上げる。

その挙動は機械の合理的な判断でありながら、どこか古風な決闘の場において手袋を地面に叩きつけたようにも見えた。

 

「……殴り合いをするみたいだ」

 

「ちょっと、冗談でしょ!? これ以上あんな衝撃喰らったら、耳と頭が破裂するわよ!」

 

アイリスが涙目で抗議の声を上げる。

だが、その叫びを背中に浴びながら、ブルックは無精髭の口元を凶暴なまでに歪めて嗤った。

 

「パソコンの分際で、随分と粋な真似をしてくれるじゃねえか。……上等だ、ヨトヘム流の喧嘩のやり方を見せてやるよ!」

 

ブルックが前進レバーを限界まで押し込んだ。

四十メートルの第一世代機が、重油を爆燃させながら地を蹴る。

 

激突。

大地が激震した。三十メートルと四十メートル、合計一千トンに達する鉄の巨塊同士が、正面から組み合う。

スルトの鋼鉄腕がユミルの側頭部装甲を強打すれば、分厚い装甲がひしゃげる鈍い破裂音がキャビンを揺らし、ユミルが振り下ろした右腕の超重量打撃がスルトの肩部装甲を叩き割る。互いに装甲を削り合い、フレームを軋ませ、関節部の油圧作動油を霧のように吹き散らしながらの、凄惨極まる泥試合。

 

跳ね上がる衝撃、耳をつんざく金属打撃の連打。

計器盤が軋み、蒸気配管が悲鳴を上げるコクピットの中で、アイリスは激痛の走る身体を必死に支えながら、目の前の光景を凝視していた。

 

ブルックの背中だった。

最新鋭機のような優雅さも、神経接続の全能感もない。四肢の筋肉を極限まで硬直させ、自重をかけて無骨なレバーを押し込み、ペダルを蹴り飛ばし、全身で鉄の怪物をねじ伏せるように操る男の姿。

二十五年前、この男は本当に――支援AIも安全装置もないこの灼熱の鉄の棺桶に閉じ込められ、仲間たちと命を預け合いながら、この国を護り抜いたのだ。

その冷厳な事実が、叩きつけられる衝撃とともにアイリスの胸中へと深く刻み込まれていく。

 

その時、スルトの単眼が冷酷に光った。

組んだ体勢のまま、敵の左前腕から高周波ブレードの刀身が電磁展開される。電離した刃がユミルの腹部装甲へと突き立てられた。装甲板が灼熱に溶解し、鋭利な切先が外壁を貫通してキャビンの床下数センチまで食い込む。

 

「きゃあっ……!」

床下から吹き上がった高熱の火花に、セレナが悲鳴を上げた。

 

だが、ブルックの目は死んでいなかった。

 

「捉えたぞ、木偶の坊が……!」

 

ユミルの右腕が、自らの腹部に突き刺さったスルトの左腕を、万力のような握力で上から鷲掴みにした。鋼鉄の指が食い込み、敵の腕部フレームを歪ませて完全にロックする。零距離での拘束。

 

「セレナ! 左腕部のロケットブースト、安全弁を跳ね上げろ!」

 

「は、はいっ! 左ブースト、安全ピン解除……点火レバー倒します!」

 

セレナが全身の力を込めて赤く塗られた油圧レバーを引き倒した。

 

ユミルの左肩、そして肘関節に設置された使い捨ての固体燃料ロケットモーターが一斉に火を噴いた。

超高圧の推進炎が黒煙を切り裂き、何十トンもの左腕が、音速を超える初速を与えられて前方へと突き出される。

 

ブルックが全身の体重を乗せ、左の操縦桿をフロアごと踏み抜く勢いで突き出した。

 

「痛えのを――ぶっ喰らわせてやるッ!!」

 

超質量と化学ロケットの推進力が一点に収束したユミルの巨大な左鉄拳が、スルトの胸部中央へ正確無比に叩き込まれた。

 

装甲の破断限界を超えた破壊音が響き渡る。

複合装甲を紙細工のように貫き、ユミルの拳は敵の分厚い胸郭を内部フレームごと粉砕しながら貫通した。その奥深くに埋め込まれていた主演算コアユニットが、圧倒的な質量打撃に耐えかねて四散し、青白い放電とともに圧壊する。

 

スルトの単眼センサーから光が消えた。

巨躯から動力が断たれ、関節の拘束を失った漆黒の機体が平原の泥濘へと膝を付き崩れ落ちる。

 

立ち込める重油の煙と、赤熱した鉄の匂い。

キャビンには、四人の荒い呼吸の音だけが響いていた。

 

「……やったの……?」

アイリスが煤で汚れた顔を上げ、呆然と呟く。

 

だが、その勝利の余韻をかき消すように、平原全域の空気が狂乱したように震え始めた。

 

上空――。

これまで静止していた全長百メートルを超える巨大浮遊母艦「ヨルムンガンド」が、耳障りな低周波の駆動音とともに異様な変形シークエンスを開始していた。幾何学的な装甲板が次々と展開し、不気味なフレームが天を覆うように組み換わっていく。

 

電磁嵐の密度が跳ね上がり、平原に横たわるユグドラシルたち第三世代機から、バチバチと激しい紫電が散った。

 

頭上を覆い尽くす鉛色の雲を裂き、紫電の光芒が演習平原全域へと叩きつけられた。

 

百メートルを超える浮遊母艦ヨルムンガンドの船底から同心円状に広がる、高密度の神経遮断電磁嵐。大気中の電子が激しく電離し、草地の各所で青白い放電現象が火花を散らす。平原に転がったユグドラシルたち第三世代機の生体通信アンテナが過負荷で白煙を吹き上げている。

 

だが、四十メートルの鉄塊ユミルは、その見えない電脳破壊の嵐を微塵も意に介さなかった。

 

全身を包む何層もの五〇ミリ圧延鋼板は電磁波をシャワーのように浴び流し、内部のアナログ配管と真鍮の圧力計には一瞬のノイズすら走らない。電子頭脳を持たぬがゆえの絶対の耐性。無いものは壊れないのだ。

真空管と機械式リレー、そして重油の爆発圧だけで動く巨人は、悠然と大地を踏みしめていた。

 

ユミルは敵の胸部を貫通したままの左腕を無造作に振り抜いた。

 

握り潰された主演算コアから油を滴らせるスルトの巨躯が、千切れた配線と装甲破片を撒き散らしながら泥濘へと投げ捨てられる。地響きとともに転がった三十メートル級の残骸は、二度と動く兆しを見せなかった。

 

敵の戦力はゼロとなり、目の前には無意味な電磁波を撒き散らす浮遊母艦のみ。勝敗は決したと思えた。

しかし、一瞬の勝鬨すら許されなかった。

 

天を仰ぐ潜望鏡の視界の中で、浮遊母艦の複雑怪奇な装甲が、大気を削り取るような重厚な摩擦音を響かせながら組み換わり始めていた。

四角錐の船体が左右へと割れ、内部から極太の多重関節フレームがせり出す。主推進ブロックが変形して強固な二脚へと変貌し、船首ブロックが左右に分かれて長大な両腕を形成していく。

 

それは母艦という兵器の枠組みを捨て去り、地上のすべてを踏み潰すために設計された、全長百メートルを超える超巨大・人型機動要塞だった。

 

質量そのものが重力に引かれ、落下するように演習平原の中央へと両脚を突き立てる。

 

衝突の瞬間、大地が波打った。

直下にあった数十トンの装甲板の残骸が埃のように宙を舞い、地割れが蜘蛛の巣状に何百メートルも疾走する。大気圧の壁が暴風となってユミルの全身を叩きつけ、正面装甲に厚く堆積していた煤を一瞬で吹き飛ばした。

 

潜望鏡から顔を上げたシャーロットが、銀縁メガネの奥の瞳を戦慄に揺らし、渇いた唇を開いた。

 

「……あれは、戦えないと思ってた」

 

「ああ。……俺もだ」

 

ブルックは噛み潰したタバコの葉を舌先で転がし、冷徹に眼前の威容を見据えた。

冗談でも誇張でもない。四十メートルのユミルが、見上げる赤ん坊のように錯覚するほどの絶対的な質量差。

 

敵機の両眼と思しきスリットに、冷酷な真紅の光が点灯した。

次の瞬間、百メートルの巨躯が重力を無視したような推進力で間合いを詰めてくる。振り下ろされた右腕は、それ自体が巨大なビルの崩落に等しかった。

 

「回避不能……! 左舷、衝撃来ますッ!」

セレナの叫びがキャビンを裂く。

 

「踏ん張れぇッ!!」

 

ブルックは全身の筋肉を硬直させ、左右の推進レバーを逆位相へと叩き込んだ。

ユミルの両腕が交差され、分厚い装甲板が頭上を覆う。

 

激突。

金属が歪み、弾け飛ぶ破壊音が密閉空間を満たした。

 

ユミルの四十メートルの巨躯が、まるで小石のように平原の地表を数百メートルも弾き飛ばされた。何層にも重ねられた肩部装甲が紙のように捲れ上がり、内部の太い油圧シリンダーがへし折れて高圧の作動油が外気へと噴出する。

 

転がりながら、ユミルの巨脚が必死に泥濘を捉え、滑走するように立ち上がった。

だが、コクピット内は完全に破綻の瀬戸際にあった。

 

「水温計、計測限界突破! エンジンブロック亀裂、潤滑油が燃えてるわ! 止まらない……圧力が抜けないのよ!」

アイリスが煙に巻かれながら、赤熱したバイパスバルブにしがみついて叫ぶ。

 

「装填機構の油圧パイプ破断! 手動クランクにトルクが伝わりません……主砲、次弾装填不能です!」

セレナの手元から火花が散り、圧力弁が甲高い警笛音を上げ続ける。

 

「フレーム剛性、限界値を超過。……次の一撃で、骨格が圧壊する」

シャーロットの冷徹な報告が、現実の冷酷さを突きつけていた。

 

ブルックは無言のまま、激しく振動する操縦桿の感触を掌で確かめた。

老兵の直感が、明確な死期を告げていた。

ユミルはもう保たない。二十五年前の激戦を生き延び、博物館で眠っていた老兵の肉体は、この急造の再起動と規格外の質量打撃によって、内側から砕け散りかけている。

 

だが――男の目は、潜望鏡のスクリーン越しに、百メートル巨人の胸部中央で脈動する紫電の球体を捉えていた。

 

神経遮断嵐の発生源。あのコアさえ物理的に粉砕すれば。

そして、そこへこの鉄塊を突撃させるだけなら、もはや手動の冷却も、砲弾の装填も、精密な測距も必要ない。

必要なのは、前進レバーをフロアの底まで押し込む、死に損ないの腕一本だけだ。

 

ブルックの手が、主操縦席の右下、埃を被っていた金属プレートへと伸びた。

黄色と黒の警戒縞で塗られた、分厚い手動ロックピン。操縦席以外の三つの座席を、個別の脱出カプセルごと機体外部へ火薬で射出する、第一世代機最初期の緊急脱出装置だった。

 

躊躇は、一秒すらなかった。

男の太い指がロックピンを力任せに引き抜き、赤く塗られた非常射出レバーを限界まで引き倒した。

 

背後の隔壁で、重厚な機械式シリンダーが作動音を響かせた。

アイリス、セレナ、シャーロットの座席を取り囲むように頑強な防護フレームが急速展開し、三人の身体をシートごと完全に拘束する。同時に、ユミルの背部装甲ブロックが油圧ピストンによって外側へ跳ね上がり、冷たい外気が硝煙とともにキャビンへと吹き込んできた。

 

「なっ……!? 何よこれ、身体が動かない……!? ちょっと、何をする気よブルック!」

アイリスが拘束ベルトを引きちぎらんばかりに身をよじり、血相を変えて叫んだ。

 

「ダメです、ブルックさん! 一人で何をするつもりなんですか!? レバーを戻して!」

セレナが涙を溢れさせ、伸ばした指先で男の背中を掴もうとするが、拘束フレームに阻まれて届かない。

 

「……私たちを降ろして、一人で母艦のコアへ突入する気か」

シャーロットがメガネの奥の瞳を見開き、珍しく感情を剥き出しにして声を震わせた。

 

振り向きもせず、ブルックはポケットから取り出した最後のタバコを唇の端で噛み締めた。

オイルライターの鈍い火が、無精髭に覆われた老兵の横顔を淡く照らし出す。

 

「わかったわかった、うるせえよガキども」

 

煙を肺腑の奥まで吸い込み、男は低く、ひどく穏やかな声で言葉を紡いだ。

 

「こんな泥臭い戦場は、俺たちみたいな過去の遺物だけで十分だ。これから先は、お前らの時代だろうが」

 

操縦桿を握り直す男の背中は、四十メートルの鉄塊よりも遥かに大きく、頑丈に見えた。

 

「お前らはこの国の希望だ。……少しの間だったが、一緒にやれてよかったよ」

 

「待ちなさいよバカ親父ィッ! 認めない、私はまだあんたを認めてないんだから! 止めなさいよ、最後まで一緒に――」

 

アイリスの絶叫は、射出ロケットの轟音にかき消された。

 

ユミルの背部から、三つの耐圧脱出ポッドが白煙を引いて空へと打ち上げられた。放物線を描き、戦場から遠く離れた博物館の防空区画へとパラシュートを開いて降下していく。

 

外気を取り込んだキャビンには、重油の焼ける臭気と、吹き抜ける風の音だけが残されていた。

空席となった三つのシート。沈黙した計器盤。

 

ブルックは噛み潰したタバコを吐き捨てることもせず、左右の主推進レバーを、両手で床が抜けるほど深く押し込んだ。

 

「――始めようぜ、ユミル。俺たちの最後の仕事だ」

 

背部の大型ディーゼルエンジンが、破損したシリンダーから火炎と黒煙を撒き散らしながら、命を削るような最後の咆哮を上げた。四十メートルの鋼鉄の怪物が地表を削りながら、百メートルの異形へ向けて単身で猛然と突進を開始する。

 

* * *

 

鉛色の空を焦がす黒煙を曳き、四十メートルの鉄塊が地表を抉りながら加速した。

 

乗員を強制射出したユミルのコクピットは、真空のような静寂に感じられた。耳をつんざくのは、死に瀕した巨大ディーゼルが上げる金属の軋みと、シリンダーブロックの亀裂から噴出する高熱蒸気の破裂音のみ。壁面を走る油圧配管は破断寸前の脈動を繰り返し、赤熱した排気管の熱波が無人となった座席を無慈悲に炙り立てていた。

 

「――さあ、来いよ。デカブツ」

 

ブルックは奥歯でタバコを噛み潰し、両手で主推進レバーをフロアの底まで押し込み続けた。

前方、大地を踏み砕いて迫る全長百メートルの異形――ヨルムンガンド。超巨大人型要塞の胸部中央では、神経遮断電磁嵐を全方位へ撒き散らす発光器官が、紫電を激しく明滅させていた。

 

敵の長大な右腕が、天を覆い尽くす質量となって振り下ろされる。

直撃を避ける術はない。ブルックは足踏みペダルを強引に踏み込み、ユミルの巨躯をわずかに傾斜させた。

 

激突。

左肩の複合装甲が数百トンの衝撃によってひしゃげ、リベットが弾丸のように室内の隔壁を跳ね回る。左腕の油圧配管が弾け飛び、作動油が霧となって外気へ吹き散らされた。だが、斜面を滑るように衝撃の八割を受け流したユミルは、歩みを止めない。残された右脚が平原の硬質地盤を力任せに踏み砕き、その懐深くへと滑り込んだ。

 

「装填不能でも、薬室には一発残ってらあ!」

 

ユミルの右腕が、零距離から敵要塞の胸部中央――紫電の中枢へと突き立てられた。

四〇〇ミリ大型アサルトキャノンの砲身が、装甲の隙間へと強引にねじ込まれる。

 

「――博物館へようこそ……ッ!!」

 

撃発。

数百キロの装薬が一気に爆発し、最後の超質量タングステン徹甲弾が至近距離で解き放たれた。火薬の膨張圧が敵の幾何学的装甲を内側から食い破り、超音速の衝撃波が紫電を放つ発光器官を粉々に圧壊させる。連鎖する内部爆発。大気を覆っていた高密度の電磁嵐が、ガラスが粉々に砕け散るかのような電離音とともに消滅していった。

 

だが、代償はあまりにも大きかった。

零距離斉射の凄まじい反動と破片の嵐を浴び、ユミルの主砲身は根元から破断。背部のディーゼルエンジンは致命的な過負荷に耐えかね、ピストンがシリンダーを突き破って完全に沈黙した。

 

巨人の心臓が止まった。

油圧を喪失した四十メートルの巨躯が、ぎしぎしと軋みを上げながら平原の泥濘へと両膝を落とす。

 

頭上には、中枢を破壊されながらも機能を停止していない百メートルの巨神。

真紅のスリットを怒りに燃え上がらせたヨルムンガンドが、長大な鋼鉄の脚を持ち上げた。動けぬ鉄塊を、その足底ですり潰すための無慈悲な踏み荒らし。

 

避ける術も、防ぐ装甲も残されていない。

 

煤にまみれた薄暗いコクピットの中、ブルックは脱力したように操縦桿から手を離し、吐き出したタバコの煙の向こうで目を細めた。

 

「……ここまでか。まあ、上出来だろ」

 

――その瞬間、大気が澄み切った高周波の共鳴音で満たされた。

 

演習平原の各所に横たわっていた三機の最新鋭機。

その胸郭深部で、神経遮断から解き放たれた超小型原子炉「エンゼルコア」が、青白い燐光を一斉に噴き上げた。

脱出ポッドから戦場を駆け戻り、愛機のコクピットへ飛び込んだ少女たちの神経が、かつてない純度で機体と直結する。

 

踏み下ろされる巨大な足底と、沈黙したユミルの隙間に、一筋の黒銀の閃光が滑り込んだ。

 

電磁障壁「スヴェルシールド」の幾何学的光彩が空間に展開される。

百メートルの質量が叩きつけられた瞬間、衝撃波が地表をリング状に薙ぎ払ったが、黒銀の防壁は一ミリの退行すら許さなかった。

 

「……遅くなって、ごめん」

 

通信回線を震わせたのは、感情を押し殺しながらも熱を帯びたシャーロットの冷徹な声だった。

ニーズヘッグの右腕、大型油圧杭――パイルバンカー「トールハンマー」が、電磁加速とともに敵の足首関節へと叩き込まれる。ヨルムンガンドの巨大な二脚が支えを失い、バランスを崩して大きく傾いた。

 

「空は私が制します! 視界も、推進器も、全部奪ってみせる!」

 

頭上を切り裂く轟音。

蒼穹へと跳ね上がったフレスヴェルグのフロートユニットが光の翼を広げ、重力を嘲笑う立体軌道を描いた。セレナの研ぎ澄まされた意思に従い、無数のマルチビーム光条が雨となって降り注ぐ。敵の残存センサーアイと背部スラスター群が精密極まる散弾射撃によって瞬く間に灼熱の火球へと変えられ、巨躯の機動力が完全に奪い去られた。

 

そして――。

 

「よくも、よくも私たちの……ッ!」

 

平原の地表を極低空で滑空し、音速の壁を突破する真紅の軌跡。

ユグドラシルのエンゼルコアが臨界出力を超えて青白い炎を撒き散らし、高周波ブレード「レヴァテイン」が白熱の光刃を天へと伸ばす。

 

アイリスの琥珀色の瞳には、もはや傲慢な驕りも、敗北の怯えもなかった。

あるのは、仲間を信じ、命を託された者としての誇りと、侵略者を切り裂く絶対の意志。

 

「私たちの整備士から離れろ! 鉄屑がァァッ!!」

 

閃光。

抜き放たれた光刃が、傾いたヨルムンガンドの巨躯を斜めに一閃した。

電離した刃は幾何学的装甲を熱量で融解させ、内部フレームごと百メートルの巨神を両断する。

 

遅れて届いた衝撃波が平原を駆け抜けた。

両断された巨大要塞は、内部の反応炉から眩い閃光を吹き上げ、天を突く火柱となって爆散していった。

 

静寂が戻る。

吹き荒れる熱風の中、炎上する残骸のただ中に、力尽きたユミルが佇んでいた。

 

軋む音を立てて、歪んだユミルの胸部装甲ハッチが外側からこじ開けられる。

薄暗いキャビンから、油と煤にまみれ、ツナギを黒く濡らしたブルックが、咳き込みながら泥濘の地面へと転がり出た。全身の打撲に顔をしかめ、くしゃくしゃになったタバコを口元へ運ぼうとしたその時、足音が激しく駆け寄ってきた。

 

「――っ、この、大バカ親父ィッ!」

 

怒声とともに、小柄な身体がブルックのツナギの胸倉を掴み上げた。

見上げれば、純白のプラグスーツを油で汚したアイリスが、真っ赤に腫らした吊り目から大粒の涙を零しながら、唇を震わせて睨みつけていた。

 

「勝手に一人で死にに行くんじゃないわよ……! 誰が置いていけって言ったのよ! 私たちを誰だと思ってるの、ヴァルハラ隊の隊長を子供扱いしないでよ……っ!」

 

激しく胸を叩くその手は、悔しさと、それ以上の安堵に耐えかねて小刻みに震えていた。

その背後で、セレナがへたり込むように膝をついて胸を撫で下ろし、シャーロットは煤けた銀縁メガネを外して、静かに息を吐いている。

 

立ち込める重油と硝煙の匂いの中、老兵は痛む身体を支えながら、泣きじゃくる少女の頭を呆然と見下ろしていた。

 

* * *

 

激闘から数日が経過した。

 

硝煙の残滓が完全に晴れ渡った青空の下、戦史博物館の前庭広場には、入り切らないほどの大群衆が押し寄せていた。

石畳のあちこちには、スルトの砲撃やユミルの巨大な足跡によって刻まれた深い亀裂や抉れがそのまま生々しく残されている。だが、地下防空壕から生還した市民たち、そして死線をくぐり抜けた兵士たちの表情には、恐怖の影はなかった。掲げられた帝国旗と、割れんばかりの歓声と拍手が、風に乗って広場を揺るがしていた。

 

瓦礫を片付けて設営された演壇の背後には、あの四十メートルの巨躯――ユミルが、再びその威容を佇ませていた。

零距離斉射で吹き飛んだ砲身は切断され、百メートル巨人の質量打撃を受け止めた装甲は激しく歪み、黒煙の煤と重油の焦げ跡が全身を覆っている。だが、老兵たちの手によって油を拭われ、仮設の支柱に支えられて仁王立ちするその姿には、以前のような客引きの看板はもうどこにも掲げられていなかった。

右肩に刻まれた巨人の部隊章と、泥と油に塗れた『1』の数字が、誇らしげに陽光を跳ね返している。

 

壇上には、仕立ての良い軍礼装に身を包んだ三人の少女が直立していた。

プラグスーツを脱ぎ、端正な制服に身を包んだその姿は凜々しく、そしてどこか数日前よりも大人びた光を瞳に宿している。

 

中央に歩み出たレインズ中将が、厳かに表彰状を広げ、マイクを通じてその重厚な声を広場全体へと響かせた。

 

「――シャーロット=ポートマン少尉」

 

「はっ」

 

シャーロットが一歩前へ出る。銀縁メガネを正し、寸分の狂いもない挙手の礼を執る。中将の手から、漆黒の綬で飾られた銀星勲章がその胸元へと佩用された。淡々とした表情を崩さない彼女だったが、その視線は一瞬だけ、壇上の背後にそびえるユミルの頑強な脚部シリンダーへと向けられ、小さく口元を緩めた。

 

「――セレナ=ファークラス少尉」

 

「はい!」

 

続いて進み出たセレナは、柔らかなサイドテールを揺らし、胸を張って勲章を受け取った。そのアーモンド形の瞳には熱いものが込み上げていたが、零れ落ちる涙を堪え、広場を埋め尽くす市民たちへ向けて温かな微笑みを返す。

 

「――そして、ヴァルハラ隊隊長、アイリス=オーヘントッシャン少尉」

 

中将が最後にその名を呼び上げた瞬間、広場の歓声は地鳴りのような最高潮に達した。

 

アイリスは背筋を伸ばし、一歩前へと踏み出した。

真紅のツインテールが、引き締まった風に鋭く翻る。中将は金星勲章を彼女の左胸に留めると、皺の刻まれた顔を綻ばせ、真摯な面持ちでその肩に手を置いた。

 

「見事であった、オーヘントッシャン少尉。前代未聞の敵襲に対し、己の命を顧みず最後まで戦線を支え、我らとこの国を壊滅の危機から救った。若きヴァルハラ隊の隊長たる貴官の勇気と統率力に、心からの敬意と感謝を捧げる」

 

万雷の拍手が再び巻き起ころうとした。

だが、アイリスは勲章に触れることなく、静かに首を横に振った。

そして、中将からマイクを預かると、広場を埋め尽くす群衆へ向けて、透き通った凛とした声を響かせた。

 

「……身に余る光栄です、中将閣下。ですが――この栄誉は、私一人の力で勝ち取ったものではありません」

 

広場が静まり返り、少女の言葉に耳を傾ける。

 

「もちろん、ここに立つ私たち三人だけの成果でもありません。第二世代機・エンヘール隊が、その身を犠牲にしてみなさんを守ってくれました。私たちの最新鋭機が沈黙し、誇りも力も奪われ、ただ絶望に震えていたあの時……泥をすすり、血を流し、決して退くことなく前を歩み続けた一人の兵士がいました。そして――」

 

アイリスは振り返り、自らの背後に聳え立つ巨大な鉄塊、ユミルを見上げた。

 

「かつてこの国を護り抜き、今もなお傷だらけの身体で私たちを護ってくれた、この第一世代機がいました。ここ戦史博物館に記されている、泥臭く、無骨で、けれど何よりも誇り高いこの国の歴史……。この大地に刻まれた、たくさんの英雄たちの魂が、私たちの背中を最後まで支えてくれたのです」

 

アイリスは再び前を向き、集まった市民と兵士たちを見据えた。

その琥珀色の瞳には、かつての傲慢な驕りは欠片もない。ただ、先人から未来を託された新時代の戦士としての、揺るぎない覚悟と祈りが満ちていた。

 

「私たちは、この歴史の上に立っています。彼らが命を懸けて繋いでくれたこの空と未来を、今度は私たちが、命を懸けて護り抜く番です。――ヴァルハラ隊は、いかなる脅威からも、この国と人々を護り続けることを誓います!」

 

一瞬の静寂の後、広場を埋め尽くす数万の聴衆から、先ほどを遥かに凌駕する怒濤のような歓声が爆発した。誰もが立ち上がり、帽子を投げ、涙を流しながら三人の少女たちへ向けて惜しみない拍手を送り続ける。

 

その喧騒から遠く離れた、博物館の外縁部。

式典の警備線を遥か後方に外れた木陰の砂利道で、装甲支援車両ラタトスクのフロントフェンダーに腰掛けた男がいた。

 

色褪せた作業用ツナギのポケットから、ブルック=ラディアスは一本の安タバコを取り出し、親指でオイルライターを弾いた。

シュボッ、と小さな炎が立ち、紫煙が澄み切った青空へと吸い込まれていく。

 

隣でドラム缶に腰掛け、スパナを弄んでいたスミスが、白い口髭を揺らして低く笑った。

 

「……フン。よく言ったもんじゃわい。生意気な小娘が、すっかり隊長の顔になりおって」

 

「全くです。誰に似たんだか、口だけは達者になりやがってよ」

 

ブルックは煙を細く吐き出し、遠く壇上で眩いスポットライトを浴びる赤髪の少女を、眩しそうに細めた瞳で見つめた。

 

ふと、壇上のアイリスが視線を巡らせ、群衆の遥か後方にいるブルックの姿を正確に捉えた。

少女の目が丸くなり、次いでいつもの勝気な吊り目が、ほんのわずかに綻ぶ。

彼女は誰にも気づかれないように小さく唇を尖らせ、誇らしげに左胸の勲章を指先で弾いて見せた。『少しは認めてあげてもいいわよ』とでも言いたげな、不器用な笑みを浮かべて。

 

ブルックは小さく鼻を鳴らし、くわえタバコの灰を軍靴の先で軽く落とした。

 

「……やれやれ。これから先、余計に手がかかりそうだぜ」

 

男の呟きは、遠く響く万雷の拍手と、吹き抜ける風の音にかき消されていった。

背後で静かに眠る四十メートルの巨人と、未来へ羽ばたく三筋の光。

鋼鉄と硝煙の狂詩曲は静かに幕を閉じ、新たな時代の物語が、ここから静かに動き出そうとしていた。

 

 

 

 

 

 




あとがき

最後までお読みいただいてありがとうございました。ロボットものでバトルシップがやりたかっただけのヤツです。ほとんどそのまんまじゃねえか!

最後に、お気に入り、ご評価、ご感想などいただけると、めちゃくちゃ嬉しいです。
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