「ハイスクール・フリート-Anchorage」 作:海洋の橋立
「第0話 過去と現在(いま)」
2005年、雨の降るしめやかな夜。
横須賀の斎場に焚かれたお香の煙が、冷えた空気の中に静かに漂っていた。
黒い喪服に身を包んだ宗谷海里は幼い身でありながら自身の現状をおぼろげながらではあるが理解出来ていた。父親の記憶はすでに薄い。ホワイトドルフィンに勤めていた父、宗谷 隆治(むねたに りゅうじ)は密輸を重ねる悪質な暴力団船との激しい戦闘の末、海へと呑まれ帰らぬ人となった。
そして、幼い彼の唯一の肉親であった母——ブルーマーメイドとして海の治安を守り続けていた最愛の母である宗谷 真澄(むねたに ますみ)もまた、荒れ狂う暴風雨の中で発生した大型客船の海難事故の際、乗客の幼子を救い出した直後、沈没する客船から帰還できず殉職した。
「まさか、リュウジに続いてマスミもだなんて…」
「うむ…子供の成長もこれからという時にこの様なことになるとは…」
控室の外で二人の大人が話し合う声が聞こえる。
静寂が包む控室で、幼い彼の前に一人の女性が膝をつき目線を合わせる。母の実の姉であり、母と同じくブルーマーメイドで任に当たっている宗谷真雪であった。
「真澄の…あなたのお母さんのことは残念でした…。突然のことで理解が追いつかないとは思いますが…あなたは私が…宗谷真雪が引き取ることに決まりました」
海里は目線をそらさずにおよそ幼さが残る子供らしくないしっかりとした声で答えた。
「はい、わかりました。こちらこそよろしくお願いします…。しかし私の存在がご迷惑をおかけしたりしないでしょうか?」
自身が親族の中で歓迎されていないことを察している者がする発言だ。いや、歓迎はされているのだろう…その歓迎の対象が彼自身ではなく彼に付随する両親が残した遺産であることを認識しているだけなのだ。
「他の親族が歓迎しているかどうかなんて知りませんし確認したくもありませんが私は…宗谷真澄の姉であり海里…あなたの叔母である私はあなたを決して粗雑には扱わず、大事な家族の一員として迎えることを約束します」
海里がその宣誓に返答するよりも早く控室の扉が開いた。
「行儀は悪いが先ほどの話は聞かせてもらった。マユキの言うことは真実だ。彼女は実の妹が残した忘れ形見である貴様をないがしろにすることができる程器用ではない」
「わ、私もそのことは保証するよ。だからどうか…どうか安心して彼女の家族に…宗谷真雪の子どもになってあげてほしい」
扉を開けて二人の男性が入ってきた。一人はホワイトドルフィンの制服に複数の勲章を付け立派なカイゼル髭を蓄えた人物ともう一人は喪服を着ておどおどとしているがどこか優しそうな雰囲気が漂う金髪と碧眼の人物だ。
返事を言う機会を失い入室して来た二人の異国人達を不思議そうに見つめる海里の視線を受けて男たちは自己紹介を始める。
「ああ…貴様の父から聞いていたが貴様は我々とは初対面だっだな…では自己紹介でもするとしよう。私の名前はアウグスト…アウグスト・フォン・シュペーだ。私的な場ではグストルでもいい。貴様の両親はそう私を呼んでいた。見ての通りホワイトドルフィンで勤務している。そして隣にいる目を真っ赤にして泣いていた男が…」
「な…泣いて悪いかね?!あ、ああ私の名前はオリバー・S(スコット)・ロックウッド。私もプライベートならオリバーで構わないよ。私も管轄は違うけど同じホワイトドルフィンで仕事をしているよ。我々は君の両親とは友人だったんだ。もちろんマユキともね」
「悪いとは言っておらん。だが男子たるもの友人の葬式で泣いて天にいる盟友たちを心配させてどうする?」
「それはそうだが…」
自己紹介もそこそこに漫才の様な会話を繰り返す二人に緊張をほぐされたのか幼い海里はくすっと笑って答える
「ふふっ、はい、もう既にご存知とは思いますが宗谷海里です。そう、ですね…真雪叔母さんの養子になることに否やはありません」
その返答を聞いて安堵する大人の三人。そして再び扉が開き一人の男性が入室して来た。
「真雪くん。それにみんなもここにいたのか。遅れてすまない、言い寄ってくる参列者に手間取った」
控室に入室し海里を視界に収めた男性は自己紹介を始める。
「やあ、君が海里くんだね?私は藤堂 孝三郎。君の両親や真雪くん、グストルやオリバーとも古くからの友人だよ。私もホワイトドルフィンに勤めているよ。真雪に、正確には君に渡したい物があって探していたんだ」
そう言った藤堂は手に持っていた縦長のケースを開ける。その中には磨かれて光沢を放っているレイピアが鞘に収まったままの状態で収納されていた。
そのレイピアを見て真雪を始めとする大人が息を吞む。この武器を義母である真雪と自分に渡すということの意味が理解できなかった海里が藤堂に問う。
「なんで…私に…この武器を…?」
そのもっともな疑問に藤堂が答える。
「疑問に思うのも無理はないね…海里くんこれは君のお父さん…宗谷隆治の私物だったんだ。海上安全整備局からようやく取り戻せたんだ」
「父の…武器…」
まだ幼い海里が呟く。その様子を確認した藤堂が続ける。
「そう…君のお父さんの武器だ。だがこれは私が後日改めて君の新しい家になる宗谷邸に送り届けるよ。流石に葬式が終わって疲れている君たちに渡すわけにもいかないからね」
「そうですね…お願いします…」
疲れている…という言葉につられたかのように海里のまぶたが閉じ真雪にもたれかかる。余りにも唐突な倒れ方に皆心配するが宗谷真雪が彼が寝ていることを確認する。通夜や葬式での緊張で疲労が祟り寝てしまったのだ。彼が寝た所で宗谷真雪が解散を宣言する。カイゼル髭を蓄えた者はドイツへ、おどおどしている金髪で碧眼の者はイギリスへ、遅れて控室に来た古馴染みは東舞鶴へ、そして新たな小さきものを抱えた者は横須賀の私邸へと帰還するのであった。
それから10年の時が流れた。
宗谷邸の玄関に中型のスーツケースをもった一人の少年がいた。どこか遠方に行くのだろうか上り框に少女が一人心配そうに見つめている。
「兄さん…本当に今日から東舞校に行くのですね…船の旅券は持ちましたか?制服は?」
「まったく…ましろは本当に心配性だな…ちゃんと旅券も制服の鞄とスーツケースに入れてあるよ…それとも兄とそうそう会えなくなるのが寂しいのか?」
そう悪戯心を持って聞くと宗谷海里の妹宗谷ましろが顔を真っ赤にして反論する。
「そうではありません!いえっそれもなくないですが私は兄さんのことを心配して…」
「ふふっ…大丈夫だ長期休みにはここに帰ってくるよ。それにましろも来年は横須賀校に進学するんだろう?なら合同演習で会う機会もあるさ」
「それは…確かにそうなのですが…」
不安そうに顔を俯かせるましろの頭を撫でつつ海里は伝える。
「本当に大丈夫だと言っているのに…まったく可愛い妹だな。そろそろ時間だお互い元気でな」
「~~~っ!…はい!兄さんもどうか元気で!」
その声援に後ろを押されながら宗谷海里は長年出入りした玄関を出る。これから彼に待ち受けるのは雲一つない順調な航海かそれとも暗雲に満ちた険しき航路かそれはまだ誰にもわからない。だが一つ言えるのは少年は自身が成長する為の第一歩を踏み出したことだけだ。
三日後、東舞鶴男子海洋学校の港に停泊しているH321小型巡洋直接教育艦釧路の艦橋にて艦橋要員の顔合わせが行なわれていた。見事なレイピアを帯刀する宗谷海里が点呼を行う。
「全員そろったな?私がこの艦と貴官らの命を預からせて貰うことになった釧路艦長の宗谷 海里(むねたに かいり)だ…よろしく頼む」
その言葉に宗谷海里の横に控える少年が声を上げる。
「いやはや、我らが艦長は相変わらず真面目でお堅いようで…私は艦長の副長を務めさせて頂きます古庄 湊(ふるしょう みなと)といいます。以後お見知りおきを」
次になにやらうずうずとしている少年が名乗り出る。
「はい!砲術長を拝命しました藤堂 澪仁(とうどう れいじ)と言います!艦長早速ですが砲撃演習の許可を…「ダメだ」承知致しました…」
艦長に演習の許可が承認されずに気落ちする砲術長を横目に釧路の操舵輪付近に待機していた少年が自己紹介を始める。
「ふふっ…釧路の航海長を任されている杉本 凪(すぎもと なぎ)です。なんだか賑やかな航海になりそうですね」
次に船内無線機でどこかと通信していた少年が皆に向き直り宣言する。
「私は福内 碧葉(ふくうち あおは)と申します。釧路の船務長を担当させて頂きます。出港前のCIC(戦闘指揮所)及び機関室の状態を確認しました。どちらも異常なしとのことです」
最後に腕に赤い十字のワッペンを付けた少年がのんびりとした声で話し出す。
「私は釧路の衛生長の藤田 航(ふじた わたる)です。もし艦内で痛みや不調が出れば遠慮なく衛生科に来てください」
自己紹介をした各科の長を見渡して宗谷海里は宣言する。
「よし、釧路クラス全生徒の乗艦は確認済みだな?ではこれより我々の初の航海演習に向け出港する。副長、すでに機関の暖機運転は済んでいるな?機器やテレグラフのテストは?」
「ええ、どちらもすでに確認済みです。あとは係留索の取り外しと東舞校の管制からの許可があればー…失礼、たった今許可が降りたようです。残りは係留索の巻き上げのみです。艦長、指示を」
「報告確認した、これより離岸する!係留索の取り外しを始めろ!」
「了解、係留索の取り外しはーじめー!」
艦外のスピーカーから係留索の取り外しが号令されものの数分で取り外しと艦内への巻き上げが完了する。甲板長から艦橋に全索収容の報告が届く。
「艦長、今しがた甲板長から全索収容の報が届きました。いつでも、どうぞ」
副長の古庄 湊からの報告を受け取った宗谷 海里は釧路の出港を宣言する。
「よし、ではこれよりH321小型巡洋直接教育艦釧路、出港を開始する!」
帝国海軍時代から大海原を駆けた巡洋艦は今度は次代のホワイトドルフィンを育む小型巡洋直接教育艦へと改修され艦長宗谷海里と彼率いる生徒たちの数多の波乱と運命の出会いが待ち受ける航海を開始する。