鬼さま&スグリ 助けてぽにぽに 作:助けてアオイ
テラリウムドームを見せたあと、スグリはトコトコと力なく歩くオーガポンを先導し、学園の広々とした学生食堂へと移動した。お昼時の食堂はブルーベリー学園の洗練された制服を着た生徒たちで賑わっていた。
白いテーブルとモダンな椅子が並ぶ近代的な空間に、おめんを奪われ、素顔を晒されたオーガポンが入っていくと、やはり周囲の生徒たちからの好奇の視線が一斉に突き刺さる。しかしスグリは、それらの視線を意に介する風もなく、むしろ誇らしげに胸を張りオーガポンを連れて一番目立つ中央のテーブル席へと腰掛けた。
「……よし、ご飯にしよう。鬼さま、お腹空いたでしょ」
スグリはテーブルのメニュー表を広げるとオーガポンの顔を覗き込み、驚くほど優しく穏やかな声で語りかけた。キタカミでゲットしてから一切食べなかったオーガポンのことを彼なりに心配しているつもりだったのだ。
「鬼さま食べたい物ある? ここの食堂、何でも美味しいんだよ。甘いパンもあるし、キタカミには、なかった珍しいパスタもあるよ。何でも好きなの頼んでいいからね」
スグリはメニューの写真を一つずつ指差しながら無邪気な少年のように微笑んだ。アオイに勝って鬼さまを自分のものにした今、スグリは自分が「鬼さまに一番優しくしてあげられる最高のトレーナー」であると疑いなく信じ込んでいた。しかしオーガポンはそのメニュー表に、一切目を向けようとはしなかった。
「ぽに……っ……」
オーガポンは椅子の上で小さく身体を丸め、スグリから少しでも離れようと、椅子の端へとずるずると身を寄せた。隠すおめんのない、その素顔から乾きかけていた涙が再びじわりと溢れ出し、大きな瞳を潤ませていく。
食堂を包む美味しそうな料理の匂いも楽しそうな生徒たちの笑い声も今のオーガポンにとっては感覚を麻痺させる不快なノイズでしかなかった。脳裏に蘇るのは、かつてキタカミの里で大好きなアオイが自分のために一生懸命作ってくれた、あの温かくて不格好なサンドウィッチの味だけ。
『おいしい? オーガポン、いっぱい食べてね!』
そう言って顔をクシャクシャにして笑ってくれた、世界で一番大好きなあの少女のぬくもり。それ以外のものを今のオーガポンの身体も心も完全に拒絶していた。
スグリがどれほど一方的な優しさでメニューを勧め食べさせようとしても、それはオーガポンにとって自分をアオイから引き離し、おめんを奪い去った「恐ろしい悪魔」からの施しに過ぎなかったのだ。オーガポンは怯えたように手を膝の上でぎゅっと握りしめて震えていた。料理を頼むどころか、食べ物を口にすることすら全力で拒否しているその頑なな態度。
「……そっか。まだ慣れてないから何がいいか分かんないよね」
スグリはオーガポンのその悲痛な拒絶を、またしても「慣れていないだけ」と都合よく解釈し、薄い唇の端を歪に吊り上げて笑った。
「じゃあさ、俺が鬼さまの好きそうなメニュー、適当に選んで頼んであげるね。食べたら絶対元気出るからさ」
泣きそうに顔を歪め、頑なに拒食の姿勢を崩さないオーガポンと、そのオーガポンの姿を自身の都合の良い解釈にして、何とも思わないスグリの、どこまでも噛み合わない静かな狂気の時間が賑やかな食堂の真ん中で重苦しく流れていた。
結局スグリが一方的に注文した料理にオーガポンが一切口をつけることはなく、冷め切った皿を前にしたまま食堂での重苦しい時間は終わりを迎えた。
スグリは一口も手を付けられなかった料理を片付けると椅子から立ち上がれないオーガポンを強引に立たせて手を引っ張り食堂を後にした。そのまま長い通路とエレベーターを経由し、学生寮の区画へと足を進めていく。
カチリ、と鍵を開けて押し開いた扉の先。そこはスグリの私物やベッド、勉強机が並ぶ、お世辞にも広いとは言えない学生寮の自室だった。スグリはオーガポンを静かに部屋に入れて部屋の鍵を内側から厳重に閉めた。
「……よし。ここが俺の部屋だよ。これからは鬼さまの部屋でもあるからゆっくりしていいよ」
スグリは満足そうに部屋を見回し、それから床の上で完全に萎縮しているオーガポンの前にしゃがみ込んだ。その瞳には、自分の完全なプライベート空間に『鬼さま』を囲い込めたことへの執拗で暗い幸福感が満ち満ちている。
「卒業するまでは……ずっと、この学園が鬼さまの家になるから。早く慣れてね」
スグリの口から告げられた、あまりにも残酷な未来の宣告。卒業するまで。それは、まだ何年も先のことだった。
その長い年月の間、あの美しいキタカミの山々にも静かな恐れ穴にも戻ることは許されず、ましてや大好きなアオイに会えることも決して叶わない。この海の底の人間に管理された狭い箱庭の学園と、この閉ざされた一室だけが自分の世界のすべてになるのだと、オーガポンの怯えた心に突きつけられた。
「ぽにぃ……っ……ぽに……っ……」
オーガポンは部屋の隅にあるクローゼットの壁に背中を打ち付けるようにして、ずるずると後ずさりした。おめんを奪われた素顔を隠したくて、小さな両手で自分の顔をきゅっと覆う。
だが涙は指の隙間からとめどなく溢れ出し、冷たい床の上にポタポタと落ちていく。早く慣れてね、というスグリの言葉がオーガポンの胸を容赦なく締め付ける。慣れるはずがなかった。人間に怯え、おめんの裏で息を潜めていた自分を初めて『一人の友達』として肯定し、褒めてくれたアオイ。そのアオイと過ごしたあの眩しい日々を忘れて、自分を力ずくで縛り付けるこの少年の部屋を『家』だと思える日など、逆立ちしたって来るはずがなかった。
「……あは、まだ泣いちゃうんだね。本当に寂しがり屋なんだから」
スグリは壁際で泣きじゃくるオーガポンの元へとにじり寄ると顔を覆う彼女の小さな手を優しく、しかし有無を言わせぬ強さで再び引き剥がした。
「でも大丈夫だよ。毎日僕が一緒にいてあげるし、誰も僕たちの邪魔はさせないからね? 鬼さま」
腕を広げてオーガポンの小さな身体をぎゅっと抱きしめ、優しく引き寄せるスグリ。
アオイの名前を呼んで泣き叫ぶ気力すら奪われ、ただ絶望の涙を流してガタガタと震え続けるオーガポン。完全に閉ざされた鍵付きの部屋のなかで二人の狂気と絶望が冷たい人工の空気のなかにどこまでも深く沈んでいった。オーガポンを抱きしめながら密かに目を鋭くするスグリ。
(いつまで泣いてんだ。鬼さま...っ)
幸せな味を知らなければ、ここまで不幸を味わうことはなかった。アオイという優しい光を浴びてしまったオーガポンはスグリの邪悪な闇を浴びて、より深く絶望する。アオイに出会わなければ、ここまで苦しむことはなかったはずなのに。