鬼さまとスグリのすれ違い 作:魔王ハルト
スグリが張り裂けんばかりの声でぶつけた秘めた本音。
その叫びが夕暮れ時の恐れ穴に響き渡ったとき、オーガポンはアオイの裾を掴んでいた手をわずかに強め、丸い身体をびくりと震わせた。
「俺だってずっと、オーガポンと一緒にいたいって思ってたのに……!!」
スグリのその言葉と、彼から放たれる強烈な感情の波。それに触れた瞬間、オーガポンの脳裏に、ここ最近の記憶が鮮明に蘇ってきた。
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それは、おめんを奪われるよりも、ほんの少し前のこと。
当時のオーガポンは長い年月の間、里の人間たちから「恐ろしい鬼」として忌み嫌われ怯えられていた。
だからこそ人間が近づいてこない険しい山奥の恐れ穴を唯一の隠れ家として、息を潜めるようにして暮らしていた。人間は怖いもの、自分を傷つけにくるもの――それがオーガポンの心に深く刻まれた防衛本能だった。
そんなある日、異変が起きた。
誰も来ないはずの恐れ穴の前に一人の人間の足音が近づいてきたのだ。岩の隙間から息を殺して様子を窺うと、そこにいたのは紫色の髪を珍しい形に結った、まだ小さな人間の男の子――当時のスグリだった。
スグリは恐れ穴の入り口の前に立つと、きょろきょろと辺りを見回し、ひどく緊張した面持ちで拳を握りしめていた。
その目は何かを恐れているようでもあり、同時に言葉にできないほど強い憧れを抱いているようでもあった。最初のうちは、ただの偶然か、あるいは迷い込んでしまっただけだと思っていた。すぐに諦めて山を降りるだろう、と。
しかし、その男の子は数日が経ちまたやってきた。
男の子は何度も何度も息を切らしながら険しい山道を登り、この恐れ穴へと足を運んできた。
岩場に隠れているオーガポンには彼が何を求めてここへ来ているのか、その正確な理由は分からなかった。ただ、人間たちが自分を「悪い鬼」と呼んで遠ざけていることを知っていたオーガポンにとって、その執拗な訪問は恐怖以外の何物でもなかった。
(……きっと、ワタシを倒しにきた人間に違いない)
おめんを持たない素顔のオーガポンは、とても臆病だった。
かつて大切な仲間であった男をともっこたちに奪われた悲しい過去が恐怖をさらに増幅させる。あの子は自分を縛り付けにきたのか、それとも里から追い出すために強いポケモンたちを連れて現れたのか。
何度も何度もやってくる男の子の姿を見るたびにオーガポンの胸は不安と恐怖で押しつぶされそうになった。
このままでは、いつか隠れていることすら見つかってしまうかもしれない。
(……あそこには、しばらく戻らないでおこう)
そう心に決めたオーガポンは自分の家であるはずの恐れ穴を捨て、里の人間たちに見つからないよう森の奥を転々とする放浪の生活を選んだ。
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我が家から自分を追い出した原因――それこそが目の前にいるスグリという少年だった。
現実へと意識が戻ったオーガポンの目に、今のスグリの姿が映る。スグリは「一緒にいたかった」と泣きそうな声で訴えている。
だがオーガポンにとってのスグリは、かつて自分を恐怖のどん底に突き落とし、家である恐れ穴に帰れなくさせた「恐ろしい訪問者」の記憶と直結していた。
スグリがどれほど純粋な憧れを抱いていたとしても言葉を持たないオーガポンには当時の彼の行動は「自分を脅かすプレッシャー」としてしか受け止められていなかったのだ。
オーガポンはスグリの痛々しいほどの視線を受け止めながらも、その身体をすくませ、さらに一歩、アオイの後ろへと隠れるようにして身を寄せた。
スグリから隠れるようにアオイの背後に身を寄せたオーガポンはアオイの温かい背中を感じながら、今度は彼女と初めて出会ったあの夜のことを思い出していた。
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何度もやってくるスグリへの恐怖から恐れ穴に帰れなくなったオーガポン。
ある日、里でお祭りが開かれているのを知り、賑やかな灯りに引き寄せられるようにして、こっそりと人間たちの前に姿を現した。碧の仮面を被っていれば、人間たちには自分が「鬼」だとは分からず、ただのお祭りの参加者に見えるはずだった。
そこで初めて、アオイと出会ったのだ。
見慣れない顔で村人とは違う不思議な雰囲気をまとった少女、アオイ。
最初アオイの姿が目の前に現れたとき、オーガポンはハッとして身を硬くし、どうすればいいか分からず激しく戸惑った。また自分を傷つけにくる人間かもしれないという恐怖が頭をよぎったからだ。
しかし、アオイは違った。
アオイはオーガポンが被っていた碧の仮面をじっと見つめると怖がるどころか、本当に嬉しそうな心からの笑顔を浮かべて言ったのだ。
『私はアオイって言うの、よろしくね。そのおめん、すごく素敵だね!』
言葉は通じなくても、アオイの瞳に宿る純粋な好意と、優しい声の響きだけで十分だった。
ずっと「恐ろしいもの」として拒絶されてきたおめんを初めて人間から真っ直ぐに褒められた。
その瞬間、オーガポンの胸の奥に灯った喜びは言葉にできないほど大きかった。
怖がらせるための仮面が初めて他者との温かい繋がりを生んでくれたのだ。嬉しくてオーガポンは思わずその場で小さくステップを踏み、喜びを表現した。
だが、そのささやかな幸せな時間は長くは続かなかった。
二人の間に大きな影が割り込んできた。途中からやってきたゼイユだった。背が高く、どこか威圧的な雰囲気をまとったゼイユが近づいてくるのを見てオーガポンの心に再び強い恐怖が呼び起こされる。
(やっぱり、人間は怖い……!)
限界を迎えたオーガポンはアオイとゼイユから逃れるように山の方へと続く薄暗い階段を夢中で駆け上がった。
しかし焦りと恐怖のせいで足元がもつれ、転びそうになり体を揺らし、その衝撃で顔にぴったりと張り付いていた大切な碧の仮面が無情にも外れて地面を転がっていった。
(あ、ああっ……!)
隠すべき素顔が夜の空気の中に晒される。
驚いて振り返ったオーガポンの目に階段の下から自分を見つめるアオイとゼイユの姿が映った。
ついに自分の正体が「鬼」だと知られてしまった。
また酷い目に遭わされるに違いない――オーガポンは身を縮めて怯えた。けれど階段下にいたアオイの表情はオーガポンの予想とは全く違っていた。
アオイは落ちたおめんをそっと拾い上げると、それを両手で大事そうに抱えオーガポンへと差し出した。
その顔には敵意や恐怖など微塵もなかった。ただただ優しく心配そうにオーガポンを気遣う穏やかな眼差しがそこにはあった。
『これ、あなたの大事なものだよね。はい、返すね』
そう言っているかのようなアオイの温もりにオーガポンの心は激しく揺れ動いた。
今すぐその手からおめんを受け取りたかった。
けれどアオイのすぐ後ろには、まだ警戒心の強い目をしたゼイユが控えている。どうしてもその存在が怖くてオーガポンはおめんをアオイの手に残したまま泣く泣く夜の山奥へと逃げ帰るしかなかった。
それでも、あのときアオイが見せてくれた優しい表情と、おめんを褒めてくれたぬくもりはオーガポンの心に深く消えない光として残り続けた。
その夜オーガポンは本当に久しぶりに自分の家である恐れ穴へと帰った。
スグリがまた来るかもしれないという恐怖よりもおめんを失った悲しさとアオイという優しい人間に触れた興奮が勝っていた。静かな穴の奥でオーガポンはアオイのことを思い返しながら久しぶりの我が家で長い夜を過ごした。
しかし、運命は容赦なくオーガポンを絶望へと叩き落とす。
翌日の朝。
恐れ穴の外から不穏で不快な地響きと騒がしい声が聞こえてきた。
嫌な予感がして、オーガポンは恐る恐る穴の外へと頭を出した。そこにいたのは、かつて自分からすべてを奪い、深い傷を負わせた忌まわしき宿敵たち。
マシマシラ、キチキギス、イイネイヌ――ともっこたちが、長い眠りから目覚め、オーガポンへの復讐を果たすために禍々しいオーラをまとって恐れ穴の前に集結していたのだ。
あまりの恐怖と絶望にオーガポンの小さな身体は激しく震えた。