鬼さま&スグリ 助けてぽにぽに 作:助けてアオイ
9話
キタカミの里から離れた空港を発ち、ブルーベリー学園へと向かう大型飛行機の機内。
ゴーーーという、耳が詰まるような低いエンジン音が常に響く客席のなかで、オーガポンは小さな身体を座席の隅で限界まで丸めていた。おめんをすべて奪われたまま、素顔を晒されてるオーガポン。
何百年もの間、人間の前に姿を現さず、おめんで顔を隠し続けていた臆病な彼女にとって、四方を壁で囲まれた飛行機という閉鎖空間、そして何より周囲の座席にいる人間たちからの視線は息が詰まるほどの恐怖以外の何物でもなかった。
「おい、見ろよ……あのポケモン。あんなの見たことないな」
「あんなに可愛い顔をしたポケモンを連れてるなんて羨ましい……」
周囲の乗客や同じく学園へ戻る他の生徒たちが物珍しそうな目を向けてヒソヒソと囁き合っている。彼らに悪気はないのかもしれなかった。ただ、初めて見る伝説のポケモンの珍しさと、その愛らしい素顔に純粋な好奇心から視線を注いでいるだけだった。
(いやだ……怖いよっ、見ないで、見ないでよっ……!)
オーガポンは恐怖と恥ずかしさで胸が潰れそうになり、短い両手を必死に動かして自分の顔を覆い隠した。かつて、里の人間たちに「恐ろしい化け物」として追われた記憶が、その視線に重なる。おめんがなければ、自分はここにいてはいけない存在なのだと、激しく怯えていた。涙が手の隙間から溢れ、ぽたぽたとシートを濡らしていく。
だがオーガポンが必死に顔を隠してるとき、横から伸びてきた邪悪な手が、その小さな腕を容赦なく掴んだ。
「ダメだよ、鬼さま」
「ぽにっ……!? ぽにぃ……っ!」
スグリはオーガポンが顔を隠していた両手を力任せにぐいっと引き剥がした。オーガポンは抵抗しようと必死に腕を引き戻そうとしたが、スグリの掴む手には、拒絶を一切許さないと思わせる程の圧が込められていた。腕を完全にどかされ、再びその素顔が機内の明るい照明の下に晒される。
「せっかくこんなに可愛い顔をしてるんだから、隠しちゃ勿体ないよ」
スグリはオーガポンの顔を覗き込み、満足げに微笑んだ。その瞳はオーガポンを気遣っているようでいて、その実は周囲の乗客たちへ「この珍しいポケモンは俺のものだ」と誇示することしか考えていなかった。アオイから奪い取り、自分の手中に収めた世界で唯一の存在。それを周囲に見せびらかし、自分の優位性を確認することが今のスグリの歪んだ心をかろうじて支えていたのだ。
「ほら、みんな鬼さまのこと見てるよ。可愛いって言ってる。だから、手で隠しちゃダメだよ。ずっとその顔を見せてて」
「ぽにぃ……っ……ぽに、ぽにぃぃ……っ……」
また顔を隠そうとすれば無理やり邪悪な手が伸びると思い大人しくしながら怯える。顔を隠すことすら許されないオーガポンは、これ以上の拒絶もできず、ただ声を殺してボロボロと涙を流し続けた。少し離れた席に座るゼイユは、その様子をじっと見つめていたが弟のあまりの変わりようと、オーガポンの痛々しい姿に胸を締め付けられ、ついに耐えかねて顔を背けてしまった。誰も自分を助けてくれない。大好きなアオイはもういない。
ゴーーーという冷淡な飛行機の駆動音に掻き消されながら、おめんを奪われたオーガポンの悲痛な涙は、どこまでも遠い異郷の地へと運ばれていく機内のなかで、ただ静かに流れ続けていた。
飛行機が空港へ着陸したあともオーガポンにとっての張り詰めた苦痛の時間は終わりを告げなかった。
スグリの細い腕に強引に連れられ、一行はさらに海を渡るための海上連絡船へと乗り換える。窓の外に広がるのは見渡す限りの広大な海。潮の匂いが船室のわずかな隙間から吹き込んでくるが、キタカミの山奥で静かに暮らしていたオーガポンにとって揺れる船体も果てしなく続く水面も、すべてが異世界のものであり、恐怖をいっそう加速させるだけだった。
(もう嫌だ。皆ワタシをジロジロ見てくるし、スグリはずっとワタシをイジめる。アオイ……アオイ……どこにいるのっ、会いたいよ……)
心の中で何度も大好きな少女の名前を呼び、絶望の涙を流し続ける。しかし船は容赦なく進み、やがて海上にぽつりと浮かぶ巨大な建造物――ブルーベリー学園の乗船口へと滑り込んでいった。自動ドアが開き、ひんやりとした人工的な空気が肌を刺す。
連絡船から一歩を踏み出した先は海中へと続く近未来的なエントランスロビーだった。ガラスの向こうには青暗い海の世界が広がり、最新鋭の設備がそびえ立っている。キタカミの自然豊かな風景とはあまりにもかけ離れた、冷徹なテクノロジーの要塞。
「……着いたよ、鬼さま。ここが、俺が通ってるブルーベリー学園だよ」
オーガポンを無理やり後ろから抱えオーガポンの耳元で低く、湿り気を帯びた声で囁いた。その腕の中にあるオーガポンは素顔を晒された恥ずかしさと見知らぬ建物、見知らぬ光景への拒絶感からカタカタと激しく震えが止まらない。短い手をスグリの衣服の袖に立てて抵抗しようとするが、どうしようもなく、抱きしめる腕の力が緩むことはなかった。
「ちょっと、スグリ……いつまでそうやって無理やり抱えてるのよ。オーガポンちゃん、もう気持ち的にも限界じゃないの……」
後ろから付いてきていたゼイユが、いたたまれなくなったように声をかける。彼女の顔には学園に戻ってきた喜びなど、ひとかけらもなかった。弟の異様な執着と、その犠牲になっているオーガポンを間近で見せつけられ、精神的にすっかり磨り減っていた。
しかし、スグリはゼイユの言葉を完全に無視した。彼はオーガポンを皆に見せびらかすように抱えながら学園のエントランスをゆっくりと歩き出す。
「ほら見てごらんよ。ここはポケモンバトル強化に特化した学園だから。俺がアオイなんかよりも鬼さまをもっと強くしてあげるから」
スグリの口元には歪んだ優越感に満ちた薄い笑みが浮かんでいた。おめんをすべて奪われ、ただ涙をボロボロと流すことしかできないオーガポン。彼女はここが何処かも分からず、ただ取り返しのつかないほど遠い場所へと連れ去られてしまったことだけを、その肌に触れる冷たい空気から感じ取っていた。
未来的なエントランスの輝きがオーガポンの涙に濡れた素顔を無慈悲に照らし出す。異郷の地、ブルーベリー学園への到着。それは、オーガポンにとってのさらなる恐怖と絶望の始まりを意味していた。