『いちご100% ~名脇役は青春の主役になれるか~』 作:Gussan0
続き書けたで候。
では、どうぞ∠( ゚д゚)/
三月。
受験という大きな山を越えた途端、時間の流れが妙に速くなった。
授業らしい授業は減り、教科書を開く時間より卒業に向けた話をする時間の方が増えていく。教室の後ろには寄せ書き用の色紙が置かれ、休み時間になるたび誰かが誰かのところへ行っては、「何か書いて」と頼んでいた。
「境野!」
「嫌だ」
「まだ何も言ってねえ!」
「真中がその勢いで来る時は大体面倒だから」
「ひどくない!?」
真中が持っていたのは卒業アルバムだった。
「ここ!なんか書いてくれ!」
「普通に頼めるじゃねえか」
「だから最初から普通に頼んでるだろ!」
受け取って空いている場所を見る。
「何書けばいい」
「感動するやつ」
「注文が雑すぎる」
「三年間ありがとうとか、夢に向かって頑張れとか!」
「自分で指定するなら俺が書く必要ないだろ」
「そういう意味じゃねえ!」
適当にペンを走らせる。
『高校でもよろしく。映画は自分で撮れ。 境野』
「最後の一文いる!?」
「一番大事だろ」
「高校入ったら絶対手伝わせるからな!」
「断る」
返したところで、隣から小さな笑い声が聞こえた。
東城だった。
「境野君らしいね」
「どこが?」
「真中君とのやり取り」
「こいつが毎回うるさいだけだ」
「境野も結構楽しんでるだろ!」
「気のせいだ」
「ほら、そういうところ」
東城がまた笑う。
最近、こうやって東城が俺をからかうことが少し増えた。昔なら、自分からこんな風に会話へ入ってくることはあまりなかった気がする。
「東城も書いてくれよ!」
「え、私?」
「もちろん!」
「う、うん」
真中からアルバムを受け取った東城が、少し緊張したようにペンを持つ。
何を書くのかまでは見ない。
昔から、それは同じだ。
昼休みには、西野が四組へやってきた。
「淳平君、境野君」
「西野!」
「西野か」
「これ書いて」
差し出されたのは、やっぱり卒業アルバムだった。
「最近こればっかりだな」
「卒業前なんだから当たり前でしょ」
「俺も!」
真中がすぐに食いつく。
「淳平君には後でゆっくり書いてもらうから」
「お、おう」
分かりやすく嬉しそうだ。
俺は西野のアルバムを受け取る。
中学二年。
西野とは、その一年間同じクラスだった。当時から目立つ奴だったし、男子からの人気も高かった。
まさか一年後、その西野が真中と付き合って、東城とも友達になり、俺の家で一緒に飯を食うようになるとは思わなかったが。
『高校でもよろしく。自分で決めたんだから最後まで頑張れ。 境野』
書いて返す。
西野がそれを読む。
「……うん」
「何だよ」
「別に」
西野は少しだけ笑った。
「ありがと、境野君」
「どういたしまして」
「境野君もね」
「俺?」
「高校でもよろしく」
「ああ」
その横から真中が覗き込む。
「何書いたんだ?」
「見せなーい」
「なんで!?」
「淳平君には関係ないでしょ」
「彼氏なのに!?」
「彼氏でも駄目なものは駄目です」
「そんな!」
相変わらずだ。
「東城さんにも書いてもらお」
「私?」
「うん」
西野が東城のところへ向かう。
二人が机を挟んで話し始めた。
去年までほとんど接点のなかった二人だ。今では西野が東城の髪に触れて、「高校入ったら服も見に行こうよ」なんて話をしている。
東城も戸惑いながら、嫌そうではない。
人間関係なんて分からないものだ。
少なくとも、悪い変化じゃない。
そして、卒業式の日。
式そのものは特別変わったこともなく進んだ。
名前を呼ばれ、卒業証書を受け取る。校長の話を聞き、歌を歌う。泣いている奴もいる。
真中は途中まで平気そうだったが、近くの奴が泣き始めたせいで少し目を赤くしていた。
教室へ戻れば、担任の最後の話。
そこまで来て、ようやく終わるのだという実感が少し湧いた。
三年間。
中学一年では東城と同じクラスだった。
文芸部でも顔を合わせるようになった。
二年では西野と同じクラスになった。
三年では真中と同じクラスになり、東城ともまた一緒になった。
そこから大草、小宮山。
そして西野がもう一度近くなった。
前世を思い出した八歳の頃から、俺は一人でいることに慣れていると思っていた。
実際、一人で困ることは少ない。飯も作れる。洗濯も掃除もできる。勉強だって自分でやればいい。
でも――。
「境野!」
「ん?」
「行こうぜ!」
真中が手を振っている。
「みんな外にいるって!」
「……はいはい」
一人でできることと、一人でいることは違う。
それはもう、知っている。
最後のホームルームを終えて校舎を出ると、卒業生たちでごった返していた。
写真を撮る声。別れを惜しむ声。笑い声と泣き声。
そして真中が足を止めた。
「……なんだ、あれ」
「何が?」
「あそこ」
視線の先を見る。
「西野さん、写真お願い!」
「私も!」
「西野ー!一緒に撮ろう!」
「ちょ、ちょっと待ってってば!」
西野が女子にも男子にも囲まれていた。
まあ、そうなるだろう。
学校でもトップクラスに目立つ美少女だ。卒業式ともなれば、最後に写真を撮りたい奴も多い。
少し離れたところには東城もいる。
「東城さん、一緒に写真撮って!」
「えっ、わ、私?」
「卒業アルバムにも書いてほしい!」
「ちょ、ちょっと待って……!」
こっちも人だかりだ。
眼鏡を外して髪を下ろすようになってから、東城を見る周囲の目は明らかに変わった。本人だけが、いまだに自覚していない節があるが。
「東城、大丈夫かな」
真中がそちらを見ている。
「まあ、本人が困ったら助ければいいだろ」
「そうだけど……」
「境野!」
今度は別方向から大草の声がした。
振り向いて――。
「……お前もか」
「助けてくれ」
女子に囲まれていた。
「大草君、写真撮ろ!」
「私も!」
「大草君、第二ボタンまだある!?」
「えっ、私欲しい!」
「ちょっと待てって!」
普段余裕のある大草が珍しく押されている。
「モテる男は大変だな」
「他人事みたいに言うな!」
「他人事だから」
「境野ぉ!」
助けを求める声を無視する。
「すげえな大草……」
真中が若干引いていた。
「お前も彼女いるだろ」
「それとこれとは別だって!」
その彼女が、ようやく人だかりから抜けてきた。
「はぁ……疲れた」
「西野!」
「淳平君」
真中の顔が一瞬で明るくなる。
「大丈夫だった?」
「写真いっぱい撮られただけだから」
西野は笑って答え、それから真中の制服へ目を落とした。
「……あ」
「ん?」
「淳平君」
西野が少しだけ声を落とす。
「第二ボタン、まだある?」
「え?」
真中が固まった。
西野はそんな真中を見て、少し笑った。
「じゃあ、もらうね」
「え、ちょ、西野!?」
西野が一歩近づく。
その指先が真中の制服の第二ボタンへ触れた。
「動かないでね」
「お、おう……」
さっきまでの勢いはどこへ行った。
真中は完全に固まっている。
西野は丁寧に第二ボタンを外すと、それを手のひらに載せた。
「……うん。もらった」
「に、西野……」
「大事にするね、淳平君」
西野が嬉しそうに笑う。
真中の顔は耳まで真っ赤だった。
「よかったな」
「境野!」
「何だよ」
「お前今絶対面白がってるだろ!」
「別に」
「顔が笑ってる!」
「気のせいだ」
「境野君」
振り返る。
「東城」
ようやく人だかりから抜け出してきた東城がいた。
「大丈夫だった?」
「う、うん。びっくりしたけど」
「人気者は大変だな」
「そ、そんなんじゃないよ」
「いや、あれ見てそれは無理あるだろ」
東城が困ったように笑う。
その視線が、西野の手元へ向かった。
「西野さん、それ……」
「うん」
西野が手のひらのボタンを見せる。
「淳平君の第二ボタン」
「……そっか」
東城の笑顔が、ほんの一瞬だけ揺れた。
すぐにいつもの表情へ戻る。
「よかったね、西野さん」
「ありがと」
俺はその横顔を見る。
やっぱり東城にとって、真中は特別なんだろう。
「境野君」
「ん?」
東城が俺を見る。
いや、正確には――俺の制服を。
「どうした?」
「……第二ボタン、あるね」
「あるけど」
東城は黙った。
何かを言おうとして、やめる。
それを二度ほど繰り返す。
「東城?」
「あ、いや、その……」
視線が泳ぐ。
西野がそんな東城と俺を交互に見た。
「東城さん」
「な、なに?」
「欲しいなら、もらえば?」
「――っ!?」
東城の顔が一気に赤くなった。
「に、西野さん!?」
「だって、ずっと見てるから」
「ち、違っ……!」
「何が?」
俺だけ話についていけない。
「境野君はちょっと黙ってて」
「なんで?」
「いいから」
西野に止められた。
東城はしばらく困ったように俺と制服を見比べていた。
「……境野君」
「うん」
「その……」
そして、小さな声で言った。
「第二ボタン……もらっても、いい?」
「俺の?」
「……うん」
なんで?
という言葉が出かかった。
だが、東城の顔を見る。
真っ赤になっている。
ここで理由を聞くのは、たぶん違う。
「別にいいけど」
制服の第二ボタンに手を掛ける。
外して、東城へ差し出す。
「ほら」
「……ありがとう」
東城は両手で受け取った。
まるで落とさないようにするみたいに。
「そんな大事なものでもないだろ」
「……大事だよ」
「え?」
「な、なんでもない!」
東城は慌ててボタンを握る。そのまま大切そうにしまった。
卒業式の第二ボタンにどういう意味があるのかくらい、俺だって知っている。前世でも散々見てきた風習だ。
ただ――東城は真中が好きなはずだ。
なら、俺の第二ボタンを欲しがる理由は何だ?
中学一年からの友人だから。文芸部でずっと一緒だったから。卒業の記念。
その辺りだろうか。
「境野君」
「ん?」
「本当にありがとう」
「……おう」
東城が嬉しそうに笑う。
理由はよく分からない。
けれど、東城が欲しいと言うなら、それでいいか。
「…………」
少し離れたところで、真中はそのやり取りを黙って見ていた。
「淳平君?」
「え?」
西野に呼ばれ、我に返る。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
「そう?」
「ああ」
真中は笑った。
けれど、その視線がもう一度東城へ向かう。
東城はさっき俺からもらったボタンを、大切そうにしまっている。
真中には西野がいる。
ついさっき、その西野が真中の第二ボタンを欲しいと言っていた。
嬉しそうにしていたが……東城が俺の第二ボタンを欲しがったのを、少し複雑そうな表情で見ていた。
「……?」
自分でも原因は分からないのか、真中は眉を寄せている。
「淳平君?」
「いや、ほんと何でもない!」
西野が不思議そうに首を傾げていたが、真中は笑って誤魔化していた。
「これが青春ってやつか」
この時期の真中は原作でも内心右往左往していた気がする。
その後、俺達は小宮山とも合流し、大草が女子たちからようやく解放されたところで、六人揃って写真を撮ることになった。
「東城さん、もっとこっち」
「あ、うん」
「小宮山、詰めろ!」
「押すな真中!」
「境野君も、もうちょっと真ん中」
「ここでいいだろ」
「駄目」
西野に袖を引かれ、一歩ずれる。
反対側には東城。
気づけば、俺は六人のほぼ真ん中にいた。
「じゃあ撮りますよー」
頼んだ先生がカメラを構える。
「境野、笑え!」
「笑ってる」
「それ真顔だ!」
「境野君、もう少しだけ」
東城まで言う。
「注文多いな……」
「ほら境野!」
「早く!」
「分かったって」
仕方なく少し口元を緩める。
「はい、チーズ」
シャッター音が鳴った。
中学最後の六人の写真には、第二ボタンのなくなった俺と真中が並んで写っていた。
写真を撮り終えると、自然にそれぞれの予定へ散っていくことになった。
「あ、私そろそろ行かなきゃ」
西野が時計を見る。
「二組のみんなとカラオケ行く約束してるの」
「カラオケ?」
「卒業祝い」
西野は真中を見る。
「淳平君とは、また今度ね」
「お、おう」
「そんな顔しないの」
「してないって!」
「してるよ」
西野は笑いながら、真中から取った第二ボタンをもう一度確かめる。
「じゃあ、またね」
「またな!」
「境野君、東城さん、大草君、小宮山君も。また高校で」
「ああ」
「またね、西野さん」
西野は手を振り、二組の連中が集まっている方へ走っていった。
「俺もそろそろ行くわ」
大草が言う。
「クラスの連中と約束してる」
「女子?」
「クラスの連中!」
「本当に?」
「境野、お前今日俺に厳しくない?」
「モテる男は大変だな」
「それもう聞いた!」
「俺もゲーセン行く!」
小宮山が鞄を持ち直す。
「誰と?」
「クラスの奴らだよ!なんで俺には女子って聞かねえんだ!?」
「聞く必要ある?」
「ひでえ!」
真中も何人かのクラスメイトに呼ばれているらしい。
「じゃあ俺も行ってくるわ」
「ああ」
真中が東城を見る。
「東城も、またな」
「う、うん。またね、真中君」
東城の声が少しだけ弾む。
やっぱり分かりやすい。
真中は手を振って歩き出す。
けれど数歩進んだところで、一度だけ振り返った。
その視線が東城へ向く。
「?」
目が合う前に、真中は前を向いてしまった。
何だったんだ?
「境野君」
「ん?」
「私、文芸部に寄っていこうと思うんだけど」
「部室?」
「うん。今日で最後だから」
「……俺も行くよ」
「いいの?」
「俺も部員だぞ」
「そうだったね」
「おい」
東城がくすくす笑う。
二人で校舎へ戻った。
卒業式を終えた校舎は、少しずつ静かになっていた。
まだ残っている生徒の声は聞こえる。それでも、さっきまでの騒がしさとは違う。
文芸部の扉を開ける。
「……変わらないね」
「数時間で変わってたら怖いだろ」
「そういう意味じゃないよ」
東城が笑う。
窓際の机。本棚。使い込まれた椅子。
俺がいつも本を読んでいた席と、その少し斜めにある東城の席。
中学一年から何度も見た光景だ。
俺は自分の席へ座る。
東城もいつもの席に腰を下ろした。
自然と、いつも通りの位置になった。
「……終わっちゃったね」
東城が言う。
「中学?」
「うん。それと、ここも」
「高校にも文芸部はあるだろ」
「そうだけど……ここはここだから」
「まあな」
同じ場所は二度とない。
それくらいは分かる。
東城は机の表面を指でなぞった。
「一年生の頃、私、ここでずっと小説書いてたよね」
「今も書いてるだろ」
「そうじゃなくて」
少し笑う。
「あの頃は、誰にも見られないようにしてた」
「ああ」
「境野君にも隠してた」
「隠してたな」
「なのに気づかれた」
「隠し方が露骨だったから」
「そんなに?」
「俺が近づくたび原稿伏せてた」
「……恥ずかしかったんだもん」
東城が懐かしそうに笑う。
「でも、境野君は見なかったよね」
「見てほしくなさそうだったから」
「それで、『完成したら読ませて』って」
「……言ったな」
「私、あれ嬉しかった」
東城が俺を見る。
「すごく」
「そんな大したこと言ってないだろ」
「境野君にとっては、そうなんだろうね」
「?」
「ううん」
東城が鞄を開ける。
中から一冊のノートを取り出した。
見覚えがある。
「……まだ書いてるの?」
「うん」
「長いな」
「言わないで」
東城が少し頬を膨らませる。
「もう三年だぞ」
「分かってるよ」
「完成しそう?」
「……分からない」
東城はノートを開く。
文字で埋まったページ。何度も書き直した跡。紙を挟んだ場所もある。
「書きたいところはいっぱいあるの。でも、最後が……まだ決まらなくて」
「結末?」
「うん」
東城はページをめくる。
「どう終われば、この人たちにとって一番いいのかなって考えると……分からなくなるの」
「なるほど」
「変かな。自分で書いてるのに」
「別に」
「そう?」
「物語って、最初に考えた通りに最後まで行くとは限らないだろ」
東城が顔を上げる。
「登場人物を書いてるうちに、最初に考えてたのと違うことを言い始めたり、違う方へ行ったりすることもある」
「……境野君、詳しいね」
「本は読むからな」
「それだけ?」
「それだけ」
前世で脚本を読んだ数なら、それこそ数え切れない。
撮影現場で台詞が変わったこともある。役者の芝居を見て脚本そのものが修正されたことだってある。
でも、それを今説明する必要はない。
「じゃあ境野君なら、どう終わらせる?」
「俺?」
「うん」
ノートを差し出される。
俺は受け取らなかった。
「それは東城が決めることだろ」
「……やっぱりそう言うと思った」
「聞いた意味ないじゃん」
「あるよ」
東城が笑う。
「境野君なら、そう言ってくれると思ったから」
「何だそれ」
「私の話なんだから、自分で決めろってことでしょ?」
「まあ」
「だったら、もう少し考える」
東城はノートを閉じた。
「急がなくてもいい?」
「誰かに締切決められてるの?」
「決められてないけど……」
「なら、急ぐ必要ないだろ」
「でも、高校生になるよ?」
「高校生になったら小説書いちゃ駄目なのか?」
「そうじゃないけど」
「じゃあいいだろ」
東城はしばらく俺を見ていた。
やがて、小さく笑う。
「……そっか」
「ああ」
「書きたい結末が見つかるまで、書いてていいんだね」
「東城の小説なんだから、東城が納得するまで書けばいい」
「……うん」
ノートを胸元へ抱える。
「そうする」
その表情を見て、俺も少しだけ笑った。
「ただし」
「え?」
「完成したら読ませてくれよ」
東城が目を丸くする。
それから――笑った。
「……うん」
中学一年の時と同じ返事だった。
「約束ね」
「ああ」
「忘れないでね」
「三年覚えてたんだから忘れないだろ」
「ふふっ。そうだね」
東城はノートを鞄へ戻した。
代わりに、その手が胸元へ向かう。
そこには、さっき俺から受け取った第二ボタンがしまわれている。
「……これも」
「第二ボタン?」
「うん」
「本当に欲しかったの?」
「欲しくなかったら言わないよ」
「それはそうだけど」
俺は椅子の背へ体重を預ける。
「なんで?」
「え?」
「いや、卒業の記念なら他にもあるだろ。写真とかアルバムとか」
「…………」
東城が黙った。
「答えにくいならいいけど」
「……私も、よく分からない」
「分からない?」
「うん」
東城は少し困ったように笑う。
「西野さんが真中君の第二ボタンを取ってるのを見た時は……ちょっと、寂しかった」
それはそうだろう。
好きな相手が彼女に第二ボタンを取られているところを目の前で見たんだから。
「でも、そのあと境野君を見たら……」
「俺?」
「境野君の第二ボタンが、そのまま残ってて」
東城の指先が胸元に触れる。
「誰かが持っていっちゃったら、嫌だなって思った」
「…………」
「だから……気づいたら、欲しいって思ってた」
東城自身も不思議そうだった。
「変だよね」
「別に」
「そう?」
「欲しいと思ったなら、それでいいんじゃない?」
「……境野君らしい」
「またそれ?」
「うん」
東城が笑う。
「でも、ありがとう。大事にするね」
「ボタン一個だぞ」
「私には大事なの」
「……そっか」
「うん」
少しだけ沈黙が落ちる。
不思議と気まずくはなかった。
文芸部では昔から、こういう時間の方が長い。
「境野君」
「今度は何?」
「高校でも……私の小説、読んでくれる?」
「さっき完成したら読ませろって言っただろ」
「そうだけど……」
東城が少しだけ俯く。
「今書いてるのだけじゃなくて」
「ん?」
「これから書くものも」
顔を上げる。
「読んでほしい」
以前なら、その言葉を口にするだけでもかなり迷っただろう。
「いいよ」
「本当?」
「読みたくなかったら中一の時から付き合ってない」
「……そっか」
「ただし、つまらなかったらつまらないって言うぞ」
「それは……ちょっと怖いかも」
「じゃあ褒めるだけにする?」
「それは嫌」
「どっちだよ」
「ちゃんと言ってほしい」
「ならそうする」
「うん」
東城が嬉しそうに頷いた。
「約束?」
「約束」
それから二人で立ち上がる。
忘れ物がないか確認し、窓を閉める。
東城が最後に机へ手を触れた。
「境野君」
「ん?」
「三年間、ありがとう」
「急にどうした」
「言いたかったから」
東城は少し恥ずかしそうに笑う。
「一年生の時から、ずっと」
「……俺も」
「え?」
「三年間ありがとな、東城」
「……うん」
今度は東城が少しだけ目を伏せた。
「高校でもよろしくね」
「ああ。よろしく」
俺が扉を開ける。
二人で部室を出て、最後に振り返った。
東城が小さく頭を下げる。
「……ありがとうございました」
今度は部室に向けた言葉だと分かった。
俺も一度だけ中を見る。
「じゃあな」
扉を閉めた。
二人で廊下を歩く。
校舎を出れば、さっきまでの人だかりもかなり減っていた。
「帰るか」
「うん」
並んで校門へ向かう。
東城の鞄には、まだ結末の決まっていない小説がある。
そして俺の制服からは、第二ボタンが一つなくなっている。
そのボタンは今、隣を歩く東城が持っている。
小説の結末も。
そのボタンを欲しいと思った理由も。
今の東城には、まだ答えが出ていない。
別に、急いで決める必要はないだろう。
答えが出るまで、自分で考えればいい。
俺はそう思いながら、東城と並んで三年間通った校門を出た。
これで中学編は終わりです。
次回から高校編。
では、また∠( ゚д゚)