『いちご100% ~名脇役は青春の主役になれるか~』 作:Gussan0
続き書けたで候。
では、どうぞ∠( ゚д゚)/
「――というわけで、来週から中間テストだ。お前ら三年なんだから、そろそろ受験生だって自覚持てよ」
朝のホームルーム。担任が教卓の上でテスト範囲表を揺らした瞬間、教室のあちこちから呻き声が上がった。
「うわぁ……」
俺の近くからも、一際情けない声が聞こえる。
「真中」
「なんだよ……」
「まだ何も始まってないぞ」
「始まることが確定したんだよ……」
「テストなんだから当たり前だろ」
「境野には分かんねーんだよ!この追い詰められていく感じが!」
「勉強すればいいじゃん」
「正論で人を殴るな!」
面倒臭い奴だ。
配られてきた範囲表へ目を通す。国語、数学、英語、理科、社会。特別広いわけでもない。授業を普通に聞いて、復習していればそこまで苦労する内容じゃなさそうだ。
前世では役者として台本を覚えるのが日常だった。ドラマなら台詞だけでなく、立ち位置や相手の動きも頭へ入れる。舞台になれば照明や音響のタイミングまで加わる。それを何十年も続けた上に、今の俺には妙に出来のいい記憶力まである。だから暗記そのものは得意だ。
ただし、記憶力がいいからといって何でも解けるわけじゃない。数学は公式だけ覚えても使えなければ意味がないし、英語だって単語を丸暗記すれば満点というわけじゃない。
結局のところ、勉強は必要なのだ。
「境野」
「ん?」
「お前、今回どれくらい取れそう?」
「普通」
「お前の普通は信用できねーんだよ!」
「なんでだよ」
「前のテスト何位だった?」
「覚えてない」
「嘘つけ!お前が覚えてないわけねーだろ!」
鋭い。
「……一桁だった気がする」
「ほら見ろ!」
「声でかい」
「一桁取る奴が普通とか言うな!」
「別に学年一位じゃないだろ」
「そういう問題じゃねーよ!」
「真中君、朝からどうしたの?」
鞄を置いた東城が、不思議そうにこちらを見ていた。
「東城!聞いてくれよ!境野が裏切った!」
「何をだよ」
「こいつ頭いいんだよ!」
「知ってるけど……」
「知ってんの!?」
東城がびくっと肩を震わせる。
「ご、ごめん」
「いや東城が謝るところじゃない」
「だって文芸部でも本読んでるし、授業でも先生に当てられたら普通に答えてるから……」
「東城」
「なに?」
「こいつに余計な情報を与えるな」
「余計ってなんだよ!」
真中が俺の机へ両手をついた。
「なあ境野」
「嫌だ」
「まだ何も言ってねー!」
「顔見れば分かる」
「頼む!勉強教えてくれ!」
「自分でやれ」
「薄情者!」
「まだ一週間あるだろ」
「一週間しかねーんだよ!」
「今から始めれば間に合う」
「その『今からやれば間に合う』が一番怖いんだよ!」
何が怖いのか分からない。
すると東城が小さく笑った。
「ふふっ」
「東城まで笑うなよ!」
「ご、ごめん。でも真中君、面白くて」
「俺は真剣なの!」
「じゃあ真剣に勉強しろ」
「境野ぉ!」
朝から元気な奴だ。
◇
放課後の文芸部。いつもなら俺が本を読み、東城がノートへ小説を書く。紙をめくる音とペンが走る音だけが響くこの部屋は、学校の中でもかなり静かな場所だ。
今日は違った。
「…………」
東城がノートを見つめている。シャープペンを動かしては止まり、また動かしては止まる。そして、横に置いてある別のノートへちらちらと視線を向けていた。
「……東城」
「なに?」
「それ数学じゃないだろ」
「…………」
「隠しても遅い」
東城がそっと数学のノートをずらす。その下から出てきたのは、見覚えのある小説用のノートだった。
「……ちょっとだけ」
「テスト一週間前だぞ」
「分かってるよ」
「じゃあ勉強しろ」
「でも続き思いついたの」
「メモだけしとけ」
「忘れちゃうかもしれないし……」
「じゃあ要点だけ書いて戻れ」
東城がじっとこちらを見る。
「何」
「境野君、先生みたい」
「赤点取って小説書く時間なくなるよりマシだろ」
「赤点は取らないもん」
「なら先に勉強終わらせればいい」
「うぅ……」
珍しく東城が机へ突っ伏した。
「書きたい……」
「気持ちは分かるけどな」
「ほんと?」
「ああ。台――」
危ない。
「……本読んでて続きが気になるのと似たようなもんだろ」
「今、何か違うこと言おうとしなかった?」
「気のせい」
「そう?」
「そう」
危うく台本と言うところだった。
前世の仕事が忙しかった頃も似たようなことはあった。芝居のアイデアが浮かんでも別の仕事がある。役について調べたくても撮影がある。やりたいことと、やらなければならないことが一致するとは限らない。
「ほら。どこで詰まってる?」
「……数学?」
「小説だったら帰るぞ」
「数学です」
東城が慌てて問題集を開く。
「ここ。途中までは分かるんだけど……」
「どれ」
隣から覗き込む。式そのものは合っていた。
「ここで符号間違えてる」
「え?」
「このマイナス」
「あっ」
「考え方は合ってる。計算ミスだな」
「ほんとだ……」
「東城、こういうの多い?」
「たまに……」
「なら最後に見直す癖つけた方がいいな」
「うん」
東城が消しゴムを動かす。
「境野君って、数学も得意なんだね」
「得意ってほどじゃない。暗記科目の方が楽」
「暗記、すごく早いもんね」
「まあな」
「羨ましいな」
「東城は国語強いだろ」
「国語は好きだから」
「ならそれでいいじゃん」
「でも受験って国語だけじゃないよ?」
「だから今数学やってるんだろ」
「……そうでした」
二人で笑う。
その後しばらくは、本当に勉強だけした。東城が問題を解き、分からないところだけ俺が見る。俺も自分の範囲を進める。ずっと横から教えてやるつもりはない。自分で考えた方が覚えるからだ。
三十分ほど経ったところで、東城が大きく息を吐いた。
「疲れた……」
「休憩する?」
「うん」
東城が机へ伏せる。
「受験生なんだね、私たち」
「今さら?」
「分かってたけど……テストって言われると急に実感する」
「これからもっと増えるだろ。模試とか進路希望とか」
「……高校かぁ」
東城が窓の外を見る。
「境野君は、もう決めてる?」
「高校?」
「うん」
「まだ」
「私も。ちゃんと考えなきゃとは思ってるけど」
「そうだな」
「高校に行っても、小説書けるかな」
「書けばいいだろ」
「簡単に言うね」
「書く場所が変わるだけじゃないか?」
「……そっか」
東城が微笑む。
「境野君も、文芸部続ける?」
「高校で?」
「うん」
「学校によるかな」
「そっか……」
少し残念そうな声だった。
「まあ、まだ高校も決めてないしな」
「うん」
「今考えても仕方ないだろ」
「そうだね」
俺たちは中学三年生だ。
漫画で読んでいた頃は、受験なんて物語の次の舞台へ進むためのイベントのように見えていた。でも実際にその中にいれば違う。どの高校へ行くか。何を勉強するか。誰と離れて、誰とまた会うのか。
十五歳にとっては、それなりに大きな選択だ。
◇
翌日の昼休み。
「境野君」
「ん?」
声に振り向けば、西野が教室の入口に立っていた。手には問題集を持っている。
「ちょっといい?」
「真中なら――」
「今日は境野君」
「俺?」
「うん。これ分かる?」
西野が開いたのは数学の問題集だった。
「なんで俺に?」
「去年、数学得意だったじゃん。それに去年同じクラスだったとき、何回か教えてくれたでしょ」
「あったっけ」
「あるよ」
「境野君が忘れてる……」
近くにいた東城が驚いた顔をする。
「俺だって全部覚えてるわけじゃないぞ」
正確には覚えているが、いちいち引っ張り出していないだけだ。
「で、どこ?」
「ここ」
「これなら――」
「西野!」
教室の奥から真中が飛んできた。
「淳平君?」
「べ、勉強?」
「うん。境野君に教えてもらおうと思って」
「俺が教える!」
「え?」
「俺が!」
「真中、この問題解けるの?」
「…………」
「淳平君?」
「……境野」
「なんだ」
「教えてくれ」
「お前もかよ」
「俺が分かるようになれば西野に教えられる!」
「二度手間だろ」
「そこをなんとか!」
西野が吹き出した。
「あはは!淳平君、面白い」
「俺は真剣なんだって!」
「じゃあ一緒にやる?」
「やる!」
即答だった。
「東城さんもどう?」
「えっ、私?」
「昨日、境野君に数学教えてもらったんでしょ?」
「な、なんで知ってるの?」
「さっき聞こえたから」
「そ、そうなんだ……」
東城が俺を見る。
「境野君は?」
「なんで俺が参加確定なんだよ」
「先生役」
「嫌だ」
「境野!」
「境野君」
「境野君……」
三人から見られる。
「…………昼休みだけだからな」
「よっしゃ!」
「やった」
「ありがとう、境野君」
机を寄せる。俺の左に真中。向かいに西野、その隣に東城。
「まず真中」
「おう!」
「前回のテスト見せろ」
「…………」
「真中?」
「……それ必要?」
「弱点分からないと教えようがないだろ」
「人には知られたくない過去ってあると思うんだ」
「数か月前のテストを黒歴史にするな」
西野が笑い、東城も口元を押さえている。
「笑うなよぉ!」
「いいから出せ」
「……絶対引くなよ?」
「点数くらいで引かない」
真中がおそるおそる答案を出す。
「…………」
「どう?」
「真中」
「はい」
「今日から勉強しろ」
「やっぱり!?」
「毎日」
「そんなに!?」
「受験生だぞ」
「境野先生!」
「誰が先生だ」
また二人が笑った。
◇
それから二日。
「無理だ!」
昼休み、真中が机へ突っ伏した。
「何が」
「時間が足りねえ!」
「まだ四日ある」
「昼休みだけじゃ全然進まねーんだよ!家帰ったら集中できねーし!」
「それはお前の問題だろ」
「頼む境野!土曜も教えてくれ!」
「嫌だ」
「即答!?」
「なんで休日までお前の面倒見なきゃならないんだ」
「俺の人生がかかってる!」
「中間テストに人生を賭けるな」
「このままだと受験までヤバいんだよ!」
「そこは否定しない」
「否定してくれよ!」
「……あの」
東城が遠慮がちに手を挙げる。
「私も、もう少し勉強したいかも」
「東城まで?」
「数学、まだ不安だから……」
「私も」
西野まで加わった。
「境野君の説明、分かりやすいし」
「お前らな……」
また三人から見られる。この数日で何度目だ。
「じゃあ図書館でも行けば?」
「土曜混むんじゃない?」
「ファミレスは?」
「長時間いると迷惑だろ」
「学校は?」
「休日だぞ」
「じゃあ境野ん家」
「なんでそうなる」
「だってお前一人暮らしだろ?」
「まあ」
「決まり!」
「決まってない」
「いいじゃん境野君」
「西野まで乗るな」
「私、境野君の家行ったことないし」
「私も……」
東城が小さく言う。
そういえば、一年のときから付き合いのある東城も、二年で同じクラスだった西野も、家に上げたことはない。
「……分かったよ」
「マジ!?」
「ただし勉強するからな。遊びに来るんじゃないぞ」
「分かってるって!」
「一番信用できない奴が言うな」
◇
土曜日。約束の十分前、玄関のチャイムが鳴った。
「早いな」
門まで出ていく。
「おーい、境野――」
門の前にいた真中が、口を開けたまま固まった。その後ろには東城と西野もいる。
「どうした?」
「…………」
「真中?」
「お前ん家でかくね?」
「そう?」
「そう?じゃねーよ!」
真中が門から奥を覗き込む。古い門の向こうに続く石畳。手入れされた庭木。その奥には、長い年月を感じさせる大きな日本家屋が建っている。
「なんだよこれ!旅館!?」
「普通の家だ」
「どこが!?」
「すご……」
西野まで目を丸くしている。
「去年こんな家住んでるなんて一言も言ってなかったじゃん!」
「家の大きさをクラスメイトに報告する機会なんてないだろ」
「それはそうだけど!」
「境野君……ここに住んでるの?」
「ああ」
「ご家族と?」
「いや。一人」
三人が黙った。
「ん?」
「…………」
「どうした?」
「いやいやいやいや!」
真中が突然叫んだ。
「一人!?」
「ああ」
「一人って、お前だけ!?」
「一人の意味は普通それだろ」
「そういう意味じゃねーよ!待て待て待て!お前、俺と同い年だよな!?」
「今さら何言ってんだ」
「十五歳だよな!?」
「そうだけど」
「なんで十五歳がこんなでっかい家で一人暮らししてんだよ!?」
「いろいろあって」
「説明が雑!」
西野もさすがにいつもの調子ではなかった。
「境野君、本当に一人なの?」
「ああ」
「ずっと?」
「しばらく前から」
「ご両親は……?」
一瞬だけ迷うように、西野が尋ねる。
「俺が小さい頃に亡くなってる」
「……え」
「それから祖父母に育ててもらったんだけど、二人ももう亡くなってるから」
西野の表情が止まり、東城も何も言わなくなった。
「……ごめん」
「なんで西野が謝るんだよ」
「だって……」
「聞かれたから答えただけだろ」
俺にとっては、もう何年も前から続いている現実だ。両親を亡くしたことも、祖父母を見送ったことも、今さら口にするだけで崩れるような傷じゃない。もちろん、何も感じないわけじゃない。ただ、それと生活は別だ。
「じゃあ……」
東城が小さな声で尋ねる。
「ご飯とか、洗濯とか……全部一人で?」
「そうだけど」
「掃除も?」
「ああ」
「この家を!?」
今度は西野が声を上げた。
「全部毎日掃除するわけじゃないぞ。使ってない部屋もあるし」
「そういう問題じゃないよ!」
「庭は?」
「定期的に庭師に頼んでる」
「そりゃそうだよな!これ一人で手入れしてたら怖いわ!」
「何が怖いんだ」
「境野がだよ!」
真中が真顔で言う。
「学校来て、授業受けて、文芸部やって、飯作って、洗濯して、掃除して、それでテスト一桁なの!?」
「まあ」
「同じ中学生だと思えなくなってきた……」
「大袈裟だろ」
「大袈裟じゃねーよ!」
「境野君……」
東城が俺を見ている。
「ん?」
「大変じゃないの?」
「最初はな」
「今は?」
「慣れた」
「…………」
「そんな顔するなよ」
「どんな顔?」
「心配してる顔」
「……するよ」
思っていたより、はっきり返ってきた。
「だって境野君、学校じゃそんなこと全然言わないから……」
「言う必要もなかったし」
「でも……」
「東城」
「……うん」
「普通にしてくれた方が助かる」
東城はしばらく俺を見て、それから小さく頷いた。
「……分かった」
「境野君ってさ」
今度は西野だった。
「昔からそういうところあるよね」
「どういうところ?」
「何でも一人で平気みたいな顔するところ」
「別に平気なふりしてるわけじゃないぞ」
「ほんと?」
「ああ」
「……そっか」
西野はそれ以上追及しなかった。
「お前ら」
「ん?」
「いつまで門の前にいるんだ」
三人が顔を見合わせる。
「あ」
「勉強しに来たんだろ」
「そうだった!」
門を開け、三人を中へ通す。
「お、お邪魔します……」
「まだ玄関ですらないぞ」
「なんか緊張するんだよ!」
玄関へ着き、引き戸を開ける。
「どうぞ」
「うわ、玄関もでか……」
「真中、今日それしか言ってないぞ」
「だって全部でかいんだもん!」
「靴揃えろ」
「はい」
素直だな。
「お邪魔します」
「お邪魔します……」
西野と東城も靴を脱ぐ。廊下を歩き始めると、三人とも落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「庭、こっちからも見えるんだ」
「綺麗……」
縁側の向こうに庭が広がっている。
「境野君」
「ん?」
「いつも、ここに一人なんだよね」
「ああ」
「…………」
「東城」
「なに?」
「今日は四人だろ」
東城は一瞬目を丸くして、それから柔らかく笑った。
「うん。そうだね」
◇
居間へ入り、四人で座卓を囲む。
「じゃあ始めるぞ」
「えっ、いきなり?」
「何しに来たんだよ」
「もうちょっとこう、お宅訪問的な――」
「帰る?」
「勉強します!」
真中が即座に問題集を開いた。
「まず一時間。分からないところに印つけながら自分で解け。そのあと答え合わせして、間違ったところを見る」
「先生!」
「何」
「いきなり教えてくれないんですか!」
「自分で一回考えろ」
「スパルタ!」
「普通だ」
「境野君の言う通りだよ、淳平君」
「西野!?」
「頑張ろ」
「……頑張る!」
彼女に言われた途端これだ。単純だが、やる気になるなら何でもいい。
勉強を始めて二十分。
「境野」
「何」
「分からん」
「早い」
「ここ」
「さっきの問題と同じ型だろ」
「え?」
「三ページ前」
真中がページを戻す。
「あ」
「数字変わっただけ」
「……ほんとだ」
「解き方見てもう一回やれ」
「おう」
十分後。
「できた!」
「声抑えろ」
「でもできたぞ!境野!俺、数学できるかもしれん!」
「一問で自信つけすぎだ」
「あははっ」
西野が笑う。
「淳平君、子供みたい」
「でもできた!」
「うんうん、えらいえらい」
「なんか扱い雑じゃない!?」
向かいでは東城が肩を震わせている。
「東城」
「え?」
「笑ってないで手動かせ」
「は、はい」
「やっぱ先生じゃん」
「西野」
「はーい」
静かになる。
五分後。
「境野君」
「今度は何」
「この英作文、これで合ってる?」
「どれ」
西野のノートを確認する。
「文法は合ってる。こっちの単語の方が自然かな」
「なるほど」
「境野君、私もいい?」
「はいはい」
「先生、大人気だな!」
「誰のせいだと思ってる」
「俺たち?」
「自覚あるなら少し黙れ」
三人を相手にしていると、自分の勉強が全然進まない。まあ、俺は後でもできるからいいんだが。
休憩を挟んでからも勉強会は続いた。真中は騒がしいながらも最初より問題を解けるようになり、西野も苦手なところを潰し、東城も計算ミスが減ってきた。
やがて日が傾き、縁側から差し込む光が赤みを帯びてくる。
「んーっ!」
西野が大きく伸びをする。
「疲れたぁ」
「私も……」
東城もシャープペンを置いた。
「もうこんな時間なんだ」
「え?」
真中が時計を見る。
「うわ、もう六時前じゃん!」
「集中してると早いね」
「お前は途中で三回寝転がってたけどな」
「休憩だよ!」
「十分おきに休憩する奴があるか」
「でも結構進んだぞ!」
「最初が酷かったからな」
「一言多い!」
俺は問題集を閉じて立ち上がる。今日はこの辺でいいだろう。
「今日はここまで」
「やった!」
「喜ぶな。家でも復習しろよ」
「……はい」
「急に元気なくなったね、淳平君」
「だって西野ぉ……」
西野が笑い、東城もつられて笑う。時計をもう一度見ると六時前。そろそろ腹も減ってくる時間だ。
「お前ら、晩飯どうする?」
「晩飯?」
「帰ってから食う?」
「俺は家で――」
真中が言いかけたところで、腹の音が鳴った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「真中」
「言うな」
「まだ何も言ってない」
「絶対言おうとしただろ!」
西野が吹き出した。
「あははっ!淳平君、お腹空いてるんじゃん!」
「頭使ったからだよ!」
「普段使わないから?」
「東城まで!?」
俺も少し腹が減った。どうせこれから自分の分を作るつもりだったし、三人増えたところで大した違いはない。
「じゃあ食ってく?」
「え?」
三人が揃ってこちらを見る。
「晩飯」
「ここで!?」
「嫌なら別にいいけど」
「食う!」
真中、即答。
「早いな」
「だって境野の飯うまいじゃん!」
「卵焼きしか食ったことないだろ」
「それで十分期待できる!」
「境野君、いいの?」
東城が遠慮がちに聞いてくる。
「三人増えたところで大して変わらないよ。材料もあるし」
「でも……」
「俺一人でも作るんだから一緒だろ」
東城は少し迷ってから、頷いた。
「じゃあ……お願いしてもいい?」
「ああ」
「私も食べたい」
「西野も?」
「境野君の料理、ちゃんと食べるの初めてだし」
「調理実習は?」
「あれはみんなで作ったじゃん」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
台所へ向かおうとすると、なぜか三人まで立ち上がった。
「何?」
「手伝う」
西野が当然のように言う。
「私も」
東城まで続いた。
「俺も!」
「真中は座ってろ」
「なんで!?」
「邪魔しそう」
「ひどくね!?」
「淳平君、料理できるの?」
「……目玉焼きなら」
「座ってて」
「西野!?東城は!?」
「えっ!?わ、私は……」
東城が困ったように俺と真中を見比べる。
「……応援してるね、真中君」
「東城ぉぉぉ!」
◇
「で、何作るの?」
台所へ入るなり、西野が冷蔵庫を覗こうとする。
「勝手に開けるな」
「あ、ごめん」
「開けてもいいけど、一応聞け」
「はーい」
冷蔵庫を開ける。鶏もも肉、玉ねぎ、人参、じゃがいも。卵もある。米は朝のうちに炊飯器へセットしてある。
四人分なら、それほど手の込んだものにする必要もない。
「親子丼と味噌汁でいい?」
「いい!」
居間から真中の声が飛んできた。
「お前に聞いてない!」
「俺はいいぞ!」
「聞いてないって言ってんだろ!」
「あははっ」
西野が笑う。
「私は賛成」
「私も」
「じゃあ決まり。西野、玉ねぎ頼める?」
「任せて」
「東城は味噌汁の具切ってくれる? 豆腐と油揚げ」
「うん」
俺は鶏肉をまな板へ置き、一口大に切っていく。
「…………」
「ん?」
視線を感じて横を見ると、東城が俺の手元を見つめていた。
「どうした?」
「速い……」
「何が」
「包丁」
「普通だろ」
「だから境野君の普通は普通じゃないんだって」
西野が横から口を挟む。
「去年の調理実習でもこんな感じだったよ」
「そうなの?」
「先生より手際よかった」
「それは西野が盛ってる」
「盛ってないよ」
「境野ー!」
居間からまた声が飛んできた。
「何!」
「テレビつけていい!?」
「好きにしろ!」
「やった!」
直後、居間からテレビの音が聞こえ始める。
「……なんか」
東城が小さく笑った。
「家族みたいだね」
包丁が一瞬止まった。
「え?」
東城自身も口にしてから気づいたらしい。
「ご、ごめん!変な意味じゃなくて!」
「分かってるよ」
鶏肉を切り終え、ボウルへ移す。
「……賑やかって意味だろ」
「う、うん」
「なら、その通りだな」
いつもなら、この時間に聞こえるのは包丁の音とテレビくらいだ。今日は違う。居間から真中の声が聞こえて、隣では西野が玉ねぎを切り、東城が豆腐を慎重に切っている。
「西野」
「なに?」
「目、大丈夫?」
「大丈夫……」
「涙出てるぞ」
「玉ねぎのせい!」
「知ってる」
「笑わないでよ!」
「笑ってない」
「口元!」
「気のせい」
「境野君!」
「ふふっ」
「東城さんまで笑った!」
「ご、ごめん」
台所に笑い声が響く。
悪くない。
◇
「できたぞ」
「おおおお!」
「真中、うるさい」
座卓へ親子丼と味噌汁を並べていく。ついでに冷蔵庫にあった漬物も出した。
「すげえ……」
「普通の親子丼だぞ」
「お前の普通はもう信用しないことにした」
「勝手にしろ」
「おいしそう……」
東城が湯気の立つ丼を見つめている。
「私も手伝ったからね」
西野が胸を張る。
「玉ねぎ切っただけだろ」
「重要だよ!」
「東城も味噌汁手伝ってくれたしな」
「う、うん」
「俺は!?」
「テレビ見てた」
「皿運んだ!」
「じゃあ配膳担当」
「よし!」
「何がよしなんだ」
四人で座卓を囲み、手を合わせる。
「いただきます」
「いただきまーす!」
真中が真っ先に親子丼を口へ運んだ。
「――うまっ!」
「飲み込んでから喋れ」
「境野、これマジでうまい!」
「そう?」
「店出せるって!」
「大袈裟だ」
西野も一口食べ、目を丸くする。
「……ほんとにおいしい」
「だから言っただろ!」
「なんで淳平君が自慢するの?」
「友達だから!」
「お前は何もしてないだろ」
「皿運んだ!」
「はいはい」
東城は何も言わずに食べている。
「東城?」
「え?」
「口に合わなかった?」
「ち、違う!」
慌てて首を振った。
「すごくおいしい」
「ならよかった」
「……境野君、毎日こういうの作ってるの?」
「毎日こんなちゃんと作るわけじゃないぞ。面倒な日は簡単に済ませる」
「でも、自分で作るんだよね」
「まあ」
「すごいなぁ……」
東城は少し考えるように俺を見る。
「……境野君って、本当に一人で何でもできるんだね」
「何でもはできない」
「でも……」
「できないことも普通にあるよ」
「例えば?」
「恋愛相談」
「ぶっ!」
真中がむせた。
「なんでそこで俺見るんだよ!」
「お前以外誰がいる」
「俺のせい!?」
西野が楽しそうに笑う。
「じゃあ境野君にも苦手なことあるんだ」
「そりゃあるだろ」
「ちょっと安心した」
「なんで」
「秘密」
「またそれか」
食卓に会話がある。誰かが笑う。誰かが料理の感想を言う。俺が作ったものを、誰かが目の前で食べている。
昔は当たり前だった光景だ。祖父母がいた頃には、毎日のようにあった。いつからだろう。一人分の飯を作って、一人で食べることに何も感じなくなったのは。
「境野」
「ん?」
「おかわりある?」
「あるよ」
「マジ!?」
「米も具も残ってる」
「やった!」
「食いすぎるなよ」
「育ち盛りだから!」
「さっき煎餅も食ってただろ」
「それとこれは別!」
立ち上がって真中の丼を受け取る。
「境野君」
「ん?」
「私も……少しだけ、おかわりしていい?」
「もちろん」
「ほんと?」
「遠慮するなよ」
「……うん」
東城の丼も受け取る。
「私も!」
「西野も?」
「だっておいしいんだもん」
「太るぞ」
「女の子にそれ言う!?」
「冗談」
「境野君ってたまにひどいよね!」
三人分の丼を持って台所へ向かう。背後からまだ笑い声が聞こえていた。
静かな家も嫌いじゃない。一人の生活にも慣れている。それでも、自分が作った飯を誰かが「おいしい」と言って食べてくれるのは――。
「境野ー!大盛りで!」
「自分で来い!」
「はーい!」
感傷に浸る暇すらない。廊下を走ってくる足音に、思わず笑った。
たまには、こういう晩飯も悪くない。
また書けたらすぐ投稿しますー。
では、また∠( ゚д゚)