無個性は個性をつくる   作:匿名希望

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第104話 父と弟

燈矢の拳が、真正面から俺の頬へ入った。

 

避けようと思えば避けられた。受け止めることもできた。それでも、最後の一歩だけ動かなかった。

 

「俺だけ見てろよ、親父!」

 

顔が横へ弾かれ、口の中に血の味が広がる。

 

それでも視線は逸らさない。

 

「ああ」

 

俺は燈矢を見る。

 

「見ている」

 

その一言で、燈矢の顔がさらに歪んだ。

 

◇ ◇ ◇

 

「遅えんだよ!」

 

二発目は受けた。

 

腕に重い衝撃が走る。続けて腹へ蹴りが来るのを肘で落とし、肩を掴もうとすると、燈矢は身体を沈めて逃れた。

 

長くヴィランとして戦ってきた動きだ。

 

正規の格闘訓練とは違う。

 

相手を倒すためではなく、壊すための動き。

 

目、喉、膝、傷のある場所。使えるものは全て使う。

 

俺が教えたものではない。

 

俺が見ていなかった時間に。

 

燈矢が身につけた戦い方だった。

 

「今さら見たって何になる!」

 

拳が来る。

 

俺も返す。

 

今度は避けない。

 

燈矢の脇腹へ拳を入れる。

 

殺すためではない。だが、止めるために手加減しすぎれば、それもまた燈矢を侮辱することになる。

 

「何にも戻らねえぞ!」

 

「分かっている!」

 

「だったら何で来た!」

 

「戻すためじゃない!」

 

拳と拳がぶつかった。

 

骨まで響く。

 

「これから逃げないためだ!」

 

◇ ◇ ◇

 

燈矢が笑った。

 

笑ったというより、歯を剥いた。

 

「便利だな、反省ってのは!」

 

懐へ入られる。

 

俺より軽い身体を使い、真正面の力比べを避けて脇へ回る。腕を取られ、古傷のある側へ捻られた。

 

痛みが走る。

 

構わず踏み込み、腰を当てて燈矢の重心を浮かせる。

 

投げる。

 

燈矢は受け身を取り、地面を転がった直後にはもう立ち上がっていた。

 

「悪かったって言えば、やったこと全部終わりかよ!」

 

「終わらない!」

 

「俺が死にかけたことも!」

 

「終わらない!」

 

「俺がこうなったことも!」

 

「終わるものか!」

 

燈矢が止まる。

 

ほんの一瞬。

 

俺も息を整える。

 

「俺が謝ろうが、後悔しようが、お前が失った時間は戻らない。お前が人を殺したことも消えない」

 

「……じゃあ」

 

燈矢の声が低くなる。

 

「何なんだよ」

 

俺は答える。

 

「だから、これからも背負う」

 

◇ ◇ ◇

 

燈矢の顔から笑みが消えた。

 

「勝手に背負った気になんな」

 

「ああ」

 

「俺が許すと思うな」

 

「思っていない」

 

「家族に戻れるとも思うなよ」

 

「それも、お前が決めることだ」

 

一歩。

 

燈矢が近づく。

 

今度の拳は。

 

さっきより遅かった。

 

それでも。

 

強かった。

 

俺は受けた。

 

「……何で」

 

燈矢が言う。

 

「何で昔、それができなかった」

 

答えは。

 

簡単だった。

 

「俺が間違っていたからだ」

 

言葉にすると。

 

あまりにも短い。

 

その短さで済ませられるものではない。

 

だから。

 

続ける。

 

「俺はヒーローとして上へ行くことを優先した。自分が届かなかった場所へ子供を行かせようとした。そのために、お前を一人の人間として見なかった」

 

燈矢の拳が。

 

俺の胸を打つ。

 

「言うな」

 

「お前が苦しんでいることも――」

 

「言うな!」

 

今度は顔。

 

避けない。

 

「止めるべきだった」

 

「黙れ!」

 

「俺が止まるべきだった!」

 

◇ ◇ ◇

 

燈矢が俺へ掴みかかった。

 

殴るというより。

 

服を握り。

 

引き寄せる。

 

額がぶつかるほど近い。

 

「今さら分かった顔すんなよ……!」

 

「ああ」

 

「俺はずっと!」

 

燈矢の指に力が入る。

 

「ずっと見てほしかっただけだぞ!」

 

胸の奥に。

 

何かが突き刺さった。

 

知っていた。

 

今なら。

 

分かる。

 

だが。

 

あの時の俺は。

 

理解しなかった。

 

理解しようともしなかった。

 

「……すまなかった」

 

燈矢の顔が。

 

さらに歪む。

 

「謝るなって言ってんだろ!」

 

腹へ膝が入った。

 

俺も。

 

反射的に燈矢の肩を掴む。

 

そのまま互いに崩れ。

 

地面へ倒れた。

 

◇ ◇ ◇

 

そこへ。

 

焦凍が来た。

 

「二人とも立て」

 

燈矢が地面から睨む。

 

「弟が偉そうに仕切んなよ」

 

「兄貴が寝たまま喧嘩するならそうする」

 

「お前、ほんっとムカつくな」

 

「知ってる」

 

焦凍の返答は変わらない。

 

それが。

 

燈矢には余計に腹立たしいらしい。

 

だが。

 

さっきまでとは違う。

 

怒りだけではない。

 

俺には。

 

そう見えた。

 

◇ ◇ ◇

 

三人とも。

 

もうかなり消耗していた。

 

俺の呼吸も乱れている。焦凍の頬は腫れ、唇が切れている。燈矢は元々の身体の損傷に加えて、俺たちとの殴り合いでさらにあちこちを痛めている。

 

それでも。

 

誰も個性は使わない。

 

燈矢は使えない。

 

俺と焦凍は使わない。

 

少し離れた場所では、空木の個性兵がこちらを見ている。

 

戦闘が始まった直後。

 

空木から来た最後の共有は短かった。

 

『こちらではもう見ません。対処不能になった場合だけ連絡してください。終わったら、三人とも負った怪我は全部治療してください』

 

それだけ。

 

その後。

 

共有は切れた。

 

今この場に空木の視線はない。

 

個性兵も。

 

こちらへ介入してこない。

 

本当に。

 

俺たちへ任せたらしい。

 

◇ ◇ ◇

 

「まだやるか?」

 

焦凍が燈矢へ聞く。

 

「当たり前だろ」

 

燈矢は立ち上がる。

 

足が少し揺れている。

 

それでも。

 

構えた。

 

「俺はこいつを許してねえ」

 

「許さなくていい」

 

俺が言う。

 

燈矢が俺を見る。

 

「お前に言われる筋合いねえよ」

 

「そうだな」

 

「……クソが」

 

燈矢が来る。

 

俺も。

 

前へ出た。

 

◇ ◇ ◇

 

もう。

 

技術でどうこうという段階ではなかった。

 

拳を受け。

 

返す。

 

燈矢が俺を殴り。

 

焦凍が間へ入り。

 

燈矢が焦凍へ向かい。

 

焦凍も返す。

 

倒れて。

 

起きる。

 

三人とも。

 

息が上がる。

 

それでも。

 

止めない。

 

何年も。

 

何年も。

 

言えなかったことを。

 

拳と一緒に吐き出しているようだった。

 

「焦凍!」

 

燈矢が弟を殴る。

 

「お前は俺を哀れんでんのか!」

 

「違う!」

 

焦凍が受け流し。

 

腹へ返す。

 

「じゃあ何だ!」

 

「兄貴だから来た!」

 

「それが気に入らねえんだよ!」

 

「知らねえよ!」

 

焦凍も。

 

珍しく声を荒げた。

 

「こっちだって兄貴が勝手に死んだと思ってたんだ!」

 

燈矢の動きが止まる。

 

「戻ってきたと思ったらヴィランで、人殺して、親父殺すって言って! それでも兄貴なんだから仕方ねえだろ!」

 

◇ ◇ ◇

 

燈矢が。

 

しばらく黙った。

 

それから。

 

「……勝手だな」

 

小さく笑う。

 

「家族ってのは」

 

「ああ」

 

焦凍が答える。

 

「そうかもな」

 

俺は。

 

何も言えなかった。

 

この二人に。

 

俺が家族を語る資格があるのか。

 

分からない。

 

それでも。

 

逃げないと決めた。

 

なら。

 

ここにいるしかない。

 

◇ ◇ ◇

 

燈矢が。

 

俺の方を見る。

 

「親父」

 

久しぶりに。

 

その呼び方を聞いた。

 

さっきも口にはしていた。

 

だが。

 

今は。

 

響きが違った。

 

「何だ」

 

「俺、お前のこと許さねえからな」

 

「ああ」

 

「多分ずっと」

 

「ああ」

 

「会いたくねえって言うかもしれねえぞ」

 

「それでもいい」

 

「来んなって言うかもしれねえ」

 

「その時は、行かない」

 

燈矢が。

 

目を細める。

 

「でも?」

 

「話せると言われたら行く」

 

燈矢が。

 

鼻で笑った。

 

「しつけえな」

 

「今まで逃げすぎた」

 

「……ほんとにな」

 

その返事だけ。

 

妙に静かだった。

 

◇ ◇ ◇

 

次の瞬間。

 

燈矢の膝が折れた。

 

「兄貴!」

 

焦凍が先に動く。

 

俺も。

 

身体を支える。

 

燈矢には。

 

もう力が残っていなかった。

 

目は開いている。

 

呼吸もある。

 

だが。

 

自分で立てない。

 

「……ダセえ」

 

「十分暴れた」

 

焦凍が言う。

 

「うるせえ」

 

「捕まえるぞ」

 

「好きにしろ」

 

燈矢の声は。

 

ほとんど息だった。

 

「もう……今日は疲れた」

 

それを最後に。

 

目を閉じた。

 

意識を失った。

 

◇ ◇ ◇

 

すぐに。

 

後方の個性兵が動いた。

 

常時抹消型は視線を維持したまま。

 

制圧型が燈矢の両腕と身体を固定する。

 

意識を失っていても。

 

拘束は必要だ。

 

荼毘。

 

轟燈矢。

 

危険なヴィラン。

 

それは。

 

何も変わらない。

 

「対象、拘束完了」

 

機械的な報告。

 

その直後。

 

医療型が俺たち三人へ近づいてきた。

 

◇ ◇ ◇

 

「治療対象を確認。三名」

 

俺は息を整えながら言う。

 

「燈矢から頼む」

 

『全対象を同時治療可能』

 

そう答えると。

 

医療型は。

 

こちらの指示を待たずに動いた。

 

空木の命令。

 

負った怪我を全部治療。

 

それを。

 

そのまま実行しているらしい。

 

俺の頬。

 

肋骨。

 

拳。

 

焦凍の打撲。

 

切れた唇。

 

腫れ。

 

殴り合いで増えた傷が。

 

次々に消えていく。

 

痛みが引く。

 

身体が。

 

戦う前の状態へ戻っていく。

 

◇ ◇ ◇

 

そして。

 

燈矢にも。

 

同じ治療が始まった。

 

最初は。

 

今日できた傷だけだと思った。

 

腫れ。

 

裂傷。

 

打撲。

 

そういうもの。

 

だが。

 

違った。

 

「……待て」

 

俺は思わず声を出す。

 

燈矢の皮膚が。

 

変わっている。

 

長年。

 

焼けて。

 

壊れて。

 

継ぎ合わせられていた皮膚。

 

紫色に変色した広い範囲。

 

縫合され。

 

金具で繋がれていた境目。

 

そこまで。

 

治っていく。

 

◇ ◇ ◇

 

「これは……」

 

焦凍も。

 

言葉を失っている。

 

医療型は。

 

止まらない。

 

空木から与えられた命令は。

 

『負った怪我を全部治療』

 

今日の怪我だけとは。

 

指定されていない。

 

医療型には。

 

生存中なら。

 

外傷。

 

欠損。

 

神経損傷。

 

その他。

 

治療できる損傷を完全に治す能力がある。

 

そして。

 

細かな判断は。

 

個性兵自身がする。

 

燈矢の身体に残っていた古傷も。

 

こいつにとっては。

 

ただの未治療の損傷だったのだろう。

 

◇ ◇ ◇

 

古い火傷が。

 

消えていく。

 

傷んでいた皮膚が。

 

正常なものへ置き換わる。

 

長年。

 

燈矢の身体を覆っていた傷跡が。

 

少しずつ。

 

なくなる。

 

金具も。

 

必要がなくなったものから外れていく。

 

眠っている燈矢の顔。

 

そこにも。

 

治療が進む。

 

見慣れた荼毘の顔が。

 

変わっていく。

 

俺は。

 

動けなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

昔の燈矢と。

 

同じではない。

 

もう大人だ。

 

髪も。

 

顔立ちも。

 

あの頃の子供ではない。

 

当然だ。

 

それでも。

 

傷で隠れていた部分が治るほど。

 

そこにいるのが。

 

荼毘ではなく。

 

轟燈矢なのだと。

 

嫌でも分かる。

 

「兄貴……」

 

焦凍が。

 

小さく呼ぶ。

 

返事はない。

 

燈矢は。

 

眠ったまま。

 

◇ ◇ ◇

 

医療型が治療終了を告げる。

 

『三対象、治療完了』

 

何でもないことのような声だった。

 

俺は。

 

燈矢を見る。

 

今日の殴り合いでできた傷も。

 

長年残っていた火傷も。

 

なくなっている。

 

身体だけなら。

 

ここまで戻せる。

 

だが。

 

それで。

 

何もなかったことにはならない。

 

燈矢が受けたもの。

 

俺がしたこと。

 

燈矢がしたこと。

 

全部。

 

残る。

 

皮膚が治ったからといって。

 

終わらない。

 

それでいい。

 

終わらせてはいけない。

 

◇ ◇ ◇

 

焦凍が俺を見る。

 

「親父」

 

「ああ」

 

「これからだな」

 

短い言葉だった。

 

俺も。

 

同じことを考えていた。

 

捕まえた。

 

生かした。

 

一度。

 

真正面から殴り合い。

 

言葉も交わした。

 

それでも。

 

まだ。

 

始まっただけだ。

 

「そうだ」

 

俺は答える。

 

燈矢は。

 

拘束されたまま眠っている。

 

もう。

 

炎で自分を焼くこともない。

 

逃げることも。

 

今はできない。

 

次に目を覚ました時。

 

どんな言葉を吐くか。

 

分からない。

 

また。

 

俺を憎むだろう。

 

それでも。

 

今度は。

 

目を逸らさない。

 

俺は。

 

治った燈矢の顔を見ながら。

 

そう決めた。

 

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