無個性は個性をつくる 作:匿名希望
燈矢の拳が、真正面から俺の頬へ入った。
避けようと思えば避けられた。受け止めることもできた。それでも、最後の一歩だけ動かなかった。
「俺だけ見てろよ、親父!」
顔が横へ弾かれ、口の中に血の味が広がる。
それでも視線は逸らさない。
「ああ」
俺は燈矢を見る。
「見ている」
その一言で、燈矢の顔がさらに歪んだ。
◇ ◇ ◇
「遅えんだよ!」
二発目は受けた。
腕に重い衝撃が走る。続けて腹へ蹴りが来るのを肘で落とし、肩を掴もうとすると、燈矢は身体を沈めて逃れた。
長くヴィランとして戦ってきた動きだ。
正規の格闘訓練とは違う。
相手を倒すためではなく、壊すための動き。
目、喉、膝、傷のある場所。使えるものは全て使う。
俺が教えたものではない。
俺が見ていなかった時間に。
燈矢が身につけた戦い方だった。
「今さら見たって何になる!」
拳が来る。
俺も返す。
今度は避けない。
燈矢の脇腹へ拳を入れる。
殺すためではない。だが、止めるために手加減しすぎれば、それもまた燈矢を侮辱することになる。
「何にも戻らねえぞ!」
「分かっている!」
「だったら何で来た!」
「戻すためじゃない!」
拳と拳がぶつかった。
骨まで響く。
「これから逃げないためだ!」
◇ ◇ ◇
燈矢が笑った。
笑ったというより、歯を剥いた。
「便利だな、反省ってのは!」
懐へ入られる。
俺より軽い身体を使い、真正面の力比べを避けて脇へ回る。腕を取られ、古傷のある側へ捻られた。
痛みが走る。
構わず踏み込み、腰を当てて燈矢の重心を浮かせる。
投げる。
燈矢は受け身を取り、地面を転がった直後にはもう立ち上がっていた。
「悪かったって言えば、やったこと全部終わりかよ!」
「終わらない!」
「俺が死にかけたことも!」
「終わらない!」
「俺がこうなったことも!」
「終わるものか!」
燈矢が止まる。
ほんの一瞬。
俺も息を整える。
「俺が謝ろうが、後悔しようが、お前が失った時間は戻らない。お前が人を殺したことも消えない」
「……じゃあ」
燈矢の声が低くなる。
「何なんだよ」
俺は答える。
「だから、これからも背負う」
◇ ◇ ◇
燈矢の顔から笑みが消えた。
「勝手に背負った気になんな」
「ああ」
「俺が許すと思うな」
「思っていない」
「家族に戻れるとも思うなよ」
「それも、お前が決めることだ」
一歩。
燈矢が近づく。
今度の拳は。
さっきより遅かった。
それでも。
強かった。
俺は受けた。
「……何で」
燈矢が言う。
「何で昔、それができなかった」
答えは。
簡単だった。
「俺が間違っていたからだ」
言葉にすると。
あまりにも短い。
その短さで済ませられるものではない。
だから。
続ける。
「俺はヒーローとして上へ行くことを優先した。自分が届かなかった場所へ子供を行かせようとした。そのために、お前を一人の人間として見なかった」
燈矢の拳が。
俺の胸を打つ。
「言うな」
「お前が苦しんでいることも――」
「言うな!」
今度は顔。
避けない。
「止めるべきだった」
「黙れ!」
「俺が止まるべきだった!」
◇ ◇ ◇
燈矢が俺へ掴みかかった。
殴るというより。
服を握り。
引き寄せる。
額がぶつかるほど近い。
「今さら分かった顔すんなよ……!」
「ああ」
「俺はずっと!」
燈矢の指に力が入る。
「ずっと見てほしかっただけだぞ!」
胸の奥に。
何かが突き刺さった。
知っていた。
今なら。
分かる。
だが。
あの時の俺は。
理解しなかった。
理解しようともしなかった。
「……すまなかった」
燈矢の顔が。
さらに歪む。
「謝るなって言ってんだろ!」
腹へ膝が入った。
俺も。
反射的に燈矢の肩を掴む。
そのまま互いに崩れ。
地面へ倒れた。
◇ ◇ ◇
そこへ。
焦凍が来た。
「二人とも立て」
燈矢が地面から睨む。
「弟が偉そうに仕切んなよ」
「兄貴が寝たまま喧嘩するならそうする」
「お前、ほんっとムカつくな」
「知ってる」
焦凍の返答は変わらない。
それが。
燈矢には余計に腹立たしいらしい。
だが。
さっきまでとは違う。
怒りだけではない。
俺には。
そう見えた。
◇ ◇ ◇
三人とも。
もうかなり消耗していた。
俺の呼吸も乱れている。焦凍の頬は腫れ、唇が切れている。燈矢は元々の身体の損傷に加えて、俺たちとの殴り合いでさらにあちこちを痛めている。
それでも。
誰も個性は使わない。
燈矢は使えない。
俺と焦凍は使わない。
少し離れた場所では、空木の個性兵がこちらを見ている。
戦闘が始まった直後。
空木から来た最後の共有は短かった。
『こちらではもう見ません。対処不能になった場合だけ連絡してください。終わったら、三人とも負った怪我は全部治療してください』
それだけ。
その後。
共有は切れた。
今この場に空木の視線はない。
個性兵も。
こちらへ介入してこない。
本当に。
俺たちへ任せたらしい。
◇ ◇ ◇
「まだやるか?」
焦凍が燈矢へ聞く。
「当たり前だろ」
燈矢は立ち上がる。
足が少し揺れている。
それでも。
構えた。
「俺はこいつを許してねえ」
「許さなくていい」
俺が言う。
燈矢が俺を見る。
「お前に言われる筋合いねえよ」
「そうだな」
「……クソが」
燈矢が来る。
俺も。
前へ出た。
◇ ◇ ◇
もう。
技術でどうこうという段階ではなかった。
拳を受け。
返す。
燈矢が俺を殴り。
焦凍が間へ入り。
燈矢が焦凍へ向かい。
焦凍も返す。
倒れて。
起きる。
三人とも。
息が上がる。
それでも。
止めない。
何年も。
何年も。
言えなかったことを。
拳と一緒に吐き出しているようだった。
「焦凍!」
燈矢が弟を殴る。
「お前は俺を哀れんでんのか!」
「違う!」
焦凍が受け流し。
腹へ返す。
「じゃあ何だ!」
「兄貴だから来た!」
「それが気に入らねえんだよ!」
「知らねえよ!」
焦凍も。
珍しく声を荒げた。
「こっちだって兄貴が勝手に死んだと思ってたんだ!」
燈矢の動きが止まる。
「戻ってきたと思ったらヴィランで、人殺して、親父殺すって言って! それでも兄貴なんだから仕方ねえだろ!」
◇ ◇ ◇
燈矢が。
しばらく黙った。
それから。
「……勝手だな」
小さく笑う。
「家族ってのは」
「ああ」
焦凍が答える。
「そうかもな」
俺は。
何も言えなかった。
この二人に。
俺が家族を語る資格があるのか。
分からない。
それでも。
逃げないと決めた。
なら。
ここにいるしかない。
◇ ◇ ◇
燈矢が。
俺の方を見る。
「親父」
久しぶりに。
その呼び方を聞いた。
さっきも口にはしていた。
だが。
今は。
響きが違った。
「何だ」
「俺、お前のこと許さねえからな」
「ああ」
「多分ずっと」
「ああ」
「会いたくねえって言うかもしれねえぞ」
「それでもいい」
「来んなって言うかもしれねえ」
「その時は、行かない」
燈矢が。
目を細める。
「でも?」
「話せると言われたら行く」
燈矢が。
鼻で笑った。
「しつけえな」
「今まで逃げすぎた」
「……ほんとにな」
その返事だけ。
妙に静かだった。
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
燈矢の膝が折れた。
「兄貴!」
焦凍が先に動く。
俺も。
身体を支える。
燈矢には。
もう力が残っていなかった。
目は開いている。
呼吸もある。
だが。
自分で立てない。
「……ダセえ」
「十分暴れた」
焦凍が言う。
「うるせえ」
「捕まえるぞ」
「好きにしろ」
燈矢の声は。
ほとんど息だった。
「もう……今日は疲れた」
それを最後に。
目を閉じた。
意識を失った。
◇ ◇ ◇
すぐに。
後方の個性兵が動いた。
常時抹消型は視線を維持したまま。
制圧型が燈矢の両腕と身体を固定する。
意識を失っていても。
拘束は必要だ。
荼毘。
轟燈矢。
危険なヴィラン。
それは。
何も変わらない。
「対象、拘束完了」
機械的な報告。
その直後。
医療型が俺たち三人へ近づいてきた。
◇ ◇ ◇
「治療対象を確認。三名」
俺は息を整えながら言う。
「燈矢から頼む」
『全対象を同時治療可能』
そう答えると。
医療型は。
こちらの指示を待たずに動いた。
空木の命令。
負った怪我を全部治療。
それを。
そのまま実行しているらしい。
俺の頬。
肋骨。
拳。
焦凍の打撲。
切れた唇。
腫れ。
殴り合いで増えた傷が。
次々に消えていく。
痛みが引く。
身体が。
戦う前の状態へ戻っていく。
◇ ◇ ◇
そして。
燈矢にも。
同じ治療が始まった。
最初は。
今日できた傷だけだと思った。
腫れ。
裂傷。
打撲。
そういうもの。
だが。
違った。
「……待て」
俺は思わず声を出す。
燈矢の皮膚が。
変わっている。
長年。
焼けて。
壊れて。
継ぎ合わせられていた皮膚。
紫色に変色した広い範囲。
縫合され。
金具で繋がれていた境目。
そこまで。
治っていく。
◇ ◇ ◇
「これは……」
焦凍も。
言葉を失っている。
医療型は。
止まらない。
空木から与えられた命令は。
『負った怪我を全部治療』
今日の怪我だけとは。
指定されていない。
医療型には。
生存中なら。
外傷。
欠損。
神経損傷。
その他。
治療できる損傷を完全に治す能力がある。
そして。
細かな判断は。
個性兵自身がする。
燈矢の身体に残っていた古傷も。
こいつにとっては。
ただの未治療の損傷だったのだろう。
◇ ◇ ◇
古い火傷が。
消えていく。
傷んでいた皮膚が。
正常なものへ置き換わる。
長年。
燈矢の身体を覆っていた傷跡が。
少しずつ。
なくなる。
金具も。
必要がなくなったものから外れていく。
眠っている燈矢の顔。
そこにも。
治療が進む。
見慣れた荼毘の顔が。
変わっていく。
俺は。
動けなかった。
◇ ◇ ◇
昔の燈矢と。
同じではない。
もう大人だ。
髪も。
顔立ちも。
あの頃の子供ではない。
当然だ。
それでも。
傷で隠れていた部分が治るほど。
そこにいるのが。
荼毘ではなく。
轟燈矢なのだと。
嫌でも分かる。
「兄貴……」
焦凍が。
小さく呼ぶ。
返事はない。
燈矢は。
眠ったまま。
◇ ◇ ◇
医療型が治療終了を告げる。
『三対象、治療完了』
何でもないことのような声だった。
俺は。
燈矢を見る。
今日の殴り合いでできた傷も。
長年残っていた火傷も。
なくなっている。
身体だけなら。
ここまで戻せる。
だが。
それで。
何もなかったことにはならない。
燈矢が受けたもの。
俺がしたこと。
燈矢がしたこと。
全部。
残る。
皮膚が治ったからといって。
終わらない。
それでいい。
終わらせてはいけない。
◇ ◇ ◇
焦凍が俺を見る。
「親父」
「ああ」
「これからだな」
短い言葉だった。
俺も。
同じことを考えていた。
捕まえた。
生かした。
一度。
真正面から殴り合い。
言葉も交わした。
それでも。
まだ。
始まっただけだ。
「そうだ」
俺は答える。
燈矢は。
拘束されたまま眠っている。
もう。
炎で自分を焼くこともない。
逃げることも。
今はできない。
次に目を覚ました時。
どんな言葉を吐くか。
分からない。
また。
俺を憎むだろう。
それでも。
今度は。
目を逸らさない。
俺は。
治った燈矢の顔を見ながら。
そう決めた。