無個性は個性をつくる   作:匿名希望

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第122話 魔王の最後

タルタロスへ来るのは、これで最後にするつもりだった。

 

案内された区画は、以前オール・フォー・ワンと面会した場所とは違う。個性を全て摘出された今の彼に、かつてと同じ厳重な収容設備は必要ない。それでも最重要囚人であることに変わりはなく、いくつもの扉と認証を通って、私はようやく面会室の前まで来た。

 

「状態について、先にお伝えしておきます」

 

職員が足を止める。

 

「かなり悪いです。個性摘出後から老化が急速に進行しています。医療的には生存を維持していますが、いつ亡くなってもおかしくありません」

 

「意識は?」

 

「判断できません。覚醒している時間もあるようですが、意思疎通が成立しているとは言い難い状態です」

 

「感覚は」

 

職員は少し間を置いた。

 

「ほとんど機能していないと考えられています」

 

そうか。

 

私は短く答え、扉の向こうへ入った。

 

◇ ◇ ◇

 

最初に見た時。

 

一瞬だけ、別人だと思った。

 

ベッドの上に横たわっている身体は、私の記憶にあるオール・フォー・ワンより遥かに小さかった。元々、神野で私が負わせた損傷によって生命維持装置なしでは生きられない状態だったが、それでも以前は人間離れした圧迫感があった。

 

今はない。

 

肉が落ち、骨格が皮膚の下に浮いている。皮膚は乾き、腕は細く、胸は呼吸のたびにごく僅かに上下していた。

 

その呼吸すら苦しそうだった。

 

吸う。

 

少し止まる。

 

吐く。

 

また長い間が空く。

 

機械が補助していなければ、それだけで途切れてしまいそうな呼吸だった。

 

『オール・フォー・ワン』はない。

 

寿命を延ばす個性も。

 

損傷した感覚を補う個性も。

 

身体機能を支える個性も。

 

百年以上積み重ねてきたものは、何一つ残っていない。

 

そこにいるのは。

 

百年以上を生きた、本来ならとっくに寿命を迎えていた一人の老人だった。

 

◇ ◇ ◇

 

私は椅子へ座った。

 

「久しぶりだな、オール・フォー・ワン」

 

反応はない。

 

当然かもしれない。

 

目に相当する感覚が残っているのかも分からない。耳が私の声を拾っているのかも分からないし、仮に拾っていたとして、その意味を理解できているのかも分からない。

 

それでも。

 

話すことにした。

 

「前にここで会った時とは、随分変わったな」

 

微かな呼吸音だけが返ってくる。

 

あの時。

 

神野での戦いを終えた後。

 

私は既にワン・フォー・オールの残り火を使い切っていた。

 

身体は痩せ。

 

戦う力を失い。

 

象徴としての役目も終わりに近づいていた。

 

それに対して。

 

こいつは拘束されていても、終わってはいなかった。

 

未来を見ていた。

 

死柄木弔を残していた。

 

自分が捕まった後も。

 

その先へ続く計画を持っていた。

 

「覚えているか、と聞いても仕方ないか」

 

私は苦笑する。

 

「君はあの時、まだ終わっていなかった。私はほとんど全てを失っていたのに、君には次があった」

 

死柄木を育て。

 

私の後継者である緑谷少年とぶつける。

 

自分が牢の中にいても。

 

その外で。

 

計画は続く。

 

あの時のこいつには。

 

確かにそういう余裕があった。

 

◇ ◇ ◇

 

「随分と腹が立ったよ」

 

正直に言う。

 

「私があれだけのものを失って、ようやく君を捕まえたのに。それでも君は、捕まったこと自体を敗北だとは思っていなかった」

 

返事はない。

 

「実際、その通りだった」

 

全面戦争。

 

死柄木の覚醒。

 

タルタロスへの襲撃。

 

そして最後の戦い。

 

オール・フォー・ワンは、神野で捕まった後も終わらなかった。

 

私が一度倒しただけでは。

 

足りなかった。

 

「君はしつこかった。本当に」

 

少し笑う。

 

「私が言えた義理でもないがね」

 

何十年。

 

私はオール・フォー・ワンを追った。

 

あいつも。

 

私を見ていた。

 

師を殺した男。

 

先代から続く敵。

 

ワン・フォー・オールとオール・フォー・ワン。

 

個人同士の憎しみだけではないものまで。

 

長い時間をかけて。

 

全部。

 

絡みついていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「最後の戦いで、弔は捕まった」

 

名前を出しても。

 

老人の身体は動かなかった。

 

「生きている。危険な個性は全て外された。彼の身体に残っていた異常な力も、今はもうないそうだ」

 

その頭の中に。

 

オール・フォー・ワンの意識だけは残った。

 

それも知っている。

 

だが。

 

その意識が何を考えようと。

 

もう外へ手を伸ばせない。

 

「緑谷少年からワン・フォー・オールを奪うこともできなかった。彼は今も持っている」

 

私は少しだけ身を預ける。

 

「君がずっと欲しがっていたものは、最後まで手に入らなかった」

 

勝ち誇るつもりはなかった。

 

だから。

 

声にも力は入らない。

 

ただ。

 

事実を並べる。

 

「君の仲間も、君が利用した者たちも、主要な者は全員捕まった。タルタロスの囚人たちからも、危険な個性が順番に外されている」

 

世界は続いている。

 

社会も。

 

ヒーローも。

 

雄英も。

 

壊れなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

「あの時とは逆だな」

 

私は自分の手を見る。

 

拳を握る。

 

今も。

 

力が入る。

 

空木少年が作った人工個性によって、私の身体は再び戦える状態へ戻った。年齢そのものが若返ったわけではないが、少なくとも戦闘能力だけなら、かつての全盛期に近い。

 

前回。

 

力を失っていたのは私だった。

 

そして。

 

未来を持っていたのはオール・フォー・ワンだった。

 

今は。

 

私が歩いて帰れる。

 

必要なら。

 

人を助けることもできる。

 

一方。

 

目の前の男は。

 

起き上がることすらできない。

 

「皮肉なものだ」

 

返事はない。

 

「だが、私はこれを見せつけに来たわけじゃない」

 

もし勝ち誇りたいだけなら。

 

もっと早く来ればよかった。

 

全個性を失った直後。

 

まだ会話が成立する可能性があった時に。

 

今まで待つ必要はない。

 

◇ ◇ ◇

 

「確認しに来た」

 

私は言う。

 

「本当に終わったのかを」

 

神野の時。

 

終わったと思った。

 

違った。

 

タルタロスに収監されても。

 

違った。

 

最後の戦いで死柄木を捕まえた時。

 

ようやく。

 

戦いは終わったと思えた。

 

それでも。

 

長年の癖なのかもしれない。

 

どこかに。

 

もう一つ何かを残しているんじゃないか。

 

まだ。

 

どこかから。

 

こいつの手が伸びてくるんじゃないか。

 

そんな感覚が。

 

完全には消えなかった。

 

だから。

 

見に来た。

 

◇ ◇ ◇

 

目の前にいる。

 

老いた男を見る。

 

呼吸をするだけで。

 

苦しそうだった。

 

指一本。

 

動かない。

 

こちらを認識している様子もない。

 

感覚を補っていた個性さえ。

 

もうない。

 

長い間。

 

他人から奪った力を積み上げ。

 

それを自分のものとして。

 

百年以上生きてきた。

 

それを全部外せば。

 

最後に残ったのは。

 

これだった。

 

「……終わったんだな」

 

誰に確認するでもなく。

 

口から出た。

 

機械音だけが。

 

一定に続いている。

 

◇ ◇ ◇

 

志村菜奈。

 

私の師。

 

あの人を。

 

こいつは殺した。

 

それだけじゃない。

 

数え切れないほどの人間を傷つけ。

 

個性を奪い。

 

人生を壊し。

 

長い間。

 

社会の裏へ居座り続けた。

 

許すことはない。

 

理解しようとも思わない。

 

だが。

 

もう。

 

殴る必要もない。

 

「私はずっと、君を倒さなければならないと思って生きてきた」

 

静かに話す。

 

「それが正しいことだったと、今でも思っている」

 

放っておけば。

 

何人死んだか分からない。

 

実際。

 

多くの人が死んだ。

 

「だが、その役目も今日で完全に終わりだ」

 

言葉にすると。

 

思っていたより。

 

あっさりしていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「弔も、もう君の後継者として世界へ出ることはない。緑谷少年も、君を倒すためだけに生きる必要はない」

 

ワン・フォー・オールは残った。

 

でも。

 

それはもう。

 

オール・フォー・ワンと戦うためだけの力ではない。

 

緑谷少年が。

 

自分で使っていく力だ。

 

「私も同じだ」

 

教師として。

 

まだ。

 

やることはある。

 

生徒たちを見て。

 

教えて。

 

困っている人が目の前にいれば。

 

きっと。

 

身体が勝手に動く。

 

だが。

 

その中に。

 

オール・フォー・ワンを追うという仕事は。

 

もうない。

 

◇ ◇ ◇

 

「前の面会では、君の方がよく喋っていたな」

 

少し。

 

昔を思い出す。

 

あの時のこいつは。

 

拘束されながら。

 

こちらを揺さぶろうとした。

 

私の焦り。

 

後継者。

 

死柄木。

 

未来。

 

自分が牢へ入っても。

 

外で何が起きるかを。

 

楽しむように話していた。

 

今は。

 

私だけが喋っている。

 

それどころか。

 

私の声が届いているのかすら。

 

分からない。

 

「逆になったな」

 

老人の胸が。

 

ゆっくり持ち上がる。

 

止まりそうなほど。

 

長い間。

 

それから。

 

細く。

 

息を吐く。

 

それだけだった。

 

◇ ◇ ◇

 

立ち上がる。

 

もう。

 

言うことはなかった。

 

「ではな、オール・フォー・ワン」

 

反応はない。

 

「これで最後だ」

 

扉へ向かう。

 

途中で。

 

一度だけ。

 

足を止めた。

 

振り返る。

 

同じ姿勢。

 

同じ呼吸。

 

何も変わらない。

 

昔の私なら。

 

最後まで警戒したかもしれない。

 

何か。

 

隠している。

 

何か。

 

考えている。

 

何か。

 

次の手がある。

 

そう疑った。

 

今は。

 

ない。

 

少なくとも。

 

この男自身が世界へ何かをする力は。

 

もうどこにもない。

 

◇ ◇ ◇

 

私は扉を開ける。

 

職員が外で待っていた。

 

「もうよろしいんですか?」

 

「ああ」

 

「何か反応は?」

 

「いや」

 

私は歩き出す。

 

「まともな会話はできなかったよ」

 

初めから。

 

期待していなかった。

 

それでいい。

 

話し合うために来たのではない。

 

答えを貰うためでも。

 

謝罪を聞くためでも。

 

後悔させるためでもない。

 

自分の目で。

 

最後を確認するためだった。

 

◇ ◇ ◇

 

長い通路を進む。

 

いくつもの扉が。

 

後ろで閉まっていく。

 

一枚。

 

また一枚。

 

最後の認証区画を抜けると。

 

少しだけ。

 

身体が軽くなった気がした。

 

人工個性の影響ではない。

 

もっと。

 

単純なものだ。

 

「長かったな」

 

誰もいない通路で。

 

小さく呟く。

 

師を失ってから。

 

ずっと。

 

続いていた。

 

オール・フォー・ワンとの戦い。

 

何度倒しても。

 

終わらなかった。

 

それが。

 

今度こそ。

 

終わった。

 

私は。

 

もう。

 

後ろを振り返らなかった。

 

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