無個性は個性をつくる 作:匿名希望
『変身』がなくなって、最初に気づいたのは退屈さだった。
個性が使えないことそのものじゃない。血を飲んでも誰かになれないとか、そういう話でもない。もっと身体の奥にずっとあったはずのものが、綺麗になくなっていた。
血が欲しくない。
看守さんが採血をしていても何とも思わないし、指先を切って血を流している人を見ても、舐めたいとも飲みたいとも思わない。可愛い人を見ても、その人の血を飲んで、その人になりたいという考えが浮かばない。
最初は薬でも使われているのかと思った。
でも違った。
空木零司に『変身』を抜かれてから、ずっとこのままだ。
「……変なの」
独房のベッドで寝転びながら、自分の手を見る。
昔は。
好きになったら血が欲しかった。
可愛いと思ったら、その人になりたかった。
その人の血を飲んで、その人の顔になって、その人の服を着て、その人になれば、自分もその人みたいに生きられる気がした。
それが普通だった。
少なくとも、私にとっては。
なのに。
今は何もない。
好きなものを見ても、好きなまま。
それ以上が来ない。
胸の中だけで終わる。
そんなの。
知らなかった。
◇ ◇ ◇
麗日お茶子ちゃんのことを思い出したのも、その頃だった。
最後に直接会ったのは林間合宿だ。
梅雨ちゃんと一緒にいて、私は二人と戦った。お茶子ちゃんの血も貰った。
それ以降は会っていない。
私がヴィラン連合にいて、あの子が雄英でヒーローを目指していたことは知っている。でも、何度も戦ったわけじゃない。
戦争にも、お茶子ちゃんはいなかった。
最後の戦いにもいなかった。
だから。
私とあの子の間に、とんでもなく深い因縁があるかと言われると。
多分。
ない。
それでも。
ずっと覚えていた。
可愛い子だった。
丸い顔。
茶色い髪。
明るい声。
それから。
デクくんのことを好きなのに、何だか隠そうとしている感じ。
私はああいうのが不思議だった。
好きなら好きでいいのに。
欲しいなら欲しいって言えばいいのに。
何で普通の人は、それを我慢できるんだろう。
当時の私には。
本当に分からなかった。
◇ ◇ ◇
今なら。
少しだけ。
分かる気がする。
好きだからって、全部欲しくなるわけじゃない。
血も。
身体も。
顔も。
人生も。
別に要らない。
ただ。
好き。
可愛い。
会えたら嬉しい。
そういうのだけで。
終わることもある。
「……何これ」
自分で言って。
笑った。
気持ち悪いくらい普通だ。
だから。
手紙を書いた。
特に長いものじゃない。
『麗日お茶子ちゃんへ。
覚えてますか。
林間合宿で会ったトガヒミコです。
私は今、個性を抜かれて刑務所にいます。
不思議なんですけど、血を飲みたいと思わなくなりました。
お茶子ちゃんの血も、もう欲しくないです。
でも、お茶子ちゃんのことはまだ可愛いと思います。
だから、一度お話してみたいです。
嫌だったら来なくていいです。
トガヒミコ』
書いてから。
少し考えた。
最後にハートでも描こうかと思ったけど。
やめた。
今の私は。
そういうところまで少し変わったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
返事が来たのは、しばらく後だった。
手紙じゃなく。
面会申請。
麗日お茶子。
名前を見た時。
少しだけ。
胸が跳ねた。
血は欲しくならなかった。
それが。
また。
変な感じだった。
◇ ◇ ◇
面会の日。
私は普通の囚人服で面会室へ入った。
『変身』はない。
刃物もない。
血を持ち込めるわけもない。
危険な個性がない以上、以前ほど大げさな拘束は必要ないらしい。それでも警備はいるし、扉も勝手には開けられない。
椅子へ座る。
少しして。
反対側の扉が開いた。
「……トガさん」
久しぶりに聞く声。
私は。
笑った。
「お茶子ちゃん」
変わった。
少し背が伸びた気がする。
顔つきも。
林間合宿の頃より。
少し大人っぽい。
でも。
やっぱり。
可愛い。
「久しぶりです」
「……うん」
お茶子ちゃんは。
少し警戒している。
当然。
私は昔。
この子に襲いかかった。
血を取った。
笑いながら。
「来てくれたんだ」
「手紙、読んだから」
「嫌じゃなかった?」
「嫌っていうか……びっくりした」
「ですよね」
そこは。
私もそう思う。
◇ ◇ ◇
少し。
沈黙した。
昔なら。
こういう沈黙。
嫌いだったかもしれない。
今は。
別に。
急がなくていい。
「あの」
先に話したのは。
お茶子ちゃんだった。
「本当に、血……欲しくないの?」
「はい」
私はすぐ答えた。
「全然」
「全然?」
「見ても何も思いません。美味しそうとか、飲みたいとか、そういうのがなくなりました」
お茶子ちゃんが。
少し驚いた顔をする。
「個性を取られたから?」
「多分」
自分でも。
そうとしか思えない。
「ずっと、好きな人の血が欲しいのが私だと思ってました」
私は指先を見る。
「可愛い人の血を飲みたい。好きな人になりたい。それが私の好きでした」
でも。
なくなった。
個性と一緒に。
「じゃあ……今は?」
聞かれる。
少し考える。
「お茶子ちゃん、可愛いです」
「えっ」
顔が赤くなる。
やっぱり可愛い。
でも。
血は。
要らない。
「それだけです」
「……それだけ?」
「はい。今は」
◇ ◇ ◇
言ってみると。
自分でも。
変だった。
昔なら。
可愛い。
好き。
血が欲しい。
なりたい。
全部。
一つだった。
今は。
バラバラになった。
「お茶子ちゃんになりたいとも思わないです」
「前は思ってたの?」
「すっごく」
「そうなんや……」
お茶子ちゃんが。
何とも言えない顔になる。
「デクくんのこと好きそうなのも可愛かったですし」
「なっ」
一気に。
顔が赤くなる。
「あれ? まだ好きです?」
「そこ今関係ないやろ!」
「ふふ」
笑った。
こういう反応。
好き。
でも。
やっぱり。
血は欲しくない。
それが。
何だか。
嬉しかった。
◇ ◇ ◇
「私」
少しして。
自分から話した。
「普通になったんですかね」
お茶子ちゃんが。
すぐには答えない。
「個性を抜かれて、血が欲しくなくなって。人を刺して血を飲んで、好きな人になろうとも思わなくなって」
そこまで言って。
自分で少し笑う。
「最初から個性がなかったら、私、普通の女の子だったんでしょうか」
面会室が。
静かになる。
お茶子ちゃんは。
困ったような顔をした。
「分からん」
思ったより。
はっきり言われた。
「トガさんがどうなってたかなんて、うちには分からんよ」
「そうですよね」
「でも」
お茶子ちゃんは続ける。
「個性のせいでそういう衝動があったとしても、トガさんがやったことが全部なくなるわけじゃないと思う」
それも。
分かってる。
人を刺した。
血を奪った。
ヴィランとして。
いろんなことをした。
「はい」
「だから、普通になったから全部終わり、とは言えへん」
「はい」
「でも」
また。
続く。
「今のトガさんが、本当に血を欲しくないなら。これからどうするかは、前とは変わるかもしれん」
私は。
お茶子ちゃんを見る。
「これから?」
「うん」
その言葉。
少し。
変な感じがした。
刑務所にいるのに。
これから。
まだ。
あるんだ。
◇ ◇ ◇
「お茶子ちゃん」
「何?」
「私、昔、おかしかったですか?」
「……難しいこと聞くなあ」
少し悩んでいる。
「普通の人から見たら、怖かったと思う」
「お茶子ちゃんも?」
「林間合宿の時は、めちゃくちゃ怖かったよ」
「そっか」
少し。
寂しい。
でも。
当然。
「でも、今こうして話してるトガさんを見てると」
お茶子ちゃんが私を見る。
「最初から全部、トガさん本人が好きでやってたんかなっていうのは、ちょっと分からんくなった」
「……」
「個性がなくなっただけで、そんなに変わるんやろ?」
「変わりました」
「なら、ずっと我慢しろって言われたり、変だって言われたりしてたことも含めて……もうちょっと違う方法があったんかもしれん」
それは。
私も。
考えた。
小さい頃。
血が好きだった。
傷ついた鳥を見て。
可愛いと思った。
血を飲んだ。
親に気持ち悪がられた。
笑い方を直せ。
普通にしろ。
我慢しろ。
そう言われた。
ずっと。
「でも」
私は言う。
「人を傷つけたのは私です」
「うん」
「個性のせいだったとしても、私です」
「うん」
否定されなかった。
それが。
少し。
嬉しかった。
変に庇われるより。
ずっと。
◇ ◇ ◇
「お茶子ちゃんに会いたかったのも」
私は続ける。
「血が欲しかったからだと思ってたんです」
「うん」
「でも今、血いらないのに会いたかった」
お茶子ちゃんが。
少しだけ目を見開く。
「だから」
言葉を探す。
「私が好きだったものって、全部個性のせいじゃなかったんですね」
血が欲しい。
なりたい。
そこは。
個性だったのかもしれない。
でも。
可愛いと思ったこと。
好きだと思ったこと。
会いたかったこと。
それは。
まだ残っている。
「お茶子ちゃんのこと、今も好きです」
今度は。
少しだけ意味が違う。
お茶子ちゃんは。
また赤くなった。
「その好き、どういう意味なん?」
「分かりません」
「分からんのかい!」
「だって、今までと違うから」
本当に。
分からない。
恋愛なのか。
友達になりたいのか。
可愛い女の子が好きなだけなのか。
全部。
まだ。
知らない。
◇ ◇ ◇
面会時間は。
思っていたより早く終わった。
職員が。
残り時間を知らせる。
「もう終わり?」
「決まりだから」
お茶子ちゃんが言う。
少し。
残念。
でも。
昔みたいに。
欲しいから奪おうとは思わない。
帰るなら。
帰る。
それだけ。
「お茶子ちゃん」
「うん」
「また来てくれます?」
聞いてから。
ちょっとだけ。
怖くなった。
嫌だと言われたら。
普通に。
傷つく気がした。
お茶子ちゃんは。
すぐ答えなかった。
でも。
最後には。
「また話してもええと思う」
と言った。
「ほんと?」
「ただし、すぐ友達とか、全部許すとか、そういうのじゃないからな」
「分かってます」
「ほんまに?」
「多分」
「多分なんや」
お茶子ちゃんが。
笑った。
◇ ◇ ◇
その笑顔を見ても。
血は欲しくならなかった。
その顔になりたいとも思わない。
ただ。
可愛いなって。
思った。
それだけ。
「じゃあまたね、トガさん」
「はい」
扉の前で。
お茶子ちゃんが振り返る。
私は手を振った。
「またね、お茶子ちゃん」
扉が閉じる。
一人になる。
昔なら。
好きな人がいなくなった後。
もっと欲しくなったかもしれない。
血が。
姿が。
何かが。
でも。
今は。
次に会えるかもしれない。
それだけで。
いい。
◇ ◇ ◇
独房へ戻って。
ベッドへ寝転がる。
天井を見る。
普通。
普通の女の子。
それが何なのか。
昔は嫌いだった。
大人たちが押しつけてくる。
笑い方。
好きになり方。
生き方。
全部。
「普通にしろ」って。
でも。
今のこれは。
誰かにやらされている普通じゃない。
血を我慢しているわけでもない。
我慢する必要そのものがない。
好きな人がいて。
会いたくて。
会えて嬉しくて。
また会えたらいいと思う。
「……こんな感じなんだ」
小さく笑った。
嫌いじゃなかった。