無個性は個性をつくる 作:匿名希望
燈矢との面会には、今回は家族全員で来た。
俺と焦凍だけではない。冷、冬美、夏雄も一緒だ。収監施設へ向かう車の中では、誰も積極的に話そうとはしなかった。
無理もない。
燈矢は生きている。身体の傷も治り、『蒼炎』も摘出され、もう自分の炎で身体を焼くことはない。死を待つような状態でもなく、この先は長い服役生活が続く。
それは喜ぶべきことなのだろう。
少なくとも、もう取り返しのつかない形で失うことはない。
だが、生きているからといって、今までのことまで消えるわけではない。
俺が燈矢にしたことも。
燈矢がしたことも。
家族全員が積み重ねてきた時間も。
何一つなくなってはいない。
ただ、終わらせずに済むようになった。
それだけだった。
面会室へ入る直前、夏雄が小さく息を吐いた。
「何話せばいいんだろうな」
冬美が困ったように笑う。
「それ、私もずっと考えてた」
「普通でいいんじゃないか」
焦凍が言った。
夏雄が弟を見る。
「普通って何だよ」
「分からねえ」
「お前も分かってねえじゃん」
そのやり取りに、冬美が少し笑った。
冷も小さく微笑んだ。
俺は何も言わなかった。
俺が「普通の家族」を語る資格などない。
それでも、今の短いやり取りだけで少しだけ空気が軽くなった。
扉が開く。
燈矢がいた。
◇ ◇ ◇
何度見ても、まだ慣れない。
焼け爛れた皮膚はない。身体を繋ぎ止めていた金属もない。決戦後、治療用の個性兵が古い火傷まで全て負傷として処理した結果、目の前にいるのは俺が知っていた子供の燈矢を、そのまま大人にしたような男だった。
もちろん、同じではない。
成長した顔。
痩せた身体。
何より、その目の中には長い年月がある。
それでも。
「……燈矢」
冷が呼ぶ。
燈矢の視線が動いた。
最初に冷を見る。
次に冬美。
夏雄。
焦凍。
最後に俺。
「多いな」
第一声はそれだった。
夏雄が少し眉を寄せる。
「家族全員で来たんだから当たり前だろ」
「頼んでねえけど」
「じゃあ帰るか?」
「好きにしろよ」
昔と変わらないような。
それでいて、どこか力の抜けた会話だった。
燈矢は俺と焦凍を見た時だけ、少し目つきが鋭くなる。
それでも戦場の時ほどではない。
あの時。
俺たちは三人で殴り合った。
個性も使わず。
父と。
兄と。
弟として。
燈矢はそこで、ずっと見てほしかったと叫んだ。
俺は謝った。
許されないことも。
これから先も許されないかもしれないことも。
全部分かった上で。
逃げないと答えた。
あの時間で何かが解決したわけではない。
ただ。
最初に固まっていたものが。
少しだけ。
砕けたのだと思う。
◇ ◇ ◇
冷が席につく。
「身体はどう?」
燈矢は自分の腕を見る。
「普通」
「痛いところは?」
「ねえよ。気持ち悪いくらい何もねえ」
確かに。
これまでの燈矢にとって、痛みがあることの方が普通だった。
炎を使えば身体が焼ける。
使わなくても、過去の火傷は残る。
その全てが消えた。
「炎も出ねえしな」
燈矢が言う。
「もう一生?」
冬美が聞く。
「多分な。抜かれたんだから」
言い方は淡々としていた。
恨んでいる様子もない。
少なくとも。
『蒼炎』を失ったこと自体には。
「どう?」
冷が聞いた。
「何が」
「なくなって」
燈矢は少し考える。
「別に」
短く答えてから。
少し間を置く。
「楽ではある」
その言葉に。
胸が痛んだ。
燈矢にとって炎は。
最初から。
才能であると同時に。
苦痛だった。
俺が見たのは。
才能ばかりだった。
◇ ◇ ◇
「兄ちゃん」
夏雄が呼ぶ。
燈矢の目が。
少し柔らかくなった。
「何」
「……その顔、慣れねえな」
燈矢が眉を寄せる。
「お前が言うなよ」
「だって、最後に普通に見た時と全然違うし」
「そりゃ歳取ってるからな」
「そういう意味じゃなくて」
夏雄が言葉に詰まる。
燈矢は少しだけ笑った。
「火傷なくなったからだろ」
「……うん」
「俺も鏡見ると気持ち悪い」
冬美が困ったように言う。
「気持ち悪いって言わないの」
「自分の顔だぞ」
「だからでしょ」
本当に。
家族の会話だった。
ぎこちない。
言葉の選び方も。
距離感も。
分からない。
それでも。
燈矢は冬美や夏雄へ噛みつこうとはしなかった。
昔のように。
完全に自然ではないが。
兄として返事をしている。
◇ ◇ ◇
冷はしばらく燈矢を見ていた。
「燈矢」
「何」
「ごめんなさい」
空気が止まる。
燈矢も。
表情を変えなかった。
「私も、あなたをちゃんと守れなかった」
「……母さんまでやめろよ」
冷の目が揺れる。
「でも」
「親父だけで十分だって」
俺は何も言わなかった。
否定する資格はない。
燈矢は少し面倒そうに顔を逸らす。
「母さんに恨みとかねえから」
冷が。
息を止めたように見えた。
「冬美も、夏雄も」
燈矢は続ける。
「別に何も悪くねえだろ」
夏雄が俯く。
「でも俺、兄ちゃんが死んだってなった後も」
「だから何だよ」
「話聞いてたのに、何もできなかった」
「子供だっただろ、お前」
燈矢の返事は早かった。
夏雄が顔を上げる。
「俺も子供だったけどな」
少しだけ。
自嘲するように。
燈矢が笑う。
「だから家のガキ全員でどうにかしろって方がおかしいだろ」
その言葉を。
俺は正面から受けた。
そうだ。
どうにかするべきだったのは。
子供たちではない。
俺だった。
◇ ◇ ◇
「冬美」
燈矢が呼ぶ。
「何?」
「泣くなよ」
「泣いてない」
「泣いてんじゃん」
「これは……」
冬美が目元を拭う。
「嬉しいの」
「何が」
「また燈矢兄とこうやって話せること」
燈矢は黙った。
冬美は。
昔から。
家族を繋ごうとしていた。
壊れた家の中で。
何とか食卓を作って。
父親である俺まで。
そこへ戻そうとした。
「別に」
燈矢が小さく言う。
「これくらいなら、また来ればいいだろ」
冬美の顔が上がる。
「来てもいいの?」
「勝手にすれば」
素直ではない。
だが。
拒絶でもない。
冬美はそれで十分だったらしい。
「うん」
笑う。
「また来るね」
燈矢は返事をしなかった。
それでも。
嫌そうな顔もしなかった。
◇ ◇ ◇
そして。
焦凍。
しばらく黙っていた末の弟を、燈矢が見る。
「お前は何で黙ってんだよ」
「話すタイミング見てた」
「お前そういうの気にすんの?」
「家族全員いるからな」
燈矢が鼻で笑う。
「戦場じゃ遠慮なく殴ってきたくせに」
「兄貴も殴っただろ」
「そりゃ殴るだろ」
「ならお互い様だ」
「何がお互い様なんだよ」
焦凍は。
昔からこうだ。
本人は真面目に話している。
それが時々。
妙にずれている。
燈矢も。
少しだけ呆れた顔をしている。
「兄貴」
「何」
「次来た時、好きな食い物聞く」
燈矢が眉を寄せた。
「何で今聞かねえんだよ」
「次も来る理由になる」
一瞬。
燈矢が黙る。
俺も。
何も言えなかった。
焦凍は。
真っ直ぐだ。
余計なことを考えず。
必要だと思ったことを言う。
「……好きにしろ」
燈矢が言った。
「じゃあそうする」
また。
一つ。
次ができた。
◇ ◇ ◇
最後に。
燈矢の目が俺へ向く。
家族全員の中で。
俺にだけ。
まだ明確な距離がある。
当然だ。
「親父」
「何だ」
「何で黙ってんだよ」
「お前たちの話を邪魔したくなかった」
「殊勝になったな」
棘がある。
それでいい。
俺は。
その棘をなくしてもらうために来たわけではない。
「今さらだ」
「ああ」
「謝んのもやめろよ」
「分かった」
燈矢が少し意外そうな顔をする。
「もう言わねえの?」
「謝るべきことは変わらない。だが、謝罪だけを繰り返して、お前に受け入れさせるような真似も違う」
燈矢は。
黙って聞いている。
「前にも言った。許すかどうかはお前が決めろ。会いたくないと言うなら、それも受け入れる」
「今日は来てんじゃん」
「家族全員で来ることについて、お前が拒否していないと聞いた」
「……そうだったな」
「だから来た」
燈矢が俺を見る。
しばらく。
その視線を受ける。
逃げない。
◇ ◇ ◇
「親父」
「何だ」
「俺、お前のこと多分まだ嫌いだぞ」
「ああ」
「一生許さねえかもしれない」
「ああ」
「それでも来るのか」
「お前が来るなと言わない限りは」
燈矢の顔が。
少し歪む。
「しつけえ」
「そうだな」
「昔からそれくらい俺にしつこけりゃよかったのにな」
言葉が。
胸へ刺さる。
その通りだ。
「……ああ」
それしか。
言えなかった。
燈矢は。
それ以上責めなかった。
俺も。
何も足さなかった。
ここで。
綺麗な言葉を返す必要はない。
◇ ◇ ◇
面会時間の終わりが近づく。
冬美が慌てたように口を開く。
「次、何か話したいことある?」
「何だそれ」
「だって、また来るなら話すこと考えとこうと思って」
「普通に来ればいいだろ」
「普通が分からないの」
燈矢が一瞬黙り。
小さく笑った。
「俺も分かんねえよ」
夏雄も笑った。
「じゃあ全員分かってないじゃん」
「家族ってそんなもんじゃない?」
冬美が言う。
冷が笑う。
「そうかもしれないわね」
焦凍は真面目な顔で頷いた。
「なら問題ないな」
「焦凍だけ納得早すぎねえ?」
夏雄が突っ込む。
また。
少し笑いが起きる。
俺も。
ほんの僅かに。
口元が緩んだ。
◇ ◇ ◇
退室の時間になった。
冷が立ち上がる。
「また来るわ、燈矢」
「うん」
小さな返事だった。
それでも。
確かに返した。
「燈矢兄、今度は何か持ち込めるもの確認してくるから」
「いらねえよ、冬美」
「じゃあ聞くだけ聞いとく」
「話聞けよ」
「またな、兄ちゃん」
夏雄が言う。
燈矢も。
少し間を置いてから。
「ああ」
焦凍は。
「次、食い物な」
「まだ覚えてんのかよ」
「言ったからな」
「勝手にしろ」
そして。
俺。
何を言うべきか。
一瞬迷った。
結局。
一番簡単な言葉にした。
「また来る」
燈矢は俺を見る。
「……来たきゃ来れば」
許されたわけではない。
迎え入れられたわけでもない。
それでも。
扉を閉ざされたわけでもない。
今は。
それで十分だ。
◇ ◇ ◇
施設を出ると。
冬美と夏雄が前を歩き。
冷と焦凍がその少し後ろにいた。
俺は最後を歩く。
昔。
この家族を作ったのは俺だった。
そして。
壊した中心にいたのも俺だった。
今さら。
元通りになどならない。
元通りにする必要もないのかもしれない。
燈矢がいなかった時間も。
荼毘として生きた時間も。
俺たちが別々に生きた時間も。
全部ある。
その上で。
今日。
全員で一つの部屋にいた。
少し笑った。
少し怒った。
言いたいことを言った。
次の約束までした。
それでいい。
「あなた」
冷が振り返る。
「どうした」
「置いていくわよ」
見ると。
いつの間にか距離が開いていた。
「……ああ」
少し歩調を速める。
追いつく。
昔は。
家族を置いて。
俺だけが前を見ていた。
今度は。
離れないように歩けばいい。
燈矢も含めて。
何年かかっても。
これから向き合い続ければいい。