無個性は個性をつくる 作:匿名希望
体育祭当日。
待機場所から競技場へ出ると、音が一段大きくなった。観客席が埋まっている。歓声とアナウンスが響き、巨大な競技場にはテレビ中継用の機材も見える。
雄英体育祭が注目される行事だということは知っていたが、実際に見ると規模は大きかった。ただ、私にとって重要なのは観客の数ではない。
競技場に集まっている生徒を見る。ヒーロー科、普通科、サポート科、経営科。その中でも、主な観察対象はヒーロー科だった。
普段なら、授業中のヒーロー科へ入って個性を観察する理由はない。今日は違う。同じ参加者として近くにいられる。しかも、競技が始まれば向こうから個性を使う。
条件としてはかなり良い。
私は身体に装着した機器の状態を確認する。二十五個すべてを最初から起動するわけではない。必要なものだけ使う。
今回、主に使う予定なのは三つだった。浮遊、空中で姿勢と進行方向を調整するためのジェット、そしてズーム。
最後のものは、発目さんの個性因子を基にしている。
◇ ◇ ◇
体育祭用装備を作っている途中、発目さんには事前に話していた。
「発目さん。少量、血液をいただけますか?」
「いいですよ!」
返事が早かった。理由を説明する前だった。
「用途を聞かなくていいんですか?」
「空木くんが研究に使うんですよね?」
「そうですが」
「なら見たいです!」
「血液そのものをですか?」
「完成品をです!」
そういう意味らしい。
私は説明した。発目さんの個性は、遠距離の対象を視認する用途に向いている。体育祭では、離れた位置から複数の生徒を観察する必要がある。だから因子を研究し、観察補助へ使いたい。
「ズームをサポートアイテムにするんですか!?」
「正確には、発目さんの個性因子を基にした人工個性装備です」
「やってください!」
本人の同意があるなら、採取は簡単だった。体育祭で使う採血用指輪を使う必要すらない。通常の手段で少量採ればいい。
発目さんは自分から腕を出した。
「いっぱい取ります?」
「必要ありません」
「もっと取ってもいいですよ!」
「必要量以上に採る意味がありません」
「残念!」
何が残念なのかは分からなかった。
得られた試料から個性因子を培養し、装備用に調整した。発目さん本人と同じ使い方をする必要はない。私が欲しいのは、遠距離を詳細に観察する機能だった。
体育祭までには安定した。本人にも一度見せた。
「私の個性がベイビーになった!」
発目さんは喜んでいた。分類として正しいのかは不明だった。
◇ ◇ ◇
『さあ! 雄英体育祭、一年最初の種目は――障害物競走だァ!』
競技内容が発表される。コース、複数の障害、順位制、そして次へ進める人数。
四十二人。
つまり私が必要なのは、四十二位以内に入ることだった。一位である必要はない。
目的は観察。早く先頭へ出れば、後方の生徒が見えなくなる。逆に遅すぎれば脱落する。なら、観察できる位置を保ちながら、最後に必要順位まで上げればいい。
単純だった。
スタート地点へ人が集まる。私は周囲を見る。ヒーロー科の生徒は前へ出ようとしている。サポート科や普通科にも、順位を狙う人間はいる。
発目さんも近くにいた。自分の装備を身に付けている。
「空木くん!」
「はい」
「勝負です!」
「何のですか?」
「どっちのベイビーが目立つか!」
「競技順位ではないんですね」
「順位も取ります!」
目的が複数あるらしい。私は特に競うつもりはない。
『スタート!』
人が一斉に動いた。私はすぐには加速しなかった。
◇ ◇ ◇
最初に使ったのは浮遊だった。身体の荷重が軽くなる。
完全に無重量にはしない。足で地面を蹴った時の感覚がなくなると、かえって動きにくい。必要な分だけ軽くする。
周囲の生徒が密集している。ここで無理に前へ出る意味はない。
私は少し浮き、接触を避けながら集団の上側へ移る。高すぎる位置には行かない。観察対象との距離が増えるからだ。
ズームを起動する。
視界が変わる。遠くにいる生徒の動きが、近くで見ているように拾える。
視界全体が一度に拡大されるわけではない。注目した位置を選び、倍率を変え、戻す。発目さん本人ほど自然には扱えないが、観察装置としては十分だった。
先頭では早くも個性が使われている。氷、爆発、身体能力強化、変形、放出、移動。
一つずつ見る。
個性因子を直接知覚する研究補助能力も併用する。ただし距離がある。細部まで解析できるわけではない。
発動時の変化、身体のどこを起点としているか、個性使用後の状態。観察できる範囲を記憶していく。
今ここで完全に理解する必要はない。後で整理すればいい。
その途中で、視線が一人に止まった。
黒髪を後ろでまとめた女子。参加者一覧で名前は確認している。
八百万百。
彼女の身体表面から、直前まで存在していなかった物体が出てきた。私は倍率を上げる。
服の下ではなく、身体側から生成されている。持ち込んだものを取り出したようには見えない。形成途中から物質として存在し、そのまま使用している。
「生成系……」
何か一種類だけを作る能力なら珍しくない。しかし、今見えた現象だけでも、単純な分泌とは少し違う。完成した形状を持つ物体が、その場で作られている。
問題は範囲だった。
何を作れるのか。材質は。構造は。生成に必要な情報は何か。身体側の消費は。体積や質量の上限。事前に用意した物質を変換しているのか、それとも別の仕組みか。
観察一回では分からない。
ただし、個性研究の対象として優先度が高いことは分かった。もし、複数種類の物質や構造物を任意に生成できるのなら、応用範囲が非常に広い。
私は八百万さんの位置を記憶した。後で追加の発動を確認する。
◇ ◇ ◇
巨大なロボットが進路を塞いでいた。入試用の仮想ヴィランと同系統らしい。
先頭集団が対応する。正面から破壊する者、避ける者、上を越える者。
私は速度を上げず、少し距離を取った位置から見る。
攻撃系個性は分かりやすい。出力、射程、発動までの時間、対象へ当たった後の結果。競技という環境では、それらが連続して確認できる。
その中で、今度は黒いものが動いた。
影に近い。ただし、地面へ投影されているだけではない。立体的に伸び、使用者から離れた位置へ作用している。
黒い鳥のような頭部を持つ男子。
常闇踏陰。
彼の身体から伸びた黒い存在が、ロボットへ向かう。本人の腕や脚とは別に動く。単なる触手型の個性とは少し違った。
動きに、僅かな独立性があるように見える。
常闇さんが進もうとする方向へ働く一方で、障害物への対応では黒い存在側が自分で軌道を選んでいるようにも見える。
私はズームを切り替える。さらに見る。
「自律性がありますね」
完全な自律かは分からない。本人の意思をそのまま別器官として反映しているだけかもしれない。だが、少なくとも通常の腕を伸ばす個性とは挙動が違う。
本体から離れた作用体。形状変化。対象への干渉。そして、判断しているように見える動き。
もし個性そのものに知覚や判断に近い機能が含まれているなら、非常に珍しい。
人工個性を道具へ組み込む時、今は制御を外部機構へ依存している。個性因子そのものに自律的な処理能力を持たせられるなら、別の方向が考えられる。
もちろん、今の観察だけでそこまで断定はできない。
私は記録対象として優先度を上げた。
八百万百。常闇踏陰。
二人。
まだ競技は始まったばかりだった。
私は浮遊したままジェットを短く使った。背後から押され、高度を上げる。機体の腕を避け、推力を横へ。方向転換して、ロボットの肩付近を通過する。
着地する必要はない。そのまま向こう側へ抜ける。
一気に前へ行くこともできた。やらない。
ジェットを切り、速度を落とす。後方を見る。
まだ観察していない集団がいる。特にB組。
私はそちらへ合わせて位置を下げた。
◇ ◇ ◇
B組は、A組ほど前へ突出していなかった。集団として進んでいる生徒が比較的多い。
その中で、一人の動きが気になった。
金髪の男子。物間寧人。
名前は参加者一覧で確認している。
最初に見た時点では、個性の内容は分からなかった。目立つ身体変化もない。しかし、動き方がおかしい。
本人だけを見ていると、使っている能力に一貫性がない。
少し前、物間さんが別のB組生徒へ接触した。その後、その生徒が使っていたものと似た現象を物間さんが発動する。
しばらくすると別の生徒へ触れる。今度は別の能力。
私はズーム倍率を上げた。
「……接触」
偶然の可能性を考える。一度ならそうだ。二度ならまだ断定できない。
三度。条件が繰り返された。
他人へ触れる。その後、その相手と同系統の個性現象を使う。
元から複数能力を持っている可能性より、接触した相手の個性を一時的に利用していると考えた方が自然だった。
私は速度をさらに落とした。
興味深い。
能力の名称を知らなくても、現象としてはコピーと表現するのが近い。
個性そのものをどう扱っているのかは分からない。相手の個性因子を一時的に模倣しているのか。発現機構だけを再現しているのか。接触が必要なのは取得条件なのか。
何個保持できるのか。持続時間。同時使用。複雑な個性への対応。
疑問が一気に増える。
今すぐ前へ行く理由がさらに減った。私はB組より少し後方を維持した。
物間さんが能力を使うたびに見る。ズーム、直接知覚、動作、接触相手、発動までの時間。全部を記憶する。
試料が欲しい。
そう思った。
物間さんだけではない。八百万さんも、常闇さんも。
三人とも、既知の個性をただ高出力化する研究とは違う方向へつながる可能性がある。
物質を作る。自律して動く個性現象。他人の個性を再現する。
どれも今の私の技術体系にはない仕組みだった。
ただ、障害物競走中にわざわざ近づいて採取する必要はない。体育祭はまだ続く。機会はある。
今は構造を予測する情報を増やす方が先だった。
◇ ◇ ◇
次の障害でも、私は急がなかった。
空中を移動できる時点で、地形による制限はかなり小さい。浮遊で落下を防ぎ、ジェットで進路を調整する。必要なら高度を変える。
それだけで多くの障害を回避できる。だからこそ、余裕があった。
前を見る。後ろを見る。横を見る。ズームで対象を切り替える。
八百万さんを再び捉える。
先ほどとは別の状況で、再度物体を生成している。やはり一種類限定ではなさそうだった。生成物の形状が違う。
これで、少なくとも「特定物質を分泌するだけ」という可能性はかなり下がった。
複数の物体を作り分ける能力。何を基準に生成しているかは不明。
私は分類を更新する。
物質・物体生成型。詳細条件不明。優先研究対象。
次に常闇さん。
黒い存在はまだ行動している。距離や形が一定ではない。本人の近くへ戻ることもあれば、離れて障害へ作用することもある。
常闇さん本人が細かな動作を逐一行っているようには見えない。
会話できるか。知覚を共有しているか。どの程度自己判断するか。そこまでは分からない。
ただし、個性現象に自律性が存在する可能性は高い。
これも優先。
その後で物間さんを見る。
別人と接触。再び能力が変わる。
三人目。こちらも優先。
体育祭へ出た価値は、すでに十分あった。
◇ ◇ ◇
地雷原へ入った。
地面に埋められた爆発物。踏めば爆発する。威力は競技用に調整されている。
先頭側は速度が落ちていた。慎重に進む者、地雷を逆に利用する者、別の方法で地面との接触を避ける者。
私は特に困らなかった。浮いているからだ。
地雷を踏まなければいい。ジェットを小さく噴かし、地面から離れたまま進む。
ただし、まだ速度は上げない。
B組の位置を確認する。物間さんも進んでいる。
先ほどまでに十分な発動例は見た。コピー系である可能性は高い。
八百万さんの生成。常闇さんの黒い自律作用体。こちらも複数回確認した。
現時点の観察だけで詳細構造までは分からない。だが、試料を得る価値が高いことは判断できた。
これ以上ここで後方へ留まる必要はない。
一方で、四十二位以内という条件は残っている。
現在位置を確認する。後方。ただし、まだ余裕はある。
私は前へ視線を戻した。
ここから順位を上げればいい。
ジェットの出力を上げる。身体が前へ押し出される。浮遊で地面との摩擦がほとんどないので、加速は速い。
数人を抜く。さらに前。
地雷の位置は上から見れば分かりやすい。避ける。必要なら横へ動く。再加速。
競技開始からずっと悠々と後ろについていた分、周囲の何人かがこちらを見る。気にする必要はない。
私の目的は変わっていない。
必要順位で通過する。それだけだ。
◇ ◇ ◇
ゴールが近づく。前方にはすでに到着している生徒がいる。
私は人数を確認した。
四十二人まで。
余裕を持たせた方がいい。四十二位ぎりぎりを狙う必要はない。最後に誰かが特殊な移動をすれば順位が変わる。
私はさらに数人抜いた。ただし、上位へ行きすぎる必要もない。
ジェットを弱める。浮遊を解除。足を地面へ戻す。
そのままゴールラインを通過した。
順位が表示される。通過。次の競技へ進める位置だった。
「問題ありませんね」
私は後ろを振り返る。残りの参加者がゴールへ入ってくる。
四十二位。そこで進出枠が埋まった。
次、四十三位。
青山優雅。
金髪。腹部の装置。途中でレーザーを使って移動していた生徒だ。
彼はゴールしたものの、次の競技には進めない。
私は順位を確認してから、青山さんを見る。
ネビルレーザー。腹部から光線を放つ個性。
遠目ではあるが、障害物競走中にも何度か発動を確認できた。興味はある。ただ、今回は試料を得ていない。
観察情報だけ記憶しておけばいい。青山さん本人と話したこともなかった。
私はそれ以上考えず、通過者へ視線を戻す。
八百万さん。常闇さん。物間さん。
三人とも残っている。都合がいい。
次の競技でも観察できる。そして今度は、障害物競走より接触する機会が多いかもしれない。
◇ ◇ ◇
最初の競技だけでも、得られた情報は多かった。
浮遊、ジェット、ズーム。今回使用した装備は予定通り機能した。
特に発目さん由来のズームは有用だった。観客映像とは比較にならない。
誰が誰へ触れたか。何を生成したか。どの個性現象が使用者とは別にどう動いたか。遠距離でも追える。
そして、優先度の高い研究対象を三つ見つけた。
八百万百。複数種類の物体を、その場で生成する個性。
常闇踏陰。本体から離れて作用し、自律性を持つ可能性がある黒い個性現象。
物間寧人。接触した他人の個性を再現していると考えられる能力。
どれも、今の私の研究を別方向へ進める可能性がある。
まだ分からないことばかりだった。生成の原理。黒い存在の知覚と判断。コピーの対象と制限。
だから試料が欲しい。
個性因子そのものを見れば、観察だけより多く分かる。
体育祭はまだ続く。焦る必要はない。三人とも次へ進んでいる。
私はアナウンスを聞きながら、次の競技へ残った参加者を見る。
障害物競走で一位を取るより、三つの研究対象を見つけたことの方が、私にはずっと重要だった。