無個性は個性をつくる 作:匿名希望
Global Quirk Solutionsの営業開始から数日後。
政府は、新しい公的医療制度の運用開始を発表した。
対象となるのは、まず公務中に重い負傷や後遺症を負った公務員だった。
警察官、消防官、救急関係者。
そして、職務上の負傷を抱えるヒーローや元ヒーロー。
従来の医療では治療できなかった神経損傷や、失われた四肢まで再生可能な個性治療を、国の管理下で優先的に受けられる。
治療に使用されるのは、政府がGQSから購入した人工個性だった。
発表直後から申請受付が始まり、過去の負傷者が全国の指定医療機関へ集まり始めた。
その中には、かつて治療不可能と診断された者もいた。
◇ ◇ ◇
飯田天晴は、診察室で医師から説明を受けていた。
「検査結果を確認しました。今回の治療対象として問題ありません」
「……本当に、治るんですか?」
聞き返した声には、どうしても疑いが混じった。
インゲニウムとして活動していた頃、ヴィラン連合と関係を持つ以前のステインと遭遇した。
敗北し、重傷を負った。
命は助かった。
だが、脊髄を損傷し、下半身に麻痺が残った。
ヒーローとしての復帰は難しい。
そう告げられてから、すでに長い時間が経っている。
「少なくとも、現在の検査結果で治療できない理由は確認されていません」
医師はそう答えた。
説明自体は事前に受けている。
政府が新しく取得した治療用の個性は、単純に傷の治りを早めるものではない。
欠損した組織を再生し、損傷した神経も修復する。
生存している患者なら、従来は後遺症として残すしかなかった損傷まで治療できる。
天晴は自分の脚へ目を落とした。
動かないわけではない。
だが、ヒーローとして走れる身体ではなくなった。
あの日からずっとそうだった。
「お願いします」
やがて、短く答えた。
治療そのものに長い時間はかからなかった。
人工個性を取得した医療従事者が能力を発動する。
損傷していた神経が修復され、長く正常に機能していなかった部位まで再生していく。
痛みはほとんどなかった。
それよりも、途中から感じ始めた感覚の方が大きい。
足先。
足裏。
ふくらはぎ。
それまでにも感覚が完全になかったわけではない。
だが、明らかに違った。
治療が終わる。
医師から指示され、天晴はゆっくりと立ち上がった。
自分の脚で床を踏む。
「……」
一歩。
さらに一歩。
問題なく歩けた。
医師が確認を続ける。
反射。
筋肉の動作。
神経伝達。
すべて正常。
ただ歩けるだけではない。
損傷そのものがなくなっている。
「すぐに以前と同じヒーロー活動へ戻るのは避けてください。長期間、全力で身体を動かしていませんから、能力上の問題がなくても訓練は必要です」
「はい」
天晴は頷いた。
当然だった。
治ったからといって、数年間の空白まで消えるわけではない。
それでも。
もう一度、鍛え直すことができる。
もう一度、走ることができる。
もう一度、インゲニウムとして活動することもできる。
それだけで十分だった。
病院を出た後、天晴は弟へ連絡した。
卒業したばかりの天哉は、すぐに応答した。
『兄さん?』
「天哉」
『どうしたんだ? 今日が治療だとは聞いていたが――』
天晴は少し笑った。
「治ったよ」
一瞬、向こうが静かになった。
『……本当に?』
「ああ。まだリハビリと訓練は必要だけど、神経の損傷はなくなったそうだ」
『兄さん……!』
電話越しでも分かるほど、天哉の声が大きくなった。
「病院だから、少し静かにね」
『す、すまない! しかし、それなら――』
「ああ」
天晴は自分の脚を見る。
「また走れる」
今度は、電話の向こうからすぐには返事が来なかった。
◇ ◇ ◇
同じ頃、別の医療機関でも同様の治療が行われていた。
サー・ナイトアイ。
八斎會事件で重傷を負った彼は、本来なら命を落としていてもおかしくなかった。
当時は、改良された『癒し』を利用した治療装置によって一命を取り留めた。
だが、すべてを元通りにできたわけではない。
失われた片腕は戻らなかった。
それから長い時間が経った。
「再生を開始します」
担当者の言葉に、ナイトアイは短く頷いた。
治療能力が発動する。
欠損部の組織が形成されていく。
骨。
筋肉。
血管。
神経。
皮膚。
存在しなかったはずの腕が、少しずつ形を取り戻していった。
やがて治療が終わる。
ナイトアイは再生した手を開いた。
閉じる。
もう一度、開く。
指はすべて意図した通りに動いた。
「感覚はいかがですか?」
「問題ありません」
指先で反対側の手に触れる。
感覚もある。
腕を曲げる。
肩を動かす。
長期間存在しなかった腕だが、動作そのものに異常はない。
「……なるほど」
ナイトアイは静かに呟いた。
かつて自分の命を救った治療技術も、空木零司が作ったものだった。
あの時点では、失われた腕まで戻すことはできなかった。
正確には、実用されていた治療技術がそこまで到達していなかった。
それが今は違う。
高校を卒業した少年が会社を動かし始めた数日後には、国が購入した人工個性によって、過去には治せなかった欠損まで公的医療の対象になっている。
「ヒーロー活動への復帰を希望されていますね」
医師に確認される。
「はい」
「身体機能上は問題ありません。ただし、長期間片腕で生活されていましたから、再訓練は必要です」
「承知しています」
ナイトアイは再生した手をもう一度握った。
ヒーローとして前線へ戻る。
それが可能になった。
◇ ◇ ◇
同じことは、日本各地で起きていた。
火災現場で手足を失った消防官。
救助活動で神経を損傷した者。
事件対応で重い後遺症を負った警察官。
そして、ヒーロー活動の中で身体の一部を失い、引退や活動縮小を余儀なくされていた者たち。
これまでも回復系の個性は存在した。
優秀な医療技術も存在した。
それでも治せないものはあった。
失われた四肢。
完全に断裂した神経。
長期間残った重い後遺症。
助かっただけでも幸運だと言われ、その後の人生では抱え続けるしかなかった傷。
それらが治療対象へ変わった。
まだ制度が始まったばかりなので、誰もがすぐに受けられるわけではない。
政府はまず公務員を優先した。
対象者の確認、医療機関への配置、治療能力を保有する人員の管理。
一度にすべてを変えることはできない。
それでも、今まで治せなかったものを治せるようになったという事実は大きかった。
治療を受けた者の中から、現場へ戻る者が出始める。
インゲニウムも再訓練を始めた。
ナイトアイも復帰へ向けて身体を整え始めた。
全国で同じような話が報じられた。
そして、その報道には一つの企業名が繰り返し登場した。
Global Quirk Solutions。
GQS。
『本事業で使用される治療用人工個性は、Global Quirk Solutionsの協賛、技術提供によるものです』
政府の発表資料にも、その名前は明記されていた。
実際には、GQSが無償で慈善事業を行ったわけではない。
政府が正規の手続きで人工個性を大量購入し、それを公的医療へ利用している。
ただ、公安はGQSの名前を積極的に表へ出した。
個性関連事業を始めたばかりの会社にとって、政府が正式に採用した技術であることは大きな信用になる。
そして公安にとっても、空木零司との関係を良好に保っておく理由は十分にあった。
金銭だけではない。
法律を整備する。
研究を妨害しない。
会社の運営に必要な制度を作る。
そして、邪魔にならない範囲で利益を返す。
今回の協賛表記も、その一つだった。
公安側からすれば、ほとんどリップサービスに近い。
しかし、その効果は大きかった。
昨日までGQSを知らなかった人間まで、その名前を知る。
重傷を負ったヒーローが復帰できた。
失った腕が戻った。
治らなかった神経損傷が治った。
その治療に使われた個性を提供した会社。
それだけで十分だった。
数日前に営業を始めたばかりのGlobal Quirk Solutionsという名前は、政府主導の公的治療とともに、日本中へ一気に広がり始めていた。