無個性は個性をつくる   作:匿名希望

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第144話 役目を終えたヒーロー

同窓会から帰宅したのは、日付が変わる少し前だった。

 

「ただいま」

 

当然、返事はない。

 

私は玄関で靴を脱ぎ、リビングへ向かった。

 

昔と比べれば、ずいぶん穏やかな生活になったものだと思う。

 

雄英で授業をして、生徒の訓練を見て、必要なら相談に乗る。放課後には会議や書類仕事があり、今日のように予定があれば仕事を終えて出かける。

 

かつての私なら考えられなかった。

 

朝から晩まで事件現場を飛び回り、それでも時間が足りず、移動中に事務仕事を片付ける。平和の象徴として、誰かが助けを求めている限り走り続ける。

 

それが当たり前だった。

 

今は違う。

 

私は上着を脱ぎ、ソファへ腰を下ろした。

 

身体は疲れていない。

 

少なくとも、昔のように身体そのものが限界を訴えることはない。

 

腹部の古傷も、失った臓器も、とうに治っている。

 

そして今の私には、かつてのワン・フォー・オールとは違う力がある。

 

私専用に作られた人工個性。

 

OFAを再現したものではない。

 

それでも、全盛期に近い身体能力を発揮できる。

 

必要なら、今からヒーローコスチュームへ着替えて現場に出ることだってできる。

 

八年前なら、それを知った瞬間に第一線へ戻ろうとしたかもしれない。

 

実際、一度は戻った。

 

死柄木たちとの戦いが終わっていなかったからだ。

 

力を取り戻した以上、戦わない理由はなかった。

 

全面戦争にも参加した。

 

タルタロスが襲撃された時にも駆けつけた。

 

最後の戦いでも、私は戦った。

 

だが、戦いが終わった後まで同じ場所に居続ける必要はなかった。

 

今の私は、正式な第一線のプロヒーローとして活動していない。

 

それでいい。

 

テーブルの上に置いた端末が光った。

 

何気なく手に取る。

 

今日のニュースが並んでいた。

 

政治。

 

経済。

 

海外。

 

事件。

 

ヒーロー。

 

そして、見覚えのある緑色が画面に映る。

 

『トップヒーロー・デク、倒壊現場で市民を救助』

 

私は思わず笑った。

 

「やはりニュースになっていたか」

 

同窓会へ来る前の事件だ。

 

本人は、敵を捕まえたのは別のヒーローで、自分は救助へ途中参加しただけだと言っていた。

 

まったく。

 

あれだけ活躍しても、本人は変わらない。

 

記事を開く。

 

映像もあった。

 

崩れ落ちる建物。

 

その下には逃げ遅れた人々。

 

画面の端から緑谷少年が飛び込んでくる。

 

黒鞭を複数伸ばし、瓦礫を受け止める。

 

いや、受け止めてはいない。

 

落下の勢いを利用しながら方向をずらしている。

 

その間も浮遊で位置を保ち、発勁で不足する力を補う。

 

危機感知で別方向の危険へ反応し、救助対象を確保。

 

一連の動きに迷いがない。

 

私は何度か映像を見直した。

 

「……すごいな」

 

誰もいない部屋で、自然と言葉が出た。

 

昔の私とは違う。

 

私の戦い方は単純だった。

 

速く。

 

強く。

 

誰よりも早く現場へ到着し、圧倒的な力で敵を倒す。

 

もちろん救助技術も磨いた。

 

状況判断もしていた。

 

だが、根本にあったのはOFAが生み出す圧倒的な力だ。

 

緑谷少年は、その力を持った上で六つの個性を使う。

 

最初は苦労していた。

 

黒鞭が初めて暴走した時など、本人が一番混乱していたほどだ。

 

その後、OFAの内部に複数の個性が存在すると判明し、残りまで使えるようになった。

 

私は心配したものだ。

 

ただでさえOFAの制御に苦労していた少年へ、一度にいくつもの力が加わったのだから当然だろう。

 

だが彼は訓練した。

 

一つずつ。

 

何度も失敗しながら。

 

相澤君たちにも協力してもらい、自分の身体と相談し、どう使えば人を救えるかを考え続けた。

 

そして今では、複数の個性を使っていることさえ意識させない。

 

必要だから使う。

 

手を伸ばすのと同じように。

 

走るのと同じように。

 

それが彼の戦い方になっていた。

 

「私を越えたな」

 

口にしてみる。

 

不思議と、寂しくはなかった。

 

むしろ逆だ。

 

嬉しい。

 

どうしようもないほどに。

 

◇ ◇ ◇

 

緑谷少年と初めて会った日のことは、今でも覚えている。

 

ヘドロヴィランを追っていた時だった。

 

私にしがみついて空まで飛んできた、無茶な少年。

 

無個性だった。

 

それでもヒーローになりたいと言った。

 

私は最初、その夢を否定した。

 

ヒーローの世界がどれほど危険なのか知っていたからだ。

 

自分自身が、身体を壊しながら戦っていた。

 

力のない少年へ、綺麗事だけで進めとは言えなかった。

 

だが、その後。

 

彼は走った。

 

勝てるはずもない相手へ。

 

力もない。

 

勝算もない。

 

それでも、助けを求める幼馴染を見て身体が動いた。

 

あの時、私は思った。

 

この少年なら。

 

この少年に、私の力を託したい。

 

ワン・フォー・オールを継承させた。

 

そこからは、本当にいろいろあった。

 

最初は一発殴るだけで腕を壊した。

 

指を一本ずつ犠牲にして戦ったこともある。

 

フルカウルを覚えた。

 

蹴りを使うようになった。

 

自分なりの戦い方を考えた。

 

そして、OFAの中に眠っていた力まで目覚めた。

 

私は彼を導かなければならないと思っていた。

 

自分が選んだ後継者なのだから当然だ。

 

力の使い方を教える。

 

ヒーローとしての在り方を伝える。

 

危険な時には支える。

 

間違えた時には止める。

 

そして、いつか私の代わりに平和を守れるヒーローになってもらう。

 

そのつもりだった。

 

だが。

 

「いつからだったかな」

 

私は映像を止めた。

 

画面の中で、緑谷少年が救助した子供へ笑いかけている。

 

もう、私が教えることはほとんどない。

 

もちろん教師として話すことはある。

 

人生の先輩として伝えられることもあるだろう。

 

相談されたなら、いくらでも答えたい。

 

だが、ヒーローとして彼の前を走り、背中を見せて導く役目は終わった。

 

彼はもう、私の後ろを走っていない。

 

隣でもない。

 

先へ行った。

 

トップヒーローになったから、というだけではない。

 

順位など、その時々で変わる。

 

重要なのはそこではなかった。

 

私の真似ではない。

 

私の代わりでもない。

 

緑谷出久という一人のヒーローとして、自分のやり方で人を救っている。

 

それを見れば十分だった。

 

「立派になったな、緑谷少年」

 

私は小さく呟いた。

 

今日の同窓会でも、彼は変わらなかった。

 

トップヒーローと呼ばれて困ったように笑い、自分一人の成果ではないと説明していた。

 

昔からそうだ。

 

自分が何をしたかより、周りの人間が何をしたかをよく見ている。

 

そして誰かが危険なら、考えるより先に身体が動く。

 

ヒーローとして強くなった。

 

技術も身についた。

 

経験も積んだ。

 

それでも、一番最初に私が彼を選んだ理由は変わっていない。

 

そのことが何より嬉しかった。

 

◇ ◇ ◇

 

端末を置き、私は棚へ目を向けた。

 

昔の写真がある。

 

雄英で撮ったものだ。

 

若い彼らが並んでいる。

 

今日会った時とは、顔つきがまるで違う。

 

緑谷少年。

 

爆豪少年。

 

轟少年。

 

麗日少女。

 

飯田少年。

 

青山少年。

 

ほかのみんなもいる。

 

あの頃の彼らは、まだ学生だった。

 

プロヒーローを目指していた子供たちだ。

 

今では、その多くが実際にヒーローとして活動している。

 

爆豪少年も相変わらずだ。

 

今日も緑谷少年へ噛みついていた。

 

だが、あれで彼が緑谷少年を強く意識していることは誰にでも分かる。

 

追いつく。

 

追い越す。

 

勝つ。

 

昔から変わらない。

 

だからこそ、緑谷少年が先を走れば走るほど、彼も止まらないのだろう。

 

轟少年も、自分の道を歩いている。

 

家族の問題は、戦いが終わったからといって消えるものではない。

 

それでも燈矢と向き合い続けている。

 

青山少年もそうだ。

 

彼が抱えていたものを知った時、私は教師として何ができたのかを何度も考えた。

 

彼は一度立ち止まり、それでも再びヒーローを目指した。

 

今ではプロとして人を救っている。

 

彼らは皆、自分で歩いている。

 

教師という仕事を始めた頃は、私に務まるのか不安だった。

 

戦うことなら分かる。

 

人を助けることも分かる。

 

だが、人を育てることは別だ。

 

私は長い間、自分一人で平和の象徴になろうとしていた。

 

誰よりも強くあればいい。

 

自分が全部背負えばいい。

 

そう考えていた人間だ。

 

教師としては、あまり良い見本ではなかったかもしれない。

 

それでも、今はこの仕事が好きだ。

 

毎年、新しい生徒が来る。

 

ヒーローを目指す理由も違う。

 

持っている個性も違う。

 

昔とは社会そのものも違う。

 

無個性で入学を目指す子もいる。

 

後から取得した人工個性を持つ子もいる。

 

生まれ持った個性を調整している子もいる。

 

私が現役だった頃なら考えられなかった。

 

だからこそ、教える側も変わらなければならない。

 

力があるからヒーローになれるわけではない。

 

強い個性を持っているから人を救えるわけでもない。

 

私は、それを誰よりよく知っている。

 

最初に緑谷少年を選んだ時、彼には個性がなかったのだから。

 

「さて」

 

私は立ち上がる。

 

明日の授業で使う資料がまだ残っている。

 

帰宅してまで仕事をする必要はないのだが、少し確認しておきたい。

 

ヒーロー基礎学。

 

救助判断についての授業だ。

 

強い力をどう使うかではない。

 

いつ使うか。

 

どこまで使うか。

 

使わない方がいい状況は何か。

 

昔の私なら、身体で覚えろと言ってしまったかもしれない。

 

今ならもう少し上手く教えられる。

 

たぶん。

 

端末へ資料を表示する。

 

その横には、先ほどのニュース記事がまだ残っていた。

 

トップヒーロー・デク。

 

その文字を見る。

 

かつて、私は平和の象徴だった。

 

そうあるべきだと思っていた。

 

誰もが私を見れば安心できる存在。

 

悪人が私の名前を聞けば犯罪を諦めるほどの存在。

 

その役目を終えることが、昔は怖かった。

 

私がいなくなった後、社会はどうなる。

 

誰が人々を守る。

 

誰が次の象徴になる。

 

だから後継者を探した。

 

ワン・フォー・オールを託した。

 

だが、今なら分かる。

 

緑谷少年は、私になる必要などなかった。

 

彼は私を越えて、自分のヒーローになった。

 

そして彼だけではない。

 

多くのヒーローがいる。

 

警察がいる。

 

救助に携わる人々がいる。

 

支える技術者たちがいる。

 

昔よりも、人を守る方法そのものが増えた。

 

私一人が全部を背負う必要はない。

 

もう、その時代ではないのだ。

 

私は画面の中の緑谷少年を見る。

 

「君に力を託して、本当によかった」

 

今でも、彼を助けることはできる。

 

もし相談されたら話を聞こう。

 

助けを求められたら駆けつけよう。

 

教師として、生徒たちを育てよう。

 

そして、目の前で誰かが困っていれば――たぶん私は、これからも考えるより先に身体が動く。

 

そこだけは一生変わらない気がする。

 

だが、第一線へ戻って、彼らの前に立つ必要はない。

 

後継者を導くという私の役目は、もう終わった。

 

それは引退した時よりもずっと穏やかで、誇らしい終わりだった。

 

私はニュース画面を閉じる。

 

明日の授業資料を開き直した。

 

今の私には、今の私の仕事がある。

 

そして明日も雄英には、ヒーローを目指す若者たちがやって来る。

 

私は彼らを迎えるため、授業の準備を始めた。

 

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