無個性は個性をつくる 作:匿名希望
同窓会から帰宅したのは、日付が変わる少し前だった。
「ただいま」
当然、返事はない。
私は玄関で靴を脱ぎ、リビングへ向かった。
昔と比べれば、ずいぶん穏やかな生活になったものだと思う。
雄英で授業をして、生徒の訓練を見て、必要なら相談に乗る。放課後には会議や書類仕事があり、今日のように予定があれば仕事を終えて出かける。
かつての私なら考えられなかった。
朝から晩まで事件現場を飛び回り、それでも時間が足りず、移動中に事務仕事を片付ける。平和の象徴として、誰かが助けを求めている限り走り続ける。
それが当たり前だった。
今は違う。
私は上着を脱ぎ、ソファへ腰を下ろした。
身体は疲れていない。
少なくとも、昔のように身体そのものが限界を訴えることはない。
腹部の古傷も、失った臓器も、とうに治っている。
そして今の私には、かつてのワン・フォー・オールとは違う力がある。
私専用に作られた人工個性。
OFAを再現したものではない。
それでも、全盛期に近い身体能力を発揮できる。
必要なら、今からヒーローコスチュームへ着替えて現場に出ることだってできる。
八年前なら、それを知った瞬間に第一線へ戻ろうとしたかもしれない。
実際、一度は戻った。
死柄木たちとの戦いが終わっていなかったからだ。
力を取り戻した以上、戦わない理由はなかった。
全面戦争にも参加した。
タルタロスが襲撃された時にも駆けつけた。
最後の戦いでも、私は戦った。
だが、戦いが終わった後まで同じ場所に居続ける必要はなかった。
今の私は、正式な第一線のプロヒーローとして活動していない。
それでいい。
テーブルの上に置いた端末が光った。
何気なく手に取る。
今日のニュースが並んでいた。
政治。
経済。
海外。
事件。
ヒーロー。
そして、見覚えのある緑色が画面に映る。
『トップヒーロー・デク、倒壊現場で市民を救助』
私は思わず笑った。
「やはりニュースになっていたか」
同窓会へ来る前の事件だ。
本人は、敵を捕まえたのは別のヒーローで、自分は救助へ途中参加しただけだと言っていた。
まったく。
あれだけ活躍しても、本人は変わらない。
記事を開く。
映像もあった。
崩れ落ちる建物。
その下には逃げ遅れた人々。
画面の端から緑谷少年が飛び込んでくる。
黒鞭を複数伸ばし、瓦礫を受け止める。
いや、受け止めてはいない。
落下の勢いを利用しながら方向をずらしている。
その間も浮遊で位置を保ち、発勁で不足する力を補う。
危機感知で別方向の危険へ反応し、救助対象を確保。
一連の動きに迷いがない。
私は何度か映像を見直した。
「……すごいな」
誰もいない部屋で、自然と言葉が出た。
昔の私とは違う。
私の戦い方は単純だった。
速く。
強く。
誰よりも早く現場へ到着し、圧倒的な力で敵を倒す。
もちろん救助技術も磨いた。
状況判断もしていた。
だが、根本にあったのはOFAが生み出す圧倒的な力だ。
緑谷少年は、その力を持った上で六つの個性を使う。
最初は苦労していた。
黒鞭が初めて暴走した時など、本人が一番混乱していたほどだ。
その後、OFAの内部に複数の個性が存在すると判明し、残りまで使えるようになった。
私は心配したものだ。
ただでさえOFAの制御に苦労していた少年へ、一度にいくつもの力が加わったのだから当然だろう。
だが彼は訓練した。
一つずつ。
何度も失敗しながら。
相澤君たちにも協力してもらい、自分の身体と相談し、どう使えば人を救えるかを考え続けた。
そして今では、複数の個性を使っていることさえ意識させない。
必要だから使う。
手を伸ばすのと同じように。
走るのと同じように。
それが彼の戦い方になっていた。
「私を越えたな」
口にしてみる。
不思議と、寂しくはなかった。
むしろ逆だ。
嬉しい。
どうしようもないほどに。
◇ ◇ ◇
緑谷少年と初めて会った日のことは、今でも覚えている。
ヘドロヴィランを追っていた時だった。
私にしがみついて空まで飛んできた、無茶な少年。
無個性だった。
それでもヒーローになりたいと言った。
私は最初、その夢を否定した。
ヒーローの世界がどれほど危険なのか知っていたからだ。
自分自身が、身体を壊しながら戦っていた。
力のない少年へ、綺麗事だけで進めとは言えなかった。
だが、その後。
彼は走った。
勝てるはずもない相手へ。
力もない。
勝算もない。
それでも、助けを求める幼馴染を見て身体が動いた。
あの時、私は思った。
この少年なら。
この少年に、私の力を託したい。
ワン・フォー・オールを継承させた。
そこからは、本当にいろいろあった。
最初は一発殴るだけで腕を壊した。
指を一本ずつ犠牲にして戦ったこともある。
フルカウルを覚えた。
蹴りを使うようになった。
自分なりの戦い方を考えた。
そして、OFAの中に眠っていた力まで目覚めた。
私は彼を導かなければならないと思っていた。
自分が選んだ後継者なのだから当然だ。
力の使い方を教える。
ヒーローとしての在り方を伝える。
危険な時には支える。
間違えた時には止める。
そして、いつか私の代わりに平和を守れるヒーローになってもらう。
そのつもりだった。
だが。
「いつからだったかな」
私は映像を止めた。
画面の中で、緑谷少年が救助した子供へ笑いかけている。
もう、私が教えることはほとんどない。
もちろん教師として話すことはある。
人生の先輩として伝えられることもあるだろう。
相談されたなら、いくらでも答えたい。
だが、ヒーローとして彼の前を走り、背中を見せて導く役目は終わった。
彼はもう、私の後ろを走っていない。
隣でもない。
先へ行った。
トップヒーローになったから、というだけではない。
順位など、その時々で変わる。
重要なのはそこではなかった。
私の真似ではない。
私の代わりでもない。
緑谷出久という一人のヒーローとして、自分のやり方で人を救っている。
それを見れば十分だった。
「立派になったな、緑谷少年」
私は小さく呟いた。
今日の同窓会でも、彼は変わらなかった。
トップヒーローと呼ばれて困ったように笑い、自分一人の成果ではないと説明していた。
昔からそうだ。
自分が何をしたかより、周りの人間が何をしたかをよく見ている。
そして誰かが危険なら、考えるより先に身体が動く。
ヒーローとして強くなった。
技術も身についた。
経験も積んだ。
それでも、一番最初に私が彼を選んだ理由は変わっていない。
そのことが何より嬉しかった。
◇ ◇ ◇
端末を置き、私は棚へ目を向けた。
昔の写真がある。
雄英で撮ったものだ。
若い彼らが並んでいる。
今日会った時とは、顔つきがまるで違う。
緑谷少年。
爆豪少年。
轟少年。
麗日少女。
飯田少年。
青山少年。
ほかのみんなもいる。
あの頃の彼らは、まだ学生だった。
プロヒーローを目指していた子供たちだ。
今では、その多くが実際にヒーローとして活動している。
爆豪少年も相変わらずだ。
今日も緑谷少年へ噛みついていた。
だが、あれで彼が緑谷少年を強く意識していることは誰にでも分かる。
追いつく。
追い越す。
勝つ。
昔から変わらない。
だからこそ、緑谷少年が先を走れば走るほど、彼も止まらないのだろう。
轟少年も、自分の道を歩いている。
家族の問題は、戦いが終わったからといって消えるものではない。
それでも燈矢と向き合い続けている。
青山少年もそうだ。
彼が抱えていたものを知った時、私は教師として何ができたのかを何度も考えた。
彼は一度立ち止まり、それでも再びヒーローを目指した。
今ではプロとして人を救っている。
彼らは皆、自分で歩いている。
教師という仕事を始めた頃は、私に務まるのか不安だった。
戦うことなら分かる。
人を助けることも分かる。
だが、人を育てることは別だ。
私は長い間、自分一人で平和の象徴になろうとしていた。
誰よりも強くあればいい。
自分が全部背負えばいい。
そう考えていた人間だ。
教師としては、あまり良い見本ではなかったかもしれない。
それでも、今はこの仕事が好きだ。
毎年、新しい生徒が来る。
ヒーローを目指す理由も違う。
持っている個性も違う。
昔とは社会そのものも違う。
無個性で入学を目指す子もいる。
後から取得した人工個性を持つ子もいる。
生まれ持った個性を調整している子もいる。
私が現役だった頃なら考えられなかった。
だからこそ、教える側も変わらなければならない。
力があるからヒーローになれるわけではない。
強い個性を持っているから人を救えるわけでもない。
私は、それを誰よりよく知っている。
最初に緑谷少年を選んだ時、彼には個性がなかったのだから。
「さて」
私は立ち上がる。
明日の授業で使う資料がまだ残っている。
帰宅してまで仕事をする必要はないのだが、少し確認しておきたい。
ヒーロー基礎学。
救助判断についての授業だ。
強い力をどう使うかではない。
いつ使うか。
どこまで使うか。
使わない方がいい状況は何か。
昔の私なら、身体で覚えろと言ってしまったかもしれない。
今ならもう少し上手く教えられる。
たぶん。
端末へ資料を表示する。
その横には、先ほどのニュース記事がまだ残っていた。
トップヒーロー・デク。
その文字を見る。
かつて、私は平和の象徴だった。
そうあるべきだと思っていた。
誰もが私を見れば安心できる存在。
悪人が私の名前を聞けば犯罪を諦めるほどの存在。
その役目を終えることが、昔は怖かった。
私がいなくなった後、社会はどうなる。
誰が人々を守る。
誰が次の象徴になる。
だから後継者を探した。
ワン・フォー・オールを託した。
だが、今なら分かる。
緑谷少年は、私になる必要などなかった。
彼は私を越えて、自分のヒーローになった。
そして彼だけではない。
多くのヒーローがいる。
警察がいる。
救助に携わる人々がいる。
支える技術者たちがいる。
昔よりも、人を守る方法そのものが増えた。
私一人が全部を背負う必要はない。
もう、その時代ではないのだ。
私は画面の中の緑谷少年を見る。
「君に力を託して、本当によかった」
今でも、彼を助けることはできる。
もし相談されたら話を聞こう。
助けを求められたら駆けつけよう。
教師として、生徒たちを育てよう。
そして、目の前で誰かが困っていれば――たぶん私は、これからも考えるより先に身体が動く。
そこだけは一生変わらない気がする。
だが、第一線へ戻って、彼らの前に立つ必要はない。
後継者を導くという私の役目は、もう終わった。
それは引退した時よりもずっと穏やかで、誇らしい終わりだった。
私はニュース画面を閉じる。
明日の授業資料を開き直した。
今の私には、今の私の仕事がある。
そして明日も雄英には、ヒーローを目指す若者たちがやって来る。
私は彼らを迎えるため、授業の準備を始めた。