無個性は個性をつくる 作:匿名希望
騎馬戦が終わった後、私は最初に指輪の状態を確認した。
八百万百、常闇踏陰、物間寧人。三人分の血液は、それぞれ分離された区画に残っている。個性因子の状態にも、今のところ異常はない。
ここまでは予定通りだった。問題は、この後だった。
体育祭はまだ続く。決勝トーナメントへ進めば、さらに多くの個性を近距離で見ることができる。場合によっては、また試料を取れるかもしれない。それ自体には研究上の価値がある。
ただし、私は指輪を見る。
この中に入っている三つは、それより価値が高かった。少なくとも現時点ではそう判断している。
『創造』、『黒影』、『コピー』。
同じものをもう一度採取できる保証はない。この指輪を装着したまま決勝トーナメントへ出れば、衝撃を受ける可能性がある。
破損、落下、熱、相手の個性による損傷。競技中なのだから、どれも十分あり得る。
もちろん保護する方法はある。だが、持ち込まなければそもそも危険にさらされない。
追加で何か面白い個性因子が手に入る可能性と、すでに得た重要な三因子を失う可能性。比較するまでもなかった。
「保管した方がいいですね」
決勝トーナメント前には、レクリエーションの時間がある。参加は必須ではない。なら、今のうちに処理できる。
◇ ◇ ◇
私は競技場から校舎側へ戻った。
個人用ロッカーを開ける。体育祭中なので、人の出入りは普段より多い。それでも、競技中に身につけておくよりは安全だった。
まず指輪を外す。次に、別の小型装備を取り出した。これも体育祭用に持ち込んだ人工個性装備の一つだ。
発動させる。対象は指輪。
保護用の個性が作用する。外見上、大きな変化はない。指輪の周囲へ薄い保護作用が定着したことを、個性因子知覚で確認する。
これで予期しない衝撃程度なら、保存部まで簡単に壊れることはない。もちろん、絶対に破壊されないわけではない。
だから、さらにケースへ入れる。固定してロッカーへ収納し、施錠。確認のためもう一度開ける。位置に問題なし。再度施錠。
「これでいいですね」
競技場へ持ち戻す理由はない。採血用の指輪そのものも、ここへ置いていく。
これ以上の因子採取は、あれば便利という程度だ。三つの重要因子を確保した今、追加試料はおまけに近い。おまけのために本命を失うのは合理的ではなかった。
私は他の装備を確認する。
光操作ベルト、正常。浮遊、ジェット、その他の小型装備も問題なし。
決勝トーナメントでは一対一になる。採取より、装備の実戦試験として使えばいい。
◇ ◇ ◇
競技場へ戻る途中、歓声が聞こえていた。レクリエーションが続いている。
私は参加しなかった。観客を楽しませるための行事としては意味があるのだろう。私がそこへ参加しても、研究上得るものは少ない。その時間で装備を確認した方がいい。
待機場所へ戻る。しばらくすると、決勝トーナメントへ進む生徒が集められた。
その場で、尾白さんが手を上げた。
「辞退します」
少し空気が変わる。続いて庄田さんも辞退を申し出た。
理由は理解できた。二人とも、騎馬戦を自分の意思で戦っていない。最初から心操さんの洗脳下にあった。その心操さんも途中から私の指示下だった。
競技規則に違反したわけではない。個性を使っただけだ。だから結果そのものは有効。
ただし、二人にとっては別らしい。自分の意思で勝ち上がっていない状態で、決勝トーナメントへ進むことを受け入れたくない。
私は特に止めなかった。本人が辞退したいなら、その判断を変えさせる理由がない。
心操さんが少し居心地悪そうな顔をしていた。私も原因の一部ではある。ただ、競技中は必要だった。今はもう解除している。それだけだ。
辞退によって空いた枠には、騎馬戦の結果から追加の選手が入ることになった。その後、対戦組み合わせが決まる。
私の名前。対戦相手は、芦戸三奈。
「芦戸さんですか」
障害物競走でも見ている。ピンク色の皮膚、高い身体能力、そして酸。
酸性度だけではなく、扱い方を調整できるように見えた。床へ分泌して滑走にも使っている。一対一では厄介な相手だと思う。
特に今回は、私は腰のベルトを見る。
装備へ酸を付着させられれば、普通に壊れる可能性がある。人工個性因子そのもの以前に、ケースや制御機構を腐食させられる。相性が悪い部分はある。
同時に、こちらにも距離がある。開始直後から近接を許す必要はない。
やり方はいくつかあった。
◇ ◇ ◇
先にいくつかの試合が進む。私は待機場所から見る。
一対一になると、個性の特徴が騎馬戦より分かりやすい。精神干渉、氷、植物、機械。それぞれ。
ただ、血液採取用の指輪はもうロッカーにある。面白い個性が見つかっても、今日は観察だけ。それで構わない。
私の試合が近づく。
ベルトの出力制限を確認。照明、閃光、レーザー、光弾、造形、壁、足場、鞭、刃。すべて作動可能。
ただし、人へ向ける以上は出力を制限する。相手を切る必要はない。
競技の勝利条件は、気絶させることだけではない。場外、行動不能、降参。なら、危険な出力を使う理由はない。
呼ばれた。私は競技場へ出た。
反対側から芦戸さんも入ってくる。
「よろしくね、空木くん!」
「はい。よろしくお願いします」
芦戸さんは軽く身体を動かしている。緊張しているようには見えない。
私のベルトへ視線を向けた。
「騎馬戦で使ってた光のやつ、それだよね?」
「そうです」
「ふーん」
目線がベルトから離れない。
狙われる。そう考えた方がいい。
騎馬戦を見ていれば、私の主装備がここだと分かる。隠していない。そして芦戸さんの個性は、機械装備へ対して非常に有効だ。
合理的なら、本人より先にベルトを壊す。その前提で動けばいい。
開始位置へ立つ。ミッドナイト先生が確認する。
『空木零司対、芦戸三奈!』
歓声。
『スタート!』
芦戸さんが先に動いた。
◇ ◇ ◇
速い。
足元へ酸を出し、そのまま滑る。走るより滑らかに加速している。直線ではなく、左右へ軌道を変える。
私はベルトを起動した。光を一点へ集める。
低出力。細いレーザーを芦戸さんの前方へ撃つ。本人には当てない。進路を限定するためだ。
芦戸さんが身体を傾ける。避ける。すぐに反対方向へ。
「やっぱ遠距離か!」
「その方が合理的ですので」
二射目。避ける。三射目。また避ける。
騎馬戦で見た通り、身体の制御が上手い。酸を滑走に使うことで、普通の走行より切り返しが速い。しかも、私の射線を見てから避けている。
単純にレーザーを連射しても当たらない可能性が高い。なら別の形にする。
光を広げる。壁。
芦戸さんの進行方向へ出す。
「うわっ!」
彼女が急旋回する。止める必要はない。方向を変えればいい。
もう一枚。反対側。進路を狭くする。
芦戸さんはその間を滑って抜ける。上手い。ただし、選択肢は減った。
私は光の足場を自分の足元へ作る。一段、上へ移動。床へ酸を撒かれても直接踏まなくていい。
芦戸さんがこちらを見る。
「それもできるの!?」
「できます」
「何でもありじゃん!」
何でもではない。同じ光操作の範囲だ。
芦戸さんが腕を振る。酸が飛ぶ。
狙いは私、ではない。ベルト。
予測通りだった。
私は光の板を斜めに作る。酸が当たり、表面を流れる。物理的に固定した光の面なので、腐食する材料がない。液体が横へ逸れ、床へ落ちる。
芦戸さんが舌打ちまではしなかったが、表情が変わった。
「そこ守るんだ」
「壊されると困りますから」
「じゃあやっぱそこが弱点!」
「装備ですからね」
隠す意味もない。装備は壊れる。それが普通だ。
だから守る。
◇ ◇ ◇
芦戸さんがさらに酸を撒いた。今度は広い。
直接こちらへ投げるのではない。周囲の床。足場を奪う意図だと思う。私が地上を移動すれば、踏める場所を減らせる。同時に滑走用の経路にもなる。
自分に有利な地形へ変えている。良い使い方だった。
私は一度、浮遊を使おうとしてやめた。使えば簡単だ。ただ、この試合では光操作を試したい。なら、光で処理する。
足元へ板。一枚、二枚、三枚。必要な場所にだけ足場を作る。
私はそこを歩く。床には触れない。
芦戸さんが笑った。
「床そのもの作るの!?」
「小さな足場だけです」
「十分ずるいって!」
禁止されてはいない。
芦戸さんが速度を上げる。酸の上を滑走し、こちらへ近づく。
レーザーでは追いきれない。なら光弾。
一点射ではなく、複数。威力は低い。当てても打撲程度に抑える。
正面、左、右。同時には撃たない。逃げる方向を順番に消す。
一発目。芦戸さんは右へ。そこへ二発目。左へ切り返す。三発目をその先へ。
芦戸さんが急停止する。
動きが止まった一瞬、光の壁を前へ。後ろにも一枚。左右は開けてある。完全に閉じ込める必要はない。
芦戸さんは横へ抜ける。予想通り。
酸滑走は前後の加速に強い。急な横移動もできる。それを何度か見た。次にどの程度曲がれるかも、だいたい分かった。
「もう一度」
私は壁を配置する。今度は角度を変える。
芦戸さんが空いた方向へ滑る。そこに、細い光の壁。直前まで出さない。
「うおっと!」
芦戸さんが身体を倒す。避けた。ただし速度が落ちる。
私はそこで閃光を使った。強すぎない。一瞬だけ視界を奪う。
「まぶしっ!」
芦戸さんの腕が目元へ上がる。その間に距離を詰める。
◇ ◇ ◇
近接戦闘をするためではない。
芦戸さんの方が身体能力は高い。わざわざ殴り合う理由はない。
私は彼女の横へ光の壁を出す。反対側にも。通路状にする。
芦戸さんが視界を戻した。前へ滑ろうとする。
私は後方の壁を消す。前方へ光弾。
避けるため、彼女は後ろへ下がる。一歩、二歩。
境界線までの距離を見る。まだある。
芦戸さんも気付いた。
「場外狙い?」
「その方が安全です」
「させないよ!」
酸が飛ぶ。今度は広く。
私は正面の壁を消し、別の角度に作り直す。酸を受け流す。一部が袖へ飛ぶ。すぐ外側の布地が変色した。
「なるほど」
十分な腐食性がある。直接皮膚へ大量に受けるのは避けた方がいい。
芦戸さんはその隙に横へ抜けた。包囲を脱出。
やはり簡単には出てくれない。こちらの壁の出現位置を見て、隙間を判断している。
私は距離を取り直した。
「結構しつこいですね」
「そりゃ勝ちたいもん!」
正常な反応だと思う。
私は勝利そのものを目的にしていない。芦戸さんは違う。だから手を抜く理由もない。
むしろ相手が勝つために最適な行動をしてくれた方が、装備試験として価値がある。
芦戸さんが再び滑走する。今度は低い姿勢。酸を左右へ散らしながら迫る。
私の足場を狙っている。
液体が光の面へ乗る。腐食はしない。ただし滑る。
これは問題になる。
私は今乗っている足場を消した。同時に少し前へ新しい足場を生成。踏み替える。
芦戸さんの手がベルトへ伸びる。近い。
光の短い棒を作り、間へ入れる。芦戸さんの腕が止まる。
私はその棒を長くする。押す。
芦戸さんが後ろへ滑る。
「うわっ!」
酸で滑りやすくなった床が、今回は彼女に不利に働く。踏ん張れない。
ただし倒れない。身体を捻り、横へ逃がす。上手い。
私はその逃げる先へ壁を置いた。光の板。
芦戸さんが止まる。さらに反対側。
今度は逃げ道が一つ。境界線方向。
彼女も気付いた。前へ出ようとする。
私は光弾を撃つ。回避。後ろへ。
境界線が近づく。
「くっそー!」
芦戸さんが酸を大量に前へ放つ。壁そのものではなく、私の視界を遮るように広げた。合理的だった。
私は光量を上げる。酸の幕の向こう側を完全には見られない。
なら、広い面で処理する。
光の壁を大きく展開する。酸が当たり、横へ流れる。
そのまま壁を前へ動かす。芦戸さんが押される。
直接高速でぶつけない。一定速度。人を押し出すだけ。
芦戸さんは壁へ手をつき、横へ逃げようとする。そこには先ほどの光壁が残っている。反対側も同じ。
後ろは境界。
「これ、逃げ道ないじゃん!」
「そうなるように置きました」
芦戸さんが床へ酸を出し、一気に横へ滑ろうとする。
私はその瞬間だけ横壁の角度を変える。抜けられると思った方向が塞がる。
速度を殺しきれない。足が境界線を越えた。そのまま身体も外へ出る。
ミッドナイト先生の声。
『芦戸、場外! 空木零司、二回戦進出!』
歓声が上がった。私は光をすべて消した。
◇ ◇ ◇
芦戸さんが起き上がる。怪我はないようだった。
「うわー、負けた!」
「ありがとうございました」
「空木くん、それずるくない!?」
「規定には通っています」
「知ってる! そういう意味じゃない!」
意味が違うらしい。
芦戸さんが私のベルトを見る。
「光ってレーザーだけじゃないんだね」
「この装備では、生成した光の形状と性質をある程度制御できます」
「壁まで作るとは思わなかった」
「騎馬戦でも使っていましたよ」
「見てたけど、自分で相手にすると全然違う!」
それはそうだろう。観察と体験は別だ。
芦戸さんは袖の変色した部分を見る。
「酸ちょっと当たってたけど、大丈夫?」
「服だけです。問題ありません」
「ベルトに当てたかったんだけどなー」
やはり狙っていた。
「それは困るので防ぎました」
「次あったら絶対溶かす!」
「その時は対策します」
「そこは『負けない』とか言わない?」
「必要なら勝ちます」
芦戸さんが少し止まってから笑った。
「変なの!」
そうかもしれない。
私は競技場から退場する。
戦闘そのものが楽しかったわけではない。勝ったことにも、大きな感情はない。ただ、装備の実戦データは取れた。
光壁は液体攻撃への遮蔽として機能する。光足場は汚染された地面を回避できる。複数壁による進路制御も有効。閃光と低出力光弾を組み合わせれば、高機動の相手にも行動を制限できる。
改善点もある。足場表面へ液体が乗った場合の滑り、視界を遮られた時の対応、ベルト周囲の局所防護。
後で記録すればいい。
そして何より、騎馬戦で得た三つの試料は今ここにはない。
芦戸さんの酸がベルトへ届く可能性があった以上、指輪をロッカーへ置いてきた判断は正しかった。
もし装着したまま戦っていたら、守る対象が一つ増える。行動の自由度が下がる。最悪の場合、今日得た三因子を失う。
その代わりに芦戸さんの因子が得られた可能性はある。比較すれば、やはり割に合わない。
『創造』、『黒影』、『コピー』。
あれらは安全な場所にある。
なら、ここから先の試合はさらに気楽だった。
次の相手を確認する。
常闇踏陰。
さっき試料を取ったばかりの相手。そして、黒影が光に弱い可能性は、騎馬戦ですでに確認している。
二回戦も、観察する価値はありそうだった。