無個性は個性をつくる 作:匿名希望
公安へ提出する解析資料をまとめた後も、『巻き戻し』の構造データだけは手元に残した。
依頼で得た試料から解析した情報なので、弾丸そのものや捜査情報を勝手に利用するつもりはない。ただ、個性因子の構造として理解したものまで忘れる理由もなかった。
対象を治すのではなく、以前の状態へ戻す。
あの弾丸では、その性質を個性因子の破砕に利用していた。
でも、本来の構造はもっと広い。
研究室の端末へ解析結果を表示しながら、私は少し考えた。
「そのまま作る必要はありませんね」
元になった『巻き戻し』を、そのまま再現する意味はない。
対象をどこまで戻すか。何を以前の状態と判断するか。どの程度の速度で作用するか。本人の意思と関係なく進み続けるのか。
元の能力には、利用する上で余計な自由度が多い。
私が欲しい用途なら、もっと狭くていい。
自分の身体を、正常な状態へ戻し続ける。
それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
今の私には、個人護衛型がいる。
神野の後には個性因子への強制干渉も対策した。精神干渉への防御も以前から持っている。
だから、普通に生活していて危険へ遭遇する可能性はかなり低い。
それでも、身体そのものは普通に壊れる。
刃物で切れば傷ができる。強い衝撃なら骨も折れる。内臓や神経が損傷すれば、当然それだけ機能が落ちる。
護衛を持っているからといって、攻撃が絶対に届かないとは限らない。
それに、事故や病気まで護衛が防ぐわけではない。
なら、損傷した後に治療するより、正常な状態へ自動的に戻る構造を身体そのものへ入れておいた方が簡単だった。
設計方針を決める。
元の『巻き戻し』は、対象の状態を過去側へ移動させる。
そこから必要な部分だけを取り出す。
時間を無制限に遡らせない。任意の過去を探さない。対象も自分だけに固定する。
基準にするのは、現在の正常な身体状態。
そこから外れた変化だけを検出して、正常側へ戻す。
ただし、すべての変化を拒否すると困る。
食事をしても戻る。筋肉を動かしても戻る。髪を切っても戻る。研究中に身体を少し動かしただけでも「以前と違う」と判断する。
それでは使えない。
必要なのは、静止した一枚の状態へ固定することではない。
正常範囲そのものを維持することだった。
◇ ◇ ◇
私は試験用の人工身体を作り、そこへ最初の設計を入れた。
基準となる身体構造を記録する。ただし、姿勢や血液量、消化状態、細胞単位の瞬間的な配置まで固定しない。
正常な組織構造。
正常な臓器機能。
正常な神経接続。
正常な骨格。
正常な代謝。
それらが許容範囲内なら何もしない。
損傷や病的変化によって範囲を外れた時だけ、『巻き戻し』を使って戻す。
まず小さな組織損傷。
復元。
次に骨格の損傷。
元の形状へ戻る。
筋組織、血管、神経。
順番に確認する。
単に傷口を塞いでいるわけではない。破損した部分を新しく作り足しているわけでもない。
損傷が存在しなかった状態へ戻っている。
欠損させた部位も試す。
失われた側だけを生成するのではなく、身体全体の状態を参照しながら、本来そこに存在していた構造へ戻る。
「これなら再生とは少し違いますね」
再生能力なら、失った組織をもう一度作る。
今回のものは、失ったという変化自体を巻き戻す。
結果だけ見れば似ている。
でも、仕組みは違う。
◇ ◇ ◇
問題もあった。
状態固定を強くしすぎると、正常な変化まで消える。
疲労。
これは消してもよさそうに見えるが、今の段階で全部を無視する必要はない。
筋肉の成長。
身長。
加齢。
免疫反応。
それらも身体の変化だ。
特に成長を完全に止めると、今後ずっと現在の身体のままになる。
それ自体に大きな問題はない。
ただ、固定しかできない設計にする理由もない。
私は条件を追加した。
通常状態では、身体を現在の健常な年齢帯に維持する。
必要なら状態固定を解除し、自然な成長を許可できる。
逆に、後から若い状態へ戻すこともできる。設計上は、意図的に年齢方向へ進めることも可能だった。
つまり、老化そのものを不可逆な現象として扱う必要がなくなる。
どの状態を基準にするかを選べばいい。
今の私なら、十五歳から十六歳程度の身体で問題はない。
成長させる必要が出れば、その時に解除すればいい。
「年齢まで管理対象になりますか」
少し面白い。
でも、目的はそこではない。
優先するのは損傷防御だった。
◇ ◇ ◇
次は、病的状態。
細菌やウイルスそのものを消す能力ではないが、感染によって身体側へ生じた異常を正常状態へ戻すことはできる。
毒物も同じだった。
作用を受けて細胞や神経機能が異常になれば、そこを戻せる。
ただし、毒が体内へ残ったままだと、戻した直後からまた作用する。
状態固定だけで押し続ければ、正常と異常の往復を繰り返すことになる。
治せるから防がなくていい、という設計は効率が悪い。
そこで、既存の防御体系も整理する。
精神干渉については、体育祭の頃から使っている防御をそのまま維持する。精神状態まで『巻き戻し』だけに任せる必要はない。
毒、薬物、麻酔、睡眠誘発、麻痺、病原体、神経毒、代謝阻害。
この辺りは、身体へ作用しにくくする防御を別に入れた方がいい。
第一段階で作用を防ぐ。
それでも何かが通った場合は、状態固定で正常へ戻す。
二重にする。
普段の生活を邪魔せず、安全性だけが上がるなら、入れない理由はなかった。
◇ ◇ ◇
設計が固まった後、自分用の人工個性として製造する。
元の『巻き戻し』と同じものではない。
対象は私自身。
正常状態の判定。
異常検知。
局所修復。
全身状態維持。
老化制御。
必要時の固定解除。
それだけに絞る。
余計な対象指定も、他人を過去へ戻す機能も持たせない。
完成した因子を、着脱用の人工個性で自分へ実装する。
個性因子知覚で状態を確認。
異常なし。
既存の個性因子干渉防御とも競合しない。
研究補助系。
人工個性製造系。
個性兵との共有。
全部、正常。
最後に状態固定を有効化する。
身体感覚に大きな変化はなかった。
当然だと思う。
今は怪我をしていない。
正常な身体を正常へ戻す必要はない。
なら、試す。
◇ ◇ ◇
最初は、ごく小さな傷から確認した。
皮膚へ生じた損傷を認識した直後、状態固定が働く。
痛覚が続くより先に、傷が消えた。
血液もほとんど失われていない。
次に、少し深い損傷。
同じ。
筋組織まで影響しても、元へ戻る。
人工身体で十分試験しているので結果自体に驚きはないが、自分の身体で動作することは別に確認する必要がある。
私は測定値を見る。
正常。
次は神経伝達へ一時的な異常を作る。
復元。
局所的な機能低下。
復元。
軽度の薬理的作用。
第一防御でほぼ遮断される。意図的に防御を一部下げた場合でも、状態固定が異常を検出して戻した。
問題なし。
大きな外傷を自分で作る必要はない。
人工身体で、骨折、内臓損傷、欠損、火傷、神経損傷まで既に試している。
同じ構造が自分へ正常に定着しているなら、確認のためだけに無駄な損傷を増やす意味はなかった。
◇ ◇ ◇
状態固定を動かしたまま、しばらく普段通り過ごす。
授業。
研究。
食事。
睡眠。
移動。
全部、問題なし。
必要な生理変化は正常範囲として扱われ、固定が邪魔をしない。
研究室で長時間作業しても、身体へ異常な負荷が残れば自動的に戻される。ただし、今の段階で睡眠や食事そのものまで不要にはしていない。
そこまでやる必要はまだない。
生活を完全に削る設計は、必要になってから考えればいい。
今欲しかったのは、壊れにくい身体ではなく、壊れても正常へ戻る身体だった。
◇ ◇ ◇
個人護衛型の扱いも変えない。
状態固定があれば、護衛はいらない。
そうはならない。
攻撃を受けない方が、受けてから戻すより効率がいい。
個人護衛型は、そもそも攻撃を届かせない。
身体側の防御は、届いた場合に備える。
役割が違う。
精神干渉防御。
個性因子干渉防御。
毒・状態異常防御。
状態固定型『巻き戻し』。
それぞれ別の入口を塞いでいる。
攻撃用の個性を何十個も自分へ積む必要はないが、防御なら話は別だった。
普段は邪魔にならない。
使おうと意識する必要もない。
必要な時だけ自動的に働く。
それで既知の危険を減らせるなら、持っていた方がいい。
◇ ◇ ◇
最後に老化制御を確認する。
もちろん、数日で老化そのものを実測することはできない。
ただ、細胞単位の経時変化と状態遷移を人工身体で加速させれば、設計がどちらへ働くかは確認できる。
基準状態を固定した場合、老化方向への変化は正常範囲を外れた時点で巻き戻される。
固定を解除すれば、自然な経時変化を許可する。
基準を若い側へ変更すれば、そこまで戻せる。
逆に、設定した年齢状態へ進めることもできる。
年齢は、もう一方向にしか進まないものではなくなった。
私は現在の身体を基準として登録する。
当面は、この状態でいい。
十五歳から十六歳程度。
研究をする上で不都合はない。
将来、変える必要が出たら変えればいい。
◇ ◇ ◇
研究記録を更新する。
状態固定型『巻き戻し』。
外傷自動修復。
骨折修復。
内臓損傷修復。
欠損復元。
火傷修復。
神経損傷修復。
病的状態回復。
老化制御。
健常状態維持。
そこまで入力して、私は少し止まった。
通常の外傷なら、これで私が重傷のままになることはほとんどない。
致命傷になり得る損傷でも、能力が正常に働く限りは、その状態が維持される前に戻る。
もちろん、未知の個性や、まだ対策していない発現停止能力まで無条件に防げるとは言えない。
既知の範囲で、という条件は残る。
それでも。
以前より、死ぬ条件はかなり減った。
私は記録の確認を終えた。
「これなら、しばらくは十分ですね」
不死になりたいわけではない。
長生きしたいという感情も、特に強くない。
ただ、研究の途中で身体が壊れて終わるのは不便だった。
壊れても戻るなら、その方がいい。
理由としては、それで十分だった。