無個性は個性をつくる 作:匿名希望
状態固定型の『巻き戻し』を自分へ組み込んでから、数日は特に変化もなく過ぎた。
変化がないこと自体が正常だった。身体へ損傷がなければ状態固定はほとんど動かないし、普段の生活を邪魔することもない。研究室で作業をしている限り、以前との違いを意識する場面はほとんどなかった。
そんな日の途中、リカバリーガールから直接連絡が来た。
「空木、今動けるかい?」
「内容によります」
「重傷者の治療だよ。八斎會の取り締まりで、プロが一人かなり危ないらしい」
八斎會。
少し前に公安から渡された個性消失弾も、同じ組織に関係するものだった。
「出張ですか?」
「ああ。向こうの病院からあたしに治療要請が来た。普通なら一人で行くところなんだけどね」
そこで一度、言葉が切れた。
「あんたにも来てほしい」
「装置ですか?」
「そういうことさ。あれを、死にかけてる患者に使うのは初めてだ」
なるほど。
第46話で完成させた『癒し』用の補助装置は、軽傷から段階的に試験している。理論上は重傷者ほど効果が大きい。患者自身から治療コストを取りすぎず、外部供給で大半を肩代わりできるからだ。
ただし、実際の瀕死患者へ使ったことはない。
「不測の動作がないか見てほしい。あたしは治療に集中する」
「分かりました。同行します」
研究を中断し、必要な機材だけまとめた。
◇ ◇ ◇
移動中に患者の情報を確認する。
サー・ナイトアイ。
プロヒーロー。重傷。
胸腹部を中心とした致命的な損傷。大量出血。内臓にも深刻な損傷がある。さらに片腕を失っている。
現地では通常の救命処置が行われているが、それだけでは予後がかなり厳しいらしい。
「腕まで戻せますか?」
車内でリカバリーガールに聞かれた。
「今回の装置では無理です」
「即答だね」
「装置は先生の『癒し』が元々できる治療を補助するものです。患者の体力不足を外部供給で補うだけなので、『癒し』自体にない機能は追加されません」
欠損そのものを完全に再生する治療法なら、今の私には別の方法がある。
自分用の状態固定型『巻き戻し』も、欠損復元まで対応している。
ただし、あれは私自身へ固定した設計だ。他人を治すための装置ではない。
今回依頼されているのは、リカバリーガールの治療を安全に成立させることだった。
「まず、生かすことですね」
「ああ。それで十分だよ」
◇ ◇ ◇
病院へ着いた時、状況は想像していたより悪かった。
手術室へ運び込まれたナイトアイの身体には、既に複数の処置が施されている。それでも測定値は安定しているとは言い難い。
私は治療装置を接続する。
患者側状態測定。
外部供給ユニット。
蓄積部。
電源接続。
『癒し』発現検出。
全部正常。
「いつでも使えます」
「じゃあ始めるよ」
リカバリーガールがナイトアイへ『癒し』を使う。
装置側の数値が一気に動いた。
患者の身体が要求する治療コストを検出し、外部供給へ振り分ける。最初から割合は高めに設定してある。
今の状態で、患者自身へ大部分を負担させる意味はない。
消費量が増える。
外部供給が追従する。
正常。
供給変換。
正常。
患者側の代謝負荷。
許容範囲。
治癒速度。
維持。
私は表示される数値を順に確認する。
装置は予定通り動いている。
当然だった。
設計時点で重傷例を想定している。人工身体を使った高負荷試験もしているし、軽傷者を使った実運用試験も終わっていた。
違いは、目の前の患者が失敗すれば死亡する可能性のある人間だということくらいだった。
その違いで装置の構造が変わるわけではない。
◇ ◇ ◇
治療はすぐには終わらなかった。
軽い負傷なら短時間で済むが、今回の損傷量は大きい。
損傷した組織が少しずつ修復されていく。
血管。
筋肉。
内臓。
胸腹部に生じていた大きな損傷も、『癒し』によって治癒が進む。
そのたびに必要なエネルギーが増えるが、患者本人の消耗は以前の『癒し』より明らかに抑えられていた。
「外部供給、まだ余裕あるかい?」
「あります。現在の出力なら問題ありません」
「患者の方は?」
「治療負荷による消耗は安全域です。出血と元々の損傷については、そちらの治療に合わせて改善しています」
「なら続けるよ」
「はい」
リカバリーガールは治療を続ける。
私は装置を監視する。
そして、その一方でナイトアイ本人も見ていた。
正確には。
個性因子を。
◇ ◇ ◇
最初は、特に研究するつもりではなかった。
目の前に患者がいる。
私の役割は装置監視。
それは変わらない。
ただ、装置の動作は安定している。
異常検出も自動化してあるし、供給変動も想定範囲に収まっていた。私が数秒ごとに表示を凝視し続けなければ動かないような作りにはしていない。
それなら、空いている処理を別の観察へ使っても支障はない。
二つのことを同時に考えるのは、別に難しくなかった。
装置の状態を追いながら、個性因子知覚をナイトアイへ向ける。
個性がある。
当然だ。
サー・ナイトアイの個性については、公開されている範囲なら知っている。
『予知』。
対象へ触れ、目を合わせることで、その人間の未来を長時間にわたって見ることができる。
ただし、本人が今ここで『予知』を使っているわけではない。
通常なら、それで終わりだった。
私の解析は、十分な発現情報を観察するのが一番早い。
実際に能力を使ってもらい、入力、出力、条件、身体側の変化を見る。
その方が効率がいい。
でも。
今は時間がある。
私はもう少し深く、個性因子そのものを観察してみた。
◇ ◇ ◇
個性因子知覚を一段深く使う。
存在を見る。
配置を見る。
身体との接続を見る。
そこから、細部へ。
発現経路。
入力側。
出力側。
条件判断。
情報処理。
普通なら、発動した時の変化と照らし合わせて埋めていく部分を、構造そのものから逆算する。
数分。
まだ足りない。
十分。
二十分。
少しずつ分かる。
装置側では外部供給率が変動した。
私は同時に調整する。
「供給を少し上げます」
「任せたよ」
「はい」
設定変更。
治療負荷。
安定。
そのまま個性因子の観察へ戻る。
別に一方を止める必要はない。
◇ ◇ ◇
三十分を越えた頃には、『予知』の輪郭がかなり見えてきた。
発現条件は公開情報と一致している。
接触。
視線。
特定対象との接続。
そこから対象個人に紐づく未来情報へアクセスする。
見える未来は、単純な視覚映像ではない。
対象を中心にした未来の出来事を、かなり長い時間軸で取得する構造。
同時に制限もある。
発動条件。
対象数。
再使用。
情報の扱い。
細かい部分を、因子構造から順に解いていく。
実際の発動を見ていない以上、数分の観察では推定止まりだったと思う。
でも、時間をかければ違った。
至近距離から。
同じ個性因子を。
長時間。
変化しない基礎構造まで含めて観察し続ける。
一時間近く経つ頃には、ほぼ全体が繋がった。
「なるほど」
小さく声が出た。
リカバリーガールがこちらを見る。
「何かあったかい?」
「いえ。装置は正常です」
嘘ではない。
実際、装置は正常だった。
◇ ◇ ◇
少し意外だった。
これまで私は、未知の個性を詳しく知りたければ発現を見るのが基本だと考えていた。
それ自体は間違っていない。
発動してもらえば圧倒的に早い。
数秒、数分で必要な情報が揃うものを、一時間近く同じ人間の個性因子へ集中して解析する理由は普通ない。
効率が悪い。
でも、できないわけではなかったらしい。
十分近い位置から、十分長い時間をかけて、因子そのものを詳細に追えば、発現を見なくても構造を逆算できる。
今回のように、患者が長時間動かず、私もそばにいる必要がある状況なら成立する。
普段使う方法ではない。
時間の無駄だからだ。
ただ。
本人に個性を使ってもらう必要がない。
解析していることを伝える必要もない。
そういう意味では、少し便利かもしれない。
私は解析結果を記憶しておく。
同等の『予知』を作ろうと思えば、もう作れる。
でも。
今のところ、作る理由はない。
未来を見る必要がある研究も思いつかない。
なら、保留でいい。
◇ ◇ ◇
治療開始から一時間ほど経った頃、ナイトアイの状態は明確に変わっていた。
最初に表示されていた致命的な数値が、一つずつ安全側へ戻っている。
内臓損傷。
改善。
大量出血による循環不全。
補液や輸血と並行して安定。
胸腹部の損傷。
修復。
患者本人の体力消耗。
想定範囲内。
外部供給量は大きかったが、装置側にはまだ余裕がある。
リカバリーガールが手を離した。
「ここまでだね」
私は測定値を確認する。
生命維持。
安定。
即時に死亡する状態ではない。
残っている問題はある。
失った腕は戻っていない。
今回の『癒し』と補助装置は、そこまで治療するものではない。
ただ、致命傷だった身体は生存できるところまで戻った。
「装置側に異常はありません。高負荷運転でも設計通りでした」
「患者は?」
「現在の数値なら、少なくとも治療前のような致死状態ではありません」
リカバリーガールが息を吐いた。
「なら、成功だね」
「そうですね」
重傷者への初実用。
問題なし。
想定通り。
私としては、それが確認できれば十分だった。
◇ ◇ ◇
帰り道。
リカバリーガールが、隣で少し疲れたように座っていた。
「よく持ったよ、あの装置」
「その負荷で動くように作りましたから」
「もうちょっと喜んでもいいんじゃないかい。今までなら助けられなかったかもしれない患者だよ」
「治療できるように作った装置が治療できたので、正常だと思います」
「……あんたはそういう子だったね」
ただ、今回の結果は有用だった。
軽傷試験だけでは確認できなかった、高負荷時の実測データが取れた。外部供給の上限設定も、もう少し調整できる。
それと。
『予知』。
こちらは依頼とは無関係だったが、別の発見もあった。
個性因子そのものを長時間、至近距離で詳細に観察すれば、発現を見なくても解析できる場合がある。
毎回一時間近くかけるくらいなら、普通に個性を使ってもらった方が早い。
研究方法として主流にする価値はない。
でも、相手へ解析を頼めない場合には使えるかもしれない。
「どうしたんだい?」
「いえ。少し別の確認ができただけです」
「また研究かい」
「はい」
リカバリーガールは呆れたようだった。
私は特に気にせず、端末へ今回の装置運用結果だけを入力した。
『予知』の方は、自分の研究記録へ入れておけばいい。
◇ ◇ ◇
翌日、研究室で高負荷運転のデータを整理する。
改良『癒し』装置。
瀕死患者への使用。
外部エネルギー供給、正常。
患者側負荷制御、正常。
治療中断を要する異常、なし。
死亡回避。
腕欠損は残存。
想定していた範囲と一致している。
これで、重傷者にも実用できることが確認できた。
今後、同程度の患者が出ても、毎回私が同行する必要はないだろう。
装置に問題はなかった。
そして、ナイトアイの『予知』も理解した。
同じ個性を作ることもできる。
私は少しだけ考えて、その設計は作らなかった。
未来が見える。
珍しい個性ではある。
研究対象としては十分面白い。
でも、自分で使いたいかは別だった。
今のところ、必要はない。
必要になった時に作ればいい。
私は『予知』の解析データを保存し、次の作業へ移った。