無個性は個性をつくる 作:匿名希望
通形さんの『透過』を戻してから数日後、学校を通して新しい相談が来た。
内容を聞いた時点で、研究対象としての興味はあまり湧かなかった。
「『巻き戻し』の暴走を止める方法、ですか」
「そうだよ」
根津校長が頷く。
相談の対象は、死穢八斎會から保護された少女だった。
エリ。
公安から預かった個性消失弾を解析した時、その材料になっていた個性因子の構造は既に把握している。生体の状態を過去側へ戻す『巻き戻し』。弾丸へ加工された痕跡だけでも、本来の能力までかなり高い精度で解析できた。
同等の人工個性も、作ろうと思えば作れる。
さらに私はそこから、自分用の状態固定型まで設計済みだった。
つまり、『巻き戻し』という個性そのものについて、新しく本人を調べなければ分からないことはほとんどない。
「本人の個性がまだ安定していなくてね。保護後も、再び暴走する可能性が否定できないんだ」
「現在はどう対応しているんですか?」
「相澤君に協力してもらっているよ」
それなら理解できる。
相澤先生の『抹消』なら、発動中の個性を止められる。
ただし、相澤先生が常に目を開けてエリを見続けることはできない。可能な限り近くにいるとしても、人間一人へ安全装置の役割を恒常的に依存するのは効率が悪い。
「空木君なら、何か別の安全策を作れないかな?」
私は少し考えた。
研究上の新規性は低い。
断っても大きな損失はない。
ただ、学校からの正式な相談だった。
今のところ、雄英を辞める予定はない。研究室も使っているし、自宅研究拠点についても学校側と特別な運用を組んでいる。
その環境を維持するつもりなら、対応できる依頼を理由なく断って余計な波風を立てる方が面倒だった。
「分かりました。一度、本人を見ます」
「助かるよ」
依頼を受ける理由としては、それで十分だった。
◇ ◇ ◇
病院の個室へ案内される。
部屋にはエリと相澤先生がいた。
エリはベッドの上に座っている。死穢八斎會にいた頃の傷は治療されているが、表情にはまだ緊張が残っていた。
相澤先生はベッドの近くの椅子へ座っている。
私を見る。
「空木か」
「はい。今回の検査を担当します」
「話は聞いてる」
エリがこちらを見る。
私は少し距離を空けた位置で止まった。
「空木零司です。今日は、あなたの個性が勝手に強く動いた時に止める方法を調べます」
エリは小さく頷く。
「……いたい?」
「検査だけなら、基本的には痛くありません」
少なくとも今日は個性因子を摘出する予定ではない。
観察と測定だけだ。
相澤先生が補足する。
「嫌なことがあったら言え。途中でも止める」
「うん」
それを確認してから、私は機器を準備した。
◇ ◇ ◇
『巻き戻し』自体を見る必要は、ほとんどなかった。
構造は知っている。
確認したいのは、エリ本人と『巻き戻し』の接続だった。
個性因子知覚を使う。
身体。
個性因子。
発現経路。
両者を結ぶ構造。
そして、角。
公開されている情報と実際の状態を合わせて見る。
「発動させる必要はあるか?」
相澤先生が聞く。
「いえ。今回は必要ありません」
「もう分かるのか」
「個性そのものは以前解析しています。今日は本人との接続を見るだけです」
相澤先生の目が少し細くなる。
「以前?」
「個性を壊す弾丸からです」
「あれだけで?」
「因子そのものが材料として残っていましたから」
エリが少し身体を縮めた。
弾丸の話はあまりしない方がよさそうだ。
説明に必要でもない。
私はそれ以上触れず、検査を続ける。
『巻き戻し』は身体へ存在している。
個性そのものに損傷はない。
問題は制御側だった。
エリ本人が出力を十分に扱えない。
発動量の調節。
停止。
対象への作用。
その辺りが、本人の意思だけでは安定していない。
強い発動が始まった場合、自分で止められない可能性がある。
「なるほど」
原因としては想定通りだった。
◇ ◇ ◇
「何か分かったか?」
「はい」
私は測定結果を表示する。
「個性そのものが壊れているわけではありません。本人の身体との適合にも大きな問題はありません。ただ、発現した『巻き戻し』を自分の意思で制御する部分が未成熟です」
相澤先生が画面を見る。
「訓練でどうにかなるか?」
「可能性はあります。ただ、訓練で安定するまでの安全策が必要だという話ですよね」
「ああ」
だったら難しくない。
私は個性と身体の接続部分を見る。
神野以降、この部分を扱うことには慣れている。
AFOから学んだ摘出。
自分の個性の着脱。
通形さんの『透過』の摘出と再移植。
既に実績もある。
「なら、暴走時に外せばいいと思います」
相澤先生がこちらを見る。
エリもよく分からないという顔をしている。
「何をだ」
「『巻き戻し』をです」
数秒、沈黙した。
「……個性を?」
「はい」
◇ ◇ ◇
私はもう少し具体的に説明する。
「『巻き戻し』が暴走する前には、個性因子側の発現状態が変化します。出力が急激に上がり、本人の制御範囲から外れ始める。そこを装置で常時監視します」
エリ本人が意識して操作する必要はない。
個性因子と身体の接続状態を測定し続ける。
通常の発現なら何もしない。
危険域へ入った時だけ作動する。
「暴走条件を検出した場合、個性因子を身体から切り離します。摘出した因子は装置側で保存しておけばいいので、危険がなくなった後で再移植できます」
「待て」
相澤先生が止めた。
「そんな簡単に言うが、個性を外すんだぞ」
「できますよ」
「できるかどうかを聞いてるんじゃない」
なるほど。
技術より運用の話らしい。
「安全性ですか?」
「それもある」
相澤先生はエリを見る。
「こいつが暴走するたびに、自分の個性を身体から抜かれることになる」
「そうですね」
私はもう一度エリの個性因子を見る。
摘出自体は難しくない。
『巻き戻し』は一つの個性として正常に成立している。通形さんのように全身へ壊れた破片が散っているわけでもないので、むしろ作業は簡単だ。
「摘出による身体への影響は抑えられます。保存したままにしておく必要もありません。状態が安定した後、すぐ戻せます」
「そういう意味じゃない」
少し違うらしい。
私は説明を待つ。
◇ ◇ ◇
相澤先生は、機器の画面を見ながら言った。
「暴走を止めたいだけだ」
「はい」
「個性を失わせたいわけじゃない」
「一時的に外すだけです」
「それでも一度は外す」
そこに問題があるらしい。
私にとっては、外して戻すことに大きな意味の違いはない。
壊さない。
保存する。
必要になれば戻す。
安全装置としてはかなり確実だ。
特に『巻き戻し』は、暴走時の影響が大きい。
対象をどこまで戻すか制御できない状態で発動が続けば、止めるまでに大きな被害が出る可能性がある。
なら、発動元を身体から切り離せば止まる。
単純で確実だった。
「装置は小型化できます」
私は続ける。
「常時装着できる程度にします。平常時は監視だけで、本人の発現には干渉しません。設定した危険域を超えた場合のみ、因子との接続を解除して保存します」
「誤作動したら?」
「再移植すれば戻ります」
「だから、その発想がもうお前基準なんだよ」
相澤先生が少し眉間を押さえた。
何か問題があるだろうか。
通形さんでは実際に一度すべて摘出し、体外で三日間修復してから戻した。
それと比べれば、正常な因子を一時保存するだけならかなり安全性は高い。
「少なくとも、暴走を確実に止めるという目的には合っています」
「確実なのは分かった」
相澤先生は否定しなかった。
「ただ、もっと軽い方法があるならそっちを使うべきだ」
「例えば?」
「発動だけ止める」
そこで、私は相澤先生を見る。
◇ ◇ ◇
「俺の『抹消』なら、エリの個性が暴走しても止められる」
「そうですね」
実際、それがあるから相澤先生が可能な限りエリの近くにいる。
「だったら、個性を一度身体から外すんじゃなくて、『抹消』みたいに暴走した時だけ発現を止める装置にはできないのか?」
私は少し考えた。
『抹消』。
対象の個性因子を奪わない。
壊さない。
身体との接続も維持する。
その状態で、発現だけを停止させる。
私は相澤先生の顔を見る。
これまで、『抹消』そのものを詳しく研究する必要はなかった。
今の私なら、十分なデータさえあれば構造は理解できる。
そしてエリの安全装置という用途なら、確かに摘出より軽い。
「『抹消』の構造が分かれば可能だと思います」
「なら、そっちを先に考えろ」
相澤先生は眉をしかめたまま言った。
私はもう一度、エリの『巻き戻し』を見る。
外す方法なら、もう作れる。
でも、外さず止められるなら、それでも目的は達成できる。
問題は、その方法をまだ知らないことだけだった。