無個性は個性をつくる 作:匿名希望
公安との契約が成立してから、最初の依頼が来るまでにそれほど時間はかからなかった。
ただし、大規模作戦用の個性兵ではない。
「収監しているヴィランから、情報を引き出せる状態にできないか、ですか」
雄英を通して送られてきた資料を確認する。
対象の名前は黒霧。
ヴィラン連合に所属していた人間で、主に移動と撤退を担当していたらしい。個性は『ワープゲート』。黒い霧のようなものを発生させ、離れた場所を接続する。
USJ襲撃にも参加している。
神野でも確認されている。
その後、捜査の中で捕縛され、現在はタルタロスへ収監されていた。
事情聴取は何度も行われている。
結果はほとんどなし。
ヴィラン連合や死柄木弔について重要な質問をすると、回答を拒否する。それだけなら単純な黙秘だが、資料を見る限り少し違うらしい。
質問によって反応そのものが変化する。
話そうとする様子を見せた直後に停止する場合もある。
記憶障害とも、本人の意思による黙秘とも断定できない。
そして、身体を調査した結果、人間として自然な構造ではないことも判明していた。
脳無。
以前から資料で見ていた人工生物兵器と同系統である可能性が高い。
「なるほど」
依頼内容は分かりやすかった。
黒霧が情報を持っているなら、それを話せない原因があるのか調べる。
原因を取り除けるなら取り除く。
今の契約とも関係している。
黒霧がヴィラン連合の人間なら、現在の超常解放戦線へつながる情報を持っている可能性がある。既存収監者への無関係な施術ではなく、AFOを起点とする勢力への捜査協力になる。
断る理由はなかった。
それに。
私は資料に表示された『ワープゲート』の記録映像をもう一度再生した。
人間をまとめて遠距離へ移動させている。
こちらも少し気になる。
「見に行きましょうか」
私は依頼を受けた。
◇ ◇ ◇
タルタロスへ来るのは初めてだった。
海上に建設された高警備刑務所。
通常の犯罪者ではなく、社会へ重大な危険を及ぼすヴィランを収容するための施設なので、当然ながら内部へ入るまでの手続きも多い。
身分確認。
持ち込み品確認。
公安からの正式な依頼書。
雄英側の承認。
研究機器の申請。
一つずつ処理する。
面倒ではあるが、勝手に入れる場所でもないので仕方がない。
「空木君。今回接触してもらうのは黒霧だけだ」
案内している公安の担当者が言った。
「分かっています」
「オール・フォー・ワンもこの施設に収監されている」
「知っています」
「契約上、彼への施術は――」
「含まれていませんね」
前回確認した内容だ。
必要なら正式に依頼すればいい。
今回は関係ない。
私たちはさらに内部へ進んだ。
複数の隔壁を通る。
一般的な刑務所より、研究施設に近い部分もある。危険な個性を持つ人間を長期間収容する以上、単に頑丈な壁を作れば済むわけではないのだろう。
抑制。
監視。
生命維持。
個性ごとに違う対策。
設備を見るだけでも多少参考にはなる。
もっとも、今は別の対象がある。
しばらくして、隔離された区画へ到着した。
「こちらだ」
厚い観察窓の向こうに、一人の男がいた。
正確には、人間と呼んでいいのか判断しにくい外見だった。
黒い霧が身体を覆っている。
首回りには拘束と抑制を兼ねた装置。
資料で見た通りだった。
黒霧。
私は観察窓へ近づいた。
「個性を少し発動させてもらえますか?」
「危険は?」
「完全な転移をさせる必要はありません。発現時の構造を確認できれば十分です」
担当者が施設側と確認する。
許可された範囲で拘束条件が調整された。
黒霧の周囲に、わずかに黒い霧が増える。
それを見る。
個性因子知覚を通して、発現時の変化を追う。
少しして、私は理解した。
「一つの個性ではありませんね」
「どういう意味だ?」
「複数の個性因子が組み合わされています」
私はもう少し詳しく観察する。
普通に複数個性を持っているのとは違う。
それぞれを独立した能力として使用しているのではなく、複数の因子を接続し、一つの能力として機能させている。
基礎になる因子がある。
そこへ別の構造を追加し、さらに別の構造を重ねる。
最終的に、空間上の二地点を接続し、霧状の領域を通過したものを転送する能力になっている。
「人工個性ですね」
私は言った。
「人工?」
「自然発生した一つの個性には見えません。元になる個性因子へ複数の因子を組み合わせて、一つの機能へまとめています」
少し古いやり方に見える。
私が現在使っている複合人工個性なら、必要な機能を最初から一つの設計としてまとめる。その方が構造を単純化できる。
黒霧の場合は違う。
元々存在した複数の部品を、目的に合わせて組み合わせた形に近い。
ただ、それでこれだけ安定して空間接続を成立させているのなら、十分に高度な技術だった。
「面白いですね」
「そこか?」
公安の担当者が聞く。
「はい。空間転移自体は研究したことがありませんでしたので」
今回の依頼とは別だが、記録は取っておく。
黒霧そのものを作りたいわけではない。
ただ、空間を接続している部分には研究価値がある。
◇ ◇ ◇
次に身体を調べる。
こちらの方が、脳無としては分かりやすかった。
人間由来の組織がある。
そこへ人工的な改造が重ねられている。
神経。
筋肉。
個性因子。
生命維持。
そして脳。
複数の箇所が、本来の身体構造から変更されていた。
「元は人間ですね」
「やはりそうなのか」
「少なくとも、何もないところから作られた生物ではありません」
私は測定結果を確認する。
「元になった人間の身体へ、複数の処置を加えています。生体組織の一部には損傷後に再構成された形跡もありますね」
生きた人間を使ったのか。
死体を使ったのか。
複数人分の組織を混ぜたのか。
それは部位によって違う可能性がある。
脳無というものが、人間を素材にした改造生物だという資料は以前から見ていた。
実物を見ると、構造はさらに分かりやすい。
「君にも作れるのか?」
公安の担当者が聞いた。
「同じようなもの、という意味なら作れますよ」
私は答える。
人体を用意して。
個性を複数入れて。
身体を強化して。
命令へ従うよう脳を加工する。
技術的にはできる。
神野以前なら難しい部分も多かっただろうが、今なら人体から個性を安全に外すことも、入れることもできる。人工個性そのものも設計できる。
「ただ、作る意味はありませんね」
「意味がない?」
「人間を素材にする必要がありません」
私の個性兵なら、人工肉体から作れる。
人格を壊して命令へ従わせる必要もない。最初から任務遂行用の自律OSを搭載すればいい。
死体を確保する必要もない。
生きた人間を加工する必要もない。
身体構造も用途ごとに設計できる。
脳無と同じものを作るより、個性兵を作った方が早い。
「この方式でなければ実現できない機能があるなら別ですが、今見える範囲ではありません」
「……そうか」
担当者は少し複雑そうな顔をした。
比較しているだけなのだが。
まあいい。
今回重要なのは、こちらではない。
「頭部の詳細データを見せてください」
情報を話せない原因を調べる。
◇ ◇ ◇
記憶そのものを読むことはできない。
私の能力は、相手の頭の中に保存されている文章や映像を直接取り出すものではない。
ただし、身体の構造なら調べられる。
神経がどう接続されているか。
どの領域が刺激された時に、どこが反応するか。
どこに人工的な変更が加えられているか。
そこは確認できる。
黒霧には、明らかに不自然な部分があった。
「記憶がないわけではなさそうですね」
「分かるのか?」
「少なくとも、記憶領域を広範囲に破壊している形ではありません」
むしろ逆だった。
残している。
その上で、使い方を制限している。
特定の情報へ近づく。
特定の人物について話す。
特定の記憶を外部へ出そうとする。
そういう反応が起きた時に、別の神経活動が優先される。
思考を止める。
言葉を変更する。
あるいは、別の判断へ誘導する。
「禁則処理に近いですね」
「禁則?」
「話してはいけない内容を決めて、そこへ触れた時だけ別の処理を優先させています」
単なる忠誠心ではない。
少なくとも一部は物理的に組み込まれている。
さらに調べる。
問題はもう一つあった。
黒霧として現在使われている人格構造。
その下に、別の神経接続が残っている。
消されたというより、表へ出ないように押さえ込まれている。
黒霧の判断。
黒霧の記憶。
黒霧の命令優先。
それらが上位へ置かれている。
その下に、古い構造が残っていた。
「二重になっていますね」
「人格が?」
「人格と呼ぶかどうかは、私の専門ではありません。ただ、現在使われている思考系とは別に、以前の神経活動パターンが残っています」
完全に消してから黒霧を作ったわけではない。
元のものを残したまま、新しいものを上から固定している。
その方が作りやすかったのかもしれない。
人間の脳を一から作るより、既にある構造を利用した方が簡単だからだ。
私の個性兵でも、『黒影』から抽出した自律OSを使っている。
方法は違うが、既存構造を流用するという考え方自体は分かる。
「これなら、解除できます」
「記憶を戻せる?」
「正確には、残っているものへアクセスできる状態にします」
失われた記憶を新しく作るわけではない。
存在している接続を復帰させる。
後付けされた禁則処理を外す。
黒霧としての記憶を消す必要もない。
むしろ消すと、今回欲しい情報まで失う可能性がある。
「黒霧として過ごした記憶は残します。その上で、それ以前の記憶や人格を抑えている部分だけ外した方がいいでしょう」
「危険は?」
「段階的にやります」
一度に全部変更する必要はない。
私は施術許可を確認した。
公安から正式な依頼。
タルタロス側の承認。
対象は収監中の危険ヴィラン。
手続き上の問題はない。
なら、始めればいい。
◇ ◇ ◇
最初に禁則処理の一部だけを外した。
黒霧を覚醒させ、同じ質問をする。
死柄木について。
ヴィラン連合について。
以前なら反応が止まっていた内容だ。
「答えられますか?」
黒霧は少し沈黙した。
「……死柄木弔について、でしょうか」
言葉が出た。
ただ、まだ途中で不自然な停止がある。
一つ解除すると、別の抑制が働く。
単純な一層ではない。
複数の条件が重なっている。
重要度の高い情報ほど強い。
「もう少しありますね」
再び停止させる。
構造を確認し、追加で外す。
その過程で、元の神経接続を妨げないようにする。後から追加された部分だけを分離し、必要なら接続を切る。
脳そのものを作り直す必要はない。
本来あった回路を使える状態へ戻すだけだ。
何度か確認する。
反応は安定してきた。
最後に、黒霧としての人格を最優先に固定している部分を調べた。
これは情報の禁則とは少し違う。
判断の基準そのもの。
死柄木を守る。
命令へ従う。
黒霧として行動する。
それらが極端に高い優先度へ設定されている。
その下に、別の反応がある。
こちらを消す理由はない。
私は優先固定だけを外した。
どちらか一方を破壊するのではなく、上から押さえつけている状態をやめる。
黒霧としての経験も。
それ以前の記憶も。
両方を残す。
「これで起こしてください」
私は言った。
◇ ◇ ◇
黒い霧がゆっくり動いた。
最初は反応がない。
それから、周囲を見る。
以前の映像で見た黒霧とは少し違う。
何が違うのかは、表情がほとんど見えないので判断しにくい。
ただ、視線の動きが落ち着いていない。
「聞こえますか?」
「……はい」
声は出る。
「体調に異常は?」
黒霧は少し時間を置いた。
「分かりません」
「頭痛や吐き気はありますか?」
「……いえ」
神経活動も確認する。
異常な負荷はない。
なら、次でいい。
公安が聞きたいことを始める前に、確認しておく。
私は黒霧を見る。
「あなたは誰ですか?」
沈黙した。
数秒。
もっと長い。
黒い霧が小さく揺れる。
「私は……」
一度、そこで止まった。
以前なら『黒霧』と答えていたのだろう。
ただ、今は違う反応が起きている。
奥に残っていた神経活動が広がる。
古い記憶へ接続している。
「俺は……」
口調が変わった。
公安の人間が僅かに動く。
私は待つ。
「白雲」
男は、自分の名前を探すように続けた。
「白雲……朧」
知らない名前だった。
私はその場で端末を検索したりはしない。
今重要なのは、名前の意味ではない。
自分をどう認識しているかだ。
「白雲朧さんですか?」
「……ああ」
返答はある。
「黒霧という名前は分かりますか?」
今度はすぐに反応した。
「分かる」
「誰ですか?」
再び少し間が空く。
「俺だ」
それなら、分離した別人が突然生まれたわけではない。
「黒霧としての記憶はありますか?」
「ああ……ある。死柄木を……守ってた」
公安側の空気が変わった。
「ヴィラン連合について覚えている?」
担当者がすぐに聞く。
白雲と名乗った男は、そちらを見る。
「覚えてる」
「死柄木弔の行動は?」
「全部じゃない。でも、俺が一緒にいた時なら……」
言葉が止まらない。
先ほどまで存在した禁則反応も起きていない。
公安の担当者たちが互いに確認し、すぐ事情聴取へ移る。
「現在の拠点について知っていることは?」
「捕まる前のなら」
「ドクターと呼ばれていた人物は?」
その質問で、白雲の反応が変わった。
ただし停止ではない。
思い出そうとしている。
「いた。先生って呼ばれて……」
情報が出る。
なら、依頼は成功だと思う。
私は横で数分だけ状態を見る。
神経活動に異常はない。
以前の人格情報が表出しても、黒霧として形成された記憶が失われた様子もない。
禁則も解除できている。
これ以上は私の仕事ではなかった。
「では、帰ります」
私が言うと、公安の担当者が振り返った。
「もう?」
「はい」
「まだ事情聴取が始まったばかりだが」
「事情聴取はそちらの仕事でしょう」
私が知りたいのは、装置や個性の構造だ。
ヴィラン連合がどこに何人いるかを、私が直接聞き出す必要はない。
作戦に必要な情報なら、後から公安が整理して渡してくれる。
「情報を話せる状態にはしました。身体的にも今のところ問題ありません。何か異常が出たら連絡してください」
「分かった」
私は測定機器を片付ける。
後ろでは質問が続いていた。
白雲朧。
その名前が誰なのかは公安が調べればいい。
私に必要なのは別の方だった。
◇ ◇ ◇
タルタロスを出た後、移動中に今回の記録を確認した。
脳無の構造。
人格制御。
情報禁則。
どれも研究資料としては価値がある。
ただ、私が同じ方式を使う必要はない。
人間を加工して命令へ従わせるより、人工肉体と自律OSを使った方が設計しやすい。身体も用途に合わせられる。
今回見た中で、最も価値が高かったのはやはり別の部分だった。
『ワープゲート』。
複数の個性因子を組み合わせた人工個性。
霧そのものは転移能力の本質ではない。
重要なのは、離れた二地点を対応させる構造と、その間を通過可能な空間として接続する部分だった。
私は取得した観測データを整理する。
座標の指定。
入口と出口。
接続の維持。
通過物の処理。
距離による変化。
一度に維持できる範囲。
黒霧の身体と発現領域の関係。
まだ確認する部分はある。
ただ、仕組みはかなり見えた。
黒霧と同じものを作る必要はない。
黒い霧もいらない。
元になった複数の個性を、そのまま再現する必要もない。
必要な機能だけを抜き出して、最初から一つの構造として設計すればいい。
「これは使えそうですね」
人を一人移動させるだけでも用途は多い。
個性兵ならさらに相性がいい。
距離を無視して必要な場所へ送れるなら、最初から現地へ大量配置しておく必要もなくなる。
物資も同じだ。
私はそこで考えるのを止めた。
まだ設計していない。
まずは今回得た空間接続の構造を、きちんと整理する必要がある。
研究室へ戻ったら続ければいい。
公安から受けた最初の依頼は終わった。
そして予定していなかったが、次に研究するものも決まった。