無個性は個性をつくる 作:匿名希望
一人暮らしを始めて数日経った。
特に問題は起きていない。
朝起きて、着替え、朝食を作る。学校へ行き、帰宅したら夕食、洗濯や掃除、学校の課題。その後で自分の研究。
一人分しかないので、家事に必要な時間はそれほど長くなかった。料理も同じだった。趣味として凝る必要はない。必要な栄養が取れて、毎日続けられる程度の手間で済めばいい。
今朝は卵と野菜、それに昨夜多めに作ったものを温め直した。洗い物を済ませ、冷蔵庫の中身を確認する。足りなくなりそうなものを携帯端末へ入力する。次に買い物へ行く時にまとめて買えばいい。
「これで終わりですね」
誰もいない台所で言ってから、返事をする相手がいないことに気付いた。別に困らない。
食器を片付け、鞄を持つ。玄関の鍵、火元、電源、窓を確認して家を出た。
一人暮らしと言っても、必要な作業を一人で行うだけだった。今のところ、それ以上でもそれ以下でもない。
◇ ◇ ◇
学校生活の方も、だいたい一定の流れになっていた。
授業を受け、課題を処理する。実習。必要があれば発目さんと技術の話をする。放課後になれば帰る。
たまに発目さんから実習室へ引き留められることもあった。
「空木くん! これ見てください!」
今日もそうだった。作業台の上に、まだ外装もない機械が置かれている。
「何ですか?」
「腕に付ける噴射式姿勢制御装置です!」
「何を噴射するんですか?」
「圧縮空気です!」
「容量は?」
発目さんが数値を言う。私は装置を見る。
「それだと連続使用時間がかなり短いですね」
「だからもっと圧縮します!」
「容器側の耐圧は?」
「強くします!」
「重量が増えます」
「軽くします!」
いつも通りだった。問題点を指摘すると、基本的に全部「直す」で返ってくる。
方向性としては間違っていない。実際に直せるなら。
「空木くんならどうします?」
「使用目的によります」
「空中で姿勢を変えたい!」
「どの程度ですか?」
「ぐるぐる回れるくらい!」
必要性はよく分からない。ただ、技術的な問題として考えるなら面白い。
「噴射だけで全部処理するより、身体側の動きと組み合わせた方が軽くできますね」
「センサー付ける?」
「付けるなら姿勢検出だけでなく、装着者の動作も見た方がいいと思います」
「なるほど!」
発目さんがすぐメモを取る。
「じゃあ一緒に作りません?」
「今日は帰ります」
「ええっ!?」
「家でやることがありますので」
「研究?」
「はい」
発目さんがすぐに興味を示す。
「個性の?」
「そうです」
「見せてください!」
「今は学校にありません」
「家ですか?」
「家です」
「行っていいですか!?」
「何をしにですか?」
「見に!」
目的は明確だった。ただし、必要性はない。
「今扱っているものは見学用ではありません」
「じゃあ見学用にしてください!」
「研究対象を見学用に変更する理由がありません」
「残念!」
本当に残念そうだった。私は鞄を持つ。
「また明日」
「はい! 明日はこれ完成させます!」
今日の状態を見る限り、完成するかは分からない。ただ、発目さんなら何らかの形にはするだろう。
私は実習室を出た。
◇ ◇ ◇
帰宅する。
「ただいま」
習慣で言った。やはり返事はない。そのまま靴を脱ぐ。
家は静かだった。広い家なので、余計にそう感じる。
私が日常的に使っているのは一部だけだ。玄関、居間、台所、風呂、自室。それ以外の部屋へ入る理由はほとんどない。
掃除も、普段使う場所を中心にしている。空き部屋は定期的に換気する程度だった。使わない場所まで毎日掃除するのは時間の無駄になる。
私は二階へ上がり、自室へ入った。机の左側へ学校の資料を置く。
学校課題は学校でほとんど終わっている。追加で確認するものだけ先に処理する。十五分ほどで終わった。
次に、右側。こちらが個人研究の記録だった。
中学時代から使っている測定機器、小型の培養装置、工具、試料保管用の機材。机と棚の周囲に収まる程度で、以前の家で使っていたものを持ってきただけだ。
部屋の中だけ見れば、一般的な高校生の部屋とは違うのかもしれない。ただ、この家全体を研究用に変えたわけではない。必要もなかった。
大きな加工をしたければ雄英の設備がある。こちらで行うのは、手元で継続した方が効率のいい作業だけだ。
私は記録を開く。
現在進めているのは、人工個性を装備へ組み込む際の小型化だった。機能させること自体は、入学前にできている。問題は大きさだった。
研究用なら多少大きくても困らない。机の上に置いて使えばいい。しかし装備として使うなら、小さい方が用途は増える。大きな箱を背負わなければ機能しないものより、身に付けられる程度の方が便利なのは当然だった。
今の試作品を分解し、内部構造を見る。
個性因子を維持する部分、制御、エネルギー供給、外部との接続。機能そのものより、それを安定させる周辺部分が場所を取っている。
単純に縮めればいいわけではない。小さくすると温度変化の影響が大きくなり、放熱も悪くなる。各部の距離が近くなることで干渉も増える。
私は測定器を接続した。一度動かして数値を取り、停止する。一部を交換し、また動かす。
学校の課題とは違う。こちらには正解が書かれていない。要求仕様も、自分で決める。
どの程度まで小さくできるのか。どの程度までなら性能が落ちても問題ないのか。そもそも、身に付ける場所によって適切な形が違う。
腕、腰、首、指。
装備する場所を先に限定しすぎるのも良くない。できるだけ共通化した方が後で使いやすい。
私は記録へ修正案を書いた。今すぐ完成するものではない。
だから続ければいい。
◇ ◇ ◇
途中で携帯端末が鳴った。母からだった。
通話を取る。
「はい」
『今、大丈夫?』
「問題ありません」
『何してた?』
「研究です」
『ご飯は?』
時計を見る。予定していた時間を少し過ぎている。
「まだです」
『ほら』
「何がですか?」
『一人にしたら研究してご飯遅くなるって言ったでしょ』
「二十分程度です」
『二十分でも遅れてるじゃない』
その通りではある。
「では、ここで中断します」
『そうして』
私は装置の電源を切る。試料の状態を確認してから保存する。
『学校はどう?』
「問題ありません」
『毎回それね』
「実際に問題がないので」
『ちゃんとクラスの子と話してる?』
「話しています」
『発目さんだっけ?』
「はい」
『その子とは?』
「今日も話しました」
『何の話?』
「圧縮空気を使った姿勢制御装置です」
通話の向こうが静かになった。
『……学校の話よね?』
「学校での話です」
『そう』
少し安心したようだった。何を心配していたのだろう。
「発目さんから家に来たいと言われました」
『えっ』
反応が変わる。
『友達遊びに来るの?』
「研究機材を見たいそうです」
『それでもいいじゃない』
「断りました」
『なんで!?』
声が大きい。
「今扱っているものは見学向けではありませんから」
『別に研究見せなくても、お茶とか――』
「発目さんがそれで来るとは思いませんが」
発目さんが技術と無関係に家へ来て、お茶だけ飲んで帰る場面は想像しにくい。
母はしばらく黙った。
『零司』
「はい」
『友達を家に呼ぶくらいはしていいのよ?』
「禁止されているとは思っていません」
『そうじゃなくて』
まただった。最近、この言葉をよく聞く。
「必要があれば呼びます」
『……まあ、いいわ』
母は諦めたらしい。
その後、父とも少し話した。
『金は足りてるか?』
「今のところ問題ありません」
『研究用の方も?』
「はい。大きな設備は学校のものを使えますので、以前より購入するものは減ると思います」
『ならいいけど、必要なら言えよ』
「分かりました」
両親は、離れて暮らすようになっても基本的には変わらなかった。こちらの生活へ細かく口を出すわけではない。必要な金銭は出す。問題があれば連絡する。たまに母が食事や人間関係を心配する。それくらいだった。
通話を終える。私は夕食を作り始めた。
◇ ◇ ◇
一人暮らしになって変わったことは、細かい。
洗濯物が自動で片付くことはない。冷蔵庫の中身も、自分で補充しなければ減る。ゴミも、まとめなければ残る。消耗品も勝手には増えない。
以前は両親が処理していた作業の一部が、自分へ移った。
だから、順番を決めた。洗濯する日、買い物する日、掃除する場所、食事の準備、在庫確認。毎回考える必要がないようにする。
必要量が分かれば、まとめて処理できるものも多かった。
家事そのものに面白さは感じない。ただ、生活を維持するために必要ならやる。
研究機器の点検と大きく違うものでもない。放置すれば問題が起きる。定期的に処理すれば問題は起きにくい。それだけだった。
むしろ難しいのは、家が広すぎることだった。
夜、風呂から上がった後に一階の廊下を歩く。閉めたままの部屋が並ぶ。
使っていない部屋。祖父母が使っていた部屋。家具だけ残っている部屋。
一人で生活するなら、かなり余っている。だからといって何かに使おうとは思わなかった。
空いているから使う、では順番が逆だ。必要ができた時に使えばいい。今は必要ない。
私は自室へ戻った。
机の上には、途中まで小型化した試作品。その横には学校の資料。
生活する場所と、研究する机。それだけで足りていた。
◇ ◇ ◇
休日。
宅配便が届いた。両親からだった。頼んだ覚えはない。
箱を開ける。食料品、日用品、それから短い紙。母の字だった。
『ちゃんと食べること』
私は冷蔵庫を見る。まだ食料はある。ただ、保存できるものが多いので無駄にはならない。
携帯端末を取る。母へメッセージを送った。
『届きました。ありがとうございます。食料は足りています』
すぐ返事が来た。
『足りてても食べなさい』
意味が少し違う気がする。
私は『分かりました』と返した。その後、荷物を片付ける。
両親の家からここまでは、気軽に毎日行き来する距離ではない。だからこそ一人暮らしになった。
ただ、完全に切り離されたわけでもない。必要なら連絡できる。荷物も届く。金銭面についても、まだ両親に依存している。
高校生なのだから当然だろう。
私は自分だけで生活を成立させているわけではない。住んでいる家も母が相続したもの。生活費も研究費も両親から出ている。
私がしているのは、それらを自分で管理しているだけだ。その区別はしておいた方がいい。
私は家計の記録へ、今月使った金額を追加した。
研究用部品、食費、日用品、交通費。
今のところ、大きな問題はない。
画面を閉じる。研究へ戻る。
◇ ◇ ◇
夕方には、小型化していた試作機の一つが予定した寸法へ収まった。
動作させ、個性因子の状態を直接確認する。安定。出力も想定範囲。
ただし、連続使用すると温度が上がる。
私は時間を測って停止し、外装を開く。熱源を確認する。
まだ改良が必要だった。完成ではない。けれど、一段階は進んだ。
私は結果を記録する。
ふと部屋の外を見る。この家には、まだ使っていない空間がかなりある。
将来、今より大きな装置が必要になることはあるかもしれない。学校では扱えない研究をすることもあるかもしれない。
ただ、それは今決めることではない。
今必要な設備は、この部屋に収まっている。足りない加工設備は雄英にある。それで研究は進んでいる。
なら、現状を変える必要はなかった。
私は試作機を机へ戻した。明日は学校がある。
授業では、また普通の課題をする。帰れば、こちらの続きをする。
学校と研究。生活と研究。両親と離れて暮らすこと。どれも今のところ大きな問題にはなっていない。
一人暮らしは、特別な出来事というより、すでに日常になり始めていた。
私は次の改良箇所を書き込む。
まだ分からないことがある。それなら、生活する場所が変わっても、やることは同じだった。