無個性は個性をつくる 作:匿名希望
その計算をする必要はなかった。
問題になるのは、タルタロスまでの距離ではない。ゲートを開く二地点を安全に指定できるかどうか、それだけだ。
私は自宅の椅子に座ったまま、公安から送られてきた情報を確認する。タルタロス内部の図面、現在使用可能な区画、敵が攻撃している方向、施設職員の配置、閉鎖済みの隔壁。昨日の戦場とは違い、今回は最初からこちら側の施設なので、必要な情報を確認するのは簡単だった。
「ゲートの出口はここでお願いします」
『そこは施設内部だぞ?』
「だからです。敵のいる場所へ直接開く必要はありません」
選んだのは、現在も施設側が完全に確保している区画だった。敵は侵入しておらず、周辺職員との通信も維持されている。
昨日、死柄木の近くへ適当に出口を作らなかったのは、できなかったからではない。戦闘中の敵味方が入り乱れる場所にゲートを開けば、こちらが送り込んだ人間だけでなく、敵が逆に通ってくる可能性もある。今回は管理下にある安全な区画へ人員を送り込めばいいので、条件がまるで違う。
「入口側は?」
『今、警察の施設を一か所確保している。オールマイトもそちらへ向かっている』
「では、そこへ繋ぎます」
私自身が自宅から移動する必要はない。指定された入口と、安全を確認したタルタロス内部、その二地点を接続すれば済む。
◇ ◇ ◇
警察施設の一室では、投入可能な人員が集まり始めていた。
全面戦争を生き残ったヒーローたちに、身体的な重傷者はもういない。医療型によって治療は終わっており、戦闘能力そのものを長期間失った者はいなかった。
もっとも、全員を呼び集める必要もない。タルタロスには元々警備戦力があり、必要なのは襲撃者を短時間で押し返し、最重要収容区画まで到達させないだけの戦力だ。
その中心になる人物が部屋へ入ってきた。
「状況は!?」
オールマイト。
神野で戦った頃のように衰弱した姿ではなく、専用人工個性によって全盛期に近い戦闘能力を取り戻した姿だった。
公安職員が即座に説明する。
「タルタロスが襲撃を受けています。脳無複数、死柄木弔本人もいる可能性が高い。目的はオール・フォー・ワンの奪還と見ています」
「分かった! 移動手段は!?」
職員は部屋の中央へ視線を向けた。
「もう来ます」
「?」
次の瞬間、室内に黒い空間が開いた。
◇ ◇ ◇
『接続確認!』
タルタロス側から通信が届く。
『こちらでもゲートを確認! 指定区画に敵影なし、周辺の安全を確保しています!』
私は自宅のモニターでゲート越しの映像を確認した。見えているのはタルタロス内部、防衛側がまだ完全に管理している区画で、敵の姿はない。
「問題ありません。そのまま維持します」
公安側から、半信半疑の声が返る。
『本当にここを通ればタルタロスなのか?』
「はい」
『海の上だぞ』
「距離はほとんど関係ありません。指定した二地点を一時的に繋いでいるだけです」
数十メートルでも、数百キロでも、私がやることは変わらない。ただし、敵に出口を取られて逆利用されるのは面倒なので、そこだけは警備してもらう。
「まず防衛型を先行させます。到着地点の安全を維持してください」
『了解!』
待機させていた防衛型をゲートへ入れる。一体、二体、三体。タルタロス側へ到着すると、それぞれが障壁と遮蔽を展開し、退路まで含めて到着地点を守り始めた。
続いて重戦闘型。ニアハイエンドとの交戦を前提にした高耐久、高出力の個体を送り、その後に制圧型と医療・救護型を必要数だけ通す。
先行投入に問題なし。
これで、人間を通してもいい。
◇ ◇ ◇
オールマイトはゲートの前で一瞬だけ足を止めた。
「これを空木少年が?」
公安職員が答える。
「本人は自宅です」
「自宅!?」
「そこから開いています」
オールマイトは黒い空間の向こうを見た。数歩先にあるように見える景色は、本来なら海を越えなければ辿り着けないタルタロス内部だ。
「……相変わらず、とんでもないな!」
感想はそれだけだった。すぐに表情を切り替えると、
「では、行ってくる!」
と迷わずゲートへ踏み込んだ。
一歩。
それだけで、本土側の警察施設から海上刑務所タルタロスへ移動する。
オールマイトに続き、利用可能なプロヒーロー、警察、追加の個性兵が順番にゲートを通っていく。船も航空機も必要なかった。
◇ ◇ ◇
タルタロス外周では、まだ激しい戦闘が続いていた。
ニアハイエンドが防衛設備を破壊し、一体が外壁へ拳を叩き込む。別の個体は上空から攻撃を仕掛け、施設側の迎撃を受けながらも高い再生能力で前進を続けていた。
「外周第四区画、損傷拡大!」
「敵一体、侵入経路を形成中!」
「最深部隔壁は?」
「維持しています!」
報告が重なる中、施設後方から別の声が上がる。
「増援到着!」
職員の一人が振り向いた。
ゲートから、大柄な男が出てくる。
「もう来たのか……?」
驚いている時間はない。
オールマイトは周囲を見回すと、すぐに尋ねた。
「敵はどちらだ!?」
「外周北西! 脳無複数!」
「了解!」
次の瞬間、床を沈ませるほど強く踏み込んだオールマイトが走り出した。
◇ ◇ ◇
外から施設を攻めていた僕は、その変化を見ていた。
もう少しだった。外壁の一部は崩れ、防衛設備もかなり削れている。内部でも本体が動ける状況へ近づいており、計算より少し早いくらいだった。
「進め」
ニアハイエンドへ命令する。
一体が施設内部へ腕を入れようとした、その瞬間だった。
内側から何かが飛び出した。認識するより先に拳がニアハイエンドの顔面へ入り、轟音とともに巨大な身体が海上へ吹き飛ばされる。
僕は現れた男を見る。
金色の髪。
巨大な身体。
見間違えるはずがない。
「……オールマイト?」
おかしい。
早すぎる。
施設が警報を出してから、まだほとんど時間が経っていない。航空機ではあり得ないし、高速移動系の個性を使ったとしても、彼が最初から近くにいなければ間に合わない。
戦争後、オールマイトがタルタロス近辺で待機していたという情報もない。
それなのに、いる。
◇ ◇ ◇
「大丈夫か!?」
オールマイトは施設職員へ声を飛ばした。
「はい!」
「負傷者は後方へ! 敵は私が引き受ける!」
返事を最後まで聞くより先に、次のニアハイエンドへ向かう。振るわれた腕を受け止め、そのまま拳を返すと、衝撃で海面まで大きく揺れた。
相手も弱くない。複数個性、高い身体能力、超再生を持つニアハイエンドなら、通常のヒーローが正面から簡単に押し切れる相手ではない。
それでもオールマイトは正面から押し返す。
さらに、施設内部から戦力が増えた。プロヒーロー、警察、そして昨日の戦場で何度も見た、奇妙な姿をした人工生命。
「……なぜ?」
僕は施設内に開いた黒い空間を見る。
そこから次々と、人間が出てきていた。
◇ ◇ ◇
理解するのに数秒も必要なかった。
転移。
昨日、空木零司が人工生命や物資を移動させていたものと同じだ。
だが、今は人間が通っている。プロヒーローも、警察も、一人ずつ確実に海を越えている。
「そういうことか」
僕はようやく、自分が何を読み違えていたのか理解した。
転移能力が、あの人工生命に限定されていたわけではない。人間を送れなかったわけでもない。
昨日は、送らなかっただけだ。
◇ ◇ ◇
昨日の戦場を思い返せば、理由は分かる。
死柄木の周辺には敵味方が入り乱れ、広域崩壊まで発生していた。ギガントマキアも動き続け、どこへ安全に出口を開けるのか判断しづらい。そこへ迂闊にゲートを作れば、敵が通路を逆利用する可能性もある。
だから使わなかった。
能力の限界ではない。単なる運用判断だった。
「……ああ」
分かってしまえば単純な話だ。
僕は、できないことと、しないことを取り違えた。
◇ ◇ ◇
「追加戦力、到着!」
タルタロス側の通信が自宅にも入る。
重戦闘型がニアハイエンドへ向かい、正面から衝突した。別方向では防衛型が損傷した区画を守り、医療型が負傷した施設職員を回収している。制圧型は、収容区画で混乱が起きた場合に備えて内部に待機させた。
私は自宅の画面から、その全てを見る。
現地へ行く必要はない。命令は届くし、視界も共有できる。ゲートも維持できるし、必要なら追加の個性兵もすぐ送り込める。
「敵戦力はどうなっていますか?」
公安側から返答。
『ニアハイエンド複数! 死柄木本人も確認した!』
「分かりました。重戦闘型を二体追加します」
工廠型の在庫と稼働可能個体を確認し、投入先を指定する。追加個体も、そのままゲートへ送り込んだ。
◇ ◇ ◇
僕は次々と現れる戦力を見る。
問題はオールマイトだけではない。人間戦力が継続して追加されているということは、本土から必要な人員をそのままここへ送り込めるということだ。
距離が防壁として機能していない。
タルタロスが海上に存在する意味、その一部が消えている。
「これは……」
想定していなかった。
空木零司が能力の全てを見せていないこと自体は理解していた。だが、既に見せた能力については、その運用範囲まで把握できていると思っていた。
そこが間違いだった。
◇ ◇ ◇
最深部に収容されているオール・フォー・ワン本体も、状況の変化を感じ取っていた。
施設全体を揺らす衝撃。外部からの襲撃。防衛側の反撃。その中に一度だけ、明らかに質の違う衝撃が混ざった。
知っている。
何度も受けた。
忘れるはずもない。
「……オールマイト」
なぜ、ここにいる。
来ること自体は想定できる。問題は早さだ。襲撃が始まってから、本体側が脱出へ動く準備すら整っていない段階で、オールマイトが到着した。
考えられるのは、何らかの高速輸送。
そして今、この状況で最も疑うべき相手。
「空木零司、か」
拘束されたまま、オール・フォー・ワンは笑みを消した。
◇ ◇ ◇
施設外周では、ニアハイエンドがオールマイトへ腕を振るう。
オールマイトは受け止め、そのまま殴り返す。別の一体が横から接近すると、重戦闘型が割り込み、さらにプロヒーローが援護へ入った。
戦力差が、短時間で変わっていく。
最初はタルタロス側の警備戦力だけだった。
今は、オールマイト、プロヒーロー、警察、人工生命がいる。
しかも、まだ増援経路は残っている。
◇ ◇ ◇
「ゲートを狙え!」
僕はニアハイエンドの一体へ命令する。
あれを壊す。
あるいは、こちら側から通る。
昨日までの理解なら、転移を担当している人工生命が施設内部にいるはずだった。それを先に破壊すれば、増援路も断てる。
だが、施設内部へ向かった個体が途中で止まった。
ゲート周辺に、それらしい特殊な個体がいない。
いるのは防衛を担当する人工生命、重戦闘用の人工生命、警察、プロヒーローだけ。
「……いない?」
転移を担当する個体は、どこだ。
◇ ◇ ◇
私は自宅で、ニアハイエンドが進路を変えたのを見る。
「ゲートを狙っていますね」
公安担当者が尋ねる。
『閉じるか?』
「まだ大丈夫です。防衛型を前へ、重戦闘型で進路を塞いでください」
命令を受けた個性兵が動き、障壁を展開する。ニアハイエンドが正面から突っ込み、その隙に追加の警察部隊がゲートを通過した。
「通過完了」
「では、一度閉じます」
私が接続を解除すると、黒い空間はその場から消えた。
敵の目の前に、何も残らない。
◇ ◇ ◇
僕はそれを見た。
何かの装置を壊したわけではない。転移を担当する人工生命を倒したわけでもないのに、ゲートだけが突然消えた。
「まさか……」
現場に、転移を使っているものが存在しない。
もっと遠く。
ここから見えない場所から、直接ゲートを開いている。
そう考えれば、今起きていることは説明できる。
「本人か」
空木零司。
戦場にはいない。
タルタロスにもいない。
それでも、ここへオールマイトを送った。
◇ ◇ ◇
私はタルタロス側から新しい安全地点を指定してもらい、そこへ別のゲートを開く。同じ出口を使い続ける理由はない。施設側が安全を確保した場所へ、その都度接続すればいい。
「追加投入します」
新しいゲートへ個性兵を通し、消耗した戦力を補充する。
タルタロスから自宅までは遠い。
ただ、私にとって、その距離にはほとんど意味がなかった。
◇ ◇ ◇
僕は、ようやく今回の最大の誤算を理解した。
海上刑務所。
本土から離れている。
だから増援到着まで時間がかかる。
その前に本体を奪還する。
その前提自体が、空木零司が関わった時点で成立していなかった。
昨日、彼がヒーローを危険な戦場へ直接送らなかったから、できないのだと判断した。
違った。
しなかっただけだ。
「……なるほど」
小さく笑う。
笑える状況ではないが、理解できたこと自体は悪くない。次からは、この前提を間違えなければいい。
問題は今回だ。
オールマイトがいる。増援もいる。奇妙な人工生命も次々に補充されている。本体までの距離はまだあり、こちらの戦力は有限だった。
◇ ◇ ◇
オールマイトが、また一体のニアハイエンドを殴り飛ばした。
「ここは通さん!」
その声が海上へ響く。
死柄木の身体の内側で、弔の意識が動いた。苛立ちと抵抗、それを感じながら、僕自身も状況を計算し直す。
本体を取り戻す。
それが目的だ。
だが、そのためにこの身体まで失えば意味がない。
まだ撤退を決めるには早い。
それでも、作戦を続けられる時間が当初の想定より遥かに短くなったことだけは確かだった。
原因は一つ。
遠く離れた場所にいて、この場には姿すら見せていない少年。
「空木零司……」
僕は初めて、彼の転移能力を正しく認識した。