無個性は個性をつくる 作:匿名希望
正しく認識した時には、作戦の前提そのものが崩れていた。
本土から遠く離れた海上施設だからこそ、増援が到着するまでの時間を使える。僕はそう考えていた。だが、空木零司の転移に距離がほとんど関係しないなら、タルタロスがどれだけ沖合にあろうと意味はない。
しかも、送られてくるのはあの奇妙な人工生命だけではなかった。
オールマイト。
プロヒーロー。
警察。
必要な戦力を必要なだけ、こちらが攻撃している場所へほとんど時間差なく送り込める。
一度閉じた黒い空間も、少し離れた別の場所にまた現れた。こちらが一つを狙えば閉じ、安全な場所へ新しく接続し直す。現地に転移を担当する存在がいない以上、増援路そのものを破壊することも難しい。
「厄介だね」
僕は呟きながら、戦場全体を見る。
想定を修正する必要があった。
◇ ◇ ◇
オールマイトの拳が、ニアハイエンドを再び押し戻した。
海面近くまで吹き飛ばされた巨体が体勢を立て直そうとするが、その前に別方向からプロヒーローの攻撃が重なる。施設側の防衛設備もまだ生きており、そこへ空木が送った高出力の人工生命まで加わっていた。
戦争直後でヒーロー側が消耗していること自体は間違っていない。
ただ、身体の損傷は想定より遥かに少なかった。
昨日重傷を負っていた者まで、既に動ける状態へ戻っている。あの治療を行う人工生命が原因なのだろう。
こちらは違う。
ギガントマキアはいない。
殻木もいない。
超常解放戦線の大部分も失った。
連れてきたニアハイエンドも有限で、壊されれば補充できない。
そして弔の身体も、まだ完成していない。
「時間をかけるほど不利になる」
僕は結論を口にする。
本体へ到達するには、外周だけでは足りない。施設内部へ侵入し、複数の防衛区画を突破し、最深部まで進まなければならない。
その間にも、向こうは戦力を追加できる。
こちらの想定していた時間制限が、逆向きになっていた。
◇ ◇ ◇
「敵一体、後退!」
タルタロス側の通信が飛ぶ。
私は自宅で、共有されている映像を切り替えた。
ニアハイエンドの一体が施設から距離を取り始めている。戦術的な移動なのか、撤退準備なのかはまだ分からない。
「死柄木は?」
『外周付近! オールマイトが進路を抑えています!』
映像を確認する。
死柄木本人も、最初ほど施設へ接近しなくなっている。
「追い込みすぎない方がいいですね」
『逃がすのか?』
「収容施設を守るのが優先でしょう」
タルタロスには多数の危険な収容者がいる。
死柄木を追うために防衛戦力を外へ出し、別の侵入経路を作られれば意味がない。昨日、通常観測型で追跡して失敗したばかりでもある。
今の目的は、オール・フォー・ワン本体を出させないこと。
そこを変える必要はなかった。
◇ ◇ ◇
オールマイトも同じ判断をしていた。
死柄木へ向かおうとしたニアハイエンドを殴り飛ばした後、必要以上に海上まで追わず、施設外周へ戻る。
「中は無事か!?」
「最深部は維持! 一部区画に損傷があります!」
「収容者は!?」
「大規模な脱走は確認されていません!」
「なら、まずここを守る!」
オールマイトが施設側へ立つ。
襲撃者を倒すことだけが目的ではない。
ここには、外へ出してはいけない人間が多数いる。敵を追って防衛線を空けるより、施設を守ることを選ぶのは自然だった。
その後方では警察と職員が損傷区画を確認し、防衛型が崩れかけた通路や外壁を補強している。
負傷者が出れば医療型が運ばれていく。
こちら側の損害が、戦闘中にも戻されていく。
◇ ◇ ◇
僕には、それも厄介だった。
昨日までは、傷を負わせればその分だけ相手の戦力は減った。
今は違う。
殺せなければ戻ってくる。
少なくとも、身体的な損傷だけなら。
そうなると、長期戦はますますこちらに不利だった。
僕は施設の奥を見る。
本体はまだそこにいる。
距離そのものは、もう遠くない。
それでも。
今から強引に進めば、オールマイトと正面から戦いながら防衛線を抜き、さらに内部へ侵入する必要がある。その間にも増援は来る。
成功の可能性がゼロになったわけではない。
だが。
払うものが大きすぎる。
「ここで弔を失う方が悪い」
本体を取り戻すために、現在最も重要な器を失う。
それでは順番が逆だ。
◇ ◇ ◇
死柄木の意識が、内側から強く浮かんだ。
「……帰るのか」
不快そうな声。
「せっかくここまで来たのに?」
僕は少し笑う。
「今はね」
「先生を置いて?」
「取り戻せない状態で無理をする必要はないよ」
弔は納得していない。
当然だろう。
彼にとって、破壊できるものを前にして引くことは気分のいいものではない。
それでも。
身体を動かす主導権はまだこちらにある。
「次は、この転移も前提にして考えればいい」
失敗した理由は分かった。
なら。
同じ条件で繰り返す必要はない。
◇ ◇ ◇
最深部。
拘束されたオール・フォー・ワン本体は、遠くから響く戦闘音の変化を聞いていた。
最初より近くなった。
しかし。
途中から。
近づかなくなった。
代わりに聞こえてきたのは、明らかに防衛側が押し返し始めた音だった。
そして何より。
オールマイトがいる。
「そうか」
小さく呟く。
外側の自分が失敗した理由を、全て把握することはできない。だが、オールマイトがこの速度で到着した時点で、何か想定外があったことだけは分かる。
ここから脱出を強行するには、外側の突破が必要だった。
それが進んでいない。
なら。
「今回は、ここまでか」
焦る理由はない。
生きている。
弔も。
自分も。
本体奪還が失敗したとしても、それだけで全てが終わるわけではない。
拘束された男は、再び静かに背を預けた。
◇ ◇ ◇
「撤退する」
僕は残っているニアハイエンドへ命令した。
施設への攻撃を中止。
死柄木の離脱を優先。
一体がオールマイトへ牽制を入れ、別の個体が海上から距離を取る。
「逃がすな!」
ヒーロー側から声が上がる。
当然。
ただし。
追撃する側にも守るべきものがある。
僕はそれを利用する。
施設から離れる方向へ。
最短で。
◇ ◇ ◇
『死柄木、離脱を開始!』
公安から通信が入った。
「撤退ですか」
私は映像を確認する。
ニアハイエンドの動きも変わっている。攻撃より死柄木周辺の確保を優先しており、目的変更と見ていい。
『追わせるか?』
「施設側の戦力を崩さない範囲なら。ただ、深追いは勧めません」
『理由は?』
「昨日と同じです。追跡用の準備ができていません」
通常観測型はある。
だが、一度それを追跡へ流用して失っている。同じ手段を、失敗直後にもう一度使う理由はない。
それに。
タルタロスではまだ戦闘被害の確認が終わっていない。
収容者。
職員。
損傷設備。
そちらの方が優先度は高い。
『分かった。施設防衛優先でいく』
「それでお願いします」
◇ ◇ ◇
オールマイトは海上へ離れていく死柄木を見た。
追おうと思えば、追える距離だった。
だが背後にはタルタロスがある。
壁の一部は損傷し、職員にも負傷者が出ている。中にはオール・フォー・ワンだけでなく、多数の危険なヴィランが収容されていた。
「……ここを空けるわけにはいかんな」
拳を下ろす。
逃げる相手を見送ることが正しいとは思わない。
それでも。
今ここで最も守るべきものを間違えるつもりもなかった。
「警備を立て直す! 負傷者の確認を急いでくれ!」
「はい!」
「まだ動ける敵が残っていないか、全区画を確認だ!」
声が飛ぶ。
ヒーロー。
警察。
職員。
個性兵。
それぞれが、戦闘から施設安定化へ役割を切り替えていった。
◇ ◇ ◇
僕は距離を取る。
タルタロスが遠ざかる。
本体も。
また遠くなる。
失敗。
それは認める。
想定していなかった能力があった。
その結果。
時間を使えると思っていた場所で、時間を奪われた。
それだけだ。
「次からは、距離を安全だと思わない」
空木零司がいる限り。
日本国内のどこかに戦力を置いても。
遠いから間に合わない。
そういう前提は使えない。
今回それが分かった。
代償としては。
まだ安い方だ。
本体は取り戻せなかった。
だが。
弔は残っている。
こちら側も。
まだ終わってはいない。
◇ ◇ ◇
タルタロスでは、撤退する敵への追撃より施設内部の確認が優先された。
損傷した外周設備。
破壊された一部施設。
負傷した職員。
戦闘による混乱。
被害はある。
それでも。
最重要収容区画は維持されていた。
オール・フォー・ワンも。
まだ収容されている。
他の危険な収容者についても、施設全体が崩れるほどの大規模な脱走には至っていない。
「敵性戦力、施設から離脱!」
「外周の攻撃停止を確認!」
「収容区画を再確認!」
報告が続く。
コードレッドは、まだ解除されない。
ただ。
襲撃そのものは。
終わり始めていた。
◇ ◇ ◇
私は自宅で、タルタロスの状況表示を見ていた。
「オール・フォー・ワンは?」
『収容継続! 最重要区画は維持している!』
「他の収容者は?」
『確認中だが、大規模な脱走はない!』
それなら。
目的は達成している。
敵を全員捕まえたわけではない。
死柄木も逃げた。
ただし、今回守るべきだったものは守った。
「では、ゲートは維持します」
『まだ?』
「負傷者の搬送と必要人員の交代に使えますから」
戦闘が終わったからといって、すぐ閉じる理由もない。
むしろ。
今からの方が。
安全な移動手段として使いやすい。
私は施設側から送られてくる損傷情報を確認する。
死柄木は離れた。
追わない。
少なくとも。
今ある普通の観測型では。
同じ失敗を繰り返すだけだった。