無個性は個性をつくる   作:匿名希望

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第87話 撤退

正しく認識した時には、作戦の前提そのものが崩れていた。

 

本土から遠く離れた海上施設だからこそ、増援が到着するまでの時間を使える。僕はそう考えていた。だが、空木零司の転移に距離がほとんど関係しないなら、タルタロスがどれだけ沖合にあろうと意味はない。

 

しかも、送られてくるのはあの奇妙な人工生命だけではなかった。

 

オールマイト。

 

プロヒーロー。

 

警察。

 

必要な戦力を必要なだけ、こちらが攻撃している場所へほとんど時間差なく送り込める。

 

一度閉じた黒い空間も、少し離れた別の場所にまた現れた。こちらが一つを狙えば閉じ、安全な場所へ新しく接続し直す。現地に転移を担当する存在がいない以上、増援路そのものを破壊することも難しい。

 

「厄介だね」

 

僕は呟きながら、戦場全体を見る。

 

想定を修正する必要があった。

 

◇ ◇ ◇

 

オールマイトの拳が、ニアハイエンドを再び押し戻した。

 

海面近くまで吹き飛ばされた巨体が体勢を立て直そうとするが、その前に別方向からプロヒーローの攻撃が重なる。施設側の防衛設備もまだ生きており、そこへ空木が送った高出力の人工生命まで加わっていた。

 

戦争直後でヒーロー側が消耗していること自体は間違っていない。

 

ただ、身体の損傷は想定より遥かに少なかった。

 

昨日重傷を負っていた者まで、既に動ける状態へ戻っている。あの治療を行う人工生命が原因なのだろう。

 

こちらは違う。

 

ギガントマキアはいない。

 

殻木もいない。

 

超常解放戦線の大部分も失った。

 

連れてきたニアハイエンドも有限で、壊されれば補充できない。

 

そして弔の身体も、まだ完成していない。

 

「時間をかけるほど不利になる」

 

僕は結論を口にする。

 

本体へ到達するには、外周だけでは足りない。施設内部へ侵入し、複数の防衛区画を突破し、最深部まで進まなければならない。

 

その間にも、向こうは戦力を追加できる。

 

こちらの想定していた時間制限が、逆向きになっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「敵一体、後退!」

 

タルタロス側の通信が飛ぶ。

 

私は自宅で、共有されている映像を切り替えた。

 

ニアハイエンドの一体が施設から距離を取り始めている。戦術的な移動なのか、撤退準備なのかはまだ分からない。

 

「死柄木は?」

 

『外周付近! オールマイトが進路を抑えています!』

 

映像を確認する。

 

死柄木本人も、最初ほど施設へ接近しなくなっている。

 

「追い込みすぎない方がいいですね」

 

『逃がすのか?』

 

「収容施設を守るのが優先でしょう」

 

タルタロスには多数の危険な収容者がいる。

 

死柄木を追うために防衛戦力を外へ出し、別の侵入経路を作られれば意味がない。昨日、通常観測型で追跡して失敗したばかりでもある。

 

今の目的は、オール・フォー・ワン本体を出させないこと。

 

そこを変える必要はなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

オールマイトも同じ判断をしていた。

 

死柄木へ向かおうとしたニアハイエンドを殴り飛ばした後、必要以上に海上まで追わず、施設外周へ戻る。

 

「中は無事か!?」

 

「最深部は維持! 一部区画に損傷があります!」

 

「収容者は!?」

 

「大規模な脱走は確認されていません!」

 

「なら、まずここを守る!」

 

オールマイトが施設側へ立つ。

 

襲撃者を倒すことだけが目的ではない。

 

ここには、外へ出してはいけない人間が多数いる。敵を追って防衛線を空けるより、施設を守ることを選ぶのは自然だった。

 

その後方では警察と職員が損傷区画を確認し、防衛型が崩れかけた通路や外壁を補強している。

 

負傷者が出れば医療型が運ばれていく。

 

こちら側の損害が、戦闘中にも戻されていく。

 

◇ ◇ ◇

 

僕には、それも厄介だった。

 

昨日までは、傷を負わせればその分だけ相手の戦力は減った。

 

今は違う。

 

殺せなければ戻ってくる。

 

少なくとも、身体的な損傷だけなら。

 

そうなると、長期戦はますますこちらに不利だった。

 

僕は施設の奥を見る。

 

本体はまだそこにいる。

 

距離そのものは、もう遠くない。

 

それでも。

 

今から強引に進めば、オールマイトと正面から戦いながら防衛線を抜き、さらに内部へ侵入する必要がある。その間にも増援は来る。

 

成功の可能性がゼロになったわけではない。

 

だが。

 

払うものが大きすぎる。

 

「ここで弔を失う方が悪い」

 

本体を取り戻すために、現在最も重要な器を失う。

 

それでは順番が逆だ。

 

◇ ◇ ◇

 

死柄木の意識が、内側から強く浮かんだ。

 

「……帰るのか」

 

不快そうな声。

 

「せっかくここまで来たのに?」

 

僕は少し笑う。

 

「今はね」

 

「先生を置いて?」

 

「取り戻せない状態で無理をする必要はないよ」

 

弔は納得していない。

 

当然だろう。

 

彼にとって、破壊できるものを前にして引くことは気分のいいものではない。

 

それでも。

 

身体を動かす主導権はまだこちらにある。

 

「次は、この転移も前提にして考えればいい」

 

失敗した理由は分かった。

 

なら。

 

同じ条件で繰り返す必要はない。

 

◇ ◇ ◇

 

最深部。

 

拘束されたオール・フォー・ワン本体は、遠くから響く戦闘音の変化を聞いていた。

 

最初より近くなった。

 

しかし。

 

途中から。

 

近づかなくなった。

 

代わりに聞こえてきたのは、明らかに防衛側が押し返し始めた音だった。

 

そして何より。

 

オールマイトがいる。

 

「そうか」

 

小さく呟く。

 

外側の自分が失敗した理由を、全て把握することはできない。だが、オールマイトがこの速度で到着した時点で、何か想定外があったことだけは分かる。

 

ここから脱出を強行するには、外側の突破が必要だった。

 

それが進んでいない。

 

なら。

 

「今回は、ここまでか」

 

焦る理由はない。

 

生きている。

 

弔も。

 

自分も。

 

本体奪還が失敗したとしても、それだけで全てが終わるわけではない。

 

拘束された男は、再び静かに背を預けた。

 

◇ ◇ ◇

 

「撤退する」

 

僕は残っているニアハイエンドへ命令した。

 

施設への攻撃を中止。

 

死柄木の離脱を優先。

 

一体がオールマイトへ牽制を入れ、別の個体が海上から距離を取る。

 

「逃がすな!」

 

ヒーロー側から声が上がる。

 

当然。

 

ただし。

 

追撃する側にも守るべきものがある。

 

僕はそれを利用する。

 

施設から離れる方向へ。

 

最短で。

 

◇ ◇ ◇

 

『死柄木、離脱を開始!』

 

公安から通信が入った。

 

「撤退ですか」

 

私は映像を確認する。

 

ニアハイエンドの動きも変わっている。攻撃より死柄木周辺の確保を優先しており、目的変更と見ていい。

 

『追わせるか?』

 

「施設側の戦力を崩さない範囲なら。ただ、深追いは勧めません」

 

『理由は?』

 

「昨日と同じです。追跡用の準備ができていません」

 

通常観測型はある。

 

だが、一度それを追跡へ流用して失っている。同じ手段を、失敗直後にもう一度使う理由はない。

 

それに。

 

タルタロスではまだ戦闘被害の確認が終わっていない。

 

収容者。

 

職員。

 

損傷設備。

 

そちらの方が優先度は高い。

 

『分かった。施設防衛優先でいく』

 

「それでお願いします」

 

◇ ◇ ◇

 

オールマイトは海上へ離れていく死柄木を見た。

 

追おうと思えば、追える距離だった。

 

だが背後にはタルタロスがある。

 

壁の一部は損傷し、職員にも負傷者が出ている。中にはオール・フォー・ワンだけでなく、多数の危険なヴィランが収容されていた。

 

「……ここを空けるわけにはいかんな」

 

拳を下ろす。

 

逃げる相手を見送ることが正しいとは思わない。

 

それでも。

 

今ここで最も守るべきものを間違えるつもりもなかった。

 

「警備を立て直す! 負傷者の確認を急いでくれ!」

 

「はい!」

 

「まだ動ける敵が残っていないか、全区画を確認だ!」

 

声が飛ぶ。

 

ヒーロー。

 

警察。

 

職員。

 

個性兵。

 

それぞれが、戦闘から施設安定化へ役割を切り替えていった。

 

◇ ◇ ◇

 

僕は距離を取る。

 

タルタロスが遠ざかる。

 

本体も。

 

また遠くなる。

 

失敗。

 

それは認める。

 

想定していなかった能力があった。

 

その結果。

 

時間を使えると思っていた場所で、時間を奪われた。

 

それだけだ。

 

「次からは、距離を安全だと思わない」

 

空木零司がいる限り。

 

日本国内のどこかに戦力を置いても。

 

遠いから間に合わない。

 

そういう前提は使えない。

 

今回それが分かった。

 

代償としては。

 

まだ安い方だ。

 

本体は取り戻せなかった。

 

だが。

 

弔は残っている。

 

こちら側も。

 

まだ終わってはいない。

 

◇ ◇ ◇

 

タルタロスでは、撤退する敵への追撃より施設内部の確認が優先された。

 

損傷した外周設備。

 

破壊された一部施設。

 

負傷した職員。

 

戦闘による混乱。

 

被害はある。

 

それでも。

 

最重要収容区画は維持されていた。

 

オール・フォー・ワンも。

 

まだ収容されている。

 

他の危険な収容者についても、施設全体が崩れるほどの大規模な脱走には至っていない。

 

「敵性戦力、施設から離脱!」

 

「外周の攻撃停止を確認!」

 

「収容区画を再確認!」

 

報告が続く。

 

コードレッドは、まだ解除されない。

 

ただ。

 

襲撃そのものは。

 

終わり始めていた。

 

◇ ◇ ◇

 

私は自宅で、タルタロスの状況表示を見ていた。

 

「オール・フォー・ワンは?」

 

『収容継続! 最重要区画は維持している!』

 

「他の収容者は?」

 

『確認中だが、大規模な脱走はない!』

 

それなら。

 

目的は達成している。

 

敵を全員捕まえたわけではない。

 

死柄木も逃げた。

 

ただし、今回守るべきだったものは守った。

 

「では、ゲートは維持します」

 

『まだ?』

 

「負傷者の搬送と必要人員の交代に使えますから」

 

戦闘が終わったからといって、すぐ閉じる理由もない。

 

むしろ。

 

今からの方が。

 

安全な移動手段として使いやすい。

 

私は施設側から送られてくる損傷情報を確認する。

 

死柄木は離れた。

 

追わない。

 

少なくとも。

 

今ある普通の観測型では。

 

同じ失敗を繰り返すだけだった。

 

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