無個性は個性をつくる 作:匿名希望
公安から正式な依頼が通った後、白雲朧の身体を確認する機会が用意された。
以前にも黒霧を調べたことはある。ただ、あの時に必要だったのは『ワープゲート』を含む個性構造の解析だったので、身体そのものへ手を加える理由がなかった。
解析自体は終わっている。
黒霧がどういう脳無なのか。
どの組織が元になっているのか。
白雲朧の身体へ、どのような変更が加えられているのか。
個性因子がどう組み合わされ、どの部分が生命維持や身体構造へ関与しているのか。
その辺りは、一度見た時点で把握していた。
必要なら作れる。
必要なら変えられる。
必要がなかったから、何もしなかっただけだ。
◇ ◇ ◇
「それでは、先に希望を確認します」
公安管理下の施術室で、私は黒霧――今は白雲朧と名乗ることを選んだ男性を見る。
姿はまだ変わっていない。
黒い霧に包まれた、人間から大きく外れた身体。
本人は椅子に座り、少し落ち着かない様子でこちらを見ていた。
「どの程度戻したいですか?」
「どの程度って?」
「外見だけ人間へ近づけることもできますし、身体構造そのものを普通の人間へ戻すこともできます」
「普通の人間って、どこまで?」
「普通に生活できる程度ではなく、普通の成人男性と同じところまでです」
呼吸。
循環。
消化。
代謝。
内分泌。
睡眠。
体温調節。
痛覚。
味覚。
嗅覚。
その他の感覚。
人間に存在する一般的な生理機能を一通り成立させる。
「必要なら生殖機能も含めて、将来的に家庭を持つことまで問題なくできる身体にできますよ」
白雲が少し固まった。
「……そこまで?」
「人間の身体にするなら、わざわざ一部だけ欠けた状態にする理由がありませんから」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
何か気になるのだろうか。
私は待つ。
白雲はしばらく考えた後、頭を掻こうとして、自分の手がまだ黒い霧に覆われていることに気づいたように止めた。
「普通で頼む」
「分かりました」
「本当に普通の人間でいい。今の身体で便利だった部分とか、特に残さなくていい」
「『ワープゲート』以外は?」
「それは公安と約束したから残す」
なら、条件は決まった。
◇ ◇ ◇
次は身体年齢。
「何歳くらいにしますか?」
「え?」
「身体を再構成するので、ある程度は選べます」
若くすることもできる。
現在の時間経過に合わせることもできる。
生前の状態へ近づけることもできる。
本人の希望を聞いた方が早い。
白雲は少し考えてから答えた。
「ショータとヒザシと同じくらいで」
「現在の二人と同年代ですね」
「うん」
即答ではなかったが、迷いは少なかった。
「俺だけ高校生のまま戻っても変だろ。あいつらは、その分ちゃんと歳取ってんだから」
確かに。
公安所属のヒーローとして活動する予定なら、外見だけ十代に戻す必要もない。
私は条件を追加する。
成人男性。
相澤消太、山田ひざしと同年代。
生前の白雲朧を基礎とした外見。
身体機能は一般的な健常成人男性。
脳無化による不要な改造は除去。
これなら特に難しくない。
◇ ◇ ◇
「もう一つ確認します」
「まだある?」
「記憶です」
白雲の表情が少し変わった。
「黒霧として活動していた期間の記憶をどうしますか?」
「……消せるの?」
「必要なら整理できます」
記憶も脳と無関係ではない。
黒霧の身体を人間へ戻す以上、脳無化による干渉部分も確認することになる。
白雲朧としての記憶だけを優先し、黒霧として形成された記憶を切り離すことも技術的には可能だった。
「消した方が楽ではあると思いますよ」
敵連合。
死柄木弔。
犯罪。
戦闘。
自分がしてきたこと。
自分が脳無だったという認識。
その辺りを持たず、生前の白雲朧の続きとして生きる方が精神的には単純だろう。
ただし。
決めるのは本人でいい。
「どうしますか?」
白雲は、すぐには答えなかった。
◇ ◇ ◇
長い沈黙の後。
「消さない」
声ははっきりしていた。
「分かりました」
「いいの?」
「本人が残したいなら、それで」
私にとってはどちらでもいい。
残す方が難しいわけでもない。
白雲は少し視線を落とした。
「黒霧だった時の俺も、俺なんだよ」
静かな声だった。
「弔といたことも、連合にいたことも、やったことも。全部なくして、俺は白雲朧でしたって顔して生きるのは違うと思う」
黒霧として過ごした時間。
それは、誰かに作られた結果ではある。
それでも。
その間に考えた。
話した。
守ろうとした。
選んだ。
「俺が黒霧だったことを、なかったことにはしたくない」
「では、そのまま維持します」
「頼む」
条件を更新する。
人格と記憶は継続。
白雲朧と黒霧。
どちらか一方だけを残す処置にはしない。
◇ ◇ ◇
最後は個性だった。
現在の『ワープゲート』は、白雲朧が元々持っていた個性を基礎として、複数の個性因子が組み合わされたものだ。
今の身体だけ人間へ戻して、その個性構造をそのまま押し込むこともできる。
ただし、せっかく再構成するなら整理した方がいい。
「個性についてですが」
「うん」
「今の『ワープゲート』を一度分解して、作り直します」
白雲が少し驚いた。
「壊すの?」
「構造を整理するだけです。同等以上の機能にはできます」
元々の白雲朧の個性。
そこにある性質。
黒霧として完成した『ワープゲート』。
それらを一度分けて考え、不要な脳無用構造を除いた上で、一つの個性として再構築する。
「元々あなたが持っていた個性の性質も、もう少し自然な形で組み込めます」
「できるの?」
「できますよ」
以前は必要がなかった。
だからやらなかった。
今は必要がある。
それだけの違いだった。
◇ ◇ ◇
「色はどうしますか?」
「色?」
「今のワープゲートは黒いですよね。元の個性に寄せた外見へ変えることもできます」
白雲は少し考えた。
以前の自分。
黒霧だった自分。
これからの自分。
その三つを比べるように。
やがて答えた。
「黒でいい」
「そうですか」
「そこまで昔に戻さなくていいよ」
白雲が笑う。
まだ黒い霧に覆われた顔なので、人間らしい表情としては分かりにくい。
それでも、声は軽かった。
「身体は白雲朧に戻してもらう。でも、個性まで昔の色に戻したら、本当に黒霧だった俺が全部消えたみたいだろ」
なるほど。
「だから、黒のままお願いします」
「分かりました」
その希望も条件へ追加した。
白雲朧由来の性質を再統合。
ワープゲート能力を維持。
発現色は黒。
それで完成形にする。
◇ ◇ ◇
処置を始める。
最初に現在の身体を再解析する。
以前と大きな差はない。
脳無として設計された身体。
複数の個性因子。
改造された神経。
通常の人間とは異なる生命維持構造。
人格と個性の組み合わせ。
どこを残すか。
どこを外すか。
もう決まっている。
白雲本人に由来する部分を基礎へ置く。
不要な脳無化改造を除去する。
身体構造を人間基準へ再構成する。
年齢は現在の相澤先生たちと同程度。
生前の身体特徴を元に、成人後として自然に成長した形を補う。
内部構造も同じ。
心臓。
肺。
消化器。
肝臓。
腎臓。
神経。
骨格。
筋肉。
皮膚。
感覚器。
内分泌。
生殖器官。
全部。
特殊な人工生命としてではなく。
人間として成立する形へ戻す。
◇ ◇ ◇
黒霧の身体が変化していく。
霧が薄くなる。
その下から皮膚が現れる。
輪郭が固定される。
骨格が変わり、筋肉がそれへ合わせて形成される。
人間の顔。
髪。
目。
鼻。
口。
呼吸が肺を動かす。
心拍が一定の周期を刻む。
血液が全身を巡る。
脳無として必要だった特殊構造は、役割を失ったものから順番に消していく。
ただし、記憶領域は触りすぎない。
白雲朧としての記憶。
黒霧としての記憶。
どちらも保持する。
必要なのは、身体を直すこと。
人格を作り直すことではない。
◇ ◇ ◇
個性因子は別処理になる。
一旦、現在の『ワープゲート』構造を整理する。
その中から必要な機能を抜き出す。
白雲朧が元々持っていた個性由来の性質も、本人の身体へ自然に馴染む形で統合し直す。
単なる移植ではない。
今の白雲朧のための個性として再設計する。
人間の身体で無理なく発現できる。
公安ヒーローとして長期運用できる。
本人への負担を過剰にしない。
そして。
発現するゲートは。
黒。
「これでいいですね」
最終構造を固定する。
◇ ◇ ◇
処置が終わる。
施術台に。
一人の男性が横になっている。
黒い霧の怪人ではない。
普通の人間。
年齢は相澤先生や山田先生と同程度。
生前の白雲朧が、そのまま年齢を重ねていたらこうなっていただろうという身体。
胸が上下している。
心拍も正常。
代謝も。
神経反応も。
ホルモン分泌も。
生殖機能を含め、人間の成人男性に必要な身体機能は問題なく成立している。
個性因子も安定。
記憶にも異常なし。
私は拘束を外す前に公安側へ確認する。
「終わりました」
「……もう?」
「はい」
公安担当者が施術台を見る。
人間になった白雲朧。
さすがに。
少し言葉を失っていた。
◇ ◇ ◇
白雲が目を開く。
瞬きをする。
もう黄色い光だけの目ではない。
人間の目。
天井を見る。
次に。
自分の手を見る。
五本の指。
皮膚。
爪。
握る。
開く。
「……手だ」
「そうですね」
腕を動かす。
顔へ触れる。
頬。
鼻。
髪。
首。
胸。
自分の身体を確認するように、何度も触る。
「心臓動いてる」
「人間なので」
「息もしてる」
「必要ですから」
「なんか腹減ってる気がする」
「それも正常です」
白雲がこちらを見る。
「全部戻したの?」
「はい。一般的な成人男性として必要な機能は一通りあります」
少し考えて。
付け加える。
「将来子供を作ることも含めて、身体機能上は問題ありませんよ」
「そこ改めて言う?」
「確認事項だったので」
白雲が。
顔を手で覆った。
人間らしい反応だと思う。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
「個性、試していい?」
公安側へ確認が入る。
担当者が頷いた。
「小規模で頼む」
「了解」
白雲が手を上げる。
少し離れた場所。
黒い霧が生まれた。
以前と同じ色。
黒。
ただし。
以前とは少し違う。
今の身体へ合わせて整理され、白雲が元々持っていた個性の性質も統合された、新しい『ワープゲート』。
白雲はしばらくそれを見ていた。
「黒いな」
「希望通りです」
「うん」
手を伸ばす。
黒い霧へ。
少し嬉しそうに。
「これでいい」
◇ ◇ ◇
公安担当者が尋ねた。
「本当に黒のままでよかったのか?」
白雲はゲートを閉じる。
それから、自分の身体を見る。
白雲朧としての身体。
黒霧だった記憶。
黒いワープゲート。
「いいよ」
迷いはなかった。
「昔の俺に戻ったわけじゃないし」
高校生だった白雲朧。
敵連合の黒霧。
その両方を持ったまま。
今の自分がいる。
「黒霧だったことまで消したくないから」
自分の手を握る。
人間の手。
そこから。
黒い霧を少しだけ出す。
「身体は白雲朧」
もう一度。
黒い霧を見る。
「でも、これは黒霧だった俺のままでいい」
私は状態を確認する。
身体。
正常。
個性。
安定。
精神状態については。
私の担当ではない。
少なくとも。
本人は納得している。
「では、これで完了です」
白雲朧。
元ヴィラン、黒霧。
今後は公安所属のヒーローになる予定の人間。
以前とは。
分類がかなり変わった。
ただ。
本人にとっては。
そこまで複雑ではないらしい。
「ありがとな、空木」
「依頼なので」
「それでもだよ」
そう言われたので。
私は一応。
「どういたしまして」
と返しておいた。