呪われた砦のメイド人形 作:匿名希望
100年の歳月は、静寂の森に佇む古城のような砦に、ひとつの傷も残さなかった。
食事を摂る必要もなく、歳をとることもない人形たち。
彼らはただただ砦を磨き上げ、緑豊かな庭園を整え、穏やかで美しい永遠の日常を紡ぎ続けていた。
そんなある日の夕刻、砦の門前で自動警備の鎧人形が「迷子」を発見し、玉座の間へと連れてきた。
「メイド長、森の境界にて不審な少年を保護いたしました」
元騎士団長である戦闘型メイドが、澄んだ声で報告する。
白磁の玉座から立ち上がったのは、100年前と変わらぬ姿――艶やかな金髪を揺らし、洗練された漆黒のロングドレスに身を包んだ17歳ほどの可憐な少女、ソウタだった。
(また……ぼくみたいに迷い込んじゃったのかな)
100年の時を経ても、内面にはあの優しく幼い心の面影がしっかりと残っている。
ソウタはスカートの裾を揺らしながら、おどおどと身を縮ませている少年の前へと歩み寄った。
少年は10歳ほど。
ボロボロになった現代の日本の小学生の服――見覚えのある泥だらけのランドセルを背負っていた。
「大丈夫ですか? 怖がらなくてもいいのですよ」
鈴を転がすような美少女の声で、ソウタは膝をつき、目線を合わせて優しく微笑みかけた。
「……そ……」
少年は大きすぎる瞳でソウタの顔をまじまじと見つめ、絶句していた。
その瞳には、恐怖ではなく、信じられないものを見たという驚愕が浮かんでいる。
「ソウタ……ちゃん……?」
「え……?」
ソウタの胸の深層で、100年間眠っていた古びた記憶の蓋が、カチリと音を立てて開いた。
「君……どうしてぼくの本当の名前を……?」
「本当にソウタちゃんだ! 探したんだよ! 100年前、神隠しに遭ったって……僕のひいひいおじいちゃんが、ずっと言ってたんだ!『ソウタを探してくれ』って……!
僕はひいひいおじいちゃんにそっくりだから、ひと目でわかるって……!」
少年の口から飛び出したのは、かつてソウタが暮らしていた「あちらの世界」の記憶。
そして、ソウタを永遠に失い、何世代にもわたって彼を想い続けてくれた幼馴染の家系の物語だった。
少年が差し出した古びたペンダントの写真には、ソウタが5歳の頃、大好きな幼馴染とふたりで並んで笑っている姿が写っていた。
「……あ……ああ……」
繊細な球体関節の手が、震えながらその写真を撫でる。
人形の身体からは、涙など流れるはずがなかった。
けれど、ソウタのガラスの瞳からは、溢れ出す感情とともに、光の雫が静かにこぼれ落ちていく。
「覚えてる……! ぼく、覚えてるよ……! ずっと、忘れなかったよ……!」
100年間、見た目は少女のメイド人形として、この砦を守り続けてきた。
けれど、自分を待っていてくれた人がいた。探してくれていた家族がいた。
その事実が、凍りついていたソウタの時間を、優しく溶かしていく。
元騎士団長のメイドや仲間たちも、温かな眼差しでふたりを見守っていた。
「よくいらっしゃいました、小さなお客様」
ソウタは涙を拭い、100年の時を越えて巡り会えた幼馴染の血を引く少年に向けて、世界で一番美しいメイドの礼を捧げた。
「ようこそ、ぼくたちの砦へ。……スープを飲んで、たくさんお話ししましょうね」
砦の地下深く。魔王軍が遺した古代の転送陣が、元の世界への扉として青白い光を放ち始めていた。
少年の背中には、磨き直されたランドセル。
その手には、ソウタたちが持たせた旅立ちの糧と、100年の思い出が詰まった小さな小箱が握られている。
「……本当に、一緒に来ないの? ソウタちゃん」
少年が振り返り、悲しそうに声を震ませた。
「あっちの世界に戻れば、きっと僕の家でみんなで暮らせるよ。お医者さんに見せたら、その体だって元に戻せるかもしれないし……!」
その言葉に、ソウタの胸はキュッと締め付けられた。
元の世界。
懐かしい日本の町並み。
温かいお家。
もう会えないと思っていた、大好きな幼馴染の血を引く少年との生活。
5歳の頃の自分なら、迷わずその手をとって泣き叫んでいただろう。
だが、ソウタはゆっくりと首を横に振った。
艶やかな金髪がふわりと揺れ、クラシカルなメイド服の裾がしずやかに広がる。
「ううん。ぼくは、ここに残るよ」
ソウタの瞳には、迷いも、諦めもなかった。
あるのは、100年という月日をこの砦で仲間たちと紡いできた、誇りと確信だけだった。
「ぼくの体はね、もうこの世界の、この砦の一部なんだ。それに……ぼくには、ここで一緒に生きていく『家族』がいるから」
振り返れば、背後には元騎士団長をはじめとする仲間たちが立っていた。
全員が少女型や鎧型の人形の姿のまま、優しく、けれどどこか誇らしげにソウタを見守っている。
彼らは100年前、自分を守ろうとして一緒に呪われた。
そして主を失ったあとも、自分を「メイド長」として、大切な家族として愛し、支え続けてくれたのだ。
彼らを置いて、自分一人だけが過去の幻影を追って去るわけにはいかない。
ソウタはそっと自分の胸に手を当てた。
「ぼくの思い出はね、ずっと消えないよ。あっちの世界でぼくを探し続けてくれたこと……絶対に忘れない。だから、君も……あっちで幸せになってね」
5歳の男の子の心と、100年を重ねた美少女メイドの凛とした微笑みが、そこには重なっていた。
「……うん! わかった。僕、あっちに帰ったら、ひいひいおじいちゃんのお墓に報告するよ。
『ソウタちゃんはすごくキレイなメイド長さんになって、仲間と一緒に幸せに暮らしてるよ』って!」
「ふふ、ありがとう」
光の柱が少年を包み込み、ゆっくりと上昇していく。
ソウタはスカートの裾を両手で優雅に持ち上げると、関節をカチリと鳴らし、今までで一番深く、美しい礼を捧げた。
「いってらっしゃいませ、小さなお客様。……どうか、お元気で」
「さようなら、ソウタちゃん!」
輝きが弾け、青い光が収まると、地下聖堂には再び静けさが戻ってきた。
少女型メイドの瞳から、一筋の透明な光の粒が零れ落ちる。
それは未練の涙ではなく、過去との優しい別れを告げる絆の証だった。
「……さて、メイド長」
後ろから、元騎士団長の戦闘型メイドが静かに歩み寄り、ソウタの華奢な肩に手を置いた。
「砦に戻りましょう。今日の『清掃』の予定がまだ残っております」
ソウタは涙を拭うと、振り返って元気に頷いた。
その声は、相変わらず鈴を転がすように可憐だったが、そこには力強いメイド長の自信が満ちていた。
「うん! 行こう、隊長さん! みんなで砦を、ぴかぴかに磨き上げなくちゃね!」
扉は閉じられた。
けれど、ソウタたちの物語は、この静かで愛おしい永遠の日常の中で、これからもどこまでも続いていく。