いつも通り、深夜バイトを終えた私はコンビニで買ったビールとおつまみを入れたレジ袋を振り回しながら帰路についていた。疲労した身体によく効くんだわ〜と先輩が言っていたので私も真似をしてみることにしたのだ。ちなみにおつまみは柿の種とイカの塩辛である。
「味覚を作っといてよかった〜」
食べ物で思い出したが、この前コンビニにいた黒い花がまた出現し今度は客を食べようとしていた。もちろん客は無事だ。全身が黒の目立つ服装ではあったが。
どうやら全身を黒に包んだ生き物を食するようで、この前の強盗を食べたのは全身黒ずくめだったからのようだ。そういえば以前、駅でも烏を食べてたし、よくわからない生態だが納得がいく。
とはいえ流石に客を食べられるのは迷惑なので座標転移で帰ってもらった。1応、お詫びに黒糖かりんとうを手渡しておいた。
「そろそろ別のバイトも始めてみたいな〜」
居酒屋、焼肉……それだけじゃない。バイトではできないこともやってみたいと考えている。教師とかバス運転手とかもアリだね。
暗がりの道を近所迷惑にならない程度の鼻歌を交えながら歩み進み、
ガタン
「ん?ガタン?」
足元から何か聞こえた。
私の観測範囲は基本的に生物に限られている。意識すれば非生命にも視線を向けれるが、数が倍に増えるし、人間の肉体だと酔ったりして面倒臭いのでオフにしているのだが、運の悪いことにそんな状態の時に限ってハプニングは起こるものだ。
つまり……なんだ。足元のマンホールが落下したんだよ。
アトラクションのように重力に引っ張られる形で私は下水道に落下していった。
「タマヒュンってこんな感じかぁ」
落ちてきたのは暗がりの下水道。空いた天井の穴から月の光が差し込んでくる。
下水道の匂いというのは生まれて初めて嗅ぐが、これがおそらく嗅覚として感じる"臭い"というものなのだろう。
崩れ落ちたマンホールは……お、あったあった。
「あちゃあ、老朽化だねこりゃ」
ヒビが入り、ところどころが錆びていて壊れるのも納得の古さだ。ひとまず直しておくことにしよう。
「これをああしてこうやって……こう!」
はい元通り。経年劣化も私の空いた両手でこねればたちまち新品そのものだ。
とりあえず戻って穴を塞ぎにい……ん?空いた両手?
そういえばビールとツマミが入ってたレジ袋、どこ行った?
「あちゃあ、もしかして流されちゃった?」
観てみればレジ袋がどんぶらこどんぶらこと流れてしまっているではありませんか。
もう一度買うのも嫌だし取りに行こう。まあ、すぐにこの手の中に収め戻すこともできるんだけど、たまにはこんな寄り道をしてみてもいいだろう?
新品の形に整ったマンホールを元の場所へと投げ戻し、私は湿気まみれの下水道を歩き始めたのであった。
苔むした閉鎖空間。息が詰まるようなどこまでも続く暗闇。空気も汚れていて、ぴちゃんと水滴が落ちる音がメトロノームのように聞こえてくる。
「電気というものの偉大さが身に染みてわかるよ」
人間の肉眼では1m先も見えないような真っ黒黒。とはいえそれ以外の眼で見ればなんてことはない。
この下水道は思ったより広い。いつも住んでいるアパートを含めたこの地区のどこにでも張り巡らされている。さながらビデオゲームのダンジョンみたいだ。
他に住み着いている私が知っている生き物はネズミと蜘蛛とハエ。暗がりとじめっぽさが産廃する小さな世界だがそれでも生命はここに芽吹いている。私にはない美しさだ。
「思ったより流れが速いんだね」
泥と腐敗物の混じるカーペットを踏みつけてさらに奥まで歩いていけば、途中で端に置いてある
「なんだ死体か」
別に下水道なのだから腐乱体の1つや2つ、あってもおかしなことではな……
あれ?待ってくれ、こんな場所に人間の死体があるのってもしかしておかしいんじゃないか?
衣服は原型を留めておらず、ところどころの肉がずれ落ち白骨が露出している。性別は男のようだけど、少なくとも浮浪者ではなさそうだ。
生命体の気配は探っていたけど、死体は検索範囲に入れていなかったな。私のように落ちてしまった人間なのだろうか。
けど電波は意外と届いている。多少調子は悪いが通報であれば問題ないはずだ。
であれば外的要因?第三者に襲われたとか?観たところ、殺人鬼みたいな役割の人間は気配すらないけどなぁ。
ま、いいや。
私がここに来た目的は死体探しでも謎解きでもない。夜のおつまみを回収しにきただけなのだから。
「ここの先に……あったあった」
下水に流れていったレジ袋は崩れかかた土砂の山に引っかかっていて、中身はなんとか守られていた。汚くて病原菌が付着しているが胃を多少強めに調整していれば大丈夫のはず。
「いい子も悪い子も真似しないでねー」
いや、外に出たとき近所に迷惑がかかるかもしれないから払っておこう。えいっ。
指で細菌を払いのけ、レジ袋を回収する。
するとしゃがんだ私の背中に誰かからの視線を感じた。ネズミとかかな、と思って振り向いたほうにいたのは私と同じくらいのサイズの蜘蛛だった。
そう、私と
検索結果で世界一大きな蜘蛛の名前はルブロンオオツチグモらしく、明らかにその蜘蛛とは容姿がかけ離れていた。どちらかと言えばハエトリグモに近い。私は別に蜘蛛博士でもなんでもないのだけど、この生物はおそらく通常の蜘蛛とは言えないだろう。性別はオスらしいが。
彼は前顎を鳴らし、じり、じりとこちらへ近づいてくる。その眼差しは獲物を見つめる狩人と同じだ。いくつもの黒い複眼は全てこちらを一瞥している。
困ったな。私の肉片が食われるのも大変だが、大事なのはどちらかと言えばこちらのおつまみだ。これを食べられたらせっかくの初めての晩酌ができなくなってしまう!
「おいしくないよー、おいしくないよー……特にこのおつまみはねー……」
先ほどあったツギハギの死体は彼の食べかけなのだろう。何度も私の方を見てギチギチとその鋭利な牙を鳴らしている。
その8本の足がじり、じりと近づいてきて、私は同じように背中を見せないままじり、じり、と下がっていく。曲がり角に近づいたとき、私は急いで振りかぶって逃げ走った。
ルートは今観た。とりあえず私は下水処理場に繋がっている道の方を辿る。足元のネズミを踏まないように気をつけながら後方を確認すればあの蜘蛛は天井を這って追いかけてきた。なんてスムーズな動きなんだろう、やっぱ足は多い方がいいよねぇ……
「いや〜、来ないで〜」
緊張感のない私の悲鳴に触発されて、蜘蛛の足はさらに速さを増す。
怒っちゃった?もしかして怒っちゃった?喧嘩を売ったつもりはないのだけど、彼はどうやら知能が高いようでやるせない私の態度に怒っちゃったみたいだ。
「おっとと」
足元に張られた蜘蛛の巣をタップダンスのように、落ちてあった人間の骸骨を羽根が生えた馬のように、下水の滝を登下校中の帰り道のように避ける。足は多い方がいいと言ったが、あえて少なくしてみるのも悪くない。
足りないことで新たな見識を得られる。新しい発見だ。
3359歩進めたところでようやく出口が見えてきた。下水道というからまっすぐ走れば脱出できると思ったのに中が迷路すぎる。くねって、曲がって、上がって、下がって、幼稚園の遊戯のような下水道の終わり。
「晩酌って明け方にやってもいいんだっけ?」
無事にゴールに辿り着き、若干明るくなり始めた世界に目を奪われて足元が疎かになってしまっていた。要するにポカった。
老朽化していたからか私が足を置いていたコンクリが崩壊してしまったのだ。このままだと私は汚水に一直線だろう。人生初ダイブは沖縄らへんの綺麗な海が良かったんだけどな。綺麗な海といえば沖縄。そう聞いている。
「ん?」
汚水ダイブを覚悟していた私だが、一向に土と排泄物と細菌の波はやってこない。
背中にひっついた1本の大きな白い糸が私の体を助けていた。それはもちろん、あの大きな蜘蛛から射出されている。
「あー……ありがとう」
返答に困っている私に対し、彼は気にする素振りも見せず、蜘蛛糸を引っ張って私の手元にあるおつまみを前足でちょいちょいと触ってきた。
「やっぱりこれが欲しいの?」
彼の目的が最初から私の肉片ではなく、このおつまみなのは薄々察してはいた。でもあげたくはなかったので逃げていたのだけど……流石に仕方ないか。
「わかったよ、助けてくれたお礼だ」
イカの塩辛をあげると、彼は器用に両足で袋ごとバリムシャっと食べ始めた。よほど美味しいのか、顎を鳴らして喜ぶ仕草をしている。嗚呼、私の初晩酌用のおつまみが……
跡形もなく食べ終わってしまった彼は空いた片足でもう一度私の服をさすってきた。
「え"っ、い、いや、これはダメだ。流石に柿の種は……あ、違う?そっちに行けばいいのかい?」
慌てて残されたおつまみを守ろうとしたのだが、どうやら違うようだ。
足指す方向へと誘われ、長い長い長い道のりを通る。
やがて蜘蛛の巣の張りめぐらされたトンネルを抜け、古い階段を見つける。これ以上真っ直ぐ先へは行けない。どうやらこちらが出口のようだ。
彼は尻部から糸を出し、私の首を掴んで上へと上へと登っていく。そこそこ長い螺旋階段をショートカットした先にあったのは……
「おお……」
木陰の中から顔を覗かせる朝日の顔だった。
1日の訪れを知らせる眩さは世界をひっくり返せるほど美しい。上空から観てみたところ、ここは県の最果てにある山の麓のようだ。かつては村落が存在していたが、高齢化とともに廃れ、かつての名残たる下水道だけが残されている。
そして今は彼のマイホーム。
「これを私に?」
蜘蛛の彼は首を下に落とす。
やはり人間を食べてるだけあってか彼は知能がそこそこ高いようだ。私が人ではないことにも本能から気づいているし、この景色を美しいと思える感性を持ち、誰かと共有したいという感情がある。
「朝からやるのを晩酌と言っていいのかは怪しいけど、こういうのも悪くないね」
缶ビールを真っ2つにして、片方を彼に手渡す。初めは1人だけでやろうと思っていたのだけど、サシで飲んでみることに計画変更だ。彼にビールが合うのかはわからないけど、素直に受け取ってくれたから大丈夫だろう。
「乾杯」
柿の種のカリッとした辛さが広がり、ビールがそれをシュワっと冷やして旨みだけを残していく。
私たちは登りゆく朝日を肴に、過ぎ去っていく時間を甘受した。
ちなみにその後、彼は定期的に私がコンビニをしている時間に現れ、おつまみを買っていく常連客となるのだけど……この話はまた今度でいいか。