100年修行したら幼女世界調律師になってました ~最強だけど世界を気ままに旅します~ 作:Fiomia
「……あなた、一体何者なんですか」
問い掛けると、女性は少しだけ目を丸くした。
それから柔らかく微笑み、小さく頷く。
「そうね。まずは自己紹介からだったわ」
落ち着いた声だった。
先ほどまで巨大な怪物を相手にしていた人物とは思えないほど穏やかで、不思議と警戒心を和らげる響きがある。
「私の名前はカサンドラ。カサンドラ・グランセルよ」
そう名乗ると、彼女は俺の顔をじっと見つめた。
「君の名前は?」
「氷室陸斗です……あ、すみませんお礼も言わずに。助けて頂いてありがとうございます」
「気にしないで……そう。リクというのね」
いきなり名前を縮めて呼ばれ、一瞬だけ戸惑う。
普通なら初対面で距離が近いと思うところだが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「改めて聞くけれど、リク。君は自分がどうしてここへ来たのか、心当たりはある?」
「山を歩いていて……妙な景色を見つけました」
蜃気楼のように揺らぐ空間。
その向こうに広がる草原。
近付いて触れた瞬間の猛烈な吐き気。
思い出せる限りを順番に話していく。
カサンドラは途中で口を挟まず、最後まで静かに聞いていた。
「……なるほど」
小さく頷いた彼女は、少し考えるように空を見上げる。
「どうやら間違いなさそうね」
「何がですか」
「君は別の世界から、この世界へ転移してきた」
あまりにも自然な口調で告げられた。
「…………」
返事ができない。
異世界転移。
漫画やゲームなら聞き慣れた言葉だ。
現実で言われても、理解が追い付くはずがない。
「えっと……」
何か言い返そうとして、言葉が出てこない。
否定したい。
だが、否定する材料もない。
日本では見たこともない植物。
巨大な狼。
そして、あの狼を一瞬で消し去った目の前の女性。
どれも現実離れしている。
「信じられないのも無理はないわ。でも、ここは君がいた世界ではない」
カサンドラは俺の表情を見ながら続けた。
「この世界の名前はアルノーヴァ」
聞いたこともない地名だった。
外国ではない。
少なくとも俺の知る地球上のどこにもそんな国は存在しない。
「……帰れますか」
気付けば、それだけを尋ねていた。
仕事のこと。
アパートのこと。
家族や友人。
頭の中には色々なものが浮かんでいたはずなのに、口から出たのはたった一つの質問だった。
カサンドラはすぐには答えなかった。
静かな沈黙が流れる。
その時間だけで、何となく答えを察してしまう。
「今まで、君と同じように別の世界から来た人を何人か見たことがある」
「……」
「残念だけれど、元の世界へ帰れた人はいない」
胸の奥が重く沈む。
頭では覚悟していたつもりだった。
それでも、はっきり言葉にされると受け止めきれない。
「じゃあ……俺は」
「少なくとも、現時点では帰る方法を知らない」
可能性を完全には否定しない言い方だった。
だが、その可能性がどれほど小さいものなのかも伝わってくる。
俺は俯いた。
営業という仕事柄、相手の言い回しから本音を読む癖がある。
『知らない』ではなく、『存在しないに等しい』。
そんな響きだった。
「……そうですか」
思ったより冷静な声が出た。
むしろ、自分でも驚いている。
泣き叫ぶでもなく、取り乱すでもない。
現実感が薄すぎて、感情が追い付いていないのだ。
カサンドラは無理に慰めようとはしなかった。
ただ、俺が言葉を飲み込む時間を静かに待ってくれている。
その気遣いがありがたかった。
しばらくして、俺は小さく息を吐く。
「確認したいことがあります」
「何かしら」
「さっきの狼……あれは、この世界では普通なんですか」
その質問に、カサンドラは少しだけ笑った。
「普通ではないわ。でも珍しくもない」
「……それ、安心していい話ですか」
「少なくとも、君の実力ではまず勝てない相手だったわね」
営業時代、遠回しな表現には慣れている。
今の言葉を日本語へ訳すなら、『遭遇した時点で詰み』という意味だろう。
「危ないところだったんですね」
「ええ。本当にあと一瞬遅ければ助けられなかった」
その口調に冗談めいた雰囲気はなかった。
あの時感じた死の恐怖は、思い込みではなかったらしい。
俺は改めて彼女へ向き直り、深く頭を下げた。
「改めて、助けていただいて、本当にありがとうございました」
「気にしなくていいわ」
カサンドラは穏やかに微笑む。
「助けたのは偶然ではあるけれど、見捨てる理由もなかったから」
その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。
少なくとも、この世界で最初に出会った相手が彼女だったのは幸運だったのかもしれない。
そう思い始めた矢先、カサンドラは俺をまっすぐ見つめ、どこか確信を持ったような声で言った。
「リク。君には一つ、特別な才能があるみたい」
「才能……ですか」
思わず聞き返す。
営業として働いてきた経験や、人と話すことには多少自信がある。
だが、それが命懸けの怪物がいる世界で役に立つとは思えない。
「どういう意味です?」
「君は世界調律師になれる資質を持っているの」
聞き慣れない単語だった。
「世界調律師?」
「この世界全体の均衡を守る役目を持つ者よ。一般の人たちからは『魔女』と呼ばれることが多いわね」
そう言ってカサンドラは少しだけ苦笑した。
「もっとも、一般の人へ詳しく仕事内容を説明することはほとんどないけれど」
俺は首をかしげる。
世界を守る魔女。
話だけ聞けば完全におとぎ話だ。
だが、目の前の女性は巨大な魔物を一瞬で消し去ってみせた。
あの力を見た後では、笑い飛ばすこともできない。
「さっきの魔法も、その世界調律師だから使えたんですか」
「そう考えてもらって構わないわ」
カサンドラはあっさり頷く。
「もちろん、人間も魔法は使える。でも、私たちの力は少し性質が違うの」
詳しく聞きたいことはいくらでもあった。
どうやって狼を止めたのか。
なぜ一瞬で消えたのか。
だが、今はもっと根本的な疑問がある。
「その……俺に、その才能があると」
「ええ」
迷いのない返事だった。
「この才能はとても珍しい。私も最初は見間違いかと思ったくらい」
そんなことを言われても実感は湧かない。
学生時代も、社会人になってからも、自分が特別だと思ったことは一度もない。
どちらかと言えば、努力して平均点を取るタイプだった。
「もし君が望むなら」
カサンドラは穏やかな口調のまま続ける。
「私の弟子にならない?」
「弟子……」
予想していなかった提案だった。
「もちろん、すぐ返事をしろとは言わないわ。でも、今の君には選択肢が多くないのも事実よ」
その言葉は重かった。
確かにその通りだ。
右も左も分からない世界で、一人きり。
どういう理屈か知らないが言葉は通じているようだが、金もなければ住む場所もない。
魔物が普通に現れる世界なら、次は助けてもらえる保証もない。
「弟子になれば、どうなるんですか」
「私が世界調律師になるための修行をつける」
「どのくらいで一人前になれるんでしょう」
軽い気持ちで尋ねたつもりだった。
カサンドラは少しだけ考えてから答える。
「君なら……そうね、100年くらいかしら」
「……はい?」
聞き間違えたと思った。
「今、100年って言いました?」
「ええ」
あまりにも自然に肯定される。
「100日じゃなくて?」
「100年」
「10年でもなく?」
「100年ね」
淡々としたやり取りだった。
本人は冗談を言っている様子がまったくない。
「いやいやいや」
思わず両手を振る。
「100年って、人間の寿命を超えてますよ」
「普通の人間ならそうね」
カサンドラは当然のように頷いた。
「でも、世界調律師の修行を始めれば、寿命は気にしなくていいわ」
「……え?」
「老いなくなるもの」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
老いない。
つまり。
「不老……ということですか」
「そういうこと」
さらりと言われた。
異世界。
魔法。
巨大な怪物。
ここまでは半ば勢いで受け入れてきたが、不老まで出てくるとさすがに頭が追い付かない。
「本当に、そんなことが……」
「信じられないでしょうね」
カサンドラは苦笑しながらも否定しなかった。
「でも、それが世界調律師という存在なの」
俺は黙り込んだ。
100年。
長すぎる。
地球にいた頃なら、一笑に付して終わる話だ。
けれど、帰る方法はないと言われた今、その100年は単なる数字ではなく、この世界で生きるための道として目の前へ置かれている。
「……一つだけ聞いてもいいですか」
「もちろん」
「俺が断ったら?」
その質問に、カサンドラは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「人里まで送り届けるわ。その後は普通の人として生きていくことになるでしょうね」
無理強いはしない。
その姿勢だからこそ、彼女の言葉には重みがあった。
俺はしばらく黙って考える。
地球へ帰れない。
知り合いは一人もいない。
この世界の常識も分からない。
そんな俺を助け、事情を説明し、選択肢まで与えてくれているのが目の前の女性だった。
恩を返したい。
それは本心だった。
同時に、この世界で生き延びるためにも、彼女のもとで学ぶことが最善なのは間違いない。
俺はゆっくり顔を上げる。
「……お願いします」
カサンドラが静かに目を細めた。
「私を、弟子にしてください」
その言葉を聞いた彼女は、どこか安心したように微笑む。
「ありがとう、リク。きっと後悔はさせないわ」
こうして俺は、地球では営業マンだった30歳の人生に区切りを付け、この世界アルノーヴァで世界調律師を目指すことになった。