100年修行したら幼女世界調律師になってました ~最強だけど世界を気ままに旅します~ 作:Fiomia
魔女カサンドラへの弟子入りを決めた俺は、彼女と二人で森の中を歩いていた。
気づくと、スマホの時計はまた動き出したようだが、異世界に電波が届くはずもない。意味をなさないので電源を切っておいた。
結局、どれくらい時間が経ったのかは分からないまま、俺はカサンドラの後ろについていく。
「もうすぐ着くわ」
森の中をしばらく進むと、木々が途切れ、一気に視界が開ける。
思わず足を止めた。
そこには、小高い丘の上へ建てられた石造りの塔があった。
何階建てなのか見当もつかないほど高く、青い屋根は雲へ届きそうなくらい空へ伸びていた。
装飾は決して派手ではない。
それでも長い年月を感じさせる重厚さがあり、一目見ただけで普通の建物ではないと分かる。
「これが私の塔よ」
「一人で住んでるんですか?」
「ええ」
さらりと返事が返ってくる。
これだけ大きな建物を一人で使うという発想に、思わず営業マン時代の感覚で維持費を心配してしまった。
「掃除だけでも大変そうですね」
「……耳が痛いわ」
少し視線を逸らした。
その反応だけで、何となく察するものがあるな。
塔の扉がひとりでに開く。
近付いたから開いたのか、それともカサンドラが魔法を使ったのか。
ファンタジー世界でも自動ドアは一緒だな、などと益体もないことを考える。
中へ入ると、高い天井の広間が広がっていた。
磨き上げられた石床に、壁を飾る絵画や調度品。来客を迎えるための応接間なのだろう。魔女の塔というより、小さな城の一室と言った方がしっくりくる。
「好きに座って」
勧められるままソファへ腰を下ろす。
するとカサンドラは、部屋の奥にある扉を開けた。
「お茶を淹れてくるわ。……散らかってるから、奥には入らないでね」
「え?」
半ば反射的に覗き込むと、開いた扉の向こうには本棚と資料の山が見えた。
読みかけの本が机の上に積まれ、床にも何冊か転がっている。
「……必要な場所しか掃除してないの」
「ですよね」
応接間との落差が妙に人間味を感じさせて、少しだけ肩の力が抜けた。
「お腹が空いたでしょう」
「……分かりますか」
「顔に書いてあるもの」
そこまで分かりやすい顔をしていたらしい。
少し恥ずかしい。
「じゃあ、お昼にしましょう」
カサンドラは軽い足取りで奥の部屋へ向かう。
「腕によりをかけるわ」
妙に自信ありげな言葉だった。
助けてもらった恩人だ。
料理もきっと得意なのだろう。
そう思って待つこと十分ほど。
奥の部屋から、何とも言えない匂いが漂ってきた。
焦げたような。
薬品のような。
いや、そのどちらとも違う。
人生で一度も嗅いだことのない香りだった。
「……大丈夫かな」
独り言が漏れる。
その直後。
ボンッ!
奥から小さな爆発音が響いた。
俺は勢いよく立ち上がる。
「カサンドラさん!」
慌てて台所へ駆け込むと、そこには真っ黒な煙が立ち込めていた。
「げほっ、げほっ……」
煙の向こうから咳き込むカサンドラが現れる。
怪我はないようだ。
それだけは安心した。
「だ、大丈夫ですか!」
「平気よ。少し失敗しただけだから」
少しどころではない気がする。
煙が晴れていく。
そこで俺は鍋の中身を見た。
「…………」
言葉が出なかった。
黒い。
とにかく黒い。
炭と言うべきか、液体と言うべきかも分からない何かが鍋いっぱいに広がっている。
営業時代、取引先との会食で多少変わった料理は見てきた。
だが、これは料理というカテゴリーへ入れていいのかすら判断に困る。
「今日はちょっと火加減を間違えたみたい」
「今日『は』?」
思わず聞き返す。
「昨日はちゃんと紫だったわ」
「色の問題じゃありませんよね?」
「そうかしら」
本人は本気で首をかしげている。
どうやら天然らしい。
俺は恐る恐る調理台を見る。
切りかけの野菜。
まだ使っていない肉。
幸い、材料は無事だった。
「……あの」
「うん?」
「俺が作ってもいいですか」
その一言で、カサンドラの動きがぴたりと止まる。
「料理、できるの?」
「一人暮らしだったので、それなりには」
凝ったものは作れない。
だが、人並みにはできる。
少なくとも、鍋を爆発させたことは一度もない。
カサンドラは俺をじっと見つめていたが、やがて瞳を輝かせた。
「お願い!」
返事が異様に早かった。
「ぜひお願い!」
両手を握られる。
そんなに期待されると、逆に緊張する。
「分かりました。材料を借りますね」
袖を軽くまくり、調理台の前へ立つ。
見慣れない食材も混ざっていたが、野菜や肉は地球と大きく変わらないようだ。
包丁を手に取る。
重さも握り心地もほとんど同じ。
少しだけ安心した。
「まずは食べられるものを作ります」
「うん!」
その返事は、弟子入りを頼んだ時よりずっと嬉しそうだった。
包丁を動かし始めると、不思議と身体が覚えていた。
野菜を切り分け、肉へ軽く下味を付ける。
見慣れない香草らしい葉も少しだけ加え、鍋へ順番に入れていく。
「その切り方、初めて見たわ」
「普通の家庭料理ですよ」
「家庭料理って、こんなに手順があるものなの?」
「むしろ少ない方です」
後ろから興味津々で覗き込むカサンドラへ答えながら、スープを味見する。
少し薄い。
塩らしき調味料をひとつまみ加えると、ちょうどいい味になった。
最後に軽く火を通して完成だ。
「できました」
器へ盛り付けて差し出す。
カサンドラは恐る恐るスプーンを口へ運んだ。
しばらく固まる。
そして、ぱっと目を見開いた。
「……おいしい」
もう一口。
さらにもう一口。
夢中になって食べ始める。
「こんな料理、何百年ぶりかしら……」
「何百年?」
思わず聞き返す。
「ええ。昔は食事を作ってくれる人もいたんだけど、みんな寿命でいなくなってしまって」
「新しい人を雇えば良いんだけど、別れが辛くなるから」
スプーンを動かす手は止まらない。
さらりと言われたが、その言葉には世界調律師という存在の時間の長さがにじんでいた。
人は歳を取り、やがて亡くなる。
だが、彼女だけは変わらず生き続ける。
「それからは自分で作るようになったんだけど……」
「その結果がさっきの?」
「最初はもっと酷かったわ」
まだ下があるのか。
正直、想像したくない。
「リク」
真剣な表情でこちらを見る。
「お願いがあるの」
「何でしょう」
「これから料理はお願いできないかしら」
頭を下げられた。
世界を守る魔女が、料理を理由に弟子へ頭を下げている。
何とも言えない光景だった。
「もちろん構いませんよ。どうせ自分も食べますし」
「本当?」
「はい」
その返事を聞いた瞬間、カサンドラは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「君を弟子にしてよかった!」
「まだ修行も始まってませんけど」
思わず苦笑する。
どうやら俺は、世界調律師候補である前に専属料理人として採用されたらしい。
昼食を終え、食器を片付ける。
洗い物を手伝おうとすると、カサンドラは「そこは私がやるわ」と言って魔法を使った。
食器がひとりでに浮かび、水へ飛び込み、布で拭かれ、棚へ戻っていく。
「便利ですね」
「こういう細かいことには便利よ」
生活魔法というやつだろうか。
営業時代、食洗機を買おうか迷って結局買わなかった自分としては、少し羨ましい。
片付けが終わると、カサンドラは本棚から分厚い本を何冊も抱えてきた。
机へ積み上げる。
「さて」
穏やかだった表情が、少しだけ引き締まる。
「ここからは弟子として扱うわ」
「よろしくお願いします」
自然と背筋が伸びた。
「まず覚えてもらうことは山ほどあるの。この世界の歴史、国々、人々、魔法、それから世界調律師としての知識」
本の山を見て思わず苦笑する。
「いきなり全部ですか」
「安心して。100年あるもの」
「その100年を便利な言葉みたいに使うのはやめてもらえません?」
「便利だから」
悪びれる様子がまったくない。
思わず笑ってしまった。
考えてみれば、100年かけて育てる弟子なのだ。
焦る必要はどこにもない。
「それじゃあ最初の授業を始めましょうか」
「はい」
「さて、まず世界調律師とは何か、それを説明するわ」
「世界調律師って、魔女のことですよね?」
「そう。世間では魔女と呼ばれているけれど、正式な役職名は世界調律師。私たちが何をしているのかを理解するには、まずこのアルノーヴァという世界について知っておく必要があるわ」
カサンドラは魔法で空中に地図を投影する。
「これがこの世界アルノーヴァ。リクの世界には『惑星』って概念はあるかしら?」
「ええ、もちろん」
「そう。それなら説明しやすいわね。ここアルノーヴァは惑星じゃないの」
「……惑星じゃない?」
「ええ。人々が暮らすために作られた閉じた世界よ」
いきなり、とんでもない話が出てきた。
「じゃあ、ここにある大地や海は?」
「ちゃんと存在しているわ。ただ、普通の惑星とは成り立ちが違う。そこは今は深く考えなくていいわ」
「分かりました」
知らないことを一気に詰め込まれるより、ずっとありがたい。
カサンドラは地図の外側へ指を移した。
「そして、本当の世界は別に存在しているの」
「別の世界?」
「ええ。そちらが本来の世界。けれど、昔の魔法災害によって大きな損傷を受けてしまった」
俺は地図へ目を落とした。
「じゃあ、今はどうなっているんですか?」
「修復しているの」
「どうやって?」
「アルノーヴァから魔力を送っているの」
魔力。
この世界では、魔法を使うためのものとして当たり前に扱われている。
それを世界そのものの修復に使っているらしい。
だがそうすると、このアルノーヴァの魔力は失われないのだろうか。
「魔力ってどうやったら増えるんです?」
「アルノーヴァで人々が暮らすこと、それ自体が魔力を生み出しているの」
「生活するだけで?」
「そう。食事をして、働いて、眠って、人と話して、結婚して、子どもが育って……そういう日々の営みが、少しずつ世界へ魔力を満たしていく」
思っていたよりも、ずっと身近なものだった。
「じゃあ、人が普通に生活しているだけで、本当の世界の修復が進んでいる?」
「ええ。だからこそ、アルノーヴァで人々が普通に暮らせる状態を維持することも、私たちの大切な仕事なの」
「それが世界調律師の仕事なんですね」
「仕事の一つね。もう一つは、その魔力を本当の世界へ送ること」
カサンドラが、部屋の天井へ視線を向けた。
「そのために、私たちはそれぞれ自分の塔を持っているの」
「塔が魔力を送る装置なんですか?」
「そう考えていいわ。世界調律師本人と塔は魔力的に結び付いているから、一人につき一つ。私には私の塔があり、他の世界調律師にも、それぞれ自分の塔がある」
「じゃあ、世界調律師が増えれば、送れる魔力も増える?」
「その通りよ」
俺は少し考えた。
「それなら、世界調律師をたくさん増やせばいいんじゃないですか?」
カサンドラが困ったように笑った。
「それができれば苦労はしないのよ、リク」
「……そんなに難しいんですか?」
「世界調律師になるには特殊な魔力の才能が必要なの。普通の魔法の才能とは別物で、滅多に生まれてこない」
「どれくらい?」
「ここ2000年ほどで確認されているのは、一人だけよ」
「2000年で一人……」
数字にすると、とんでもない希少性がよく分かる。
「だからアルノーヴァには魔力そのものは十分にあるのに、それを送る側が足りなかった。塔を増やせれば世界の修復はもっと早く進むのだけれど、才能がなければ世界調律師にはなれない」
カサンドラはそこで俺を見た。
「そして、リク。あなたには、その才能がある」
俺は自分の胸へ手を当てた。
普通の人間だと思っていた自分に、異世界でそんな才能が開花するとは想像もしていなかった。
「俺が世界調律師になれば……本当の世界の修復を少しだけ早められる?」
「ええ」
カサンドラは静かに頷いた。
「だから私は、あなたを弟子にしたのよ」
◇
……こうして俺の新しい生活が始まった。
地球では営業マン。
今は異世界で、世界を守る魔女の弟子。
肩書きだけ見れば、人生設計どころか履歴書すら書き直しである。
もっとも、その履歴書を提出する相手は、この世界にはいないのだけれど。