100年修行したら幼女世界調律師になってました ~最強だけど世界を気ままに旅します~ 作:Fiomia
旧世界監視施設へ転移した瞬間、視界を満たしていた白い光がゆっくりと薄れていく。
足元の感触が変わった。
石畳でも木の床でもない。滑らかで継ぎ目のほとんど見えない、灰白色の床材だ。
「ここが旧世界監視施設よ」
カサンドラが静かに言った。
俺は思わず周囲を見回した。
広い。
天井はかなり高く、円筒状の巨大な空間が何層にも積み重なっているように見える。壁には細い青白い光の筋が無数に走り、魔法陣とも違う幾何学模様が淡く明滅していた。
「……塔の中とは全然違いますね」
「そうでしょう?」
カサンドラは少しだけ懐かしそうな表情になる。
「ここは今も旧世界を監視している施設。そこを私たちが会合場所として利用しているの」
旧世界。
何度か名前は聞いているが、滅んでしまった本来の世界。
その施設が、2000年以上経った今も残っているということになる。
壁へ近づいて手を触れてみる。
石ではない。
金属にも見えるが、ひんやりとした感触なのに冷たさは感じない。不思議な素材だった。
「壊れたりしないんですか?」
「世界調律師でも壊せないわ」
さらっと恐ろしいことを言われた。
俺が驚いていると、カサンドラはくすりと笑う。
「もっとも、壊そうと思った世界調律師なんて一人もいないけれど」
それはそうだろう。
会議室を壊す社員なんて聞いたことがない。
……いや、会社ならまだ酔っ払いが壁へ穴を開ける事件くらいあるかもしれないが。
「こっちよ」
カサンドラに続いて長い通路を歩く。
通路もどこまでも静かだった。
窓は見当たらないのに、どこからともなく柔らかな光が差し込んでいる。魔法の照明とも少し違うように見えるが、俺には仕組みまでは分からない。
途中、壁際へ円柱状の装置が並んでいる場所を見つけた。
「これは?」
「昔の設備ね。今はほとんど動いていないわ」
「使えないんですか」
「動いているものもあるけれど、私たちでも完全には理解できていないの」
世界調律師にも分からない技術。
膨大な知識をもつカサンドラにも、分からないものはあるらしい。
やがて大きな扉が見えてきた。
高さだけでも5メートル近くある。
装飾らしい装飾はなく、無機質な白い扉だ。
カサンドラが軽く手をかざすと、音もなく左右へ開いた。
「みんな、お待たせ」
中へ入った瞬間、数人の視線が一斉にこちらへ向く。
円卓を囲むように椅子が並び、そのうち三席にはすでに人が座っていた。
最初に立ち上がったのは、燃えるような赤髪の美女だった。
身体つきも派手で、立っているだけで存在感がある。
「あら、随分遅かったじゃない」
そう言ったかと思えば、こちらを見る。
正確には、俺を見た。
「……え?」
数秒の沈黙。
「ちょっとカサンドラ! アンタ、弟子を紹介するって聞いてたけど、こんな可愛い子だなんて聞いてないわよ!」
部屋中へ響く大声だった。
俺は思わず一歩下がる。
元気な人だ。
「紹介するわ。ヴァレリア・ディアローゼ」
カサンドラはいつもの落ち着いた口調で紹介する。
「世界調律師の一人よ」
「よろしくね、新人ちゃん!」
ヴァレリアはあっという間に距離を詰め、俺の前へしゃがみ込んだ。
近い。
顔が近い。
「名前は?」
「リ、リコレットです」
「へぇー! 可愛い名前!」
頭を撫でようとした手が伸びてきた瞬間。
「ヴァレリア」
カサンドラが静かに呼ぶ。
「まずは順番に紹介しましょう」
「ちぇー」
不満そうに口を尖らせながらも、素直に引き下がる。
どうやら言うことは聞くらしい。
「相変わらず騒がしいですね」
落ち着いた男性の声が聞こえた。
円卓から立ち上がったのは、小太りの中年男性だった。
きちんと整えられた口ひげに、人の良さそうな笑み。
「初めまして、リコレットさん」
丁寧に一礼する。
「私はマティアス・シュタイン。学園都市アルカディアで学長をしています」
学長。
いかにも似合う雰囲気だ。
「よろしくお願いします」
俺も慌てて頭を下げる。
営業時代の癖なのか、自然と礼が深くなる。
「カサンドラから話は聞いています。100年もの修行、本当にお疲れ様でした」
その一言だけで、この人がまともな社会人だと何となく分かった。
安心する。
「ありがとうございます」
「困ったことがあれば、いつでも相談してください。私で力になれることなら喜んで協力します」
……良かった。
本当に良かった。
常識人っぽい人が一人はいた。
心の中で少しだけ安堵していると、もう一人の女性が静かに席を立つ。
水色の長い髪。
すらりとした長身。
一本の長槍を携え、姿勢は真っすぐ伸びていた。
「レイネ・アークフェルトだ」
声まで凛としている。
「世界調律師になった以上、今後は仲間として行動することもある。その時はよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
短いやり取り。
それだけなのに、誠実さが伝わってくる。
「サイラスの師匠でもあるわ。サイラスも世界調律師の1人」
カサンドラが補足する。
「弟子がいるんですか」
「ああ。ただ……」
レイネが小さくため息をついた。
「少々自由人でな」
「少々どころじゃないでしょう?」
ヴァレリアが笑いながら口を挟む。
「アンタ、毎回振り回されてるじゃない」
「否定はしない」
真顔で返すレイネに、ヴァレリアが吹き出す。
その様子を見ていると、何となくこの人たちの距離感が分かってきた。
何百年も生きているはずなのに、堅苦しい上下関係はあまりないらしい。
「そういえば」
俺は周囲を見回した。
「カサンドラさんが、世界調律師は私を入れて7人って言ってましたよね?」
「ええ」
「でも今は……」
俺を含めても5人しかいない。
カサンドラは空いている席へ視線を向けた。
「フィーネは今日も欠席よ」
「また?本当に仕方ないわねあの子」
ヴァレリアが呆れたように肩をすくめる。
「まあ、あの子らしいけどね」
「体調でも悪いんですか?」
そう尋ねると、三人は一瞬だけ顔を見合わせた。
「違うわ」
最初に答えたのはヴァレリアだった。
「フィーネはね、人見知りなのよ」
「人見知り……ですか?」
「ものすごく」
力強く断言された。
「会合の日になると毎回、『やっぱり行けません』って連絡だけ寄越して、自分の塔へ引きこもるの」
「今回は連絡が来ただけ進歩している」
レイネが真顔で補足する。
「以前は連絡すらなかった」
「あの時は大変だったわねぇ」
ヴァレリアが懐かしそうに笑う。
「魔物でも出たのかと思って、みんなで様子を見に行ったら、部屋の隅で小さくなって震えてたもの」
「……」
想像していた世界調律師像と違いすぎる。
世界最強クラスの存在なのに、人付き合いが苦手で会議を休む。
何とも人間味のある話とは思うが、それでいいのだろうか。
「だから、いつか会えたら仲良くしてあげてね」
カサンドラが穏やかに言う。
「きっと喜ぶわ」
(うーん、その手の人物に会いに行って喜ばれるのかな……)
そんなことを考えていると、部屋の外から軽快な足音が近付いてくる。
コツ、コツ、コツ。
一定のリズムで廊下を歩く音が止まり、開いたままの扉から一人の青年が姿を現した。
短い金髪に整った顔立ち。
爽やかな笑顔がよく似合う、絵に描いたような好青年だった。
「ごめんごめん! 少し遅れちゃっ――」
青年の言葉が途中で止まる。
視線が俺へ向いたまま、完全に固まっていた。
「……サイラス」
レイネが静かに呼ぶ。
返事はない。
青年――サイラスは瞬きすら忘れたように、じっと俺を見つめている。
「どうしたのよ?」
ヴァレリアが首をかしげる。
「珍しいわね。アンタが黙るなんて」
それでも反応はなかった。
サイラスは一歩、また一歩とこちらへ歩いてくる。
その目は、何か奇跡でも見つけたかのように輝いていた。
「えっと……」
俺は思わずカサンドラを見る。
「いつもあんな感じの方なんですか?」
「……いいえ」
カサンドラまで少し戸惑っていた。
「私も初めて見る反応ね」
やがてサイラスは俺の目の前で立ち止まる。
そして――。
すっと片膝をついた。
「え?」
営業時代にも、異常に礼儀正しい人間というのは見たことがある。
だが、初対面の相手へ片膝をつく人など見たことがない。
サイラスは真っすぐ俺を見上げる。
その青い瞳に迷いは一切無いように見える。
「初めまして」
穏やかな笑みを浮かべたまま、右手を胸へ当てる。
「僕はサイラス・アークフェルト。300年前に世界調律師になった」
そこまでは普通だ。
自己紹介として何もおかしくない。
「可憐なお嬢さん。名前を教えて頂けますか?」
「えっと……リコレットです」
「リコレット……美しい名前です」
俺の手をそっと取る。
「リコレットさん。僕と結婚してください」
「…………はい?」
一瞬、頭が真っ白になる。
初対面だ。
名前を名乗ったばかりだ。
それなのに、なぜ求婚されている!?
「こらっ!」
次の瞬間、レイネの拳がサイラスの頭へ落ちた。
「痛っ!」
「初対面で何を言っている!」
「でも師匠!」
サイラスは頭を押さえながらも真剣そのものだった。
「運命なんだ!」
「運命でも順序というものがある!」
「いや、そこなの!?」
思わず心の声が漏れた。
普通は運命そのものを否定しないだろうか。
「意外な展開ねぇ」
ヴァレリアは呆れたように笑う。
「カサンドラ、新人ちゃん災難だったわね」
「ええ……」
カサンドラは小さく額へ手を当てていた。
その様子を見る限り、この光景は珍しくないらしい。
「リコ」
申し訳なさそうにこちらを見る。
「紹介するわ。この子がサイラス」
「紹介の前に十分印象付いてますよ!」
俺が思わずツッコミを入れると、部屋のあちこちから笑い声が上がった。
サイラスだけは笑っていない。
真剣な表情のまま、もう一度俺を見つめる。
「返事は急がなくていい」
「返事する前提なんですか!?」
「300年でも、500年でも待つよ」
「待たなくて結構です!」
悲鳴を上げるように即答すると、サイラスは少しだけ残念そうな顔をした。
……こいつ本気だ。
冗談でも悪ふざけでもない。
その事実だけは、こいつの表情を見ればよく分かった。