◇千穂◇
協会での特訓開始から、早一週間。里穂ちゃんは着々と魔法というものに馴染んでいった。今まで、自分の中で固定化したイメージで放っていた魔法を定着化する作業は、いささか難航したが成果は十分。案山子が目に見える形で教えてくれる。
だからこそ、
「……今日は、いける!」
一度、定着化を経験したなら、あとはある程度放っておいても里穂ちゃんは育つ。残念な話、そこから先に関して、私がやれることは多くない。故に、あの子に練習メニューを渡し、お気に入りのマイホールへ行くのは当然の結果だ。
むしろ、最近は控えていたことを自分で褒めてあげたい。
「抽選番号は微妙だったけど……あの台、結構人選ぶし大丈夫でしょ!」
以前、現実逃避に打ち負けたのは、みんながお腹いっぱいと難色を示すライトミドル帯の25%凸。LTの出玉振り分けと右の演出の魅力はあるが、如何せん突入率が突入率なだけに、人を選ぶ台だ。
もっとも、私はそんなことない。75%のRUSHを4回連続スルーするスキルをもってすれば、右打ち遊戯の突入率は300%はあるはず。
──なんて、バカみたいな考えをしていたら、一瞬、体にピリつきが走った。妙な緊張感と、徐々に荒くなる呼吸。感覚で、わかる。近くに、怪物が発生した。
「……弱いな、今なら……すぐやれる」
距離は遠くなく、怪物の強さはせいぜいが曇級。引退してステッキも返還したとは言え、その程度なら造作もない。パパっと済ませてしまえば、被害もなく、安全にことは片付く。問題があるとすれば、今最前線で戦おうとする少女たちの経験の機会を……奪ってしまうこと。
可能な限り、そういうのは避けたいが、私のスマホからは一向に警報が鳴る気配はない。
まだ発生から間もなく、被害も出ていないから発見が遅れているのだろう。怪物は個体によって姿が変わるし、遠目から見ただけでは、野生動物と見分けがつかないパターンもある。最悪の場合、小さくて見つからないような怪物が壊滅的な被害をもたらすことも、なくはない。
その為、できることは、二つ。
一つは、百花に連絡を取り、協会をすぐにでも動かすこと。彼女の魔法があれば、魔法少女が現場に到着するのに時間がかかることはほぼないし、問題が起こる可能性も極めて低い。
もう一つは、私が、倒すこと。こっちも、まぁ、話は早い。現場に私が走って、怪物を倒す。簡単に、単純に、災害は鎮火し、怪物は討伐される。なんなら、電話をするという工程を挟む以上、前者の行動の方が無駄が多いのは事実だ。
あぁ……本当、言い訳がましいな。自分の行動を正当化しようとしているようで、気持ちが悪い。気持ちが悪いけど──私は、自分の手の届く範囲で誰かが傷つくのは、もう嫌なんだ。これ以上、後悔、したくない。二度目はきっと、耐えられないから。
だから、あの日と同じように、選択肢のない選択を繰り返す。
「場所は……こっちかな」
自分の感覚を信じ、走る。実戦の経験は、訓練の比ではない。長く前線にいれば、自然と怪物の気配に敏感になる。それは、死の香りを探るのと同じで、常に危険に身を晒す魔法少女たちの最後の命綱。
仲間を守るにも、助けるにもまずは自分。自分が生きていて始めて、仲間に手を伸ばす権利がある。
あとは、逃がさない腕があればそれでいい。
「やっぱり、小さい」
住宅街の、狭い路地裏。回収用のゴミ箱の近くに、怪物はいた。隠れているつもりなんだろうか。一本一本が鋭い針にも見える毛で覆われた
「…………ふぅ」
呼吸を整え、狙いをつけてから、ゆっくりと手を構える。追って捕まえられる保証はない。一発を外すことは、一人の命を散らすことだってありうるから。そうならないために、目を凝らす。
「雷の矢よ、射抜け」
威力は最低限に、速さと命中精度を意識し放ったのは、牽制用の魔法「雷の矢」。小型の怪物や、すばしっこい怪物を狩る際の一矢。他の雷魔法と同じく、青白い魔法陣から生まれた一射は正確に怪物の体を射抜き、内部から完全に破壊する。
惨いと思わないと言えば、それは嘘だ。自分たちとは違くとも、怪物は生きている。生きているけれど、害を産むなら──殺すしか、道はない。
「……じゃあね」
隔絶した差があるからこそ生まれた、驕りと油断。全てを失った日に捨てたはずのそれが、コンマ1秒にも満たない隙を作る。
もっと警戒するべきだった。
弱いからと、倒したからと安心するのではなく、最後まで注意するべきだった。
強くなることで生まれ、理不尽を知った日に捨てたそれが、堕ちた果てで牙を剥く。
『なんで、助けてくれなかったの……ちーちゃん?』
「ひゃっか……?」
『約束、したのに……あたし、痛かったのに……どうして……?』
「ちがっ……私は、みんな、を……たす──」
『許さない』
言わない、言うはずがない。
言うはずが、ないんだ。
私の大好きな百花は、こんなこと、言わない。今、目の前にいるのは、怪物が残した偽物だ。本物なはずない。本物の百花なら、私のことを、絶対に、許してくれる。許さないなんて、言わない。言わないはずだ。
言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない。
そうやって叫んで、全部を否定したいのに、声はどんどん大きくなる。姿もブレて、百花以外の声と形が、混ざっていく。
『────────!!』
救えなかった人達の声が。
見殺しにした仲間の声が。
姿共に、私を、責める。
あの日、あの場所で、誰よりも痛みと幸せを分かち合った彼女達の怨嗟が、心に響く。
苦しくて、痛くて、辛くて、死にたくて──私はまた、逃げた。
◇里穂◇
別に、なんてことない一日。学校終わり、協会で魔法の練習をこなし、帰り道にあるスーパーで買い物をして、帰る。わたしの中で、少しずつ日常に近くなった日々。昔とは違う、独りじゃない家。温かいけど、不安定で。優しいけど、痛い。苦しいのに、居心地がいい場所。
矛盾している家が、わたしと千穂さんの家。
「お昼ご飯……ちゃんと食べてくれたかな」
そんなことを考えて開いた玄関のドアの先からは──異様な雰囲気が漂っていた。どんよりとした、重い空気。真綿で首を絞められてるような、息が詰まりそうになる感覚が、体にまとわりついてくる。
「……千穂、さん?」
異常が、起こっている。
わたしの知らないところで、なにがあったのかはわからない。わからないけど、誰かがとてつもない地雷を踏んでしまったのかも、しれない。怖い、怖いし、寒い。近付いてはいけない、近付くことを許さない。そんな、心の壁を感じる。
だとしても、手を伸ばすのを諦めるには、まだ早いはずだ。
「千穂さん!」
いた。
リビングのソファに、千穂さんはいた。膝を抱えたまま俯き、じっと、座っていた。わたしは、そっとスーパーの袋を地面に置き、歩み寄る。なるべく、声を柔らかく。なるべく、表情は優しく。あの日の、あなたをなぞるように、私は声をかけた。
「千穂さん、大丈夫ですか? わたしのこと、わかりますか?」
「……ぅぁ……? ぁあ!? 雷の槍よ!!」
迸る青白い光。
数秒、交差した瞳は、澱んでいた。
傷付いて、絶望して、泣いていた。
考えてる余裕なんて、なかったから。わたしは急いで千穂さんをソファに抑え込む。ちょっとずつ健康になっていたとはいえ、現役で日々動いているわたしの方が体力も、筋力も上。無理矢理マウンティングのポジションを取れば、いくら成人女性とはいえ負ける道理はない。
「っ! 千穂さん! わたしです! 里穂です! おちついて、ください!!」
「うっ、あぁ……あぁ……? りほ……ちゃん?」
「そうです。あなたの弟子の、里穂。夕凪里穂です。思い出しましたか?」
「……っ、ごめん。私……なんで、こんなこと……」
「大丈夫です。わたしがいますから。今は、ゆっくり、深呼吸してください」
瞳に宿った光を信じ、わたしは千穂さんの上から降りて、手を握る。震えていた。あの日のわたしと、同じだ。
だから、そのまま、落ち着くまで、待った。待って、待って、でも、千穂さんの口からは、謝罪の言葉以外出てこなくて、理由はわからずじまい。
時間が経って、夕ご飯の時も、そう。ずっと俯いて、謝りながらご飯を食べて。その後は、わたしを避けるように寝室に逃げていった。
「…………わたしのせい、なのかな」
引き戻したのも、話を聞いたのも、わたしから。わたしが聞こうとしなければ、こうはならなかったのだろうか。それとも、時間の問題で、いつか……千穂さんはこういう問題にぶつかってしまったんだろうか。
魔法のように、想像して解決とは、いかない。それが現実で、それが当たり前。
「怪物の出現報告……? いつのだっけ……?」
洗い物が終わり、開いたスマホに溜まっていた通知の一つが、たまたま目に入る。時刻は、10時前。授業中の通知だ。魔法少女用に特別に作られた通知アプリ。それには、出現した怪物の情報と、討伐時刻が記載されている……はずだった。本来あるはずの情報がなく、あるのは出現した怪物が数分のうちに痕跡を追えなくなったという、不自然な履歴だけ。
「……まさか」
怪物が出現した位置情報を地図と照らし合わせて確認すれば、浮かび上がるのは一つの真実。最悪な偶然と言うべきか、件の場所は……千穂さんがよく遊びに行くと言っていたパチンコ屋さんの近くだった。
点と点が、ほんの少しの情報で、あっという間に繋がっていく。
「……戦うの、やめてないんだ、千穂さんも」
苦しいことも、辛いことも、いっぱい、いっぱいあるのに。千穂さんはまだ、手を伸ばそうとしている。傷だらけのままでも、歩き続けている。ヒビの入った心を持って、制御しきれない感情の波に揉まれながらも、千穂さんは足を止めずに、いる。
なにか、してあげたい。
小さいことでもいい。特別なことじゃなくて、いい。抱えているものを知ったなら、なにかするべきだ。
「わたしに、できること」
振り返る。
わたしの生きた軌跡の中で、一番心癒された思い出を。寂しさを、悲しさを温めてくれた思い出を。目を瞑って、息を吐いて、振り返る。
一つ、あった。小さい頃、小学校に入る前の記憶だ。
帰りの遅いパパとママの代わりに、わたしの世話を焼いてくれたお手伝いさんとの、思い出。
あの時は二人の事情なんてわからなくて、自分が嫌われてるから独りなんだと、泣いていた。言葉としてぶつけることもできないから、泣くしかなくて。そんなわたしを、お手伝いのお姉さんは、優しく抱きしめてくれた。
『──────』
何を言われたかは、もう思い出せないけど、抱きしめられて温かかったことは覚えているから。わたしは寝室へと走る。
勢いよく寝室の扉を開けて、今にも布団に隠れようとする千穂さんを、胸に抱き寄せた。
「……何も、言わなくていいです。嫌だったら、話さなくていいです。だから──泣く時だけは、独りにならないでください。わたしは、ここに居ますから」
「……ぁ、うん……うんっ……」
温かいような、ほんのり冷たいような。
頬を伝って落ちる涙を、わたしは受け止める。
最初はわからなかった、ここに来た理由が──今は、わかる。千穂さんも、わたしも。独りが、寂しかったんだ。
次回もお楽しみに!
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